04 決意
「ママは、淫魔なのです……。はしたないママで、申し訳ございません……」
ママリアはさも申し訳なさそうに土下座すると、三つ指ついて深々と頭を下げた。
身体を伏せた拍子に胸が押しつぶされ、むにゅりと両脇からはみ出ている。
頭についている角は、まるで叱られた犬耳みたいにしおれていた。
「っていうかショーマ、そんな基本的なことまで忘れちゃったの? ママが淫魔で、お姉ちゃんがエルフだってことは覚えてるかと思ったのに」
アーネストは「そこから?」みたいに、気だるそうに吐き捨てた。
ワンピースのスカートの中が見えそうな立て膝で、胸元をパタパタ、団扇をパタパタしている。
ツインテールの間から覗く長い耳まで、パタパタしていた。
対象的な態度をとるふたりの異世界人を前に、ショーマは思う。
――子供の頃に、戻っちまっただけじゃねぇ……。
モンスターと共存している世界に来ちまっただけじゃねぇ……。
まさかモンスターどもが、こんな身近にいただなんて……!
でもコイツらは、俺を取って食おうってわけじゃなさそうだ。
しかし、俺の本当の母と姉ってわけでもない。
俺の本当の両親が事故って、引き取ったって言ってたからな。
彼の思考の隅で、柱にかかった振り子の古時計が、ボーンと音をたてていた。
「あっ、そろそろお昼ですね。それじゃあ今日は、ハンバーガーにいたしましょうか」
「ええっ、ホント!? やったぁ!」
立ち上がって支度を始める母と、諸手を挙げて喜ぶ姉。
そして出てきた『ハンバーガー』は、パンの耳にそうめんを挟んだものだった。
アーネストはブーたれていたが、ショーマはもくもくと食す。
――最初は悪い夢かと思っていたけど、こんなに長い夢はねぇ。
たとえ夢だったとしても、俺はこれから、どうすべきなのか……。
俺は『かつての世界』で、ボロアパートの一室で、ひとり寂しく死んだ。
これは悪い夢で、朝起きたら6歳の頃に戻っているんだって、自分にそう言い聞かせながら……。
でも、いざ本当にそうなったら、こっちを夢だと疑い始めるだなんて……勝手なもんだな。
縁側から差し込む光がオレンジに変わり、それが天井の裸電球のオレンジに変わったころ……。
夕食のそうめんを食べ、そしてまた時計が、ボーンと鳴った。
「ショーマさん、そろそろお風呂に入りませんか? いつもみたいに、ママと、お姉ちゃんと一緒に」
母と姉が異世界人だとわかった途端、ショーマが難しい顔をして黙り込んだので、ママリアはずっと心配していた。
そしてこうやって、事あるごとにショーマに話しかけていたのだが……彼の心はずっと心ここにあらずだった。
もしこれが、ただの入浴の勧めであれば、今までと同じでガン無視していたのだろうが……。
『一緒』にという単語があったせいで、ショーマは雷鳴を耳にしたウサギのようにピクンと反応した。
「マジでっ!?」
ショーマが急に元気になったので、ママリアは岩戸の中から神様が出てきたみたいに、パッと顔を明るくする。
嬉しそうに大きな胸の前で白い指を絡め合わせ、にっこり笑った。
「ええ、もちろん。ショーマさんが事故のショックで寝込まれてからは、ずっと3人で一緒に入っておりましたから。今日もお世話させていただきますね」
嬉々として近づいてきたママリアは、まさに幼子に接するように、ショーマのタンクトップに手をかける。
「さぁさぁ、ぬぎぬぎしてくださいねぇ~。はぁい、ばんざいしてくださぁ~い」
ショーマもショーマで「ばんじゃーい」と諸手を挙げたのだが……。
その肩が、ガシッ! と掴まれる。
「ダメよ! 一緒にお風呂に入るだなんて! 男女7歳にして席を同じゅうせず、よ!」
毅然としたツリ目で睨みつける、アーネストであった。
「俺は6歳ですが何か」
「四捨五入したら10歳でしょうが!」
「でも昨日までは一緒に入ってたんだろ?」
「それはショーマが事故のショックで赤ん坊になってたからよ! 6歳に戻ったんだったら、ダメに決まってるでしょ! ショーマは小学校にあがったばかりでしょう、なのにどうしてそうなの!? まったくもう! ホントに男って、どいつもこいつもハレンチャーなの!?」
それからショーマは、姉の説得にかかった。
彼と一緒に入浴したがる母親も味方につけて、ふたりで説き伏せようとしたのだが……。
姉は頑として首を縦には振らなかった。
ショーマは折衷案として、ショーマとママリアがふたりだけで入るという案も出したのだが、
「ええっ!? それはいけません! ママはお姉ちゃんとも一緒に入りたいです!」
と、今度はママのほうから反対されてしまった。
それぞれの思惑は噛み合わず、平行線を辿ったまま……。
結局、ママリアとアーネストが一緒に入り、ショーマは除け者になってしまった。
彼は、板間にある風呂場から漏れ聞こえてくる、キャッキャと楽しそうな声を聞きながら……。
「……なんで?」
かつてないほどに納得のいかない顔で、そこに佇んでいた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
一家は入浴をすませると、ちゃぶ台を片付けて居間に3枚の煎餅布団を敷いた。
ショーマを真ん中にして、両脇にママリアとアーネストの川の字で眠る。
「あんっ、いけませんショーマさん、ちゃんとニンジンも召し上がらないと……あはぁん」とへんな声を漏らしながら眠るママリア。
カーテンで作ったみたいなネグリジェはすでに肩のあたりまでずり下がっていて、夜明けの雪山のような白い肌の急斜面を半分くらい晒している。
そんな状態でたまに寝返りを打つので、ショーマの顔は時折、天国に誘われていた。
「ショーマ、さがってなさい、お姉ちゃんに任せて!」と勇ましい寝言をあげながら眠るアーネスト。
ライオンの着ぐるみみたいなパジャマで、手足をバタバタさせ、寝たまま突きや蹴りを繰り出している。
そんな状態でたまに寝返りを打つので、ショーマの顔には流れ弾がボコボコと当たり、地獄かと思った。
煉獄のような狭間にいるショーマは、ずっとされるがまま。
灯りの消えた裸電球を、満月のようにいつまでも見つめていた。
――もう、アレコレ考えてたって、しょうがねぇな……。
たとえ、長い夢だったとしても……。
生きてみるか、この新しい世界で……!
歩いてみるか、この新しい人生を……!
コイツらと、ともに……!
目覚めてから、いろいろなことがあったが……。
少年に戻ったオッサンは、ついに決意した。
いままではずっと夢の中にいるようだったが、心を決めたとたん、すべてが現実みたいに思えてくる。
年老いた眼を通した、古ぼけたフィルムみたいな、くすんだ世界ではなく……。
すべてがキラキラと輝いて見える、総天然色のテレビみたいな、あの頃の世界に……!