30・英雄は聖女に跪く
「…ヴァーナ殿。
くれぐれも飲み過ぎませぬよう、そしてホールでは私から離れませぬように。」
適度な振動が逆に眠れそうなくらい、無駄に乗り心地が良い王宮の馬車の中で、向かい合わせに座ったバアル様が、まるで子供に言い聞かせるような言葉をかけてくる。
「……?迷子になんて、なりませんわよ?
もしはぐれたとしても、バアル様は背がお高いですから、すぐに見つけられましょうし。」
飲み過ぎに関しては前科があるので素直に受け止めるが、25の女が連れとはぐれたからといって、そう問題があるとも思えず、私は少し拗ねてそう言い返した。
ついでに言えば私もこの国の女性の平均から見れば背は高い方だし、今日はかかとの高い靴も履いているから、こんな大女が人波に埋もれる事はなかろうと思う。
だが、バアル様の目は、それによりますます真剣味を帯びる。
「…そういう事を申し上げたのではありません。
素面ならば救国の聖女様に、不埒な事を企む者などないでしょうが、酔ってしまった男の頭には、貴女はただの美しい女性なのです。
……そもそもあの時、もしあのアンダリアスが、一般的な男の美醜感覚の持ち主であったなら、どうなっていたか。
貴女は御自分の魅力を、もう少し自覚された方がいい。」
アンダリアス将軍か。
あの時、何か面白い話を聞いたような気がするものの、なにぶん酔っていて細かいことを覚えていないのだが、後から聞いた話によれば、彼は胸の大きな女性が、トラウマレベルに苦手だったらしい。
『おっぱいで敵の将軍を退けた女』って、昨日のお茶の時間に母に言われたわそういえば!
『これは王国史に残るわよ!!』とも言われたが、絶対そんなことで歴史に名を残したくない。
アンダリアスだって『おっぱいに敗北した男』などと、後の歴史学者に言われたくはなかろう。
それはそれとして、バアル様的にはひょっとして子供扱いではなく、本気で女性としての心配をされているのだろうか?
というか……うん、多分これは。
「……つまり、私が昔から言われております、『黙っていればいい女』的な褒め言葉ですのね?」
「ブフォッ!!」
私の問いに、バアル様はいきなり吹いた。
うむ、とても失礼だ。
「クッ…ぶふっ……い、いや失礼。
な、なるほど……そういうこと、かっ………!!」
どうやら、相当ツボ入ってるらしい。
……結局、バアル様はツボから脱出するのに5分ほどかかり、ようやく息を整えると、笑いすぎによる涙目で潤んだ、けれど真っ直ぐな瞳で私を見つめ、言った。
「………申し訳ありません。
レディの前で、とんだ失態を……。
ヴァーナ殿。
黙っていれば、などとはとんでもないこと。
……貴女は『いい女』だ。」
笑みを含んだ口元から、妙に色気のある掠れた声が耳に届き、その意味が一拍遅れて脳に届いた瞬間、私の中の何かが破裂した。
ズッキュウゥゥゥン!!!!
待って待ってなに今の!?
声も口調もめっちゃセクシーじゃなかった!?
自慢じゃありませんけど年齢イコール彼氏いない歴の25歳、雄フェロモンに耐性ありませんから!
って本当に自慢じゃねえわ!!
つか、そうだったそうだったよ!
このひと、最初は枯れ系として登場して、愛情度が高まるに従って色気出してくるタイプだった!!
けど、不意打ちは卑怯です!
ひょっとして私を殺しにかかってますか!?
「今度そのような事を誰かに言われたなら、どうかこっそり教えていただきたい。」
「……何故?」
「私からその男に決闘を申し込みましょう。」
「なんで!?」
「騎士として、剣と忠誠を捧げた女性の名誉の為に、立ち上がるのは当然のことです。」
「いや捧げてないですよね!?剣も忠誠も!!」
「儀式が必要でしたら、今からでも。」
「やめて!」
私の反応にくつくつ笑うバアル様の声に、そこでようやく私も、からかわれている事に気がついた。
本心じゃない事に安心しつつ、ちょっとだけむくれる。
くっそ、大人の男はこれだからタチ悪いな!
…まあバアル様の場合、愛情度が一定の値を超えると、一人称が『俺』に変わり、口調も若干くだけたものになるから、一人称が『私』であるうちは、こんな軽口もからかっているだけだと判る。
………判るけども!
画面越しに見るのと直接当てられるのとでは、フェロモンの威力が全然違うと思う25歳喪女なのでした。
ってやかましいわ!!
……なんて思っている間に、馬車は王宮へとたどり着いた。
バアル様の手を借りて馬車から降りて、見上げた王宮は、アンダリアス将軍との戦いの為に訪れたときとは、まったく違って見えた。
・・・
「神殿神官長ヴァーナ様、並びに近衛騎士団騎士教官バアル卿、ただ今御到着されました。」
案内に従ってホールの扉の前まで、バアル様にエスコートされて歩くと、扉が開かれたと同時に、メッチャ通る声で紹介された。
……やめて!私に注目を集めないで!!
と心の中で必死に叫びつつも、バアル様の隣で微笑みをなんとか崩さずに立っていられた私を、誰か褒めて欲しい。




