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なんや、まだ起きとったんかいな。はよ寝え言うたやろ。
そういやあ、今日はお池で遊んどったやてな。いかんとは言わんが、ほどほどにせえよ。……なに、お池のいちじくの木? いつも言うてるやろ、あれだけは食べたらいかんぞ。そっとしとくんじゃ。
納得でけへんのか。しようのない子じゃのう。そしたら、この話聞いたら、大人しゅう寝るんやぞ。
*
昔、村の庄屋には「弥生」いう一人娘がおった。明るくて器量の良い、元気な娘じゃ。幼い弥生には、同じ年ごろの「草太」いう友だちがおった。草太の家は貧しくての、えろう難儀しとった。弥生は草太を連れ出して、よく一緒に遊んでおった。
そん時も村の大きな池のほとりで、二人は一緒におった。弥生は草太に何度かいちじくの実を食わせてやったんじゃ。草太はそれが好きやったが、貧乏で中々食べられんでの。弥生が家から持ち出して二人でよく食うていた。
弥生は、おとうから土産にもろた綺麗な小刀を持っとった。それでいちじくの実を剥いてやるんじゃ。
「ほら、食わせてやるから、こっち向け」
「自分で食えるよ」
「ええから、おとなしゅうせえ」
小刀で切り取った実ををつまんで、弥生は草太に食わせてやった。どうもおかしくなって草太が笑うと、弥生も笑うてしまうんや。
「どうじゃ、草太。うまいか」
うまい、と草太が言うと、弥生もその真っ赤な実にかぶりつくんじゃ。なんとも仲良しなふたりじゃった。
「またおまえら、二人でおるんか」
それを邪魔するんが、すこうし年上で乱暴者の「太一」じゃ。身体も大きないじめっ子の太一が、弥生は嫌いじゃった。
「うるさい、ほっとけ」
「なんやこの男女。またけったいなもん食うとるのう。まるで血いすすうとるみたいじゃ、気色悪い」
太一はいちじくが苦手じゃった。ほんまは甘くて美味しゅうものなんじゃがの、初めて食べたんが熟れとらん実やって、それから食わんようになってしもうた。
「草太もなんじゃ、女に食わせてもろて。情けないのお」
そう言っての、足で草太を小突くんじゃ。身体の小さな草太は、太一にかなわんいうことを知っとるからの、なんとも言わん。怒るんはいっつも弥生の方じゃった。
「なんや、えばりくさって! 用がないならはようどっかいけ!」
「うるさい女やのう、おまえがどっかいけ!」
いまにも取っ組み合いを始めそうな二人に、草太は泣きそうな顔をするんじゃ。
「弥生、太一、やめてくれ。怪我してしまう」
「怪我がなんじゃ、女々しいやつめ!」
今度は草太に突っかかろうとする太一を、弥生は棒切れを振り回して追い払うんじゃ。
小さな弥生は、太一が自分を好いとるいうことには、なんちゃ気づけんかった。
*
それから十年が経っての。その間に、草太のおとうとおかあは、流行り病でぽっくり逝ってしもうた。
ある昼時にな、草太は隣村の使いから帰っていたんやが、雨が降り出した。慌てて駆け込んだんが、村はずれのあばら家の軒下じゃった。そこは子どもらの遊び場でもあっての、大人は知らん抜け道があったんじゃ。その抜け道を通って、人影がやって来た。
それは山菜取りのかごを背負った弥生じゃった。弥生は大層なべっぴんに成長しておった。そして、弥生と草太が顔を合わせるんは久しぶりやったんやな。
ちいとも止まん雨に、二人は家の中に入ることにした。穴が空いてあちこち雨漏りするあばら家やったが、なんとか落ち着いたんや。
「久しぶりやね、草太」
うんて頷いて、草太は心配するんじゃ。
「弥生さん、寒くない?」
「雨、濡れたけん。少し寒いわ」
「手え、あっためようか。ちょっとはましになるかもしれん」
草太のあったかな手が、冷えた弥生の手をぬくめてな。二人はなんとも昔に戻った心持ちになった。
「今年の村の祭り、どんな店が出るんやろな」
「さあ。俺んとこは貧乏やから、どんな店出ても食べれんやろなあ」
「僻むなや、草太」
くすくすと笑う弥生は、何とも可愛らしいんじゃ。
「今もいちじく好きなんか」
「うん。懐かしいなあ。もう何年も食うてないけど」
「それやったら、また今度持ってってやる。おとうが貰うてきたんがあるんや」
「俺、ほんまに情けないのう」
「かまわん。それが草太や」
嘆く草太は、昔のままじゃった。十年が経っても、村の男どもよりまだなんぼか小さかった。それでも弥生より手は少し大きくなっとっての、朝から晩まで野良仕事に明け暮れとるおかげで、マメだらけじゃった。
その手を、弥生はじっと見つめるんじゃ。
「どうしたん、弥生さん」
不思議に思った草太に、弥生はぽつぽつ呟くんじゃ。
「いちじく、一緒に食えたらええのう」
「なんでじゃ、また一緒に食ったらええやないか」
弥生は草太の手を自分の柔らかな頬に当てて言うた。
「それがな、出来んのや」
草太はびっくりした。弥生の目が光っとったからや。すぐにそれは、弥生が泣いとるからやと気が付いた。頬は冷たいのに、熱い熱い涙が指に触れたからや。
「なんで。何で泣いとるんや」
「草太、昔みたいに呼んでや。うちのこと、弥生って呼んどったやろ」
「そんなこと言うても……」
「うち、嫌や。昔のままがええ。子どもん頃みたいに、草太と一緒に遊びたい」
ぼろぼろ涙を流してしゃくり上げながら、弥生は何とか言うた。
「……うち、結婚するんやて」
草太は驚いたが、それは仕方のないことやった。庄屋の娘は、早いとこ結婚して、跡取りを産まないかん。弥生の生まれる前から決まっとることやった。
「誰と、結婚するんや」
「太一や。おとうが決めた」
太一の家は庄屋の相談役で、村では二番目に立派な家やった。弥生と太一が結びつけば、誰もが納得するに違いなかったんや。
「……太一は、乱暴やけど悪人やない。きっと結婚したら、弥生さんのこと、大事にしてくれるはずや」
草太はなんとか弥生を慰めようとしたんや。やっと泣き止んだ弥生の目は、うさぎみたいに真っ赤やった。
「なんで、うちは選べんのや。嫌や。太一の嫁になるんなんか嫌や!」可哀想なぐらい、弥生の声は震えてたんや。
「草太は、うちが太一と結婚してもええんか」
弥生は腕を伸ばしての、草太に抱き着いたんじゃ。
「うちは、草太と一緒にいたいんや! ずっと前から、子どもん頃から、草太の嫁になりたかった。こんなん嫌や!」
結婚して旦那が庄屋を継げばな、もう嫁さんは野良仕事なんかせんでええ。外に出んと、家の中で針仕事でもして子どもを育ててたらええんや。他の男に逢うんなんか絶対に許されへん。もし逢っとるのが知られれば、その男の首がはねられても文句は言えんのや。
「これが最後になるかもしれんなんて、辛うて堪らん。また一緒にいちじく食いたい。祭りにも行きたい。なんで許されんのや。こんな村、うちはもう居りたくない」
草太の肩にな、また弥生の火傷しそうに熱い涙が零れてな。「弥生」て草太は呟いた。
「ほんなら、一緒に村出よう」
ぽんぽんて、優しゅうに背中叩いて言うたんや。
「俺も、ほんまは嫌じゃ。逢えんなるなんて、嫌で堪らん。でも俺の家は、太一んとこと違うて貧乏やし、言うても無駄やと思って、言わんかったんじゃ」
「何を、言わんかったんや」
「一緒になりたいんや。ずっと前から、弥生が好きじゃった。でも、そんなん言うても、誰も聞く耳もたんやろ。わがままや思て、言えんかったんや」
弥生はびっくりして涙が止まってしもうた。まさか、草太の思い人が自分やなんて思わんかったからな。
「やけど、弥生がそう思うんなら、村捨ててこう。俺にはもう、なんも残ってへんから。どんな苦労するかわからんけど、弥生がいいて言うてくれるなら、いつでも出ていける」
「苦労なんか、望むところじゃ。草太がおるんなら、うちはどこでおっ死んでもええ」
もう決まったも同然じゃった。二人は、村を捨てて遠くに逃げることを誓ったんや。
雨が降り止んだあばら家におるんは、昔通りに仲のええ二人やった。