02 天国から昭和へ
ママと名乗るママリアと、アーネストと名乗るお姉ちゃん。
彼女たちは本当にショーマの肉親であるかのように振る舞っている。
しかし名前を聞いたところで、ショーマの記憶はますます混乱するばかりであった。
――そもそも俺はひとりっ子で、姉なんていねぇ。
それに俺の両親は、6歳の夏休みの前に事故で亡くなったんだ。
いやいや、それ以前に……。
コイツらはどう見たって、俺より歳下だ。
そのことに気付くと、彼の頭によからぬものがよぎった。
真実を究明する名探偵のように、メガネのレンズが白く光る。
「……で、お前らは俺を、どうするつもりなんだ?」
ショーマの口調が急に鋭くなったので、顔を見合わせるふたり。
「ショーマさん。どうって、どういうことでしょうか?」
「ショーマ! あんた本当におかしくなったんじゃない!?」
ショーマの頭と心は混迷をきわめ、もはや限界であった。
そこにきて母姉がとぼけるようなことを言ったので、ついにキレてしまった。
「おかしいのはお前らのほうだ! お前らは何歳だ!? 言ってみろ!?」
ダンッ! とちゃぶ台を叩くと、ふたりはビクッ! と肩をすくめる。
「ま、ママは16歳、高校1年生ですけど……」
「お、お姉ちゃんは11歳、小学五年生だけど……」
学年まで尋ねた覚えはなかったのだが、まあいい。
ママのほうはとても高校1年生には見えなかったが、まあいい。
それよりも、なによりも……!
「ほらみろ! 俺よりも40以上も歳下の母親と姉なんているわけねぇだろ! 人をからかうのもいい加減にしろっ!」
すると、またふたりは顔を見合わせあった。
「大変、お姉ちゃん……!」
「やばいよ、ママ……!」
「ショーマさんは事故のショックで長いこと寝込まれていて、そのあいだずっと赤ちゃんになられてましたけど……」
「ショーマのやつ、起きたら今度はジジイになっちゃったっていうの!?」
そしてふっと、ショーマのほうに向き直る。
「ううっ、せっかくお元気になられたと思ったのに、そんな……! でもでも……。赤ちゃんのショーマさんも可愛かったですけど、おじいさんになられたショーマさんも、案外……」
「そんなのいやよ! 6歳の弟が赤ちゃんになっただけでも嫌だったのに、ボケジジイなんてとんでもないわ!」
「ハンッ! お前らにはこの俺が、小学校にあがったばかりのクソガキに見えるってのかよ!?」
すると、コクコクと頷き返された。
「ふざけるなっ! 俺のどこをどう見たら、6歳に見えるんでぇ!?」
思わずべらんめぇ口調になるショーマに、おろおろするママリア。
埒があかないとばかりにアーネストは、傍らにあったマジックハンドを掴む。
それをびよんと伸ばして、ショウマの横にあった鏡台の布を取り払った。
つられて鏡のほうを向いていたショウマは、マトモに目撃してしまう。
拾われたばかりの子猫のように、精一杯に牙を剥いて威嚇している、怖いというよりも微笑ましい表情の……!
崖の上の一軒家に住んでいそうな、幼い子供の姿を……!
「なっ!?」と息を呑むと、鏡の向こうの子供も、同じようなリアクションを取っていた。
そして、さらなる衝撃が目に飛び込んでくる。
それは、鏡の上部に映り込でいた、壁掛けのカレンダーであった。
薬局かなにかのカレンダーのようで、和服の女性が蚊取り線香を構えていて、時代錯誤な……。
いや、そんなことは今はどうでもいい。
問題はそのカレンダーが示している、日付であった。
「しょ……昭和46年……8月……1日……!?」
ハンマーで2発連続で殴られたような衝撃が、男を襲った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
それから、男は……。
いや、かつてはオッサンであった少年は……。
まず、ちゃぶ台をひっくり返し、奇声をあげて転げ回った。
それから、みんなで俺を騙しているんだろうと、ママリアに詰め寄り、おっぱいをわし掴みに……。
アーネストにも同じことをして、「かなりまな板だよコレ!」と正直な感想を言ったところ、ボコボコにされ……。
さらには、新聞やテレビを確認してみたが、どれもたしかに昭和46年で……。
縁側から転げ落ちんばかりにあたりを見回してみても、昭和の風景で……。
とうとう外にまで飛び出したのだが、危うく三輪の車に轢かれかけ……。
ようやく、正気を取り戻した。
ショーマは落ち着いたところで改めて、ママリアとアーネストに深く事情を伺ったところ……。
少年は、初めての夏休みを迎える前に、両親を事故で失っていた。
そのショックで、少年は胎児のように身体を丸め、親指を咥えたまま寝たきりになっていたそうだ。
引き取り手もおらず、施設送りになるところだったのを、両親の友達であったママリアが保護を申し出た。
そして、ずっとこの家で看病をしていたそうなのだが、8月に入ったばかりの今日、突然目覚めたというわけだ。
その話を聞いて、6歳のショーマはさらに混乱した。
――たしかに俺は、小学1年の夏休みを迎える前に……両親を事故で失った。
そしていっとき廃人みたいになっちまったんだが、親戚のババアに引き取られたんだよな。
こんなバブみの塊みたいな巨乳JKと、ツンデレの塊みたいなまな板JSでは、決してなくて……。
ババアはいじわるばあさんみたいだったし、ソイツに甘やかされて育ったクソデブのガキどもに、俺はオモチャにされたんだ。
それからだ、俺の転落人生が始まったのは……。
俺は別の人間に生まれ変わったとかいうわけではなく、月城ショーマのままで、子供に戻っちまったようなのに……。
ところどころ境遇が違っているのは、なぜなんだ?
しかしこればかりは、いくら考えたところでわかるはずもなかった。
なにせありえないことだらけで、なにひとつ理解できることなどなかったからだ。
――とりあえず、今は少しでも……。
身の回りにある情報を集めることに、徹するんだ……!
そう決意したところで、ショーマの腹がグーッと鳴った。
「ああ、ショーマさん。ずっと眠られておりましたから、お腹がペコさんなんですね。気がつかなくてごめんなさい。朝ご飯にしましょうか」
ママリアはそう言って立ち上がる。
大きな胸をゆさゆさ揺らしながら、ショーマのいる居間と、隣の板張りの間の台所を往復して、食事の支度をととのえた。
ちゃぶ台の上には、ごはん、味噌汁、卵焼き、漬物……。
そして麦茶が3人分用意される。
それは恐ろしいほどに質素な食事だが、生まれ変わる前、数日もの間なにも食べていなかったショーマにとってはごちそうだった。
なかでも味噌汁には素麺が入っていて、ツルツルとした麺に汁が絡んで、飲み下すと温かいものが胃の中に落ちていって、思わず……。
「くぅぅ~っ!」
と唸ってしまうほどのうまさだった。
「ショーマさん、おいしいですか? よかった。お素麺だったらご近所さまから頂いたものがたくさんありますので、いっぱい召し上がってくださいね」
ショーマの回復を心から喜ぶかのように、にっこり微笑むママリア。
しかしアーネストは不服そうだった。
「久々に食べたんだったら、なんだっておいしいでしょ。それよりもママぁ。お姉ちゃんはここんとこずっと素麺ばっかり食べてたから、飽き飽きしてるの! たまには別のものが食べたいわ!」
彼女は箸を加えたまま、傍らにあったマジックハンドを取ると、部屋の隅に鎮座しているテレビに向かって伸ばした。
それは四つ足に室内アンテナ、そのうえダイヤル式という、骨董品のようなシロモノだ。
パチンと電源スイッチが引っ張られると、くすんだフィルムのような映像が映し出される。
『私はいま、先月の20日に銀座にオープンした、「モンスターバーガー」の前に来ております! 見てください! 朝からこんなに大勢の人で賑わっています!』
スピーカーから流れるアナウンスに、ジャラシを見つけた猫のように反応するアーネスト。
「あっ! 見て見て! 『モンスターバーガー』よ! いまここの『ハンバーガー』を食べながら銀座を歩くのが流行ってるんですって!」
「『ハンバーガー』って、どんな食べ物なんですか?」
「ママは本当に流行に疎いわねぇ! パンで肉を挟んだ食べ物よ! すっごく美味しいらしいわ!」
「パンでお肉を……? ああ、サンドイッチのことですね。それなら食パンがありますから、お昼にでも……」
「って、家にある食パンは耳だけでしょ!? それに挟む肉なんてないでしょーがっ!」
美少女たちのやりとりを尻目に、テレビをポカンと眺めていたショーマ。
ハンバーガーごときに一喜一憂する、ママリアとアーネストの浮世離れっぷりも気になったが……。
しかし、そんなことがどうでもよくなるくらいの衝撃映像が、ブラウン管にはあったのだ……!