第5話 少女の告白
「駄目だよ、あんなところで泣いたりしたら」
人気のない公園で、誠司と勇磨は泣きはらした顔の莉緒に手を焼いていた。
「だって私の話、全然聞いてくれないんだもの」
女の子の涙というものは流石に無視できないものだ。不満顔でまた涙をにじませる莉緒に、誠司はどうなだめようと思い悩む。
「分った、聞くよ。聞くから泣いちゃだめだ」
誠司の言葉に少し落ち着いたのか莉緒は口を開いた。
「あの……そちらの方には用はないんですけど」
莉緒にとっては勇磨は邪魔者以外の何物でもなかった。
無言で、空気の読めない奴だわと、その眼で訴えかけているみたいだった。
居づらいのを我慢していた勇磨は、あからさまにうっとうしがられて、軽くキレた。
「俺もないよ!」
それならばと帰ろうとした勇磨の腕を掴んで誠司は引き留めた。
「馬鹿。帰ってどうするんだ。石川さん、こいつと一緒だったら聞くけど二人きりは困るんだ」
莉緒はやや不満そうだったが、やがて仕方なしに口を開いた。
「高木先輩って彼女とかいるんですか?」
もちろん莉緒は誠司とひかりの関係を知っていた。
確認したかったというより、誠司のことを自分はよく知らないのだと思われたかったのだろう。
ストレートな問いかけに、誠司はびっくりしたようだったが落ち着いた声で返した。
「いるよ」
莉緒は一つ頷いてまた口を開く。
「私が好きって言ったら……高木先輩はどう思いますか?」
さっきよりも困惑した表情で、誠司は少女の意図を測りかねている。
「どう思うって言われても……」
「あなたの心のどこかに、私の入っていける場所はないんでしょうか……」
最後に途切れてしまった莉緒の言葉に、誠司は真面目な表情になった。
「石川莉緒さん」
「はい……」
「陸上部の幅跳びの選手だよね」
誠司のひと言で莉緒は表情を変えた。
「君のことは悪いけど色々調べさせてもらったんだ。大して魅力もない俺に近づいてくる君に違和感を感じてね」
莉緒は下を向いて黙り込んでしまった。
「なら多分狙いはひかりちゃんだと思ったんだ。当たってるよね」
莉緒は誠司の問いかけに応えようとしない。
「君に自分で気付いて欲しくて今まで黙っていたけど、もうこんなことやめよう。一昨日も遅くに淋しい道を歩いていたせいで事件に巻き込まれそうになったじゃないか。流石にそれは駄目だよ」
莉緒はその言葉を聞いて顔を上げた。
「いつから……何時から気付いてたんですか?」
少し声を震わせながらそう尋ねた莉緒に、誠司は簡潔に答えた。
「足をくじいて肩を貸した時だよ」
「あの時に? でもどうして?」
莉緒はその返答に納得できていないみたいだ。
「触れた部分から伝わってくるのが怪我をした人の感覚じゃなかったんだ。なまじ稽古で鍛えられている分、接触している相手のことがなんとなく分かってしまうんだ」
「だから躓いた私を支えた時にあんな言葉を……」
「うん。気付いて欲しかったんだ。君は何かに悩んでいるようだったから」
その言葉に莉緒はハッとなる。心の状態までも見透かされていたことを莉緒は知ったのだった。
「じゃあ怪我をしているふりをしていた私に、ずっと合わせてくれてたんですね」
「うん。そうだよ」
「酷い人……私馬鹿みたい」
そう言った莉緒は、肩の荷が下りたように安堵した表情を見せた。
「じゃあ、クッキーのことも」
「うん。あのクッキーも手作りじゃなかったよね。手作り風のものを包装し直しただけだった……」
「そこまで分かってたのね。ほんとに意地悪な人」
自分を偽る理由のなくなった莉緒は、あきらめたように話し始めた。
「そうです。私、時任ひかりをちょっと困らせたくて、あなたに近づきました。学生証を見つけたのは偶然だったけれど、それ以外はお芝居でした」
莉緒は洗いざらい話してから頭を下げた。
「ごめんなさい。もうしません」
「うん、分かってくれたらいいんだ」
莉緒が素直に話したことで、ようやく誠司の顔にもほっとした笑みが浮かんだ。
「でもこれは本当なんです。一昨日あの三人に襲われてもう駄目だって思った時に、あなたが来てくれて本当に嬉しかった。嘘ばかりついて、あなたのこと心の中で馬鹿にしていた私のことを助けてくれた時に、もうやめようって思ったんです」
きっと莉緒は嘘で押さえつけていた本心を、今やっと言葉に出来たことで解放されたのだろう。誠司に対する本当の気持ちが莉緒の口から溢れ出す。
「それとあなたに嘘をついたままじゃ嫌だった。今日来たのは自分の本心を伝えたかったから……あなたのこと、今更何言ってるんだって思われるかもしれないけど、好きになってしまったんです。本気でそう思ったんです。私を選んでくれる訳なんかない。それでもほんの少しでも私に振り向いてくれたらって……あなたに知って欲しかった。嘘のない私の気持ちを」
莉緒の言葉に偽りはなかった。
本心をただ夢中で伝えようとしている、いじらしい少女の姿がそこにあった。
誠司は目の前の少女のそんな必死過ぎる勇気を、痛いほど感じることが出来た。
「ありがとう。信じるよ……今の君はまっすぐで本当に魅力的な人だって思う」
想いを伝え終えた少女に、少年は真っすぐに向き合った。
「でもごめんね」
本気の少女に応えるかのように、誠司は胸の内を素直に言葉にした。
「これだけははっきり分かるんだ。俺が生涯をかけて想い続ける人は時任ひかりだけなんだって」
その言葉のあと、少女の目から涙が溢れ出した。
「君が勇気を振り絞って言ってくれたこと、忘れないよ」
誠司は莉緒に向かって最後に笑顔を見せた。
莉緒は立ち尽くしたまま両手で顔を覆い、その場で涙を流し続けた。
誠司と勇磨はもう何も言わずに莉緒を残して、そのまま立ち去った。
公園で立ち尽くしたまま、しばらく泣いたあと、莉緒はハンカチで涙をぬぐった。
誠司が手渡してくれたハンカチ。
ただひとつだけ莉緒の手に残った恋の欠片だった。
涙を拭いて公園の入り口に目を向けると、いつからそこにいたのか、ひかりと楓が莉緒に目を向けていた。
莉緒は二人から目を逸らす。
「石川莉緒さん」
ひかりは静かに名前を呼ぶと莉緒に歩み寄った。
「話、聞かせてもらったわ。どうしてあんなことしたの」
ひかりに真っ直ぐに見つめられて莉緒は答えるしかなかった。
「だって私がインターハイ以降色々上手くいってなかったのに、二人はあんなに幸せそうにして……彼氏にだって二股かけられるし、むしゃくしゃして……」
楓は言葉の途中でぴしゃりと言った。
「そんなの理由にならないよ」
怒りを含んだ声ではなかったが、楓の声には真剣さが感じられた。
「誰かを陥れようとしても何にも手に入らないよ」
莉緒はうつむいて頷いた。
「それはあの人に教えられたわ……ついこの前まで、殆どの男なんて言い寄られたら流されるものだと思ってた。でもあの人は違った……」
莉緒は手にしたハンカチに目を落とした。
「あんたの大きな誤算は高木君を見くびっていたことよ。誰であろうと二人の間につけ入ることはできない。ひかりと高木君は本当に特別な二人なのよ」
楓が言った言葉の意味を莉緒はもう思い知らされていた。
「本当に素敵な人だった。私、あの人ともっと別な形で知り合いたかった」
頬に伝う涙が莉緒の横顔に哀愁が漂わせる。
「時任さん」
莉緒はひかりを真っすぐに見る。ひかりもその視線を受けとめる。
「あの人を大切にしてあげてね。もしあの人を粗末にするようなら、私、あなたからあの人を奪ってみせるから」
「うん。分かった」
ひかりは頷いた。
「なら諦めてあげる」
また少し涙を滲ませながら莉緒は二人の横を通り過ぎる。
「あの人をお願いね……」
莉緒はそう言い残し去って行こうとした。
「石川さん」
ひかりが呼び止める。
「また競技大会で会いましょう。今度は正々堂々とね」
ひかりの毅然とした姿は莉緒には眩しく見えた。
「ええ、今度こそあなたに負けないから」
莉緒はそう言い残して二人の前から去っていった。
「行っちゃったね」
莉緒の消えた方向に目をやったまま、楓がひかりの肩に手を置いた。
「うん」
ひかりは少し微妙な表情を見せた。誠司のことを深く想っているのが自分だけではないと言うことに、少なからずショックを受けたようだった。
「解決してよかったね」
「うん」
誠司が女の子を泣かしていると聞いて練習中に飛びだしてきてしまった二人は、また学校へ向かって歩き出したのだった。




