プロローグ
赤井昴は普通の子どもだった。いや、ちょっと変わった子どもではあったが、普通の変わった子だったのである。その変わりようは異常な物でも非凡なものではなかった。子どもによくありがちな程度のちょっとおかしな子だったのである。忘れ物が異常に多かったが、それ以外は至って普通な程度に変わった子であった。
異変を感じたのは高校生の頃である。それまでは学生一人一人に名札があったが、高校生からは名札が無くなったために顔や名前を上手く覚えられなかったのである。本人は特別おかしい事だとは思っていなかったが、元から相貌失認に近いような記憶力の悪さがあったのである。相貌失認と違うのは全く顔を覚えられない訳ではない事である。全く覚えられないわけという訳ではないのだが、ただ顔を覚えるのが異常に苦手なのだ。
また、名前を覚えるのも同じくらい苦手であった。それまでは名札があったから自然に名前を覚えていったが、高校生からは名札が無くなったため名前を中々覚えられなかった。昴本人はこの時まだ無自覚であったが、目で見て名前を覚える事は出来るのに、耳で聴いて名前を覚える事は苦手だったのである。
昴自身はテレビで相貌失認という病気を知っていたため、自分も軽度な相貌失認の気があるのかなぐらいにしか思っていなかった。しかし、高校生活を過ごしている内に極めつけて違和感を覚える事があった。
小中学校までは授業中寝るような生徒は居なかった。だが、高校生になってから異常に授業中に寝るような学生が増えたのである。当然、その学生たちは寝ている間の授業は頭に入っていない。しかし、ちゃんと起きている時は授業が頭に入っているのである。昴はこの当たり前な事に驚き、違和感を覚えた。それはというのは、昴は授業中寝る事など無く真面目にノートを写していたが、授業中の話をまともに聞いたことは一度もなかったのである。
授業中ノートはきちんと写していたが授業の話は半分も頭に入っていなかった。ほとんどが右の耳にも左の耳に入らなかったのである。左の耳から右の耳に抜けていけば一度は頭に入っているので思い出す事もあるだろうが、そもそも耳の中にすら入っていないのである。頭が勝手に耳をシャットアウトしてしまうのだ。それは授業中に限らず、登下校中でも休み時間でも起こっていた。授業中でも休み時間でも自転車での通学中でも、過去の記憶や空想・妄想等の色々な考えが頭に沸いてきてしまい、その考えに注意が向いてしまいボーと意識が自分の世界に入ってしまうのである。ただその状態でもノートを写す事も、自転車を運転する事もできるのである。赤信号であれば何か他の事を考えていても条件反射で止まるのである。そして、青信号でも条件反射で進むが、青は赤ほど強く反応しないのかたまに青に気が付かないでいてしまうこともあったがそれも殆どない。無意識に登下校するルーチンが出来上がっていたのである。そんなわけで日常生活を営む上でとりわけ困る事は少なかったのである。
昴はそれが普通の事だと思っていたのである。授業中に話が頭に入っていないのは皆同じだと思っていたのだ。だがしかし、違ったのだ。普段、授業中寝ている人でも起きている時はちゃんと先生の話を理解していたのである。高校生になるまでは全く気が付かなかった。
家族に病院に診て貰いたいと相談したが、ノートと教科書だけでなんとか勉強していたおかげで学校の成績には問題が無かったため、また昴の説明が下手糞だったので「集中力が無い」ぐらいしか言えずにいたため、悩みの深刻さが上手く伝わっておらず、病院には行くことができなかった。何度も両親に相談したが、成績には問題がなかったためか「別に普通でしょ」「どこもおかしくないよ」等とあしらわれて相手にされなかったのである。
相変わらず忘れものは多かったが、専業主婦の母親に連絡し持ってきて貰っていたため、学校生活には支障を来たす程のものではなかった。
そうこうしている内に大学生になった。大学生でも当然名札はなく、教科書がない科目もあるため、この悩みはより深刻なものになった。なんとか母親を説得し、病院に行くことができた。最初に行ったのは脳外科である。しかし、ここでは何も異常が無かった。そこでは、お医者さんには「集中力が無いとかの症状は精神科に相談すべきだ」と言われた。
そして、18歳の時にようやく精神科に行くことになったのである。ここでは「広汎性発達障害」と診断された。が、治療法は特にないらしく長年の悩みが解消される事はなった。軽い鬱もあると言われており、薬も処方されていたが、飽くまで鬱の薬で発達障害が治るわけではないので、薬をもらうために通院するのを止めてしまった。
そもそもお医者さんの説明も昴には良く理解できていなかったのである。代わりに診断に同伴した母親が話をきいていた。お医者さんは福祉手帳を申請する事を母に進めた。母は言われた通り手帳の申請をしようとした。しかし、手帳が申請されることはなかった。昴にはなぜそんな事になったのか理解できなかった。そして、発達障害の診断が間違いで手帳が申請できなかったのかなと思いこんだ。その後も両親からも「何ともない普通だよ」と言われたため、そのうち発達障害と言われたことを考えないようになり、いつしか忘れてしまった。
発達障害と診断された事をすっかり忘れていた昴は何とか単位を落とす事無く大学4年生になっていた。いよいよ就職である。しかし、聞かれたことをしゃべるだけのテープレコーダーのようだと言われ、面接が上手くいかなかった。想定内の質問にはテープレコーダーのように思い出しながら淡々としゃべる事しかできず、想定外の質問には全く上手く答えられない。中学受験の時の面接も、高校受験の時の面接の時もそうであった。何度練習しても面接にはどうしても慣れなかったのである。そんなこんなで面接で落とされ続けていたのである。
そんな時、陸上自衛隊の広報官に声を掛けられた。試しに受けてみる事にした。しかし、陸上自衛隊でも面接があり、そこでもテープレコーダーのようにしか答えられなかった。また、予め用意していた回答を別の質問の時に答えてしまうというミスも犯してしまった。
しかし、そんなこんなでもなんとか陸上自衛隊に合格する事ができたのである。人生初の内定がきまったのだ。そして大学を無事に卒業し、22歳で陸上自衛隊に入隊する事になるが----、……。