第3話 合格発表
ひかりの部屋で冬休みは何をしようかと少し話したりした後、二人は連れ立って家を出た。
二人にはこれから大事な予定があった。
長い時間電車に揺られて、誠司とひかりは美大の合格者発表を見に来ていた。
ネットで確認することもできたが、折角二人で居られることだし足を運んでみようと、以前から二人で予定していたのだった。
大学の門をくぐった二人は、お互いにやや緊張した面持ちで合格者の掲示板へと向かう。
人の流れにそのままついて行くと、やや広くなった校庭の一角に合格者を張りだしてある掲示板に行きついた。
すでに大勢の人だかりが出来ていて、学生たちが一喜一憂している。
誠司はフーと息を吐いたあと、掲示板に自分の番号を探し始める。
「H211……」
誠司はアルファベットを目で追う。
「誠司君、Hはこっちみたいだよ」
ひかりが指さした掲示板はHで始まっていた。
誠司はひかりと一緒に受験番号を探す。
「誠司君……」
「うん……」
誠司はひかりと同じところに視線を向けていた。
誠司は一つ大きく息を吐いた。
「あった……」
「うん。良かったね。本当に良かったね」
誠司の受験番号はそこに在った。
「あっ……」
誠司はいきなりひかりを抱きしめた。
あまり普段表に出さない誠司の突然すぎる激しさに、ひかりは頬を紅く染めながら戸惑ってしまう。
「ひかりちゃん。俺、やったよ」
「うん。うん。私も嬉しい」
「ありがとう」
「私じゃないよ。誠司君が頑張ったからなんだよ」
誠司はひかりの肩に手を置いて、笑顔を見せる。
「でもありがとう。きっと君のお陰なんだ」
そしてもう一度ひかりをきつく抱きしめた。
ひかりは嬉しいような恥ずかしいような気持で、誠司の抱擁に身を任せるのだった。
「さっきはごめん……」
「いいの……」
まだ日の高い、冬場にしては明るい午後。駅に向かうあまり人気のない遊歩道を、誠司とひかりは手を繋いで歩いていた。
大勢の中で熱烈にひかりを抱きしめてしまった誠司は、興奮が収まってきた頃合いで、大胆過ぎた行為に赤面し、ひたすら謝っていた。
「ごめんね、恥ずかしかったよね。おれ何やってるんだろう」
「いいの。ちょっとびっくりしちゃったけど、私も嬉しかったし……でも情熱的な誠司君も好き……」
頬を紅く染めたひかりに上目遣いに囁かれて、誠司はくらくらしてしまった。
「それ……駄目なんだ。可愛すぎて……」
「やだ……」
また甘酸っぱい空気が二人を包む。
「幸せ過ぎる。本当に夢みたいだ……あっ、本当に夢かも!」
「そんなこと無いよ。私が保証するよ」
「そう言ってくれてるひかりちゃんが夢だったらどうしよう」
「夢じゃないよ。ほら」
ひかりは誠司の腕に自分の腕を絡ませ、ぴったりとくっついた。
ひかりの柔らかさと暖かさが伝わってくる。
そして夏蜜柑の香り。
「本当だ……」
「ね。うふふ」
誠司は少しほっとした顔をした。
「ひかりちゃん、これから一緒に学校まで付き合ってくれないかな」
「島田先生に報告だね」
「そうなんだ。電話でもいいって言ってたけど、やっぱり直接言いたいんだ」
「そうだね。勿論私もついて行くよ。誠司君と一緒にいられて嬉しいの」
「嬉しいのは俺の方だよ……」
誠司はしみじみそう感じてしまう。
ただ駅まで歩いているだけなのにすごい充実感だった。
「きっと島田先生喜んでくれるね」
「そうだね。ずい分心配させたからなあ」
「誠司君の合格に喜んで、またあの焼肉屋に連れて行ってくれないかな」
焼肉屋の話がひかりの口から出て、誠司は意外だといった顔をした。
「えっ? ひかりちゃんあの店また行きたいの? 確かに美味しかったけど、ひかりちゃんの雰囲気と対照的な店だったけど」
「私の雰囲気って?」
「いや、その、お酒飲んでるおじさんばっかりだったから、ひかりちゃんみたいな美少女がさ……」
「やだ、言い過ぎだよ……」
いいや断じて言い過ぎではない。君が美少女を辞退したりしたら誰も美少女を名乗れなくなる。間違いない。
「でも先生に悪いもんね。前も結局、私たち四人と清水先生の分奢ってくれたし」
「そうだったね。勇磨と橘さんは遠慮していなかったけど、流石に駄目だよね。いつか俺、バイト代貯めて、ひかりちゃんを連れて行くからね」
「そんな、いいんだよ。誠司君が働いたお金を焼肉になんてダメだよ」
「どうして? ひかりちゃんが喜んでくれるんならいい考えだと思うんだけど」
ひかりは隣を歩く誠司を見上げて、また頬を紅く染めてしまう。
「じゃあ私も大学生になったらバイトする。それで二人のお金で食べに行こうね」
「え? いや、参ったな……」
「なにが?」
「いや、なんでもない……」
誠司はひかりの口から出たバイトのひと言で、バイト先にあの学園祭の時の様なケダモノたちがわんさかいるのを想像してしまったのだった。
この心配はずっとついて回るな……。
本当は人目に付かない所に、ひかりをしまっておきたいと願う誠司だった。
夕刻を過ぎて、島田は誠司が報告に来るのを今か今かと待っていた。
「おそい……」
「島田先生。さっきからそればっかり言ってますよ。あと煙草吸い過ぎですよ」
隣に座る清水ゆきに苦笑気味に指摘されて、島田は少し落ち着きを取り戻した。
確かに気を紛らわそうとして、煙草を吸い過ぎていた。
「へへへ、お恥ずかしい。清水先生のおっしゃるとおりです」
「きっと今頃こっちに向かってますよ。時任さんと一緒に」
「ええ、きっとそうでしょうね。あいつ、俺のことなんか忘れて、時任とイチャイチャしてるんじゃないだろうな」
「うふふ、大丈夫ですよ。ほら、噂をすれば」
疑いを持ち始めた島田の前に、誠司とひかりは姿を見せた。
「おう、なんだ来たのか、電話でも良かったのに」
急にちょっと余裕を見せて対応した島田に、ゆきはくすくすと可笑しそうに笑った。
「こういう所は素直じゃないんですね」
誠司とひかりは、少しすっきりとした顔をして職員室に入ってきた。
「で、どうだった?」
「ええ。お陰様で」
「受かったか」
「はい」
島田は心底ほっとしたような表情で大きく息を吐いた。
「やれやれ、これで肩の荷が降りたよ」
「良かったですね。島田先生。高木君、おめでとう。よく頑張ったね」
「島田先生も清水先生も、本当にありがとうございました」
誠司は丁寧に頭を下げて、二人の教師にお礼を言った。
そんな教え子を前に、島田は照れ隠しのようにいつもの感じを装う。
「ほんとお前のせいで、どんだけ残業して休みに学校に来らされたか。俺の三年間を返せ」
「だから先生には感謝してますって。焼肉も奢ってもらったし」
「ああ、そのうちに奢り返してくれよ。その時は滅茶苦茶食ってやるからな」
「分かりましたよ。じゃあ大学を卒業して就職してから誘いに来るね」
「言ったな。絶対だぞ。約束な」
島田と誠司はまるで友達の様だった。何となくじゃれ合う二人は、ゆきとひかりの目にはそんな風に映っていた。
きっとこの二人の本質はそうなのだろう。
ゆきはそんな絆を作り上げた二人を、羨まし気に見つめる。
「そういや今日はクリスマスだったな。いいクリスマスプレゼントになったじゃないか」
「まあ、日にちがかぶっていたのはたまたまだったけど、結果的にそうなったね」
「親父さんに早く教えてやれよ。それと、新と橘にも連絡してやれよ」
「父さんにはもう電話で伝えといた。やっと安心させられて俺も一安心なんだ。勇磨と橘さんには今夜でも連絡するよ」
「そうか。抜かりなしだな」
島田は誠司から隣のひかりに目を移す。
「時任はY大推薦で決まってるから、高木とは離れてしまうな」
何気なく口にした島田の一言に、ひかりは寂しげな顔を見せる。
「まあ、お前たちのことだ、上手く時間を作って会いに行くんだろ。幸いにも同じ県内だし、会いに行けない距離でもないしな」
「高木君だったら時任さんが会いたいって言ったら飛んでいくんでしょうね。二人の前では時間も距離もちょっとした恋の味付けみたいなものなんだわ」
またときめきの世界に入り込んでいったゆきだった。
「じゃあそろそろ帰ります。父さんがちょっとご馳走用意して待ってくれてるんで」
「そうか。とにかく良かったよ。おめでとう」
「ありがとう先生。良いお年を」
「あ、そうか。次会うのは年が明けてからか」
「高木君、時任さん、良いお年を」
「清水先生も良いお年を。その前にお二人とも良いクリスマスを」
誠司に含みのある一言を言われて、島田とゆきは少し紅くなった。
「俺たちのことはいーの。お前たちもこれから盛り上がるんだろ」
今度は誠司とひかりが赤面した。
「まあ、少しは……」
恥じらう二人に、ゆきは羨望の眼差しを向ける。
「ねえ高木君、時任さん、この後どうするのかちょっとさわりの部分だけでいいから教えて欲しいな」
「先生、帰ります」
「ああ、そうしろ」
誠司とひかりは、そそくさと職員室を出て行った。
「あーあ、行っちゃった」
「清水先生、あいつら困ってましたよ」
「えっ? そうでしたか? またやっちゃったー」
「ハハハ。まあ仕方ないですけど、ちょっと抑えましょう」
誠司の合格の知らせを聞いたことで、島田はすっきりしたのだろう。
先ほどまで立て続けに煙草を吸って、イライラしていた男は影も形もなくなっていた。
「えっと……」
島田は職員室に誰もいないのを一度確認してから、ゆきに小さな声で話しかけた。
「俺、あんな感じで清水先生をエスコートできそうにないけど、今夜の食事楽しみにしてます」
「あ、はい。私も……」
今日のために島田はレストランを予約していた。
誠司が言ったとおり、これから二人は特別な時間を過ごす予定だった。
島田もゆきも気付いてはいなかったが、緊張気味の二人は、なんとなく誠司とひかりの雰囲気に似ていた。
報告を終えた二人は、バスを降りて、誠司の家に向かうひと気のない一本道を歩いていた。
指を絡めて歩く二人の右手には池があり、風のない水面が淡い色の空を映す。
普段は少し濁った水の色も、この僅かなひと時には特別な色に染まるのだ。
流れていく時間を惜しむかのように、どちらからともなく二人はゆっくりとした歩調になる。
「私もいいのかな……」
「勿論だよ。ひかりちゃんがいてくれないと駄目なんだ」
合格のお祝いに、ちょっとご馳走を用意してくれている高木家に、ひかりもお邪魔することになったのだった。
「一応ケーキもあるんだよ」
「そうなんだ。嬉しいな」
「ひかりちゃんのご両親は大丈夫だったの? ひかりちゃんがいないと、きっと寂しいよね」
「うちは大丈夫。誠司君が合格したらお祝いしたいからって前もって言ってたから。実は23日にクリスマスパーティーっぽい感じのこと家族でやったんだ」
「なんだかごめんね。ひかりちゃんを二日間も独占しちゃって」
「それは違うよ。私が誠司君を二日間も独占しちゃったんだよ」
ひかりは嬉しそうに繋いだ手を振って見せた。
そして小さな声で恥ずかしそうにこう言った。
「もっと一緒にいたい……」
「おれも……」
ほんの少し二人は黙り込む。
「大学に行ったら離れ離れなんだね……」
「そうだね……でも会いに行くよ。ひかりちゃんにまた来たのって言われるぐらい」
「私は絶対そんなこと言わないもん。私だって誠司君にいっぱい会いに行くんだから」
二人はそんな会話をしながら、必ず来る未来のことに寂しさを募らせる。
そんな気持ちを振り払おうと、ひかりは誠司に明るい笑顔を向ける。
「そうだ、誠司君。合格のお祝いに何か欲しい物とかない?」
「いや、合格してるのはひかりちゃんも一緒だよ。それに……」
誠司はちょっと照れくさそうにはにかんで見せた。
「一番欲しかったものは、もう目の前にあるから……」
ひかりは立ち止まる。そして誠司も。
「それだけでいいんだ……」
「私も誠司君と同じ気持ちなんだよ……」
二人は心を重ねてまた歩き出す。
黄昏時を過ぎた空に明るい星が見え始めた。
またほんの少し冷たくなった空気が二人の距離を無くしてくれる。
それでもまだもう少し近くに、お互いを感じたいと、二人は願ってしまうのだった。




