32・割と絡み合う人間関係
この物語では『卿』は名前の下に付ける方式を採用。
親子とか親類とか同じ姓の人がいる場合、姓につけると誰やら判らなくなるやん、という理由。
…件の怪しい給仕が特に動きを見せないまま、一曲踊り終えて一息ついていたら、多分両親やバアル様と同年代くらいの、なんだか見覚えのある品のいい御婦人に声をかけられた。
「お久しぶりね、バアル殿。」
「辺境伯夫人、ご無沙汰しております。
母が、いつもお世話に……」
バアル様がさりげなく御婦人が誰かを教えてくださったので、私は隣で淑女の礼を取った。
…私は神殿に役職はあるが貴族ではないので、紹介されていないうちは、貴族の奥様相手に、自分から話しかけてはいけない。
頭を下げながらこっそりとその方を観察する。
辺境伯夫人ということはアドラーのお母さん、つまりダリオの歳の離れたお姉さんだ。
見覚えがあると思ったのは、どことなくダリオの面影があったかららしい。
雰囲気は真逆だけど。
ダリオは風貌的に冷たそうな印象があるが、この人の微笑みからは、むしろ温かみのある印象を受ける。
「堅苦しいのは結構よ。
彼女に色々支えて頂いているのはこちらだし、貴方はうちの夫の弟分なのでしょう。
お母上も最近はとても元気にしていらっしゃるから、たまには帰って差し上げなさいな。」
どうやら、辺境伯夫人とバアル様のお母様には交流があるらしい。
というか、辺境伯とバアル様は幼馴染みということなのだろうか。
確かゲームの設定では、かつて国境警備隊に所属していたお父様は既に故人の筈で、そのお父様との最期の時間を共に過ごすべく、バアル様が故郷の街に帰っていたタイミングで起きた例の王子の暗殺事件が、彼を長く苦しめることになったわけだが…まあ、今はそれはいい。
「…その際に、そちらの素敵なレディもお連れしたなら、もっと喜ばれると思うのだけれど。
何せ、15歳のうちの息子が結婚するという段になっても、その親ほどの年齢のご自分の子には浮いた話ひとつすら無いと、たいそうご心配されていたようだし。
取り急ぎ、私が土産話としてエリーモアへ持ち帰るから、紹介してくださらない?」
「……母に余計な情報を吹き込まないでください。
この方とは、そのような関係ではありません。
というよりも、判っていて仰っていますよね?」
ちょっと苦い顔をしつつも、バアル様は私を辺境伯夫人に紹介してくれて、私はもう一度淑女の礼を取った。
その方の気さくな声が、私に向けてかけられる。
「こんばんは。レネルダ・ディーゼルよ。」
…若干距離無しなところがあるように思うのは、彼女がダリオと少し似ていると感じる私の思い込みだろうか。うん、きっとそうだ。
「ヴァーナ・シュヴァリエです。
お初にお目にかかります。
このたびは御子息様のご結婚、誠におめでとうございま…」
「……思い出したわ。
あの時、夫がダンスを申し込んだ小さなレディね。
あの頃も充分可愛らしかったけれど、あんまりにも完璧なレディになっているから、お名前をうかがうまで判らなかったわ。」
「えっ?」
優雅に微笑みながら私の挨拶を遮ったレネルダ様の言葉に、思わず間抜けな声が出てしまう私の隣で、バアル様も少し目を丸くしたのが判った。
「…覚えていらっしゃらないかしら?
12、3年前にこの王宮のバラ園での、王妃様主催のガーデンパーティーに、貴女もいらしていたでしょう?
とても意地悪な、品のない御令嬢がいた…」
…王宮のパーティーに参加した時といえば、後にも先にもあの時しかない。
「あの年、夫が爵位を継いだばかりで、私たち夫婦はたまたまあの日に、その報告と御挨拶の為に王城へ来ていてね。
王妃様にぜひにとお声がけいただいて、飛び入りであの場に参加させていただいたのだけれど、その御令嬢に聞こえよがしに絡まれているにもかかわらず、貴女がその場で一番落ち着いてらっしゃったのを、私はよく覚えていてよ。」
…大人の目にはあれが落ち着いて見えていたのか。
母にはまったく似ていない私だが、どうやら外面の良さだけはしっかりと受け継いでいるようだ。
というのもあの時は確か、この手のことを予期していた母の『多少侮られるのは覚悟しておきなさい。アンタが成金の娘なのは間違いないし、貴族相手に言い返しても馬鹿見るだけよ』という事前の忠告に従って相手をせずにいて、深呼吸して気を取り直し周りを見た瞬間、テーブルに並べられていた綺麗で美味しそうな、プチフールの群れしか目に入らなくなったのだ。
しかも一番近くにいた給仕の方がとても親切で、私の視線に気づくや否や、たんとお食べとばかりに大きな皿にひとつずつ取り分けてくれ、さすがに全種類は食べきれなかったけど、細かいことは何もかも忘れるくらい、王宮のお茶とお菓子は美味しかった。
…まあ、後で思い出して両親や弟に愚痴るくらいには、そこそこ腹は立っていたのだが。
そうしてお茶のおかわりをいただこうかと思ったそのタイミングで、件の騎士様にダンスを申し込まれたわけだが…
「…では、あの時の騎士様が、ディーゼル辺境伯でいらっしゃったのですか!?
あの後、助け舟を出していただいたお礼を申し上げられなくて…」
「ふふ、いいのよ。
嫌味な言葉に空気が悪くなっているなかで、悠々とお茶とお菓子を楽しんでいらっしゃる貴女を見て、あの子は大物だと夫が面白がっただけなのだから。
戦争が始まるという時に、辺境伯が領地を離れるわけにいかなくて、夫は今日はこちらに来られなかったのだけれど、貴女にお会いできた事を話したら、きっと喜ぶと思うわ。」
そうか、面白がられていたのか。
というか、単純に食い意地が張っていただけで大物扱いされるとか、どういう状況なんだ。
「そうか。ヴァーナ殿はそのような少女の頃から、既に肚が据わっていたのだな。
なるほど。帝国の将軍を前にしても一歩も退かなかったというだけのことはある。」
「……お恥ずかしい限りですわ。」
多分バアル様は褒めているつもりなのだろうが、その相手が女だということを絶対忘れていると思う。
「あら、社交界も戦場ですもの。
その戦場を生き残る為には、令嬢にも胆力が必要なのよ。
一歩裏にまわれば足の引っ張り合いですもの。
殿方にはわからない世界でしょうけども。」
そんな私の複雑な乙女心を察してくださったものか、レネルダ様が話の方向性を僅かにずらしてくれた。
「先ほどのダンスも、堂々としていてとても素敵だったわ。
そう、この戦場では、ありとあらゆる事が武器になるの。
バアル殿も、うちの夫が教えたステップを、ちゃんと覚えていたようね。
あまり真面目に覚える気はなかったようだと彼は言っていたけれど、さすがは英雄様だわ。」
後半はちょっと人の悪そうな笑顔をわざと浮かべる形で、レネルダ様は話の焦点をバアル様へと移す。
そうか、バアル様と踊った時に、あの方と同じ印象を受けたのは、かの方の仕込みだったからなのか。
「…揶揄わないでください。
騎士として生きるのに強さ以外のものは要らないと思っていたあの頃の自分を、今すぐ叩きのめして故郷の土に埋めてやりたいとさえ思っているのですから。
…あれから、王都に来て必要に迫られ学んだ貴族の習慣や作法の何もかも、こうして公の場で恥をかかぬ程度に身についたのは、思えばあの頃教えていただいた基礎があればこそ。
オーエン卿には、一生頭が上がりませぬ。」
「伝えておくわ。」
降参とばかりに頭を下げるバアル様に、レネルダ様は勝ったと言わんばかりに微笑みかけた。っょぃ。
ちなみにオーエンとは辺境伯のファーストネームだ。
「バアル様にも、そんな時代がありましたのね。」
「…恥ずかしながら。」
フォローにもならない私の言葉に、肩を竦めた英雄の微笑みには、どこか少年めいた印象が垣間見えた。
レネルダ様は王都に来られたのが久しぶりとの事だったので、メルクールの『ショコラ・ホラン』を宣伝しておいた。
「まだまだ知名度は低いですが、王都では少しずつ人気が出てきているお菓子なのだそうです。
日持ちするものもありますので、お土産の候補として御一考いただければ、と。」
「そんな珍しいお菓子を知っているなんて、今でも甘いものがお好きなのね。
そこは変わっていらっしゃらなくて、何だか嬉しいわ。」
…知っているのは、弟の店だからなのだが。
まあ、今はメルクールが父からの試験期間である以上、商会の名前は出せないから言えない。
けどやはり、食い意地が張っていることを喜ばれるのは、女として何か違う気がする。
・・・
「ところで、貴女は私の弟とも親しくしていただいていると聞いたわ。
騎士ダイダリオン・ジェイスの事だけれど。」
「存じております。
ダイダリオン卿は、私の幼馴染みですので。
母が、彼のお母上のレディ・ヘレナと友人同士なので、子供同士も自然と仲良くなって、私の弟も含め、兄姉弟のように育ってきていますわ。」
現時点での、メルクールとダリオの関係はさておいて。
「兄姉弟ねえ…。
やはり英雄と比べたら格が落ちるのかしら?」
レネルダ様の呟いた言葉の意味は、ちょっとわからなかった。




