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捨ても得ず亡き人の想い沙魚の竿
平成十三年十二月
我が家の墓は雑司ヶ谷にある。
家からそれほど遠くではないが、あまりお参りには行っていない。年に一回か二回。要するに親孝行ではないということか。
それでも戦時中、疎開していたときは両親に会いたかった。
画用紙に二人の顔を描いて壁に貼り、東京管区の空襲警報を聞く度に無事を祈っていたのだが。
夕方近く、墓詣でをした時のこと、何時も立ち寄るお茶屋に水桶と箒を戻し、ガラス越しの墓地がすっかり闇に没するのを、お茶を啜りながら眺めていた。
大きな置火鉢には薬缶が置かれ、この場に相応しい、くすみ切ったオバサンが座っていた。
それは見慣れた光景だったが、その背にした壁には古びた布袋に納められた釣竿が横に幾振りも掛けられていた。
薄暗い電灯と、埃にまみれ周囲となんの違和感も無く溶け込んでいた。
そういえば、亡くなった亭主は、かなりの釣キチだった。