05 スマートグラス
ショーマは次の日から、人間とモンスターが共存する、この不思議な昭和の世界での活動を開始した。
まずは、今いる場所の情報収集。
家は東京西部のはずれにある、築100年は経っていそうな平屋の古民家。
もともとは大きな一軒家だったものを、大半を取り壊して一部だけ残し、賃貸にしたものらしい。
そのせいか、とんでもなく狭い。
間取りは畳張りの四畳半の居間に、玄関と台所と風呂とトイレのある板間。
流し台はステンレスなどでなくタイル張り。
給湯器はなく、水道と小さなガスコンロのみ。
風呂も同じくタイル貼りで、以前は薪で沸かすタイプのものをガス、いわゆる『バランス釜』に改造したものだった。
トイレはもちろん和式の汲み取り式。
居間には小さな縁側があり、その先には無駄に広い庭がある。
隣に住んでいる大家の家と、庭どうしで繋がっているらしい。
拠点となる場所の情報はわかったので、ショーマは次に、置かれた立場について整理した。
まず自分、月城ショーマ、6歳。小学1年生。
初めての夏休みを迎える前に両親を事故で失い、そのショックで今まで幼児退行していた。
それまでの記憶は、綺麗さっぱりない。
しかし『かつていた世界』の記憶だけは、鮮明に残っている。
となるとショーマは天涯孤独の身のはずなのだが、ふたりほど家族がいた。
ひとりめは月城アーネスト。11歳の小学五年生。
『スーア』と呼ばれる異世界からやって来て、こっちの世界に住んでいるエルフである。
ショーマと同じ、近くにある小学校に通っているらしい。
もちろん、実の姉ではない。
ふたりめは月城ママリア。16歳の高校1年生。
同じく『スーア』からやって来て、こっちの世界に住んでいる淫魔である。
そしてもちろん、実の母ではない。
なのだが、ショーマの実の母とは友達だったらしく、その関係で、事故後に施設に入れられようとしていたショーマを引き取ってくれたらしい。
近くの高校に通いながら、放課後に弁当屋でアルバイトをして、一家を支えている。
老夫婦が営むという、その弁当屋は潰れかけていたのだが、ママリアが働き始めてからは看板娘となり、それ目当てに男どもが行列を作るようになって、持ち直したそうだ。
ちなみに、時給200円。
このことをママリアから聞いたショーマは、
「200円!?」
とメガネごと目が飛び出さんばかりに驚いていた。
「いくらなんでも安すぎだろ!? ゴーストスイーパーの助手よりちょっといいくらいじゃねぇか!」
しかし、母娘は幸せそうであった。
「そうでしょうか? でもあまったお惣菜を頂けるので、とても助かっているんですよ」
「ママがたまに貰ってくる唐揚げが、すっごくおいしいのよ!」
そして少年は、当面のやるべきことを見出す。
――俺たち一家は、とんでもなく貧乏なんだ……!
しかも当人たちは、それを何とも思っていない……!
どうりで、3食ずっともらい物の素麺のはずだ……!
よぉし、まずは金だ……!
金を儲けて、生活レベルを上げねぇと……!
このままじゃ、前の人生よりも悲惨な人生になっちまうかもしれねぇ……!
ショーマは頭を捻った。
手っ取り早く儲ける方法は、何かないかと。
そしてふと板間にある、野菜を包んでいる古新聞が目に入った。
――宝くじで1等でも当たれば、一気に億万長者なんだがなぁ……。
この時代の宝くじってたしか、1等が一千万円くらいだっけ……?
……そうだ! 宝くじだ!
俺は未来からやって来たようなもんだから、当たりの番号を調べれば……!
……って、だめか。
たとえ番号がわかったとしても、そのくじをどうやって手に入れるってんだ。
いや、待てよ……。
なら、競馬とかならいけるんじゃ……?
俺が『かつていた世界』と今いる世界とじゃ、微妙に起こる出来事が違ってるんだが……。
日本初のハンバーガーショップがオープンするとか、大筋は一緒なんだよな……。
だとしたら、試してみる価値はあるかもしれねぇな……。
そこまで考えに至ったところで、ハッとなる。
――しまった!
この時代の競馬の結果を調べようにも、インターネットがねぇじゃねぇか!
ずっとネットがある生活が当たり前だったから、つい忘れてたぜ……!
あ~あ、ここに『ルールル』があればなぁ……!
『ルールル』というのは、ショーマが『かつていた世界』にあった、インターネット関連サービスの巨大企業である。
インターネットで調べものをすることが、『ルルる』というスラングになるほど、生活に浸透していた。
当然ながら『ルールル』の設立は何年も先、ショーマがオッサンに片脚を突っ込んだあたりの頃だ。
しかし……。
今はまだ少年であるの彼が、『ルールル』という単語を頭に思い浮かべた途端……。
信じられないことが起こった。
忘れもしない、虹色のボールたちが、目の前で弾けたかと思うと……。
『イエス、なにかご用ですか?』
音声合成による女性の声が、脳内に響き渡った……!
忘れもしない、それは……!
――『ルールル』……!?
突然のことに、ひとり飛び退くくらいに驚いてしまったショーマ。
かけていたメガネを外して、しげしげと眺める。
――なんでこの世界に、ルールルのスマートグラスがあるんだっ!?
それになんでメガネだけ、こっちの世界に引き継がれてるんだっ!?
ショーマは『かつていた世界』で、ルールルの最新型のメガネ型デバイス……。
いわゆるスマートグラスのモニターに当選していた。
今思えば、彼の人生にとって唯一の『幸運』ともいえる出来事だったのだが……。
それを死ぬときまで、肌身離さずにいた。
最新鋭のスマートグラスは、人体に微弱に流れる電流で充電するため、電源は不要。
また脳波コントロール機能もあるので、こうして『思う』だけで制御できるのだ。
ショーマにとっての謎はまたひとつ増えてしまったが、今はそれどころではない。
砂漠のオアシスに飛び込むような気持ちで、彼は思い願う。
――ルールル!
今は何年何月何日だ!?
『イエス、1971年の8月2日です』
――この先の日付の、競馬の結果を教えてくれ!
『イエス、お調べいたします』
すると『かつていた世界』と何ら変わらない調子で、ショーマの目の前にずらずらと検索結果が並ぶ。
それはこれから起こるのであろう、競馬の着順であった。
来年の1972年の結果には、競馬ブームを起こした名馬『バイセコー』の名前もある……!
「……ショーマさん? あの、どうされましたか? 急に遠い目をされて……」
「ショーマ、いったいどうしちゃったのよ? 話の途中で難しい顔をしたと思ったら、いきなり飛び上がったうえに、目をあらぬ方向にギョロギョロさせて……カエルにでも取り憑かれたの?」
いつの間にか、母娘がショーマに寄り添っていた。
ママリアは不安そうに手を握りしめ、アーネストはいぶかしげにほっぺたをムニムニしている。
カッ! と目を見開いた少年は、やにわに叫んだ。
「……馬券だっ! 馬券を買うぞっ!!」




