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村に、若い男がやって来たんや。男やいうても、やっと子ども抜け出したいうぐらいの歳でな、そいつには右腕がなかった。
村は随分と寂れていて、田も畑も痩せ細っておった。ただあちこちに立派ないちじくの木が並んでおるのが、不思議な村じゃった。
男はな、東屋で休憩しとる女に村のことを聞いたんや。少し前はもっと賑わいがあったはずやってな。女は村に嫁いできた外の人間やった。乳飲み子をあやしながら、女は旦那に聞いたっちゅう話をしたんや。
それは弥生と草太と、それからの話やった。
弥生が池に沈んでから、村のあちこちにいちじくの木が生えた。初めは村の人間も気味悪がったんやけどな、この辺りではなかなか育てられんもんや。村の外にも高う売れるやろ。そんで一人食い、また一人食いって塩梅に、段々とみんな口にし始めたんや。
それはなんとも甘くてうまいいちじくやった。村中がそれを気に入って食べるようになったんや。
しばらくして、一番に村の外に売りに行こうとした作五郎が死んだ。病気のようじゃったが原因がわからんまま、苦しんで死んでしもうた。それから次々に村人が倒れていった。それは、いちじくの実を食べた村の者たちでな、不思議と村の外の人間は何ともないんじゃ。ほんでも、そんな不気味ないちじくを買いたがるやつなんかおらん。その間にどんどん村人は死んでいってな、畑仕事をする人間もおらんなって寂れたんや。庄屋の家なんか、あっという間に主人が死んで、見るも無残な有様やった。
女は、そんな話を聞かせた。
そん時、東屋のそばを通りかかった村人が、血相変えたんや。
「おまえ、草太か」
そいつは「そうじゃ」と頷いた。
草太は、死んではおらんかった。腕を切り落とされながら、這う這うの体で吊り橋を渡って逃げたんや。作五郎たちは嘘をついておった。草太が死んだて嘘をついて、褒美を多めに貰おうとしたんや。草太を追って危ない吊り橋を渡って、自分が死ぬかもしれん冒険もしたくなかったんやろ。どうせ生き延びはせんやろうと高を括っておったんじゃ。
最後の最後で、神様は草太の味方をした。山の中で死にかけとったとこに、医者が通りかかったんや。遠い村の医者やったが、隣村の急病人を看病した帰りやった。そんで草太は生き延びた。
「なんで、また戻って来たんや」
「俺にも、ようわからん」
草太は言った。
「この村で、えろう人が死んどるいう噂聞いてな。流行り病だの、そうではないだの、要領を得んかった。弥生のことが心配になって、居ても立ってもおられんで、生きとる証拠だけでも見つけよう思うてるうちに、ここまで来てしもうた」
ため息をついて、腕のない右肩を左手で撫ぜた。
「でも、死んでしもたんじゃな……」
「草太、すまんかった。許してくれ」
情けのうことにの、その村人は膝をついて頭を下げたんじゃ。
「これは、弥生の呪いや。弥生が、村を潰してしまおうとしとるんや」
「馬鹿言うな。弥生がそんなことするわけあらへん」
草太は怒ったが、村人は祟りや呪いやいうて話を聞かん。そのうち騒ぎを聞いた村人たちが段々と集まって、揃いも揃って頭を下げるんじゃ。わしらが間違っとった、許してくれってな。
「……そんなんやったら、許されんのも仕方ないわな」
最後には、草太は悲しそうに呟いた。池に向かって歩き出す草太を遠巻きに村人たちは囲んでな、近くに寄るんは赤子を抱いた余所者の女だけじゃった。
「あんたの旦那は、ここにはおらんのか」
「昨日から、隣村に出かけとるわ」
「いちじく、食わんかったんやな」
「うちの旦那は、嫌いやからな。食わず嫌いや」
女の旦那の名は、太一といった。草太は女の抱く赤子を優しゅうに撫ぜた。
*
池のほとりに、一本のいちじくの木があった。草太は、その木の実を一つとって、女に借りた小刀で少しだけ皮を剥いた。
綺麗な池やった。子どもがほとりで遊ぶにはもってこいの、美しゅうて広い池やった。
じっと草太は、その池を見つめておった。周りでは村人たちが固唾をのんで見守っとる。
やがて、左手で持ったいちじくの実を、ひとくちだけ齧った。村の人間にとっては毒になる実や。それを口にして、草太は笑ったんや。
「うまいな。弥生」
伸ばした左手から、ころりと実が池の中に零れ落ちた。
その途端、池の水が真っ赤に染まってな、えらい勢いで吹きだしたんや。まるで池に落ちたいちじくが溶けてしもうたように、血のように赤い水が、空に向けて吹き上がった。
驚いて声を上げる村人にかまわず、赤い水は村中に降り注いだ。家にも田にも畑にも。雨のように降ったんや。
それがようやっと収まった頃には、草太の姿は消えておった。
今度こそ、どこにもおらんなってしもうたんや。
雨の止んだ空には、虹がかかっておった。
*
これが、わしがおとうとおかあに聞いた話や。うん? おまえは賢いな。そうや、おまえのひいじいさんが太一や。
ああ、女の腕に抱かれとったんがわしや。残念やけどな、わしは小さすぎて何も覚えとらん。草太が頭を撫ぜてくれたらしいけどな、悔しいことに覚えとらんのじゃ。
なんや、呆れた子やな。これが作り話や言うのか? そう思うなら思うとけ。けどな、お池のほとりにいちじくの木があるやろ。あそこには一年中なっておる実がひとつだけある。冬になっても夏になっても、いつまでも落ちん綺麗な実が、ひとつだけあるんや。でも触ったらあかんぞ。そっとしとくんじゃ。
晩飯の後に、いちじく食うたんじゃな。大丈夫や、村のいちじくからすっかり毒は抜けた。赤い雨を被った土地はな、不思議とよく肥えるようになった。村は次第に活気づいて、元気になったんや。甘くてうまいいちじくは、他所の人間もよう褒めてくれる。
昔々のお話や。さあ、随分長い間話してしもうた。もう遅いから、ゆっくりおやすみ。