第五フロアは救いが少ない件について 〜 命懸けの誘惑と卑劣な交渉〜
【雨宮家】
「あれ?」
半分だけしか見えない見慣れた天井。
頭を預けている柔らかい太もも感触と、徐々に晴れていく視界。
何気なく頭に触れると微温くなった冷却シートと、柔らかい太ももの感触。
確認を終えた手を下ろそうとした時に思いの外力が入ってしまった腕と、柔らかい太ももの感触。
・・・・・。
・・・・・。
・・・。
「あ、起きた?」
「アラクネ?」
「残念ながら現実世界の方よ。熱はなかったけど念のため熱冷まシート貼ってたの。動ける?」
「動ける?待ってくれ。もしかして寝てたのか?いつから?」
「落ち着け!」
軽いチョップが額に刺さり、起こそうとした頭が再び柔らかい太ももの感触に包まれる。
「まだ《熾天使》以外の到達者は出てない。だけど既に3つの『扉クエスト』が攻略中。でも有力プレイヤーは大分絞られてるわね。《双極》はソラかゲン、《武神》は雫さん、《適応獅子》は音刃さんが勝ち抜けそう」
「ん?シルファが《武神》?《吸血姫》じゃなくてか?」
「多分、どっかで手に入れてたのよ。でもこれで残りの鍵は1つ?私達の陣営は涼真くん、天童くん、忍さん3名の内1人だけ第6フロアに行けなくなる」
久根の発言に、雨宮は眉毛を寄せる。
(何で6本しかないんだ?そもそも何で最終フロアに到達できる人間を絞る?第4フロアの《熾天使》でさえ、俺達全員で闘ってようやく勝てた相手だぞ?第5フロアの《呪珠樹》に至っては40人のレイドバトル。つまり最低6人で打倒が可能なのか?)
いや、と雨宮は即座に思考を切り替える。
「嵐子、ドラ達は?」
「えっとー、いた。忍さんが第2フロア、天童くんが第3フロアを移動中みたいね」
「だとしたら俺は第4フロアだな」
「待ちなさい」
ふらつく体を起こし、ゲームを起動しようとした雨宮の前に立ちはだかる久根。
彼女は軽く雨宮の体を押したつもりだが、思いの外、雨宮がバランスを崩して尻もちをついてしまう。
「私なんかに軽く小突かれて倒れるなんて全然本調子じゃないでしょうが。そんなんで行っても足手まといよ」
「でも今行かなきゃ絶対に後悔する!どいてくれ」
「ねぇ、涼真くん」
雨宮の焦点の定まりきらない視界が、久根の姿で埋め尽くされ、
「こっちて生きようよ」
突然重ねられた唇。
自分に何が起こったか理解するまでの1秒足らず、反射的に雨宮は久根の肩を押さえて距離を取らせる。
「なにを」
「勝てないよ」
(え?)
「《十傑》だって簡単に命を落とす場面だよ?これまでだって犠牲を払ってようやく勝ってこれたけど、次も大丈夫なんて保証はないでしょ?だったらこのまま、」
「それは違うよ」
「えっ、」
久根の心はとうに限界を迎えていた。
第2フロアの段階で砕けた心を、騙し騙しで繋いでいた細い糸はとっくに摩耗して擦り切れていた。
死から蘇った唯一のプレイヤーといえば、聞こえはいいが死というものに最も近づいてしまったことと同じ。
彼女のなかにある数本の糸。
それは少なくなってしまった仲間によって繋ぎ止められている。
その中で最も太い糸で、心の支えは間違いなく雨宮だった。
彼が死ぬことがあれば連鎖的に他の糸も切れて、もう戻れない。
「それじゃダメなんだよ、嵐子」
それを分かった上で、雨宮は残酷にも告げる。
「俺は行く」
「どうして死ぬかもしれない闘いに身を投じることができるの?」
「俺だって怖いさ。引き返せなくなっているわけでもない。ただ誰かに自分の命を預けて何かあった時の言い訳にしたくないからなのかもしれない」
「でも、涼真くんはそんな人じゃない。いつだって先頭で誰よりも前に立って皆を勇気づけて来たじゃない」
「俺はそんなカッコいい奴じゃないよ」
雨宮は遠い目をして続ける。
「嵐子も言ってくれたけど、色んな犠牲を払ってようやくここまで来たんだ。羽生さんに至っては『未来視』で自分が生きれたのに俺なんかを生かしてくれたんだ。そんな人達の想いを無駄には出来ない」
「・・・・・」
「だから行かせてくれ」
「ダメ、だよ、、」
恥も外聞も、久根にはどうでもよかった。
『行ってほしくない』。その一点だけが頭を支配していた。だからこそ『行かない』の一言以外は彼女の耳には通らない。
雨宮が生存していること以外で、久根の心を支えられるものなど、もうこの世にはなかった。
「行かないで!お願い!何でもする!だか、ん」
雨宮が《探偵》や《賢者》と呼ばれる所以は、その洞察力と考察力。その根幹を担うのは心理描写を読み取る能力。
精神状態。
状況。
背景。
環境。
特定条件下の相互性、関係性。
多種多様な情報を統合し、取捨選択し、抽出する。
だからこそ、雨宮は自分の行動が卑劣で卑怯であることを理解したうえでの行動を取った。
「ん…ん…んん」
潰れるくらいに押し付けられた唇に久根は呼吸を一瞬だが、忘れていた。
(あぁ、俺はなんて卑怯なんだろうな。嵐子の気持ちを利用してこんなことしかできない)
「ぷはぁ」
「え?え?」
顔が離れ、思い出したように呼吸を整える両者。
赤面する久根はまだ何が起こったか判断できていない中、雨宮はポンポンと頭に手を置き一言告げた。
「【回帰】」




