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秋や昔櫓下にて海苔を干す
平成十八年五月
昭和三十年半ば、ここ佃や深川では、道っ端に収穫した海苔を簀の子で干していた。簣の子といっても若い人には馴染みが無いかも知れない。
その説明はどうでも良いとして、食品種類の多さ、処理の仕方。兵器、航空機、ITにいたっては……総てが、日に夜を継いで変貌を重ねている。有史以来、こんなに変貌した世紀があっただろうか。
門前仲町は江戸時代、永代寺の門前町として賑はっていたという。江戸湾を漕ぎ上がり、微かに燈る櫓の灯を目指し気合を入て漕ぐ。
櫓とは今でいう灯台(常夜灯)のことで、門前仲町は櫓下とも言われていた。
ちなみにこの一帯は、お台場の砲台建設と時を同じく構築され、以来埋め立て作業の嚆矢となった。
特に最近はオリンピックや、魚河岸の誘致のため、更に広大な埋立地と化している。大東京を賄う術とも思える。