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友逝きぬ一期一会の独楽の芯
平成十七年四月
望月良夫先生。
「沼津の文化を語る会」「沼杏」その他十指に余る会を率い地域文化リーダーだった。誠に不思議な人物といえる。
機関紙「沼声」の巻頭は各界の著名人のエッセイで飾られていた。その時の会報だけでも二百八十号を迎えていたのだから驚きである。
其の他「耶馬代国」の研究から、古代言語の研究に至るまで多岐に亘っていた。
彼がご存命なら、今頃は「○○の会」と称する会が五十ではきかないのではあるまいか。食についても傑出していた。
たとえば、酒は「越乃寒梅」一点張り。
しかも手酌。お酌はご法度。
寿司は沼津の双葉と決まっていた。
いささか独裁的専制君主の色彩が濃厚だが不思議に人気があった。
わたしにとっても彼が居たからこそ、多くの知己を得たことは確かだし、こうして「沼杏」に参加することも出来たのだ。
まさに独楽の芯的存在だった。