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 婚儀の前の晩に、草太と弥生は村を出ることにしたんじゃ。宴の準備で村人がてんやわんやしとる間に、村はずれのあばら家の前で落ち合っての、遠くに逃げると約束した。

 それは、月の明るい晩じゃった。あまりに明るいんで、誰に見つかるかもしれんと、草太が不安になるほどじゃった。おとうもおかあもおらん弱い草太は、宴の準備にも呼ばれておらんかった。村の除け者だったんじゃな。

 草太ははようにあばら家の前までやって来たんやが、しかし弥生は一向にやってこなんだ。つやつやの下草が月明かりにぴかぴか光って、虫が声を合わせて鳴くだけじゃった。

 もしかして、弥生の気が変わったんじゃろか。いや、そんなはずあらへん。約束したんやから。

 待ち続ける草太は、草ががさがさ鳴るんに驚いた。子どもの頃ようけ通った抜け道を、誰かがやって来るんや。

 それはどう見ても弥生ではなかった。草太よりも大きい影やったからな。

「弥生は、ここには来んで」

 息を切らして走って来たんは、太一じゃった。

「太一……なんでおまえが、ここに来るんや。弥生が来んて、なんでや」

 嫌な予感がな、草太の中にぐんぐん湧いてきおった。

「おまえら、またけったいなこと企みおったな」太一はきょろきょろして言った。「ばれたんや、全部」

「ばれたて、どういうことや」

「水番の作五郎おるやろ、あいつが弥生のおとうに告げ口しとったんや。弥生が草太と駆け落ちしようとしとる言うてな。初めは信用されんかったが、さっき弥生がこっそり抜け出そうとしよんを見つかったんや」

 草太の背筋が凍った。まさに、氷水ん中落とされたような心持ちやな。

「こないだの雨の日、この家で相談しとったんやろ」太一はあばら家を指さした。「作五郎も雨宿りしとったらしいんや。二階でな」

 ぼろぼろの家や。隠れておれば、二人の話し声を盗み聞くことも出来たんやろう。

「弥生は……弥生は、どないなるんや」

「大丈夫や、心配いらん。弥生のおとうも、一人娘にそんなひどいことはせんやろ。それよりおまえや、草太」

 太一は草太を睨んだ。まるで夜の猫みたいな、鋭く光る目やった。

「今、村の男どもが総出で探しよる。見つかったら、叩っ殺されるぞ」

 嫁入り直前の女を誑かしたんや、それも庄屋の娘をな。ただで済むわけがないんや。

「村の入り口に大勢向かいおった。ここにもすぐやって来るぞ。せやからおまえは、裏から逃げえ。吊り橋あるやろ。ぼろぼろやけど、おまえは男にしてはちびや、渡れるやろ。もし落ちて死んだとしても、引きまわされて首はねられるより随分ましや」

 いけ、と太一は言うた。

「なんでや。なんで太一は、俺を捕まえんのや。逃がしたて知られたら、おまえもただでは済まんぞ」

「あほ言うな! わしやてはらわた煮えくりかえっとるわ!」

 太一に突き飛ばされて、草太はたたらを踏んだ。

「それよりな、わしは弥生が好きなんじゃ! やのにおまえが捕まって殺されたら、弥生はえろう悲しむやろ。泣き濡れて暮らすやろ。そんな弥生を見なあかんなんて、わしは嫌じゃ!」

 いけ、と太一は繰り返した。「いけ! 逃げるんや、草太!」

 草太は踵を返して走り出した。月が明るいおかげで、道はよう見えた。


 畑に隠れてやり過ごし、稲をかき分けて這いまわり、草太は必死になって村の裏口へと急いだんや。向こうに、村人たちの提灯の行列が見えた時には、背筋がぞくぞくした。今まで見たことない形相で、男どもが自分を追ってるのを見てもうたんや。

 弥生は、太一は大丈夫やろか。

 そんな心配は尽きんかったが、二人は偉いところの子どもや。なんぼ言うても殺されることはないやろう。そう思うてから、草太は死に物狂いで逃げたんや。

 せやけど、小さな村のことや、探しに出た男の一人と鉢合わせてしもうた。それは作五郎いう水番の男やった。

 作五郎は、せこいひねくれ者で名の知れた男やった。この男に気取られたんが、運の尽きやったんやな。

 草太は作五郎に背え向けて、崖の方へ向かったんや。そこには更に昔、村と外とを繋ぐためにかけられた吊り橋があった。しかし人に使われんようになってから、すっかりぼろぼろになってしもて、今では子どもが近づくことさえ禁止されている橋じゃった。

「待てえや、草太!」

 作五郎はそう言うんやが、待てるわけあらへんわな。

 そん時や、あと一歩いうところで、道のわきの茂みから別の男が飛び出した。そいつが振り下ろした鍬を避けて、草太は転んでしもうたんや。そんで必死になって立ち上がる草太に追いついた作五郎が、手に持った鉈を振り上げた。

 残るんは、草太の悲鳴と、千切れた右腕だけじゃった。



 夜更けになって、意気揚々と作五郎たちは庄屋の屋敷に戻ってきた。

「草太は、崖に落ちた」

 そう言って男が庄屋に差し出したんが、草太の右腕やったんや。

 昔は、村の罪人を処刑するために使うていた崖や。谷底では流れの速い川が渦を巻いとる。とても、人間が落っこちて生き延びれるもんじゃないんやな。

 満足する庄屋の横で、顔を青ざめるのが弥生じゃった。そんでもずるい作五郎のことや、もしかしたら作りもんやないかと疑った。

 弥生は震える手でそれを握って、指先を自分の頬に押し当てたんや。泥だらけで冷とうて。でもな、それが間違いなく草太の右腕やってことが、弥生には分かったんや。あばら家で自分の手を握ってくれて、背中を優しゅうに撫ぜてくれた腕やったんや。

「草太……」

 弥生の目から、みるみる涙が溢れてきた。

「草太、草太! 草太あああ!」

 千切れた右腕を抱きしめて、狂ったように泣き叫ぶ娘の横で、庄屋は活躍した男ども……特に作五郎に土地をやることを約束したんじゃ。これで娘を誑かす悪い男はおらんなったんや。清々したんやろな。


 それから三日三晩、弥生は泣き続け、すっかり床に臥せってしもうた。また弥生が元気になるまで、婚儀はおあずけちゅうことになった。

 しかしな、弥生は泣き止んでも、なにも食わんようになったんや。わかるやろ、何も食わんで元気になんかなれん。庄屋はあちこちに使いを出して医者を呼んだんじゃが、誰も弥生に生気を取り戻させることは出来なんだ。

 そんなんが十日も続いた頃、弥生が突然「散歩に行く」て言うたんや。ずっと臥せっとったからな、みんな喜んで送り出した。

 そして弥生も、帰ってこんかったんや。

 お付きの小間使いがちょっと目を離した隙にな、おらんなってしもうた。そりゃあ村は大騒ぎになってあちこち探し回ったんや。

 見つかったんが、弥生が子どもの頃から肌身離さず持っていた、小刀だけじゃった。いちじくの実を剥くためにつかっていた刀じゃな。村で一番大きな池の中から、それが見つかった。

 わかったやろ。弥生は、池に身を投げたんじゃ。

 池の中から、弥生の身体は見つからんかった。けどみんな分かったんや、弥生は草太のもとに逝ってしもうたんやってな。

 それから、池のほとりに小さないちじくの木が育った。二年もすれば立派な実をつけるようになった。

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