2 ナベの傭兵はご入用ですか?
横幅の広い室内の壁はレンガで出来ており、木の床に置かれたテーブルに着いた人達の談笑する声が聞こえてくる。その中央には大きな木が生え、周囲に草花が咲いていた。
バンダナを巻いた男がカウンターを飛び越えると、振り返って椅子に腰をかける。
「あの、もしかして受付の方ですか?」
「俺がギルドのマスターだ。で、ボウズは傭兵や魔物ハンターには見えんし、地形図鑑士か?」
「いえ。魔物図鑑士です」
エルレスがそう答えるのに、マスターは目を見張る。
「前にも一人来た事があったが、珍しいな。……とりあえず、図鑑を出してくれ」
言葉にエルレスは腰のホルダーから図鑑を取り出す。マスターはそれを片手で受け取ると、物珍し気に眺める。
「この辺りでは見かけない装丁の本だな。……ん? ハシリザードの記述は書いてあるが、絵はまだ描いてないな」
「ついさっき、視たものでして」
「視た?……って、それ以外全部真っ白じゃねぇか」
ページをパラパラとめくっていって、マスターが唖然とする。
「実は、まだ魔物図鑑士になったばかりなんです」
「ふん、なら見習い以下だな。てめぇみたいなガキが、この界隈で生きていけると思うなよ」
「あはは……これでも一応、二〇歳なんですが」
睨みつけられるのに、エルレスは小さく笑って答える。
「経歴がねぇ奴はいつまで経ってもガキのままなのさ」
そう告げた後、マスターは目を閉じて唇を緩める。
「ふっ、今の俺の台詞……最高にイカしてただろ」
「え、えぇ……そうですね。経歴、というとこちらが履歴書になります」
「あ? 今までの経歴を書いてきたのか。律儀な奴だな」
わずかに戸惑いながらもマスターは差し出される紙を受け取る。
その様子にエルレスは違和感を覚えた。
今まで履歴書無しで従業員を雇っていたのだろうか。日雇いの仕事ならともかく、相手の素性も知らずに長期間契約を交わすのに抵抗を感じそうなものではあるが。
エルレスが眉をひそめていると、マスターは下から一枚の書面を掴んでカウンターに広げる。
「ここにサインを書いてくれ」
マスターの声にエルレスは羽ペンを手に取る。そのまま書面に視線を走らせてから渋い顔になった。
「質問をしてもよろしいでしょうか?」
「ふっ、イカしてるこの俺に何でも聞きな」
「では、お言葉に甘えて。賃金が完全出来高制なのは把握しました。ですが、始業終業時間、試用期間及び雇用期間、雇用形態、転勤、社会保険についての項目が存在していないので確認したいです。それと御社が想定する一ヶ月の残業時間は――」
「ま、待てまてまて! 何の呪文だそりゃ……!」
エルレスの質問に対し、マスターは顔をしかめてカウンターを叩いた。その音に反応して、エルレスは我を取り戻す。
「あ……すみません。えーと、働く時間と休日ってどのくらいなんでしょうか?」
「その辺は全部自由にやってもらっていい。好きな時に現場に行って、好きな時に休んでもらって構わない」
「なっ!? そ、そんなのでカイシャを運営出来ているなんて……凄いな、この世界」
あまりにもホワイト企業過ぎる衝撃の事実に、エルレスは目を一度見開いてから腕を組んで思考にふける。
賃金に関しては扶養家族がいないのと、そもそもほとんど自給自足のような生活をしてきたため十分生活していけるだろう。強いて言えば社会保険が無いのだけが不安ではある。
「いや、待てよ……うまい話の裏には高確率で闇がある。もしや何かの罠かも……だが、あるいは……」
「あー、サインしてもらってもいいか?」
困ったような顔になって、マスターがカウンターを指で軽く叩く。
エルレスはそれに少し迷ってから、やがて頷いた。
「はい。本日からお世話になります。よろしくお願い致します」
書面に自分の名前を書き記すと、エルレスは腰を曲げて頭を下げた。
マスターはカウンターの上の紙に何かを書いた後、エルレスに図鑑を返す。
「で、ボウズ。おまえさんもう傭兵は雇っているのか?」
「いえ。それがまだ」
「それなら、ちょうど空いてる奴がいるが」
マスターが壁際の方に視線を向けるのに、エルレスもそちらを見る。
「一回、五〇〇ゴールドよぉ」
なぜか女装をした男が上半身の筋肉を見せつけ、マッスルなポーズをしながら身体をくねらせてみせていた。
それに苦笑いを返してエルレスはマスターの方に顔を戻す。
「あ、あの……すみません。僕一人で向かうのは駄目でしょうか?」
「駄目だ。知っているとは思うが、傭兵がいないと図鑑士を現地に向かわせる事は出来ない。特に、魔物図鑑士などという命がけの仕事なら絶対に必要だ」
「あ、あはは……それは参ったなぁ」
「ふっ、図鑑士の命を気に掛けるこの俺もイカしてるぜ……」
再びマスターが自分に酔いしれるのに、エルレスは困った表情になる。
恥を忍んでディアセラからゴールドを分けてもらうしかないだろうか、と思案している時だった。
「では、私が同行致しましょう。もちろん、無料で構いませんわ」
そこで、背後から誰かが歩いてくる音と共に若い女性の声が聞こえてきた。
エルレスは振り返って声の主を目の当たりにすると、首を傾げた。
「……傭兵?」
年齢はエルレスと同じくらいだろうか。紅色の長い髪を後ろで一つにまとめ、金刺繍が施された赤い服に銀細工の胸当てを着けた紫瞳の女性。
腰に帯びている物は木の剣だが、そこは問題ではない。異様なのは頭にナベを被り、まな板を脇に抱えているという格好であった。
「お嬢ちゃん、おままごとはよそでやってくれないか」
「ま、待ってください! 私はれっきとした傭兵ですわ! 傭兵証だって持っています!」
呆れた顔で告げるマスターに、女性は慌てて腰の布袋に手を突っ込んでカードを突き出す。
「ソイツは、ゴールドで買ったものだな? まぁ、傭兵は金さえ払えば誰でもなれるが……実戦経験が無いのならやめておけ」
「じ、実戦経験ならありましてよ?」
女性はあからさまに狼狽しながら言葉を口にする。
それを見て、マスターが彼女を睨みつける。
「ほう。じゃあ、今まで戦った事がある魔物はなんだ」
「ドラゴンと戦って命からがら勝利した事が――」
「よし、嘘つきだから追い出せ」
「い、いえっ! 嘘じゃありませんわよ!」
「オラァ! さっさと外へ行くわよぉん」
女装をした筋肉質の男が足音荒く彼女に近づいて、その肩を掴んだ。
「ごめんなさいっ、ごめんなさい!」
恐れをなしたらしい、ナベを被った女性が涙目で両手を合わせて謝っていた。
「……あの、この人に僕の護衛をお願いしてもいいでしょうか?」
見かねてエルレスが声を出すと、その場にいる全員の視線が向けられる。
「そりゃあ、構わないが……ボウズ、いいのか?」
意外そうな顔になってマスターがエルレスに確認する。
「いいも何も、僕お金ないですし。それに、もし持っててもこの人にお願いしてたと思います」
エルレスは真っ直ぐに見つめ返しながら話す。
それは嘘ではない。初心者なのは見れば分かるが、好戦的な傭兵ではいたずらに魔物を傷つける危険性がある。それを考えれば、彼女に頼むのが良いように思えた。
少しの間マスターはエルレスの真剣な眼差しを見つめた後、溜め息をついた。
「そうかい。ただし、危険度の低い魔物しかいない安らぎの森にしか行かせられないぞ。それでいいな?」
「ありがとうございます」
礼を言ってエルレスが振り返ると、女装をした男がときめいた表情で見つめてくる。それにエルレスは顔を強張らせた。
「あなたカッコいいじゃない。どう? やっぱりあたしと行かない?」
「いっ、いえ。ま、またいつかお願いします」
「しょうがないわねぇ。じゃあ、待ってるわよぉん」
去り際に女装した男が投げキッスをしてくるのに、恐怖と寒気を感じながらエルレスはナベを被った女性の方に向き直る。
「すみません、勝手に話を進めてしまって。申し出てくれて助かりました」
「いえ、こちらこそ助かりましたわ」
少し茫然とした様子で女性がそう返すのに、エルレスは笑みを向ける。
「僕の名前はエルレス。護衛、よろしくお願いします」
「あ、私はレイミです……わわわっ!」
エルレスが頭を下げるのにならってレイミも同じようにすると、ナベが外れそうになって彼女は慌てて被り直すのだった。