四つ子の魂
山本家には三つ子の男の子がいます。
芹、蕗、葦という名前は、植物好きのお父さんがつけたものです。
本当はもう一人、女の子もいたのですが、お母さんのお腹から出ることなく亡くなりました。芹たちは、時々、その子のことを話します。
無事に生まれて育っていたらどんな女の子だったか。
きっと可愛かったに違いないとか。
芹も蕗も葦も今年で小学三年生になります。
そろそろ、女の子という生き物に興味を持つお年頃だったのです。
芹は勉強が出来ます。
蕗はかけっこが得意です。
葦には、特に取り柄はありませんが、三つ子の中で一番、友達が多いのでした。
その年の夏休み、三人は近所の渓流にお父さんとお母さんと一緒に行きました。ごつごつした岩肌に、こびりつくように緑が生えています。河童の子と思われるくらい泳ぎの上手な三人でしたが、まだ油断は出来ないとお父さんが判断して、同行したのです。
水は切れるほど冷たくて、けれど慣れる内に三人は水遊びに夢中になりました。
「あ」
「どうした? 葦」
「今、青い小鳥が向こうの繁みのほうに飛んで行ったんだ」
「オオルリかな」
博識の芹が言います。
「僕、追いかけてくる! 父さんたちに言っといて!」
葦はパーカーを羽織ると、樹林に向けて駆けて行きました。
何か、とても大事なものに出逢える予感がするのです。
蕗みたいに速く走れたら、と思いながら葦が駆けていると、目の前が開け、古びた民家が現れました。鶏が庭の餌をついばみ、着物を着た白髪のおばあさんが、糸車を回しています。まるで日本昔話の世界です。おばあさんは葦に気づくと、に、と笑いました。上の歯が一本、欠けています。
「ようきなすったなあ、坊ちゃんも、嬢ちゃんも」
「え? 嬢ちゃんって?」
「あんたの隣におるじゃろうが」
葦がおばあさんの言葉に横を向くと、確かにそこにはおさげ髪を垂らした青いワンピースの子がいました。さっきまでは絶対にいませんでした。葦はぞっとしました。ぞっとすると同時に、ふと女の子を懐かしいと感じました。ふわりと桃色浮かぶ頬。くりんと上を向いた睫毛。なぜか女の子は、おばあさんを警戒しているようです。
「おいで。お茶でも飲みなさい」
おばあさんに手招きされ、葦と女の子は縁側に腰掛けました。
葦は思い切って女の子に話しかけました。
「僕、君のことを知ってる気がする。どこかで会ったかな」
「私もあなたのことを知ってるわ。ずっと、ずっと前から」
女の子ってどうしてこうなんだろう、と葦はじれったく思います。おませで、ちょっと意地悪。ストレートで話してくれない。
おばあさんが持ってきてくれたお茶と蓬餅をいただきながら、葦は少しむっとしていました。
「食べた」
突然、鶏が叫びました。
おばあさんがにたりと笑います。
「ああ、食べたね」
どういうことでしょう。先ほどまで優し気だったおばあさんが、急に鬼のような形相になりました。すると女の子が葦の手を掴んで走り出します。
「私が来たことで道が出来てしまったのね……。あの家は黄泉と通じているの。あなたはその食べ物を食べてしまった。あのおばあさんから逃げきれないと、元の世界に帰れなくなるわ」
息も切らさず、女の子が走りながら喋ります。
よく舌を噛まないなと葦は場違いなことを考えていました。
「食べる前に止めてくれたって……」
「止めようとしたわよ。でもあなた、その前にがっついちゃうんですもの」
葦は赤面しました。お昼前で空腹だったのは事実です。
「まああてええええ」
「君、三枚のお札とか持ってないの」
「ないわよ、そんなの!」
おばあさんが、もう鬼婆となって追いかけてきます。着物の裾が乱れに乱れて、節ばった色の悪い脚が見えます。
女の子が舌打ちしました。
ふ、とその姿が緑の靄になったかと思うと、鬼婆に覆い被さりました。
途端に響く断末魔。
葦は、今度は蒼褪めて女の子がどうなったかと見ていました。
『お兄ちゃん。一緒に過ごせて楽しかった。ちょっとアクシデントが起きちゃったけど、ごめんね?』
可愛い声がどこからともなく降ってきて、葦は気づくと泣いていました。あの女の子が誰だか、葦にはようやく解ったのです。
それは生まれてくることのなかった妹・なずなでした。
なずなは春の七草でもあり、魔除けともなります。
ふわりと桃色浮かぶ頬。くりんと上を向いた睫毛は、お母さんにそっくりだったのです。
(ありがとう、なずな)
今の出来事を兄弟たちに話そうと葦は思いました。
ほんの少し、なずなが好きだったことは、内緒です。