3 ウェーイ!
森の中は鳥のさえずりが聞こえ、そよ風が草花の香りを運んでくる。
木々の隙間から木漏れ日が射し込む中、エルレスとレイミは歩いていく。
「とりあえず、魔物に遭遇するまで奥に進んでみようか。見つけたら片っ端から記録していくね」
「分かりましたわ。……って、口調変わりましたわね?」
「堅苦しいのより、こういう風に話した方が親しみやすくていいかなと思ったんだ」
エルレスが穏やかに話すと、レイミはくすりと小さく笑う。
「確かにそうですわね。お気遣いありがとうございます」
「うん。傭兵さんにそう言っておくと、好感度上がるからやっとけって図鑑士の先生が言ってたんだ」
「それをバラしたら意味がありませんわよ!?」
レイミが鋭い口調で突っ込みを入れてくるのに、エルレスも笑みを浮かべる。
「だから、レイミもいつも通りの喋り方でいいよ」
その言葉に驚いた彼女は目を大きく開き、息を呑むと何度か目を瞬かせていた。
「……よく分かったわね、あなた」
「なんとなくね。……さて。どうやら最初の魔物が来たらしい」
エルレスは真面目な表情になると、前方の揺れる草むらを見て足を止める。
そこから五匹の灰色のオオカミが姿を現し、ゆっくりとエルレス達の方へ近づいてくる。
「出たわね、モンスター!……じゃなかった、魔物!」
レイミはナベを被り直すと木剣を抜き、反対の手でまな板を掴み直す。
その背後でエルレスはのんびりとした動作で羽ペンと魔物図鑑を取り出した。
「ウェイウルフか。ポピュラーな魔物だと書きやすくていいね」
「数が多いけれど、安心して! 私は絶対にあなたを守り切れないわ!」
「……うん。正直だね」
背中を向けたまま木剣を構えてレイミが自信満々に言い放つのに、エルレスはわずかに戸惑った。
そのレイミの腰は少し引けており、顔が強張っている。しかし、左腕でまな板を前に出して右腕でわずかに肘を引いて木剣を構える姿に隙は無く、エルレスは感心する。
念の為にエルレスは足元の石ころを拾い上げると、手の中に隠し持っておくことにした。
それからエルレスは顔を正面に戻してウェイウルフ達を見つめる。
さきほどハシリザードを視た時の力が発動する気配は無い。顔を前に突き出すようにしてさらに凝視するものの、やはり目に文章が浮かび上がってくる事は無かった。
そこで突然、ウェイウルフ達は後ろ足だけで立ち上がると前足を頭の上にあげる奇妙な動作をする。
『ウェーイ!』
そして、全員同時にそんな声を上げたあと何もしてこない。
襲い掛かってくると思っていたのだろうか、それにレイミが呆然としている様子だった。
「な、何なの?……あ、ちょっと、危ないわよ!」
レイミの後ろからエルレスが前に進み出て、ウェイウルフ達に近づいていくのを慌てて制止する。
エルレスはウェイウルフ達の前に立つと、彼らと同じように両腕を頭の上まであげる。
「うぇーい」
『ウェーイ!』
ウェイウルフ達は棒読みで喋るエルレスに言葉を返すと、一斉にレイミの方を向く。それにビクッとレイミは身体を強張らせる。
「じゃ、あとはよろしくね」
図鑑を開いたエルレスは、ページの上でゆっくりと羽ペンを動かしながら朗らかに言う。
近づいてくるウェイウルフの群れに、愕然としながらレイミが後ずさる。
「よろしくと言われてもっ、圧が凄いわよこれ! このまま攻撃して撃退するわ!」
頭上に持ちあげた木剣をレイミは正面のウェイウルフ目掛けて振り下ろそうとする。
それに反応して、エルレスは指先で石ころを弾き飛ばす。木剣に当たり、衝撃にレイミは木剣を取り落とす。
「なんで味方に攻撃するのよっ!?」
「ウェイウルフは無害な魔物だから、攻撃しちゃ駄目だよ」
そう告げてから、エルレスは図鑑の上に置いた羽ペンを手に取る。
「もうしばらく耐えててね。いまスケッチするから」
「その言葉にいまはっきりとした絶望を感じたわ!?」
『ウェーイ!』
さらにウェイウルフ達がにじり寄ってくるのに、レイミは後退していく。
しかし、背後の木に背中をぶつけて退路が無くなってしまっていた。
「ま、まだー!? というかっ、これどうしたらいいのよぉっ!」
「うん、もういいかな。ウェイウルフ達と同じようにうぇーいと言ってあげるか、もしくは――」
エルレスの話をそこまで聞くと、レイミは勢いよく両腕を上げる。
「う、ウェエエエエエイ!!」
目を強くつむったレイミが辺り一帯に響くほどの声量で叫ぶと、ウェイウルフ達はピタリと動きを止める。
「あ、ちなみにウェイウルフは大きな声でうぇーいと叫ばれると」
取り囲んだウェイウルフ達がレイミの身体を持ち上げる。
「嬉しくなって相手を胴上げするよ」
『ウェーイ! ウェーイ! ウェーイ!』
「いやぁー! 降ろしなさいこのケダモノどもー!?」
何度も空中に高く上げられるのに、レイミは悲痛な叫びを上げていた。
しばらくの間それが続くと、満足したらしくウェイウルフ達はぐったりとしたレイミを地面に降ろす。そして、陽気な様子でスキップしながら去って行った。
「ひ、ひどい目に遭ったわ……」
「お疲れ様。少し休もうか」
地面に突っ伏したまま動かないレイミの傍まで移動して、エルレスが穏やかに尋ねる。
「ごめん。私、もう無理」
「大丈夫? どこか怪我でもしたの」
上半身を起こすと体育座りをして俯くレイミに、心配になりながら尋ねると彼女は力無く頭を振る。
「心がね、お家を求めてるの。私、がんばったよね……もうゴールしてもいいよね?」
暗い眼差しになってレイミは虚空を見やる。
「ご飯食べてお風呂入ってゲームして遊んで寝てもいいよね……そしてもう二度と家から出たくない」
「あのー、もしもし?」
ゆらりと立ち上がると、レイミは踵を返す。
そのレイミに声をかけると、死人のような表情で顔だけをこちらに向ける。
「じゃ、あとはよろしく」
片手を挙げて脱兎のごとく走り出すレイミに、慌ててエルレスが追いかけて肩を掴む。
「ま、待って待って。傭兵がいないと僕、怒られちゃうから!」
「いやー!? 離してっ、働きたくない……! もうこれ以上働きたくなんてないのよー!?」
「じゃぁ……いてくれるだけでいいから、頼むよ」
泣きながらもがいて喚くレイミに、困惑しながら子供を諭すように言うと彼女は激しく首を横に振る。
「そんなのタダの置物じゃない! そうよっ、どうせ私なんて……いてもいなくても同じなのよ!」
「そんなことないよ。レイミがいてくれたおかげでウェイウルフの図鑑登録だって出来たんだから」
「うぅっ……本当に? 私、役に立ってる?」
「うん。凄く助かってるよ」
涙目で見上げてくるレイミに物凄く困りながらエルレスはナベの上から頭を撫でてあげる。それでレイミは少し落ち着きを取り戻した様子だった。
「まぁ、そういうことならしょうがないわね。もうちょっとだけ付き合ってあげるわよ」
「それは良かった……」
礼を言いつつ、レイミに背中を向けるとエルレスは大きなため息をついた。
「それで、今書いたのってどんな感じになってるの?」
「うーん……僕はあまり絵を描くのが得意ではないから、ちょっと見せるのは恥ずかしいな」
「大丈夫よ。少しくらい下手でも私は気にしないから」
笑みを覗かせてレイミがそう言うのに、エルレスは少し迷ってから魔物図鑑を開いて彼女に見せた。
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ウェイウルフ 生息地、クレスフォード全域
危険度、無害
人間の子供くらいの大きさのオオカミ。毛皮の色は
地域によって異なり、灰色や茶色や赤色など様々である。
常に徒党を組んでおり、よくパーティーをしている
所が目撃されている。相手に対してウェーイと言って
くるが、これはウェイウルフ流の挨拶である。
また、自分たちよりも大きな声でウェーイと返され
ると嬉しくなって相手を胴上げする。無視し続ける
と、肩を落として去って行く。
――――――――――――――――――――――――
それを見て、レイミが奥歯を噛みしめながら拳を震わせる。
「無視し続ければよかったのなら早くそうと言ってぇええーっ!!」
エルレスの襟首を掴むと彼女は怒りに任せて揺らしまくる。
「い、いや。言おうとしてたんだけど……」
「それからその絵は何なのよっ、子供の落書きの方がまだマシな出来じゃない!」
「さっき気にしないって言ったのに!?」
エルレスは、ガクガクと揺らされたまま困った表情になって頬を指でかく。
ウェイウルフの記述が書かれたページの隣に描かれた絵は、大きなネズミのような物体が変なポーズをしているものだった。
ひとしきりエルレスを揺らして落ち着きを取り戻した後、レイミがため息をついて離れていく。
「……そういえば、あのウェイウルフも珍しくない魔物なのよね? 売られている魔物図鑑とかあったし、既存の図鑑に載っている魔物なら記す必要なんて無いんじゃないの?」
怪訝そうに問いかけてくるレイミに、エルレスは静かに頭を振る。
「魔物図鑑士は僕を含めてまだ三人しかいないから、情報が足りていないんだ。魔物の危険度の統一化も大事だし、新しい発見が見つかる可能性もあるかもしれない。身近で知っている魔物でも一匹ずつ図鑑に登録していく必要があるんだ」
「なるほど。まぁ、とにかく全部の魔物の情報を書いていくって事ね」
面倒そうな顔になりながら、レイミがぼんやりと言葉を返す。
エルレスは魔物図鑑と羽ペンをしまうと、ゆっくりと彼女に向き直る。
「で、そんな身近な魔物をどうして君は知らないんだい?」
「それは最近までずっと、し……家から出た事が無かったものでして」
少し焦りながら目を泳がせて答えるレイミに、エルレスは小さく笑みを向ける。
「まぁ、誰にでも言えないような事はあるものね」
「そ、そういうこと! 乙女の秘密って奴よ」
言いながら視線をそらすレイミを見てから、エルレスは目を伏せた。
エルレス自身にも人には言えない秘密がある。それは、誰かに話しても決して信じてもらう事が出来ない前世の話だ。
おそらく、この秘密は誰にも打ち明ける事が無いだろうとエルレスは心の中で思うのだった。
「……で、この森ってどのくらい魔物がいるの?」
話題を変えてレイミが問うのに、エルレスは魔物図鑑に挟んであった一枚の紙を開いて視線を下ろす。
「マスターから渡された魔物の生息リストがあるけれど、だいたい六種類くらいかな……。ん?」
言葉を返している最中に、木の上で人型の影が移動するのを視界の端で捉えてエルレスは顔を持ち上げる。
「どうかしたの?」
「いま、木の上に人がいたような気がしたんだけど」
「猿か何かじゃないの。誰もいないわよ」
「うーん……気のせい、かな?」
眉をひそめながらエルレスは辺りを見回す。しかし、木の葉が宙を舞っているだけでやはりそこには誰もいないようだった。
「あ、ハシリザードがいるわよ」
知っている魔物を見つけてか、レイミは少し高揚した声色でゆっくりと歩いている青い鱗のトカゲを指差していた。
「あのトカゲはブリザードっていう魔物だよ。ハシリザードに似ているから亜種かもって言われてるね」
「へぇ、一応別の魔物なのね」
背を向けたまま言葉を返すと、レイミはブリザードに近づいていって笑みを浮かべる。
「うふふ。青い鱗が綺麗ね、あなた」
「ふとんがふっとんだ」
トカゲの口からそんな言葉が突いて出て、レイミの表情が固まる。
「ち、ちょっと待って! なんか言葉を喋ったわよこのトカゲ!?」
「知能が高い種族は言葉を喋れるからね。ハシリザードも無口だけど、ごく稀に喋る事があるよ」
エルレスは図鑑と羽ペンを取り出しながら、続けて説明する。
「一説によると、身を守るために魔物の言語を人類が覚えたっていう話もあるね。それがいま僕達が使っている言葉なんだって。本当かどうかは分からないけれどね」
「ねこがねこんだ」
「そ、それはいいのだけれど……このトカゲの言葉を聞く度に、なぜか無性にぶん殴りたくなってくるわ!」
持ち上げた拳を震わせてレイミが声を荒げる。
「危険度は無害だから、攻撃しちゃ駄目だよ。一応、中年男性には人気があるっていう話だし」
「その感覚は理解できないわね……」
げんなりしながらレイミが口を開いた直後。
その頭上で木の枝が折れ、何かが落下してきてレイミは地面に押し倒された。