34・まだ眠れない真夜中のサロンで
「私はテレサの、ああいう鉄火なところに惚れたんだよね。
前の失恋からそれほど時間が経ってなかったのに、女性というのはこういうものだという概念が、テレサと会った途端にひっくり返された。」
……宴も人質騒ぎも終わって、くたくたになった私は、両親とともにバアル様に付き添われ、王宮の馬車で実家に帰ってきていた。
状況の確認などに立ち合わされ、帰り着いたのがほぼ真夜中だった為、王宮へ引き返そうとするバアル様を総出で引き留め、今夜は泊まっていただく事にして客間を用意する間、お茶を飲みつつサロンで談笑しているのが、現在の状況である。
ちなみに、そんな時間だったにもかかわらず、エントランスに迎えに出てくれたメルクールが、バアル様を見た瞬間、
「え……英雄バアル?マジ!?すげえ、本物だ!
公式行事以外で、しかもこんな間近で見たの初めてだよ、俺!!
ナマ英雄メッチャかっこいい、超ヤバイ!!」
と、子供の頃ならよく聞いていたけど、大きくなってからは終ぞ聞かなくなった口調で叫び、バティストに嗜められるという、珍しい場面に遭遇した。
ところで私、本当はここで着替えを終えたら、夜のうちに神殿に戻ろうと思っていたのだが、やはり使用人含めた一家全員で止められ、ならばさっさと休みたいところをサロンに留められて、なんでか知らないがいつのまにか、父の惚気を聞いている……なんの拷問だこれ。
いつもならばそんな私にすぐに気がついて、空気を壊さないよう上手く誘導してさりげなく退席する流れにしてくれるメルクールが、今日は国の英雄と呼ばれる男が自分の家のサロンに居るという状況に興奮しているせいか、私の方なんて見てもいないし。
けど、男の子って大きくなっても、こういった本質は変わらないんだなと思えば、ちょっとだけ微笑ましいかもしれない。
…気がついたら姉の私やダリオより大人になってた感のあるメルクールに、まだこんな一面が残っていたのが意外だから、余計に。
けど、ダリオは子供の頃も、騎士に憧れていた割には、英雄の話とかに乗ってこなかったように思う。
例の王城奪還作戦の時、ずっとバアル様と一緒に行動してたらしいのに、あの後そこについて触れた話とかもしてこなかったし。
まあ、あの時はそういう事、考える余裕のある状況じゃなかったからかもしれないけどね。
昔から、ふたつのこと同時に考えられるタイプじゃないし。
そういう、不器用で融通の効かないところはゲームの『ダイダリオン』にも確かにあったけど……
「…それなのに、結婚した途端大人しくなって、なんかつまらない女になっちゃったなーと思ってた時期にヴァーナが生まれて。」
おっと、いけない。
眠気もあるせいか、意識があさっての方に飛んでいってた。
てゆーか、バアル様だってリアクションに困るんじゃないの、こんな話。
そう思いながら、ちらりと隣に座るバアル様を見上げると、何故か目が合って謎に微笑まれた。
「その日、私は出産予定日だって事、完全に忘れて仕事していてね。
帰ってからブライアンにメッチャ怒られて、慌てて駆けつけた病室に入った途端、投げつけられたスリッパの威力は、さっきのハイヒールの比じゃなかったよ…!」
ちなみにブライアンとはバティストの前任の家令で、私やメルクール、あとうちに頻繁に出入りしていたダリオも、小さい頃はお世話になった。
元々父の世話係だった人で、父がユキジルスを出た時に一緒についてきてくれたんだそうで、高齢で引退した今は、奥さんと一緒にあちらに戻って暮らしているらしい。
お世話になった分、退職金弾んだそうだし。
…我が家の男性従業員のマッチョ率が上がったの、思えば彼が引退した後からじゃないだろうか。
てゆーか……うん、父さん最低。
しかもその最低エピソードを、ちょっと頬赤らめながら嬉しそうに語るってどういう状況なのよ。
「そこから更に、ユキジルスの田舎で育った私ですら聞いたことのないような、平常心ならとても口に出しては言えないだろう言葉で罵られて、変なスイッチ入ったんだよね。
我慢してたのが明後日の方向に爆発したっていうか。」
「アタシだって我慢してたわよ!
最初にそう言ってくれてたら、アタシだって無駄に猫被ったりしなかったわ!」
……けど、そろそろ潮時なんじゃないだろうか。
なんか会話の方向が、若干危険な方に向かってる気がして仕方ない。
「結婚当初は、会う人会う人皆、前のオンナと全然違うなんて言うしさ。
その、前のオンナってひとが貴族のお嬢様だったっていうし、そういうのが好きなんだと思うじゃない。
…けどさすがに次の瞬間に土下座して『悪かった、君の気が済むまで踏んでくれていい』って言われた時は、正直ドン引きしたわー。」
いや待って!
「勘違いして思いつめて猫被るほど、私の事を好きでいてくれたって思ったら、愛おしい通り越して隷属したくなっちゃったからね。」
隷属言うな!
親のそういう話聞きたくなかったです!
そもそもそれ、サロンで優雅にお茶飲みながら語っていいことなの!?
それが私の生まれた日の事である以上、非常に高い確率でその時私もそこにいたんだろうけど、本当にただ存在してただけで、当事者でもなんでもないですからね!?
「…父さん、母さん。そこから先は自重しようか。
バアル卿が、どうリアクション取ったらいいのかそろそろ困ってるから。
…両親が失礼致しました、バアル卿。」
そして、そこまでくればさすがにメルクールが半目になりながらストップをかけてくれたが、なんか色々遅きに失した気がしてならない。
バアル様は、一応両親にも配慮してくれて曖昧に笑いつつ、メルクールに頭下げてるけど。
「……けど本当、あのタイミングでヴァーナが生まれてなかったらと思うとゾッとするな。
多分あの件がなかったら、私たちはすれ違ったまま、仮面夫婦になってたと思うから。」
「………え?」
と、一応は話の方向性だけは修正したらしい父が、軽く肩を竦めて放った言葉は、聞き捨てならないキーワードを含んでいた。
「そうなのよねー。あのままでいけばパリスは本格的にアタシに興味失って、アタシだって自分に関心向けてくれない夫に愛想が尽きたろうし、けど離婚するのは面倒だしねー。」
……いつも通り、見た目だけは儚げに微笑みながら母が答えるその言葉に、確かに父の言う通りゾッとした。
単なる可能性として二人が話してるのは、間違いなくゲームで二人が辿った人生だと、瞬時に理解したからだ。
私の存在しない本来の流れならば、それでも母はメルクールを身籠るまでは、父の愛が戻る事を期待していたろう。
けど、父がヘレナおばさんとダリオを匿ったのが、その初めての妊娠初期のタイミングだったのだ。
私がおらず父しか頼るもののない、身体も心も不安定になるそんな時期に、夫のかつての恋人が子供連れで現れた時、母はどう思っただろう。
その子供が侯爵家の長男ではなく、夫の子である可能性を、少しも疑わなかったと言えるだろうか?
母の性格なら、そこからは話も聞かず二人の存在を拒否しただろうし、その出来事は夫婦仲の決裂を、決定的にするには充分だった筈だ。
そうなれば父はヘレナおばさんに助力したにしても、母とは会わせないようにしただろう。
だから、親同士が浅からぬ知り合いであるにもかかわらず、『ダイダリオン』と『ゴロー』は互いに面識がなかったのだ。
『昔の話だし、愛されてるのはアタシだって判ってるし。』
母が笑ってそう言い切れたのは、私が先に生まれたことで、それを確認できる機会があったから。
愛されている自信は心に余裕と、かつての夫の恋人との間に友情を生み、それは子供同士の交流に繋がって。
結果『ゴロー』は仮面夫婦の間で育つことはなく、あまつさえ下に妹さえ生まれている。
また本来なら母ひとり子ひとりの家庭で育ち、母親を支えたい一心で他人にも自分にも厳しく育った筈の『ダイダリオン』は、我が家の庇護と私やメルクールとの交流があったことで、本来その時期にあっただろう人間関係の軋轢を体験せずに育ってしまい、今のような距離なしの性格が形成されたと推測できる。
…実の姉であるレネルダ様があんな感じだった事を思えば、ひょっとしたら血統的に、そうなる要素だけはあったのだろうし。
……それは、ゲームには居なかった筈の私が、何故かこの世に生まれたからだった。
やはりこの世界のストーリーが変化しているのは、私の存在のせいだったのだ。
どこか薄寒い感覚に、私は思わず身を震わせた。
「…不躾に触れる事を、お許しください。」
と、耳に飛び込んできた深い声と共に、冷え切った肩を、温かく力強いもので包み込まれた。
「……姉さん!?」
メルクールの、驚いたような呼び声に、ハッとして顔を上げる。
メルクールだけでなく、向かいに座る両親も少し驚いたような顔をしており、見上げた傍のバアル様の顔が、やけに近い……と一瞬思ってから、自分の状況に気がついた。
「配慮が足りず申し訳ございません。
……怖い思いをされて、これまで気を張っていたものが、今になってようやく出てきたのでしょうな。
ヴァーナ殿。改めて、謝罪申し上げまする。
必ず守ると言っておきながら、貴女を危険に晒してしまい、誠に申し訳ない。」
気がつけば震える肩を逞しい手に抱きこまれており………その体温に、安心する自分に、私は自分で驚いていた。




