5 それは恥知らずとの戦い
恐怖に染まった表情で固まっているシルティに、エルレスは横から腕を掴んで引っ張る。さっきまでシルティが立っていた地面にクチバシが突き刺さり、土塊が辺りに飛び散った。
ハジリスクはクチバシを地面から引っこ抜くと、倒れた状態から翼を動かして起き上がる。その後、エルレス達の方ではなく背後に顔を向ける。
エルレスもそちらに視線を向けると、レイミがハジリスクの蛇の胴体に木剣を打ち込もうとした姿勢で顔を強張らせて固まっていた。
「……いやー、今日は良い天気ねー。さて、そろそろ帰りま……ぐはぁっ!」
後ずさっていくレイミに向けてハジリスクの尻尾が薙がれ、彼女は地面に横転した。
「ま、まな板が無ければ即死だったわ……」
仰向けに倒れながらレイミが呟くと、ヒビの入ったまな板が割れて落ちた。
ハジリスクはエルレス達の方へ顔を戻すと、可愛らしい表情になってウインクしてくる。
「いや、攻撃されてるから騙されないよ」
倒れた振りをしてこちらの油断を誘った事から、不意打ちをされるのは間違いない。近づけばあの鋭いクチバシにやられてしまうのは目に見えていた。
距離を保ったままでいると、今度は悲しそうな顔になってハジリスクが涙目になる。
「いや、嘘泣きしても近寄らないからね」
表情がころころ変わるな、と思いながらもエルレスはつい油断しそうになってしまっていた。少し頭を撫でてあげたくなるのを、ぐっと堪えた。
そうしていると、ハジリスクは再び可愛らしい表情になって少しずつ距離を詰めてくる。
「シルティ、キミ一人で逃げられるかい?」
「足が、震えてしまって……」
エルレスは目だけ動かしてシルティの方を見る。自分の身を抱きしめるようにして全身を震わせ、怯えきっている様子だった。
そうしている間に、すぐそこまで迫っていたハジリスクの首が上に持ちあがっていく。
「ごめん、先に謝っておく」
エルレスは怯える彼女を引き寄せると抱き上げ、振り下ろされるクチバシを高く跳躍して回避した。
「少しの間、お姫様になっていてほしい!」
言葉を投げかけた後、頭上で折れた太い枝が落ちてきてエルレスの顔面に直撃する。
びっくりしているシルティを抱きかかえたままエルレスは地面に落下していき、仰向けに倒れ込んだ。
「あ、あの。大丈夫、ですか?」
「……今のは、無かった事にしておいて」
申し訳なさと恥ずかしさとヒリヒリする痛みに、少し赤くなった顔でエルレスが答える。それから、すぐにシルティを抱き直して立ち上がった。
ハジリスクが動き、身を反転させて長い尻尾が振り回される。後ろに跳躍するものの、その尻尾の先端がエルレスの腕を掠めた。
「レイミっ、僕が隙を作る! 合図をしたら、ハジリスクの足の内側を攻撃してくれ!」
「足の内側? 私が持っているのって、ただの木剣よ!」
「命を奪う必要は無いよ。倒す必要は、あるけど……ね!」
言っている間にハジリスクのクチバシが振り下ろされる。横に軽く跳んで避けると、クチバシが地面に突き刺さった。
さらにエルレスは地を蹴り、空中に跳び上がってハジリスクの頭に跳び移る。そのまま背中の方へと走り出しながらレイミに視線を投げる。
「ナベをこっちに投げて!」
「え。そ、そんなものどうするのよ」
「説明している暇はないっ、早く!」
「わ、分かったわよ」
レイミが頭に被ったナベを外している間に、エルレスは腕の中のシルティを見る。
「片手を離すから、抱き着いていてくれ」
言葉にシルティは小さく頷くとエルレスの背に腕を回して抱き着く。それを確認するとエルレスはシルティの背中から左腕を離した。
「投げるわよっ、受け取りなさい!」
かけ声と共に不格好な投球の姿勢になったレイミが、ナベをエルレスに向けて投げ飛ばす。やや後ろに飛んで行ったそれを、エルレスは腕を伸ばしてキャッチした。
直後、背中に乗ったエルレスの方に向けてハジリスクが首を伸ばしてくる。すぐ眼前まで迫ったハジリスクのクチバシが開かれた。
その瞬間、エルレスは勢いよく腕を突き出すとクチバシの中にナベを突っ込んだ。
ハジリスクは驚きに目を大きくさせ、クチバシの間に挟まったナベに気が付くと首を振ってもがき出す。
「今だっ!」
「もう、こうなりゃヤケクソよぉっ!」
声に反応して木剣を握ったレイミが目を剥いて言い放ち、ハジリスクの足を内側から薙ぎ払う。足をすくわれ、ほんのわずかだがハジリスクの足が浮き上がった。
ほぼ同時にエルレスも飛び降り様に身をひねり、ハジリスクの胴を蹴り飛ばす。衝撃にハジリスクの身体が傾いていき、巨体が地面に倒れて大きな音を立てた。
エルレスは空中から地面に落下していくと、少しだけシルティを持ち上げてから片膝を折って着地する。それから彼女の両足の下から手を離した。
「お……おぉおおっ! 私もやれば出来るじゃないっ、ひゃっほぅ!」
両腕を振り上げてレイミが歓声を上げた。
うまくいった事にエルレスも安堵に胸を撫で下ろす。ハジリスクの方を見ると、全身を動かしているもののまだ起き上がれない様子だった。
エルレスが立ち上がろうとした所で、シルティが抱き着いたままでいる事に気が付いて視線を向ける。
「えーと、もう離れて大丈夫だよ?」
困った顔でシルティに言うと、彼女は頬を赤くしながら慌てて離れた。
「まぁ、私のおかげで倒せたんだから感謝してもいいわよ。はっはっはっ!」
「そうだね。君のおかげでなんとかなったよ。ありがとう、レイミ」
笑みを浮かべてエルレスが礼を述べると、レイミはきょとんとした顔になってから溜め息をついた。
「……そこは突っ込む所なのに」
不服そうに視線をそらして小声で短く呟いた後、少しの間をおいてから彼女はくすりと小さく笑う。
「ま、いいわ。さっさと今のうちに逃げるわよ」
「そうしよう。……あれ、レイミ? その頭に乗っているのって」
レイミの頭上に視線を注いでエルレスは目を瞬かせる。
頭に被っていたナベの中に隠していたらしい、宝石を散りばめた冠を彼女はつけていた。
その豪奢な造りからして、かなり身分の高い者が身に着けている物なのは明確だった。
「あっ、しまっ……!」
宝冠を手で押さえながらレイミは顔を青ざめさせ、慌てて辺りを見回す。転がっていたナベに飛びつくようにして手で掴むと、頭にそれを被ってこちらまで戻って来る。
「こ、こほん。では逃げるわよ」
わざとらしくレイミが咳払いをする。
なぜあのようなものを持っているのか気がかりではあるが、追及するのも迷惑だろうと思ってエルレスは話を合わせる事にした。
「そうだね。よし、すぐに逃げ――」
エルレスは高く心臓が跳ね上がるのを感じて目を見開く。
身体に力が入らない。足が震え、膝と両手を地面につける。
左腕が痺れるのを感じて視線をそちらへ向けると、肌の一部が紫に変色していた。
ハジリスクの毒が体内を蝕んでいる事に思い至り、エルレスは歯噛みする。
「だがいったい、どこで毒を受けたんだ」
地面で横倒れになったまま、もがくハジリスクを見る。激しく動く尻尾の先端に爪のような鋭い毒針があるのが窺えた。
「尾撃が腕を掠めた時、か。……ぐっ」
エルレスが立ち上がれずにいる中、ハジリスクが巨体を傾けて勢いよく起き上がる。ふらつく身体を翼を動かしてバランスを取ると、こちらに鋭い視線を向けてきた。