第11話 祖父の好奇心
誠司はまた緊張していた。
誠司の目の前には綺麗に盛り付けられたおせち料理が並んでいた。
男二人の誠司の家ではおせち料理を作らないのだとひかりの母が知り、二日のお昼にご飯でもと、ひかりの両親にお誘いしてもらっていたのだった。
目の前の料理は間違いなく美味しいのだろうが、誠司は以前お邪魔した時の様に両親の前で硬くなってしまっていて、料理の味どころでは無い雰囲気だった。
そんな誠司をもてなそうと、ひかりは料理を取り分けてくれる。
「誠司君、いっぱい食べてね」
ひかりはまたびっくりするような可愛さで、誠司の隣で笑顔を見せる。
いただきますを言ったあと、ふんだんに腕前を発揮したであろう手料理に誠司は箸を伸ばした。
「おいしい……」
そう感想を口にした誠司に、ひかりの母の顔がパッと華やぐ。
「良かった。このおせち、ひかりも手伝ってくれたんですよ。高木君いっぱい食べてってね」
「すみません。お休みの所をお邪魔してご馳走にまでなってしまって」
ひかりの父も、上機嫌で誠司が料理を口に運ぶのを眺めている。
「いいんだよ。気を遣わずにゆっくりしていってくれ。家内は料理だけは上手いんだ」
「あら料理だけって今言ったかしら?」
「いや、まあいっぱい食べてって欲しいってことだよ……」
軽く失言をしてしまった父にひかりは苦笑しつつ、誠司の湯呑に熱いお茶を淹れる。
「いつもありがとう」
学校での昼食の時、いつもそうしているように、誠司はここでもひかりに感謝を伝えた。
ひかりの母は少し頬を紅くした二人を見て、自分もその熱に当てられたみたいに紅くなる。
「あなたたち、学校でのお弁当の時もそんな感じなの?」
ひかりは紅くなりながら、詮索したがる母を軽く睨む。
「ごめんね。つい色々聞きたくなっちゃうのよ。ね、お父さん」
「うん、まあ話せる範囲で話してくれたら嬉しいかな……」
お酒を飲みながらの父も、気持ちが緩んでいるせいか本音が出てしまっていた。
誠司はただ食べていればいい訳ではないのだと今気付いた。
ひかりは両親の圧で誠司が緊張していそうなのを察して、少し頬を膨らませた。
「お父さん、お母さん、やめてよね。誠司君がゆっくり食べられなくなるじゃない」
「あ、そうよね。ごめんなさいね。じゃあ食事が終わったら聞かせてね」
「そうだな。そうしよう。食後に聞かせてもらおう」
結局避けることは出来そうにないなと、誠司はまた硬くなってしまうのだった。
おせち料理を頂いた後、誠司は何を話したらいいかと緊張していたが、ひかりが上手く両親に話をしてくれたおかげで、何とかおかしな感じにならずに済んだ。
恐らく両親はもっと突っ込んだ話をして欲しかったのだろうが、ひかりは二人の熱々の部分の話をはぐらかしたのだった。
ようやく食事をし終えて、緊張の時間を無事に乗り切った誠司は、ひかりと共に時任家を後にした。
両親から解放された安堵感から、誠司は大きくフーと息を吐いた。
「ごめんね。ゆっくりできなかったよね」
「そんなことないよ。ただちょっと緊張しちゃっただけだから」
この日、誠司はお昼ご飯を一緒に食べた後、ひかりをスケートに行こうと誘っていた。
お正月から開いているスケートリンクに二人で行けることを前から楽しみにしていたのだった。
「誠司君と二人っきりでお出かけだ」
ひかりは家を出てからすぐに自分から手を繋いできた。
「ほんとだね。ひかりちゃんと二人でスケートだ」
二人とも少しドキドキしながら微笑み合う。
「おれ、そんなに上手くないけど楽しみだな」
「私も。スケートって変なところに力が入っちゃって疲れちゃうんだよね。でも誠司君となら何だって楽しいんだよ」
「俺もひかりちゃんとだったら楽しい。スケートって腰とかなかなか真っ直ぐに伸びなくってお年寄りみたいにさ……あっそうだ」
誠司が思いだした様に立ち止まった。
「どうしたの?」
「いや、あのね、実は今朝おじいちゃんが帰って来たんだ」
「え? おじいちゃんって亡くなったんじゃ?」
ひかりはてっきり誠司の祖父は他界していたのだと勘違いしていた。
「いや、生きてるよ。母さんのお兄さん、つまり俺のおじさんの所で一緒に暮らしてるんだ。アメリカのフロリダなんだけど」
「え? そうだったの? 知らなかった」
「きっと俺の説明が悪かったんだね。前にうちの家や道場を残していったってひかりちゃんに説明したもんだから、天国の方と勘違いしちゃったんだね」
「すごい失礼な勘違いしちゃってた。怒られそう」
そしてひかりは少し不安そうな顔で誠司の祖父について尋ねた。
「お父さんの先生なんだよね。ちょっと怖い人なんだよね」
恐らくあの伝説の話をしたために、ひかりの中で祖父が相当怖い人になっているのだろう。
「いや、そんなこと無いよ。まあ確かに今朝父さんたち大目玉食らってたけど」
「やっぱり怖い人なんだ……」
「いや、ちょっとタイミングが悪かっただけ。ホントは優しいおじいちゃんなんだ」
誠司はちょっと慌てた。家族の印象が悪くなったりするのは避けたかった。
「まあ、きっとすぐに帰っちゃうだろうし、ひかりちゃんも会う機会無いんじゃないかな」
「駄目だよ」
「え?」
「私、ちゃんとご挨拶したい。誠司君のおじいちゃんに」
「いや、どうかな、うーん……」
誠司は今朝の騒動も有って少し心配になっていた。
友達を連れて来いって言ってたな……それで見極めてやるって……。
なんだか考えているうちに怖くなってきた。
「まあそのうちにね。今日はおじさんたちと稽古してるみたいだから邪魔しちゃ悪いしまた今度ね」
「お正月から稽古してるんだ。大変そうだね」
恐らく今頃、吐くほど稽古させられていることだろう。鬼のようにしごいている祖父を誠司は想像していた。
そしてひかりには、やはり会わせない方が良いのではないかと思ってしまうのだった。
スケートリンクはそこそこの入りだった。
多すぎず少なすぎず、勇磨と楓も誘っても良かったのだが、今日は二人で出かけたかったのだった。
誠司は氷の上で久しぶりの滑る感触を思い出しながら、ひかりが来るのを待っていた。
「お待たせ」
ひかりは少し慎重に氷の上に一歩踏み出した。
運動神経抜群のひかりが氷の上では硬くなっていた。
誠司はひかりの横に並ぶ。
「誠司君上手だね」
「いや、全然。今なんとなく小学校のころ滑ったのを思い出しながら滑ってるんだ」
「私も小学校以来だから、まだちょっと怖いな」
誠司はひかりの手を取って支えてやる。
ひかりは誠司に助けられて体を起こしてみる。
「一緒に感覚を思い出そうよ。真っすぐに立ってみるところから」
ひかりと誠司は少しはしゃぎながら感覚を思いだしてきていた。
徐々にぎこちなさが解れ、少し前を向く余裕が出てきだした。
「じゃあ。少し周ろうか。なるべく片足に長く乗れるように滑ってみようよ」
「うん」
誠司とひかりは少しずつ慣れてきて、安定して真っ直ぐ滑れるようになってきた。
見た感じで肩の力が抜けてきたひかりの表情が和らぐ。
「なんだか楽しい」
「おれも」
ようやく二人で手を繋いで滑る余裕が出てきて余計に楽しくなった。
周りを見る余裕の出て来た誠司は、増えてきだした人にぶつからない様に周りを気にしながら滑っていた。
その時ふと視界に何か見覚えのある人影がよぎった。
「ん?」
振り返る余裕まではなかったので、誠司は今何か見てしまったような気がしたのだがスルーして滑る。
そしてぐるり一周回って来て、先ほど何か見えたような気がした所で、さっきの違和感の正体を突き止めようと目を凝らした。
そして誠司は突然勢いよくこけた。
「あっ、誠司君大丈夫?」
ひかりが誠司を助け起こそうと頑張る。
「あ、ありがとう。ははは」
誠司は見たのだった。
鋭い目つきで食い入るようにこちらを見ていた祖父と父を。
何でここにいるんだよ!
誠司に気付かれたのを察して誠太郎と信一郎が手を振った。
「ひかりちゃん、ちょっと俺、お手洗いに行ってくるね」
「うん。じゃあ私も行こうかな」
誠司はお手洗いに行くと見せかけて、そのまま走って二人の元へ向かった。
二人はジュースを飲みながら微妙な表情で手を振っている。
「こんなところで何してるんだよ!」
「おお、誠司か奇遇だな。おじいちゃんな、こいつとたまたま遊びに来ただけだからな。お前は何も気にせず続けなさい」
「な訳ないじゃないか。何考えてんだよ!」
誠司は流石に腹が立ったのか、いい加減にしてくれと膨れた。
「すまん、誠司、太一がポロっと言っちまったらじいちゃんがどうしても見にいくって……そんでスケートに行くって聞いてたから、こうなった」
「父さんまでなんだよ。見つかったらどうするんだ。いかれた家族だって思われるじゃないか」
「大丈夫。その辺りは偶然を装って上手くやるよ」
全く悪びれる風もなく誠太郎は堂々としていた。流石というか風格すら感じられた。
「何言ってるんだよ。こんなところに親子三代が偶然集う訳ないじゃないか。大体父さんとおじいちゃんが二人で来るところじゃないだろ。不自然過ぎて怖いよ!」
「あ、誠司君お待たせ」
背中にかけられた声に誠司は飛び上がった。
「あれ?」
ひかりは誠司の向こうにいる信一郎に気付いたみたいだ。
「お父様がどうしてここに……」
ひかりは信一郎に会釈しながらも、何がどうなっているのか明らかに悩んでいた。
誠司の頭の中は高速で回転していた。
人間窮地に陥った時、限界を超えた能力を発揮する場合があるという。
誠司は今まさにその状態になった。
そして誠司は口を開いた。
「ちょっとひかりちゃんを驚かそうと思ってね。さっきおじいちゃんに挨拶したいって言ってくれたから、父さんに電話して連れてきてもらったんだ。どう? びっくりした?」
ひかりは素直に「成る程そうだったんだ」と疑いを知らない純粋な笑顔を見せた。
誠司の心はやや痛んだ。
「もう誠司君の意地悪。じゃあこちらのかたが誠司君のおじい様なのね」
ひかりは少しはにかんだ笑顔を浮かべて自己紹介した。
「初めまして時任ひかりと申します。誠司さんと仲良くさせて頂いています。どうぞよろしくお願いします」
そう言ってぺこりと頭を下げた。
誠太郎は初々しいひかりを前にして固まっている。
「おじいちゃん」
「お、おお、そうだった」
さっきまでは目が悪くてちゃんと見えていなかったようだが、今ひかりの可憐さを前にして誠太郎は衝撃を受けている様だった。
「信一郎の言ったとおりだ。度肝を抜かれてしまった……」
「いやお父さん。それはいいから自己紹介して下さい」
信一郎が呆然としてしまっている誠太郎を促す。
「あっ。すみません。お初にお目にかかります。誠司の祖父の大島誠太郎と申します。どうぞよろしくお願いします」
誠太郎は深々と頭を下げた。
「おじいちゃん俺、いまひかりさんとお付き合いさせてもらってるんだ」
誠太郎は満足げにうんうんと頷いた。
「いや、もう何というか帰ってきて本当に良かったよ。ひかりさん、誠司をお願いしますね。それとまたいつでも遊びに来てください。私はしばらくこちらにいますので」
「はい。またお邪魔させていただきます。色々お話お聞かせください」
「はい。もうそれは喜んで。お待ちしています」
それから父と祖父は上機嫌で帰って行った。
「あれ? 本当に自己紹介しかしなかったけど良かったのかな?」
「いいのいいの。ひかりちゃんの顔を見れておじいちゃんも大満足で帰って行ったし、あとはゆっくり滑ろうよ」
「うん。なんだか誠司君にびっくりさせられちゃった」
ひかりは誠司の手を取って、またスケートリンクに連れ出した。
「誠司君も意外と意地悪なんだね」
少し拗ねたように手を引いて滑りだしたひかりは、もう滑る感覚を思いだしている様だった。
滑らかに誠司の手を引くひかりは、ふわりとしたあの夏蜜柑の匂いを残す。
言いつくせぬ心地良さを感じながら、もう邪魔が入らないようにと誠司は願うのだった。




