第2章 思いがけない来訪者
21時過ぎ、ディナータイムの最後のお客が帰っていった。
「ありがとうございました」
私はドアを開けてお辞儀しながら、馴染みのお客を見送った。
「じゃあ、また来ます」
男性がそう言うと、女性の方が手を振った。
私も軽く手を振った。
二人が楽しそうに会話をしながら駐車場に歩いて行った。
そんな姿を見ると、この仕事をやっていて本当に良かったと、心から思える。
「お疲れさま!」
私は厨房の片付けをしている勇作に声をかけた。
「摩美もお疲れ」
「珈琲飲む?」
「そうだな」
勇作は洗い場の水を止めると、手を拭いて出てきた。
カウンターで珈琲を淹れて、窓際のテーブルに腰掛けた勇作の前に置いた。
「サンキュ」
勇作は軽く微笑むとカップを口にした。
私も自分の分を置いて、勇作の前に座った。
勇作は私を見て、もう一度にこっとすると、窓の外を見た。
私もつられて窓の外を見た。
今夜は、ほぼ満月だ。
外は月明かりでけっこう明るい。
濃淡はあるが、青一色の世界が広がっている。
まあ、この辺りは、月が無くても、満天の星空が広がって、暗いと感じたことはない。
じっと見ていると、青い世界の中に動くモノを見つけた。
しばらくすると、ソレは足下に転々と灯りをつけた店への道を上がって来た。
「あ、お客様だ。ディナーまだ大丈夫?」
「ああ。大丈夫」
カラン。
「いらっしゃいませ」
私は2つの珈琲カップを片付けながら、軽く振り返って、入って来たお客に声をかけた。
ふと気付くと、お客の方を向いていた勇作が、私の後ろを見て固まっている。
私はもう一度振り返って、入って来たお客をちゃんと見た。
「え!?」
私は思わず珈琲カップを落としかけた。
立っていたのは、白いシャツに薄茶色のカーディガンを羽織ったジーンズの女性。
見覚えのあるような格好。
そして、その顔。
そこには『私』がいた。
「こんばんわ」
彼女が遠慮がちに声を出した。
「こ、こんばんわ」
私はかろうじて返事をしたが、勇作は固まったままだ。
私もきっと、表情は固まっていると思う。
「座って……いいかな?」
彼女がテーブルを指さして言った。
「あ、ど、どうぞ」
私は腰が引けた感じで手をさしだした。
彼女は、私を見てもそんなに戸惑っている雰囲気じゃなかった。
頭の中は真っ白だった。
勇作は後ろで固まり続けているらしい。
動きを感じない。
あの勇作が、こんな風になるなんて、初めてのことだ。
それだけ、訳のわからないショックを受けているらしい。
「あの……」
彼女が、固まっている私たちに、苦笑気味に声をかけてきた。
「は、はい?」
「私、お客じゃないの……」
「は、はい?」
(いや、そんなこと気にしてないから……)
「お話してもいいかな?」
「は、はい……」
私はそう言うと、次の言葉を待った。
「あの、良かったら座ってもらえると……」
彼女は自分の前の席を指さした。
「あ、そうですね!す、座りましょう」
私は後ろを見ずに勇作の手を探して、つかまえると、彼女の前に二人で座った。
彼女も、何をどう言ったらいいのかという感じで、言葉を探している。
ちょっと、間の悪い雰囲気になった。
「あ、こ、珈琲でも淹れましょうか?」
「いえ、いいです」
「あ、そうですか……」
勇作は隣でぽかーんとしている。
「私……」
「はい!」
私の思いがけない大きな返事に、彼女がびくっとした。
「あ、すみません……」
すると、彼女がくすっと笑った。
緊張が解けたようだ。
「私、綾瀬希美って言います」
「え?」
『私』は私じゃなかったようだ。
当たり前か。
「ほんとそっくりね」
「あの、どういうことですか?」
やっと、勇作が口をきいた。
「えっと、……勇作さんですよね?」
「え?なんで俺の名前を?」
私も驚いた。
この人はいったい……
「母から聞いていました。摩美と一緒に育ったんでしょ?」
「あの……あなたは?」
「私は、あなたの姉妹よ。見てのとおり、双子の」
「ええ!?」
勇作と二人でハモって驚いた。
その後、ゆっくりと彼女の話を聞いた。
彼女は、生まれて間もなく、父の知り合いの綾瀬家へもらわれていった。
その辺の事情はよくわからないらしい。
でも、見るからに双子であることに疑いはない。
彼女の養父は早くに亡くなり、そして、急に経済状況が厳しくなった中、なんとか養母と暮らしてきたが、つい先日、その養母も亡くなった。
そして、気が付くと綾瀬家は借金まみれで、家は抵当に入っており、希美さんも身一つで追い出された。
ここのことは、養母が亡くなる時に、初めて聞いたらしい。
「で、荷物これだけなんだけど、ここに置いてくれないかな?」
彼女は、真新しい小さなボストンバッグを見せた。
勇作と顔を見合わせたが、もちろん断れるわけがない。
部屋も空いていることだし、彼女はうちの住人となった。
いや、本当の家族なんだよね?
「で、どっちが姉なの?」
私は恐る恐る聞いてみた。
「それは、聞いてないんだ」
希美は両手を広げて首をすくめた。
「そっか……」
「まあ、元々双子なら、どっちが姉、妹って関係ないんじゃないか?」
落ち着きを取り戻した勇作が言った。
「そうだね」
希美とハモってしまった。
「おお……」
二人で顔を見合わせると、またまたハモってしまった。
思わず、相手を指さすと、希美も私を指さしていた。
「こ、これは、本当に双子だな……」
勇作が引きつった顔で笑っていた。
その夜は、いろいろと聞きたいことがあった。
だから、一階のオーナールームで一緒に寝ることにした。
彼女は位牌の前の両親の写真をじっと見つめていた。
少し胸が痛んだ。
そうだ。
希美は本当の両親を知らないで育ったんだ。
彼女は線香を上げて拝むと振り向いた。
「お父さんとお母さん、きっと幸せだったよね?」
「うん。いつも幸せそうだったし、一緒に逝けたし……」
彼女はまた両親の写真を見て微笑んだ。
「でも、きっと希美のことは気にしてたと思うよ」
希美が振り向いた。
「ありがと。摩美はやさしいね」
「いや……」
私は下を向いてしまった。
すると、希美が私を抱きしめた。
「お互い、頑張ってきたよね」
「うん」
私も希美を抱きしめ返した。
この暖かさが不思議な感じだった。
香奈を抱きしめたことはある。
勇作に抱きしめられたこともある。
でも、この感覚は……
希美もそうなのか。
しばらく、どちらも離れようとせず、そのままだった。
すごく、相手の気持ちがわかる気がする。
まるで自分を見てるように。
一卵性の双子だから?
子供の頃から、一緒だったら、どんな感じだったんだろう?
これまでの時間を取り戻したい。
そんな気持ちで一杯になった。
寝室のシングルベッドへそれぞれ横になって、しばらくは無言が続いた。
お互い、何を聞こうか、何を話そうかと考えているのがわかる。
二人の頭の上にある窓はレースのカーテンしか閉めていない。
月明かりが忍び込み、部屋はぼんやりと青く明るかった。
「ねえ」
左側に寝ている希美が先に口を開いた。
こっちを向いたのがわかる。
「ん?」
私は希美の方に顔を向けた。
「父さんと、母さんが死んだ後、勇作…さんがずっと傍にいてくれたんだよね?」
「うん。元々小さい頃から一緒だったし、兄妹みたいなものだから」
「そっか。見た感じ、頼りがいありそうだね」
「うん。すっごくしっかりしてる。でも、さっきみたいに呆然とするところは始めて見たよ」
私はくすっと思い出し笑いしながら続けた。
「それにね、すっごく優しいし……同い年なのに、どうしても年上に思えちゃって……」
「好きなの?」
「え!?」
私は思ったより慌ててしまった。
「あ、顔が赤くなってる」
「うそ!暗いから見えないよ」
そう言いながらも、つい背中を向けてしまった。
「摩美は、まだかわいいね」
背中越しに、冷静な希美の声が聞こえた。
そのニュアンスに違和感を覚えた。
(まだ?)
私はまた希美の方へ向いた。
希美と目が合った。
「好きなんでしょ?隠しても私にはわかっちゃうよ」
希美は軽く微笑んだ。
「うん」
私も微かに笑って答えた。
そう、きっと彼女には、私の気持ちは隠せない。
「なんか、希美の方がお姉さんみたいな気がする」
「そっかな?妹の方が気が強いだけかもよ~」
希美がにこっと笑う。
「違う違う。きっと希美がお姉さんだよ~」
私も少しテンションが上がった。
「まあ、でも……」
「同い年だ!」
最後はお互いを指さしてハモってしまった。
「あはははは!」
笑い声もハモりながら、双子であることに微塵の疑いもなかった。
その雰囲気のままで、寝るのも忘れて夜更けまでいろんな話をしたのだった。
「ふわぁ~あ」
大きなあくびをしながらドアを開けた。
「おはよ」
くすっと笑いながら勇作が目の前を通り過ぎていった。
私は大きな口を開けて手を挙げたまま固まった。
……しまった。
昨日は一階に寝たんだった。
勇作はここのキッチンで朝ご飯を用意している。
「どうしたの?」
固まっているところを、既に起きていた希美から声をかけられた。
「すっぴんを勇作に見られた。しかも大口開けてあくびしてるとこ……」
私はがくっと頭をうなだれた。
「まあまあ、そんなことを気にする勇作さんじゃないんでしょ?」
私は希美の方を見て、しかめっ面で言った。
「気にして欲しいの」
希美は目を見開いて、しばらく固まっていたが、ぷっと吹き出した。
「そうだね……くっくっく」
彼女はお腹を押さえて笑いながら、洗面所の方へ行った。
私は軽くメイクをして、今度は準備万端でダイニングへ顔を出した。
すると、希美も勇作の手伝いをしていた。
「希美、料理できるの?」
「え?摩美はできないの?」
希美がかなり驚いた雰囲気で振り向いた。
「うん」
「ふうん……」
私はかなり落ち込んだ。
ただ少し、希美が見せた、驚いただけじゃない、考え込むような雰囲気が気になった。
一卵性の双子ってだけで、全部同じとは限らない。
きっと違うところも多々あって、それが個性になっていくんだろう。
一つ違うところが見つかっただけだ。
料理も、きっとそのうちできるようになるんだから、今は…
……ほんとか?
まあ、いいや。
今は勇作が作ってくれるし、さらにもう一人料理ができる人が増えた。
なんて幸せなんだ、私。
うぷぷぷと笑いながら、いつものようにテーブルについて料理を待つ私だった。
「なんか、不思議だな」
勇作が、並んで座って食べている私達を見て、笑いながら言った。
私達も同じ顔を見合わせて笑った。
「勇作さんは、今の生活好き?」
急に希美が変なことを聞いた。
「ちょ、ちょっと何聞いているのよ」
変に慌てている私をよそに、勇作は平然と答えた。
「好きだよ。ここはいい場所だし」
「私がいても大丈夫?その好きな世界を壊さない?」
私は希美の肩にかけた手を下ろした。
(そっちのことか……)
「大丈夫。君は摩美の本当の家族なんだ。傍にいてやってくれよ」
「そうだよ。昨日はちょっと驚いたけど、希美が望みさえすれば、ずっといていいんだよ」
私も真面目な顔をして言った。
「ありがとう。……うれしい」
希美は、笑ってくれた。
「それに、実は天涯孤独だと思ってたからさ……うれしかったんだ」
ちょっと小さな声で言った。
「摩美……」
勇作も希美も少し哀しそうな目で私を見た。
「あ、ごめんごめん。でも、勇作がいてくれたから大丈夫だって」
私は慌てて取り繕った。
そんな私に勇作は微笑んでくれたけど、希美はまだ少し哀しそうだった。
なぜか、その気持ちが私にはわからなかった。
(あなたも天涯孤独じゃなくなったのよ?)
私には勇作がいるからだろうか。
……勇作がいる?
お兄さんをやっている勇作が?
希美はなんとなく、私よりしっかりしている。
双子なのに、どこかが違う。
勇作にとって、私に足らなかったモノを彼女に見つけたら……
……
……
(大丈夫)
(きっと、大丈夫)
私がそんなことを気にするのは似合わない。
「勇作、パンのお代わり!」
「はいよ」
勇作は苦笑しながら、焼きたてのパンを取ってくれた。
「希美、このロールパンどう?」
私は希美に笑顔でふった。
「うん、おいしいよ」
「勇作の手作りだよ。お店にも出すの」
「勇作さん、すごいねー!じゃあ、私ももう一個もらおっと」
希美はお皿を勇作の前に差し出した。
「サンキュ」
そう言いながら、勇作は自慢のパンをその皿にのせた。
「明日から、もっと焼かなきゃな」
そう付け加えて笑った。
さっそくその日から、希美にはお店や畑のことを手伝ってもらった。
身内が一人増えると、すごく楽だった。
希美は、私の代わりだけでなく、勇作の代わりもできた。
料理の腕もなかなかのものだった。
勇作がコツを教えると、すぐに吸収すると言っていた。
それに畑仕事もできることは大助かりだった。
ランチタイムには、やってくる常連さん、常連さんが私達を見て驚いていた。
最初はいちいち紹介したが、そのうち面倒くさくなってしまった。
「え!?なんで摩美ちゃんが二人!?」
「忙しいから分身の術使ったのよ!細かいこと気にしない!」
「ええー!!」
ってな、感じ。
「勇作も厨房でいつも二人に分身してやってたのよ。知らなかったの?」
「うっそー!!」
と、さらに付け加えて。
「こらこら、うそ言うな」
そう言って傍に来た希美が言った。
「摩美2号です。よろしくね」
「あははは」
お茶目な希美だった。