第3話 ひかりの胸騒ぎ
朝のホームルームの後、席に座っていたひかりは勇磨に声をかけられた。
「なあ時任、誠ちゃんのこと、なんか聞いてないか?」
「どういうこと? 何かあったの?」
ひかりは逆に訊き返した。
朝いつも同じバスで待ち合わせしているのに、今日に限って会えなかった。登校してすぐ教室を探しに行ったが、見当たらず気になっていたのだった。
勇磨はひかりの反応を見て眉をひそめた。
「時任も知らないか」
勇磨は少し考え込む。
「ちょっと待って、誠司君がどうかしたの?」
「いや、来てないみたいなんだ。島田先生に訊いてみるか」
じゃあなと勇磨は教室を出て行こうとした。
「待って、私も行く」
ひかりは慌てて勇磨の後に走ってついて行った。
「あ? 高木? あいつ休みだ」
廊下を歩いていた島田を呼び止めて、二人が誠司のことを訊くと、島田はサラリとそうこたえた。
「さっき電話があった。俺が直接聞いたんじゃないが、風邪だって言ってたらしい」
勇磨はほっとした顔をした。
「なんだ風邪かよ」
しかしひかりはまだ心配そうだった。
「どんな感じだったとか聞いてませんか?」
「すまんな、そこまで聞いてないんだ。本人が電話してきたらしいから大したこと無いと思うけどな」
島田はそう言うと足早に職員室へ戻って行った。
「そう言う訳だ。そんなに心配すんな」
勇磨は教室に戻ろうとしたが、ひかりは納得出来ていないようだった。
「ただの風邪だったら電話ぐらいしてくれるはずなのに……」
始業のベルが鳴った。
ひかりは胸騒ぎが収まらなかった。
一限目の授業が始まって、ノートにシャープペンの先を置いたままひかりは誠司のことを考える。
電話してみようかな……でも校内で携帯は禁止だし。
それからひかりは気持ちの整理がつかないままお昼休みを待った。
「島田先生」
弁当箱を鞄から出したタイミングで、職員室の入り口からひかりに声をかけられ、島田は猛烈に嫌な顔をした。
「なんだ時任か。用事なら飯の後にしろ」
島田は構わずお弁当の蓋を開けようとした。
そんな島田を隣の席の清水ゆきが冷ややかな目で見る。
「と、思ったけど、先に聞いてやろうかな」
視線の冷たさに耐え兼ね、島田は弁当を置いて職員室を出て行った。
「なんだ、飯ぐらい食わせろよ」
「すみません。でも急いでるんです」
ひかりは不平をものともせず、島田を空いている教室に引っ張ってきた。
「先生」
「な、なんだ?」
ひかりの切羽詰まった表情に島田は少し真面目な顔になる。
「先生の前だったら携帯使ってもいいんですよね」
ひかりは携帯を取りだして島田をじっと見た。
「ああ、校則でやむを得ない時は教師の前ならいいとなってるが、高木にかけたいのか?」
ひかりは頷いた。
「はい。心配で……」
「いいよ。かけてやれ」
「すみません」
ひかりは誠司に電話をかけた。
しばらくコールした後、留守番電話になる。
ひかりの顔色が変わってくる。
「あの、ひかりです。誠司君大丈夫? もし気付いたら電話して下さい」
ひかりは電話を切ってそのまま携帯を握りしめた。
「どうしよう……」
ひかりは今にも泣き出しそうだ。
「そんな心配するなよ。たかが風邪だろ」
特に気にしていない様子の島田の声は、ひかりの耳に届いていないようだ。
深刻な表情でひかりは胸に手を当てる。
「誠司君の家、お母さんいないし、もし倒れていたりしたらどうしよう」
ひかりの目に涙が浮かぶ。
「時任さん!」
いつからいたのか教室に清水ゆきが入ってきた。
「清水先生」
突然すぎるゆきの登場に、島田は一瞬跳び上がった。
「ごめんなさい立ち聞きして。あなた今すぐ早退しなさい」
ゆきは何の迷いもなくそう言った。
「高木君の家に行って、ちゃんと自分の目で見てきなさい」
「清水先生……」
ひかりはゆきの言葉に頷いた。
「きっとあの子はあなたを今必要としてる。担任の幸田先生には私から上手く言っとくから早く行ってあげて」
「はい。先生、ありがとう」
ひかりはそのまま教室を飛び出した。
ひかりの出て行った教室で、島田はゆきの堂々とした決断に舌を巻いていた。
ゆきはひかりの出て行くのを見送ったあと、フウと一つ息を吐いた。
「すみません。夢中で差し出がましいことを言ってしまいました」
先ほどまでの堂々とした感じはどこかへ行ってしまい、ゆきは少し申し訳なさそうに謝った。
「いえ、そんなこと有りませんよ」
島田はそんなゆきに、眩しそうに目を細めた。
「もっと胸を張ってください。あなたはたった今、本当に大事なことをやってのけた」
島田はこの数か月でハッとさせられるほど頼もしくなった副担任を嬉しそうに眺めた。
その立ち姿には出会った頃の、あの弱々しさは微塵も残っていなかった。
「あなたって人は本当に……」
島田は感心したようにつぶやいた。
ゆきは島田を見上げてにっこりと笑う。
「お腹すきましたね」
島田にとって空腹を忘れてしまうほどの笑顔がそこにあった。
バスを降りてすぐ、ひかりは誠司の家に向かって駆けだした。
ひかりの脚は冷たい空気を払いのけるように、まっすぐに前を目指す。
長い髪が後ろにたなびき、白い吐息が荒い息遣いと共に小さな口から洩れる。
「誠司君……」
心のままに、まるで一陣の風のようにひかりは走り続けた。




