1話 黒と白
「忘れ物はない?」
「多分」
周りを見回して再度確認する。
何もない、大丈夫だ、と心の中で本葉光輝は呟いた。
「じゃあ行くよー」
「はーい」
重い荷物を持ち、彼は3年間住んでいた自分の部屋で踵を返した。
そして、車に乗り込んですぐ考え事を始めた。
(みんな、俺のことちゃんと覚えててくれるかな…)
学校生活を共にしてきた仲間の顔が脳裏に浮かぶ。
一緒に遊んで、学んで、対立して、お互いに高めあってきた友達の笑った顔が。
窓の外を見ると、今はもう見慣れた懐かしい景色が見える。
(もう少し長くここにいられたら、みんなと一緒に卒業できたのに)
もうすぐ中学3年生の光輝にとっては、あと1年が惜しく思える。
「…父さんのばか」
「ちょっと光輝、本音出てるよ」
父が第2次産業の仕事についているため、仕事場がころころ変わるという。
本葉家はその度に引っ越しをする。
そこまでその仕事がしたいのか、と誰もが思うだろう。
でもそれだけ彼は仕事に対してやりがいを感じているのだ。
父に不満を持ったまま、光輝はふて寝した。
「光輝、着いたよー」
3時間ものドライブの末に、光輝たちはとある山奥の村に着いた。
外を見てみると、3台のトラックが停まっていて、辺り一面は山に囲まれていた。
ここがN市だ。
「ねぇ、何か手伝うことはない?」
「んー、今のところはないかな。暇ならここらへん散歩してくれば?」
「わかった。そうする」
どこをどう見ても緑を感じる。空気がとても澄んでいて、空も広く見える。
彼の最初の印象は、そんな感じだった。
(何もないけど、やっぱり田舎っていいところだよな)
自然の引力に引かれるように、光輝はどんどん足を進めていく。
「あら~、最近引っ越してきた坊やさね」
すると、近所の人であろう老婆が話しかけてきた。
「こんにちは、はじめまして。本葉光輝です」
「まあまあ、こんな若い子がよう来てくださったねえ、こんな何もない山奥に」
「父の仕事の関係上ですけどね」
苦笑いで高齢者特有の長話を回避しようと試みる光輝。
「何かあれば、私にたよってねえ」
「ありがとうございます。それではまた」
しかし、長話には見事ならなかった。
おまけに、相手に好印象を与えることもできた。
最初が肝心だと昔から思い続けている彼にとっては、幸先のいいスタートを切ることができただろう。
そして、さらに奥の道へと進んでいく。
この先何があるかも知らずに、無心で歩く。
(やばい。道に迷ってしまった)
時刻は17時を回った。
家はほとんどなく、どこを見ても木。どうやらいつの間にか森に迷い込んでしまったらしい。
来た道を戻ろうとするも、先程から失敗の連続。目の前が真っ暗というのはこのことだ。
(スマホあるけど、Wi-Fiがないし、電話ができねえ…)
仕方なく、運に任せて歩き続けることにした光輝。
その時、彼の目は久しい光景を捉えた。
(道だ!やった、これで随分楽になるぞ)
少し下り坂の坂が続いている。光輝は道に沿って坂道を下り始めた。
森を抜けることができた光輝は少し安堵した。
しばらく坂を下がっていると、先にトンネルが見えた。
辺りは真っ暗で、電灯はない。光輝のスマホの懐中電灯だけが、煌々と輝いている。
その明かりを頼りに、トンネルに入っていく光輝。
彼の姿は肝試しをしに行く少年のように見える。
(怖えけど、ここを通ればなんとかなるかもしれない)
僅かな勇気を胸に、さらに歩いていく。
意外とトンネルは長く、すぐには抜けられなかった。
あまりにも長すぎるので、光輝は走った。しかし、光が見えてくる気配は微塵も感じられない。
(どうなってんだ…に長すぎやしないか?)
光輝は一度戻ってみることにした。後ろを振り返ってみれば少しばかり薄明るい光が見える。
そこを目指して走っていく。しかし、その光が次第に大きくなることはなく、どこまで走ってもたどり着きそうにない。
(…嘘、だろ…?)
すでに光輝は察していた。
このトンネルは永遠に続いている、と。
今まで後ろに見えていた薄い光も、もうない。
(まずい。まずいまずいまずい)
どうすればいいのかわからない光輝の頭の中はかき乱されていた。
わけがわからないまま、光輝は先へ進む。
すると、突然光が差してきて__
「…ん?」
気がつくと、とて明るいところにいた。
光輝は柔らかい芝生の上に仰向けになっている。
おもむろに体を起こして立ち上がると、周りを見渡して、
「ここは…どこだ?」
と呟いた。
スマホを出して場所を確認しようとした光輝だったが、ポケットにスマホが入っていないことに気づき「くそ…」と悪態ついた。
だだっ広い平野のようなところに、光輝は立っている。建物が密集している街がはるか遠くに見え、近くには小さな森もある。
先程のトンネルの件で混乱し続けている彼にさらなる混乱が襲いかかった結果、光輝の理性は身ぐるみ剥がされてしまった。
(とりあえず歩こう。立っているだけじゃ何も始まらない)
それでも、光輝は理性を取り戻しつつ積極的に行動し始めた。
彼の足はすぐそばの森に向かっていた。
規模こそ小さいものの、道が作られていてとても歩きやすい。
森林浴で心の乱れを整え、光輝は散歩をするかのように楽しげ森を進んでいく。
しかし。
「うああぁあぁぁああああ?!」
再び心の乱れが生じた。
さっきの落ち着きはどこへやら。
でも、無理もない。
光輝の目の前に、突如として謎の柔らかなそうな物体が飛び出してきたのだから。
腰を抜かした光輝には、その物体が何なのか考える余裕もなかった。
「た、たたた助けてくれえええ!」
とりあえず助けを呼んでみる。こんな時間に誰かが来るなんて、光輝は考えてなかったが。
(あれ?そういえば、今は夜のはずなのに…何でこんなに明るいんだ?)
光輝はふと、思い出したのかのように考える。
確かに、トンネルに入る前は夜だった。しかし、今は昼だと思わせるようなほど空が青く明るい。
(もしかして…?)
その時。
目の前で動かずにいた柔らかそうな物体が光輝に向かって体当たりしようとしてきた。
「ぎゃあああああああ!!」
反射神経を目一杯使って避ける光輝。
「何だよこれ!新種の動物か!?」
光輝はその物体を観察し始めた。
丸っこい体に目が2つ。表面はぬめぬめしていて気持ちが悪い。
まるで、スライムのようだ。
「嫌だ…。早く家に帰りたい…」
立て続けに不幸に見舞われている光輝にとって、今の状況は地獄だ。
しかし__
「はあああああああああっ!」
そんなピンチを救った勇者が、現れた。
スライムはぶった切られ、即時に霧散した。
「お怪我はございませんか?」
スライム差し伸べてきたのは女性だった。
優しそうな赤い目でこちらを見ている。地面へたりこんでいる光輝を上から見下ろしているせいか、彼女の長くて混じり気のない真っ白な髪が1房肩から零れ落ちている。それを彼女は耳にかけた。
「は、はいっ、大丈夫でふ」
あまりにも人間離れした風貌の、しかも女性に出会ったというのだ。
光輝の心拍数は限界に達していた。
「…あら?」
光輝の手を取って立ち上がらせたその女性は、ふと動きを止めた。
「あ、貴方の髪…」
「髪が、どうかしましたか?」
彼女はそれから少し考え始め、何かを思いついたように表情を変えた。
「『黒の禁忌』を知らないと仮定すれば…この方は表世界からいらしたということに…すなわちこの方は…ええと…」
「あの…何言っているかさっぱり…」
「…あ、申し訳ありません!少しばかり考え事をしてまして」
ぺこぺこと光輝に謝る彼女。それからまた思い出したかのように言葉を発し始めた。
「そういえば、名前をお伝えしていませんでしたね。私はアリアと申します。
フルーネームはアリア・コンファーレ・ラルトリル。あそこにあるラルトリル王国の第2王女です。一応、ですけどね…」
彼女は__アリアは、向こうの建物群を指さしてそう言った。
「え…?外国の、人で、いらっしゃるのですか?」
無論、光輝は今の現状を全く理解していない。
「やはり、貴方こそ真の『勇者』…あ、貴方に説明をしなければりませんね」
「はい、よろしくお願いします」
「まず、貴方はこの世界とは裏世界__『表世界』からいらした方だと考えられます。その根拠をお話するとなるとさらに混乱なさるかもしれませんので、とりあえず貴方は別世界、すなわちこの世界に来てしまった異世界人ということにしておきましょう。ここまではよろしいでしょうか?」
「はい、多分」
確認の言葉を挟みながら、アリアは丁寧に説明していく。
「そして、貴方のその黒髪。バロメロナでは__あ、バロメロナとはこの世界の名前で、バロメロナでは黒髪の人は災いをもたらすとされ、忌み、嫌われています。貴方は紛うことなく黒髪ですから、人々が貴方を見ると…ご想像通りになってしまうでしょう。ここまではよろしいでしょうか?」
「…俺が、災いをもたらす?」
「安心なさってください。これは言い伝えで、本当に起こるか分かりません」
光輝の混乱を上手く宥める。
「それでも、言い伝えは言い伝えです。ですから、貴方は元いた世界に戻らなくてはなりません。それに貴方には元の世界でしなくてはならないことがあるはずです」
「まあ、それはそうですけど…」
光輝は、今までのことを思い出す。引っ越す前の友達とは別れたものの、N市での生活も楽しみにしていたのだ。
「ですが、元の世界に帰る方法が分かりません書物。書物に示されていない未解明事項なのです。
それに必要なことですから、帰る方法を探すほかありません」
「そうですか…ありがとうございました、助けてくださって。後は自分で__」
「お待ちください!」
光輝が歩き始めた途端、アリアが大きな声で呼び止めた。
「1人では何もできません。私がお供します」
「でも、あなたはあの国?のお偉いさんなんですよね?俺について来るなんてできないでしょう?」
「それは、そうですけど…」
図星だったのか、アリアは口籠った。
「でも、私は落ちこぼれで、魔法が使えなくて、国民は私の存在を知らないのです。そんな姫は、公務ができないのです。時間があれば外でラピエールという武器を使って訓練しろと言われる、使用人と同じ扱いにされ、王家からの差別が酷いのです。父上はお優しい方で差別は絶対に許さないので私は母上や姉上から主にいじめられているのですが、あの方たちは父上の目がなを罵るのです。たとえ魔力がなくても、私にはラピエールがあるのに…あぜあの方たちはを私を遠ざけようとしているのかしら…」
アリアは涙ながらに事情を説明した。
光輝は目をぱちくりさせている。
「つまり、あなたは、俺と一緒に元の世界への生き方を解明して、自分の力の強さを証明したいということですか?」
「そ、そうです!そういうことです!」
光輝の解釈に、アリアは涙を拭きながら頷いた。
「ですから、私もお供します。貴方は誰かしらの助けが必要ですから」
「ありがとうございます、アリア様。この御恩は忘れません」
「あ、アリア様だなんて…そんなに堅苦しくされなくてもよろしいのですよ?たとえ、一国の姫だとしても、私は非公開皇女で、ただの旅人になるのですから。気軽にアリアとお呼びください」
「じゃあ、そうさせてもらうわ。あ、俺の名前まだ言ってなかったよね?、俺は本葉光輝。よろしくね」
明るく自己紹介をし、光輝はアリアに座るように促した。
「モトバコウキ…どこがファーストネームでいらっしゃいますか?」
「ファーストネームは光輝だけど…あ、もしかしてここだと姓名が逆になるのか?」
「ええ、そうですが…貴方の世界ではファーストネームが後にあるのですか?」
「いや…俺が住んでいる国だけだよ。他の国は、ここと同じ形なんだ」
光輝の話に、アリアは興味津々のようだ。
「表世界って面白いのですね!もっと教えてください!」
「いいよ。俺が住んでる国は__」
こうして、本葉光輝とアリア・コンファーレ・ラルトリルは非現実的に邂逅を果たしたのである__
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