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陽の光が招くから  作者: ごま40
3/5

青春は青空に溶けて

孝幸(たかゆき)だよね?」


彼女の声には純粋な好奇心がこもっていた。

この数年で身長も伸びたし、骨格も男らしくなったので分かるはずがないと高をくくっていた。

全くの準備不足だった。

久々にこの周波が鼓膜を揺らしたので体が驚いてしまっている。

名前まで呼ばれて、人違いだというわけにはいかない。

絞り出すようにしゃがれた声で反応する。


「え、うん。瑠衣?」


彼女の名前を呼ぶのはもどかしく、くすぐたかった。

心の中では何度も呼んだ名前、小さい頃は何度も呼んだ名前。

かつては何も考えずに呼べたのに、今は変な汗と一緒に出てきた。

心の中は混沌として、理性や考えはどこかに吹き飛んでしまったみたいだった。

ここで取り乱すのは恥ずかしいことに思われた。

何より私は彼女に余裕のない男だと思われるのが嫌だった。

この焦りが伝わっていないか気が気じゃなかったが、なんとか取り繕った。


「えー、懐かしい」


朗らかな笑みを浮かべて彼女は言う。

どうやら不自然ではなかったらしい。

それもそうだ。

何年も合っていない人間の自然な状態など分かるはずもない。

一目で分かるようなおかしさがなければきっと大丈夫だろう。

そう考えると、平静を保つことが出来た。


「でもどうして?」


私は女性が苦手である前に会話が苦手だった。

さらに、彼女を意識するとその低い能力に拍車がかかるようだ。

オーバーヒートする言語中枢を働かせて、気取られない会話を演出しなければいけない。

彼女はとても魅力的で天使のような姿だったが、今目の前に立っているのは難題を吹っかける悪魔のようだ。


「気分転換。昔植えた桜を見に来たんだ。孝幸は?」


彼女の奥底はどこまでも光が差しているようで、下心が透けて見えるようにタジタジになる私に対して、まるで昨日も会ったかのように笑いかけてくれる。

そんな彼女に当てられて陥りかけたパニックから解放された。

報いねばならない。

なんとかこの笑顔を絶やさないようにしなくてはならないと一方的に思っていた。


「僕は高みからまちを見下ろしに。」


緊張でまちがった表情をしてはいないだろうか。

昔は無邪気に交わした言葉も、今は意味を考えずにはいられない。

年を重ねるにつれて分かっていったのは、言葉や表情の裏に隠された心だ。

相手が何を考えているのか分からなくて怖い。

他人は自分にはない過去があり、知らない思考のプロセスを持っている。

知識もまちまちで、同じ単語でも与える印象、ニュアンスは違うかもしれない。

皮一枚かぶった裏側にある感情を、考えれば考えるほど恐ろしかった。

そして何よりも自分自身が見透かされるのが怖い。

言葉を発せばそれだけ相手にヒントを与えている気になって、いつしか会話さえも嫌なことになっていた。

それでも彼女だけには自分をごまかしたくはなかった。思ったことをそのまま口に出した。


「何それ意味わかんない。ふふ、変わんないね。」


「へ?」


こんなにもすべてが変わっているというのに。

君とは目も合わせられない、どうしようもないやつになってしまったのに、彼女は笑ってくれている。


「変わってるとこが変わらないってこと」


そう言って彼女は昔のような悪戯っぽい笑みを浮かべた。

小さく出来るえくぼさえも変わっていなかった。

私はこの笑顔に惹かれていたのかもしれない。

普段の憎まれ口とのギャップも魅力だが、笑顔だけでも十分に人を引きつける魔力を持っていた。

前に立っているだけで顔が熱くなる。

表情を隠すようにうつむいた。

私はきっと、相当気味悪く微笑んでいるに違いない。


「そうかな?」


独り言のようにつぶやいた。

彼女には聞こえていないだろう。


「一緒に行こう」


彼女はそう言って歩き出したので、半歩後ろをついて行った。


登山道は途中まで一緒だった。

私たちはお互いの近況報告や、共通の友人たちの惚れた腫れたなど、たわいもない話で盛り上がった。

会話の苦手な私は、いつもならば自分の好きなことばかりを嬉々として話すのに今日に限っては聞き役に徹していた。

楽しい、楽しい時間だった。

あっという間に終わってしまいそうだった。

そして彼女に恋をした者として、どうしても聞きたいことがあった。

どんな話題であっても、その質問は今か今かと出所を探していた。

それは喉元まではくるものの、口から声になって出ていくことはなかった。

そうして、私たちは岐路にたどり着いてしまった。


「じゃ、またね」


彼女はまるで、明日も会えるかのように挨拶をする。

ここで呼び止めるのは、彼女に下心があるようで憚られた。

当然それはあったのだが、私の恋愛のレベルは、ここで声をかけられるほど発達していなかった。

高いところを目指すといった手前、順路を変更するのもかっこ悪いことのように感じた。


「また」


できる限り爽やかに、まるで未練などみじんもないように、去りゆく彼女に手を振った。

彼女の後ろ姿が見えなくなるまでその場に立っていた。

時折あの悪戯っぽい笑みを浮かべて彼女は振り返ったので、私は大きく手を振った。

すると彼女も手を振り返してくれた。

それは甘美な時間だった。

永遠に続いて欲しいと思っていた。

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