第2話 美しい肖像画
ひかりの両親と緊張の対面を果たした後、誠司はようやく解放され、ひかりの部屋へと通された。
ひかりは部屋の扉を閉めると、すぐに誠司を抱きしめた。
「誠司君」
ひかりはそのまま動かない。
やがて小さな声で言う。
「嬉しかった……」
頬を紅く染めてひかりは誠司を見上げる。
「ちょっとびっくりしちゃったけど」
「うん、ごめんね。びっくりさせて。実は昨日からずっと考えてたんだ」
「先に言って欲しかった……」
ひかりはわざと膨れてみせる。
その可愛らしさに誠司の頬が熱くなる。
「自信がなくてさ。もし反対されたらどうしようかって弱気になってたんだ」
「お母さん言ってた。誠司君より私を大切にしてくれる人なんていないって。お父さんもきっと分かってるの。私を本当に大切にしてくれるのは誠司君だけだって……私もそう思ってるの」
ひかりは誠司をきつく抱きしめる。
「誠司君にも思って欲しいの。誠司君を一番大切にするのは私だって。私だって約束する。絶対に誠司君を大切にする」
「ひかりちゃん……」
嬉しいひかりの言葉に涙が出てきそうになり、誠司は次の言葉が出てこない。
ただひかりを抱きしめることしか、今の誠司にはできなかった。
「ありがとう……」
その一言だけをやっと言えた後、寄り添うひかりの美しい顔を誠司は愛おし気に見つめた。
そしてその唇がすぐ近くにあることに気付き、また胸の高鳴りが抑えられなくなってしまう。
昨日初めて触れたひかりの唇の感触を、生々しいくらい誠司は思い出してしまっていた。
「どうしたの?」
急に耳まで赤くなってしまった誠司にひかりは訊いた。
「いや、あの、その……」
上目遣いに見つめるひかりに、誠司の視線はくぎ付けになる。そのしぐさに一番弱いのだ。
「その……昨日のこと思い出しちゃって」
その意味を感じ取ったひかりの頬が、みるみるうちに紅くなっていく。
「やだ、恥ずかしい……」
少し伏し目がちに頬を紅く染めたひかりに、誠司の胸が高鳴っていく。
もう一度、君の唇に触れたい。そう強く思う自分と、ついさっきひかりの両親に、彼女を大切にしますと約束したばかりなのにと、抑止する自分があった。
そして誠司は小さく頭を横に振った。
誠司はひかりの肩に手を置くと、ゆっくりと体を離した。
「ごめんね。朝っぱらから、俺、恥ずかしいよ」
「ううん、いいんだよ……」
離れた二人は、お互いを見れなくなった。
それほどまだ暖房も効いていない部屋だったが、二人とも火照った顔のまま黙り込んでしまった。
誠司は空気を変えようと、さっき部屋に持ち込んだキャンバスの入ったバッグを指さした。
「あの、昨日見せた絵なんだけど、どこに掛けようかな?」
「あ、そうだった。実はもう決めてるの」
ひかりはまだ照れていたが、部屋の真ん中の壁を指さした。
「あそこならベッドに入ってからでもよく見えるの」
「うん。じゃあ壁に金具付けてもいいかな?」
「お願いします」
誠司は慣れた手つきでキャンバスの高さを合わせると、壁にマークを付けて金具を取り付けた。
絵はものの数分で壁に収まった。
「どうかな……」
誠司とひかりは少し離れて絵を眺める。
「素敵。なんだか自分の部屋が美術館になったみたい」
ひかりの驚いた様に喜ぶ姿に、誠司は顔をほころばせる。
「良かった。この明るい部屋に良く合ってる」
誠司はその絵の中のひかりが、生き生きとしているのを見て、あらためてここに掛けられるべき絵なんだと思った。
「ありがとう。こんな素敵なクリスマスプレゼント初めて」
ひかりはまた誠司を抱きしめた。
誠司もひかりの体に腕を回し、優しく抱きしめる。
そのとき。
トントントン。
ドアをノックして、ひかりの母が紅茶とお菓子をトレーに載せて部屋に入ってきた。
抱き締め合っていた二人は、大慌てで離れた。
「どうしたの? 二人とも真っ赤じゃない」
「暖房効かせすぎたみたい。ね、誠司君」
「そ、そうだね。ちょっと暑いかも」
ひかりは母からトレーごと受け取ると、ありがとうと言って母をすぐに追い出そうとした。
「あら」
すぐにひかりの母は、壁に掛けられた絵に気付き、目を丸くした。
「なんて綺麗な絵……これ、ひかりじゃない?」
ひかりは「そうなの」と自慢げにこたえた。
「誠司君が描いてくれたの……」
少し照れながらひかりが言うと、母はまた驚いたようだった。
さらに絵に近づいて、まじまじと鑑賞する。
「高木君が……本当に? この絵を?」
「驚いた?」
ひかりは目を丸くしている母の反応に満足げだ。
ほぼ絶句しているひかりの母に、誠司は照れくさそうに頭を掻いた。
「お恥ずかしいんですけど、ひかりさんの言うとおりです」
「こんな綺麗な絵……初めて見た。お父さんも呼んできていい?」
「いいかな?」
ひかりが訊くと誠司は「勿論」と応えた。
そして数分後、ひかりの父は誠司の描いた絵を前にして、先ほどの母の反応と同じく、目を丸くしていた。
あまりに娘の肖像画が生き生きとして、空気感も感じられるほど美しく描かれていたからだった。
「確かにひかりだ。実物以上だ」
父が唸るとひかりは、「もう失礼ね」と膨れて見せた。
「高木君、一体君は何者なんだ」
ひかりの父は、思わずそう口にしてしまっていた。
「ただの高校生です。僕なんてまだまだ未熟者ですよ」
「いや、そうは見えないな。本当にびっくりした」
かなり長いあいだ絵を鑑賞した後、父は満足げに部屋を出て行った。
「それじゃあゆっくりしていってね」
そう言って母もニヤニヤしながら出て行った。
またちょっと緊張していた誠司は、両親からの高評価をもらってひと心地ついた。
「お母さんもお父さんもすごい見てくれてたね」
「ごめんなさい。興味津々なの。でもなんだか二人に誠司君のこと、また知ってもらえたみたいで嬉しい」
ひかりは、絵の中で笑みをこぼれさせるあの夏の日の自分を、眩しそうに見る。
「本当に素敵な絵。島田先生に見つかったら、また持っていかれそう」
「この絵は絶対ダメだよ。ひかりちゃんのものなんだ」
誠司は島田ならやりかねないと本気で思った。
「島田先生には絶対に見られたくないな。私だけの大切な絵にしたい」
また二人きりになった部屋。ひかりは少し甘えたようなしぐさを誠司に見せた。
「もういいよね」
ひかりはそっと誠司の手を取った。
「これでいつでも誠司君を近くに感じることが出来る。私嬉しい」
そう言って華やいだ笑顔を見せるひかりに、誠司の胸はまた高鳴ってしまうのだった。




