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法華経と鳴く鶯や春便り
平成十二年十月
このセコい句は信心深い祖母から、お小遣いをせしめるために作ったモノで、ガキの頃の作である。
後日、俳句を志して思い出す度に、小手先だけの生き様を垣間見る思いがして不快な気分になる。
大岩旅人木さんから「沼杏」の会にお誘いを受けた経緯を書いたが、単に員数合わせであって、まさか、わたしが俳句の道に嵌っていくとは思っていなかったに違いない。
所詮は五七五、季語を除けば十二音字。何とかなるさとイージーな性格が首を擡げたのだ。
しかし自分の気持ちを言葉に替える作業は、むしろ苦悩であることに気付いてきた。
最初の句会のとき、「選句で自分の句を選んではいけないのですか?」と質問して杏子先生を仰天させた苦い記憶がある。
自意識過剰か、ド素人だったのか、自分自身、未だに分からない。