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逆転したこの世界で  作者: 傘道 梅雨
2/2

2.実家の雰囲気は暖かい




 どこか近くで鳴いているらしい鳥のさえずり。

 奥の部屋まで全開の襖から差し伸びる金色の眩い陽の光。暖かい。身を包んでいるような安心感。

 朝の気配。

 昨日何をしてたか、今日は何をするのか。そんなことはこの一瞬の安心感に、ハッと忘れてしまう。


「ん!ふわぁぁ…」


 まだはっきりと脳は覚醒していない。

 何度も瞼を揺すりながら、しだいに意識がハッキリとしていき、自分がフカフカの敷布団の中にいることに気が付いた。

 こんな白昼堂々と寝られたのは何年ぶりだろうか。


 真っ直ぐ上を見あげると懐かしの天井が、横を見て見ると緑を司る壮大な山々が顔を覗かせている。

 風はヒューと音を切り、襖を小刻みに揺らしている。

 左の襖の奥からは、母が朝食作りに勤しんでるらしいじゅわー、ぱちぱち。なんて音が聞こえる。


 この音は天ぷらか?朝からそんなに大変なもの作らなくていいのに。つーか、今何時だろう。

 時計が鳴ってないのを見る限り、六時ぐらいと見た。

 学校は七時五十分からだから……


「……ん、もうちょっと寝れるな」


 あまりの心地よさに、私は微睡みの奥で惰眠を続ける意志を固めつつあった。三十分ぐらいは二度寝の時間がありそうだ。

 少しでも温かみを感じたいがために、私は顎まで布団に顔を埋めた。


「気持ちいい……」


 さっきチラッと見えた、グッと長いビニール園。私の家族が経営しているぶどう園だ。


 家族の生前。

 私がまだ幼い時。何度かぶどう販売を手伝ったことがある。その時の家族やお客さんの笑顔。

 今でも時折、鮮明に思いだすことがある。

 あの時は本当に嬉しかった。


 ーーーーああ、懐かしいな。


 ここには幼少期に見慣れた光景があった。陽の光は憎たらしいほどに明るく、あの悪臭も浄化してくれそうな気がする。だんだん意識もはっきりしてきたな。

 そうして分かったこともある。



 待って、この状況、

 おかしくね?



 昔の感覚に騙されていたが、今はこの状況は有り得ない。母だって、もういない。

 この鼻を曲げるような何とも言い難い匂いが何よりの証拠。つまり昨日地下室で寝落ちした私はーーーー


「いっ!?ーーーーー」


 幾らか嫌な考えが脳裏を横切り、私は布団に全身を思い切り引っ込める。

 それは外敵から身を守る亀やカタツムリのように映っただろうか?


 しかし今の私に、そんな悠長なことを考えられる余裕はないのだ。

 じわぁ、と額から冷たい汗が零れ落ちる。

 そうして先程の私の愚かな言葉に自ら小声で苦言を呈させてもらうと、


「いやいやいやいや、何が『もうちょっと』だ!これ明らかに地下室から連れてこられたやつでしょ!?

 それ誰かに見つかってるってことじゃん!」


 朝一番から自らの置かれている状況に頭が混乱してしまう。

 ここまでパニックになったのは何年ぶりだろうか。

 5年前の災厄以来だな。


 実際。

 私は命を失うかもしれない境遇に身を置かれている。

 例えば私を地下室から連れ出した人間が元正義者だったらどうだろうか。

 属性が反転した今、その人間は欲望のままに私を食らうだろう。それ以外の最悪。もう考えるのは嫌だ。


 幾千回、幾万回私は、地下室でのノート作りの合間に、ふと、こういう場面に出くわした時の様子を妄想したことがある。その度身を震わした。


 この世界には秩序がない。警察や政治家がいないんだから、当たり前だ。

 だから罪も罪ではない。

 そもそも罪の定義さえなくしてしまった。

 だから、私をさらった人物は私をどうしようが、問題には問われない。

 それは煮ても食べても、最悪、○姦しても罪ではない。


「はあ……私、死ぬのかなあ……こんなところで?」


 ただ私は怖い。恐怖の感情を蓄えた涙が、クルクルと頬を伝って落ちていく感触がある。死だ。

 死神が背中を押しているような気がしてならない。

 今までの努力は呆気なく無意味に。

 あれだけ知りたかったこの世界の謎なんて、結局分からずじまいで私の生涯は何もせず終わるのだろう。


 終わりだ、終わり。

 私は台所で料理している何者かの手によって、何も得ず、何もせず、終わるのだろう。

 誰にも求められることなく終わるのだろうか。

 …………………、いや、違う。まだ間に合う。



 逃げ出せ!



 布団が盛大に宙を舞う。鳥はビックリしたようにさえずりを止めた。目標はひたすら後方の襖だ。

 逃げ出すなら、それがベスト。

 庭に至るまで、前方には4つの部屋があり、左方には5つ。右方には2つ。

 後方には1つしか部屋がないからだ。


 ーーーーーー3、


 コンクリートとは違う、暖かい和室に名残惜しさを感じる。私はこの部屋が好きだ。

 母や父、兄と妹と過ごした、楽しいうたかたの夢。

 そんな思い出の詰まったここが私はたまらなく好き。

 出来ることなら、あんな冷たい地下室ではなく、この和室で何の気兼ねもなく暮らしたかった。


 叶わない。

 そんなことは知っている。


 現実は冷酷だ。

 そんなことは知っている。


 今の私に残された選択肢は、オセロで相手に誘導され続けた悪手の連続みたいなもの。

 だから相手には勝てない。人格を反転させた何者かに、あるいは自然に立ち向かうことは出来ない。

 尻尾すら私の5年では、掴むことができなかった。


 ーーーー2、


 それでも生きていたら、そのうち何か良いことがあるはずだ。そんな思いにすがるしかない。

 そして自分の惨めさを痛感する。

 勝ち筋の見えないオセロを続けても、意味はない。

 ただ無様な醜態を晒すだけだ。

 盤上を汚して終わりだ。それ以上の価値はない。

 それでも諦めないことがカッコイイと言う輩がいる。


 それは欺瞞だ。

 空想だ。

 妄想だ。


 お前はドブに溺れたネズミがカッコイイと思うか?

 死にかけた惨めな人間が、光を求めて手を伸ばすことがカッコいいと思うか?

 第三者から見れば、心底気持ち悪い。

 頑張ったところで、せいぜい同情で終わる。

 プラスの感情なんて微塵も湧いてこない。


 しかし当事者からすれば、希望にすがるのは至極当然なことだ。正常な生物は死ぬことが怖い。

 自分の終わりが怖くて怖くて堪らない。


 自然の摂理。

 永久の不変。


 私だって、惨めだって分かっていても、愚かにも、今にも消えそうな風前の灯に縋りつこうとしている。

 ここを運良く逃げ出せたところで、地下室の位置は割れてる。行くあてもない。

 はっきり言って逃げ出しても何も状況は進展しない。

 それでも、私は生きたい。

 意味がなくても構わない。


 少しでも生きて立っていたい。

 少しでも生きて笑っていたい。

 少しでも生きて泣いていたい。

 少しでも生きて苦しみたい。

 少しでも生きて当たり前に死にたい。



 ーー1、



 緊張で視界がボヤける。恐怖が足元を掴もうとしてくる。そして瞼の裏で過去の情景を思い出す。

 それが今の自分に力を与えてくれる。

 湧き上がるだけの勇気を与えてくれるのだ。

 退屈も絶望も、もう飽きた。幾度も味わった。

 わたしのうちにある凍りついた時計。

 全く溶ける気配はない。

 むしろ、より頑固に凍りついている気さえする。

 それが堪らなく悔しい。


 昔、一羽の鳩を殺そうとした時があった。

 動物の肉は重要なタンパク源。私の携帯食料にならないのかと思ったからだ。

 私は何十回も挑戦した末、パン屑を撒いて偶然やってきた鳩をネットで捕獲することに成功した。

 そして地下室へ持っていくと、早速ナイフの切っ先を泣き叫ぶ鳩の首元へあてがろうとした。


 ここを逃せば一週間はまともなご飯を食べれない。


 そんな強迫観念に眉をひそめつつ、思い切りナイフを一瞬のうちに振り下ろそうとしたが。

 結論を言ってしまえば、私は、生物を殴り殺すだけの覚悟を、牙を失ってしまったらしい。


 もうこの世界で生きる力は私には残されていない。覚悟を失くした。

 他者を蹴落として自分が生き延びるための覚悟を。

 それでも、それでも私はーー


 0、


 息を整える余裕はないーーーー関係ない。

 思い切り地面を蹴る。

 真っ直ぐ、真っ直ぐ最初の襖に向かう。追い風が私の髪を大きく揺らしている。

 自分が一陣の風になったのかと錯覚する。

 それぐらい、私は人生の中で一番速く走っている。


 まず手始めに最初の襖を通過。

 最初から空いてたので、開ける手間がない。

 なんとも運が良い。


 ここは昔父の使っていた部屋だ。

 高そうな龍絵の壺が異彩を放っている。

 なんとも懐かしい気持ちだ。厳格な父の顔を思い出して、私は口元を少し吊り上げた。

 昔はよくこの部屋で父に叱られたっけか?

 壺に入ろうとするなー、とかでさ。ほんと私何やってたんだろうな、昔に戻りたいな。


 疲れの息が漏れる。緊張も入り混じっているのだろう。インドア派の私には10メートルでさえ過酷の対象なのだ。さらに死神の追い討ち。

 なんなら、走ったのは5年ぶり。正直吐きそう。


 もっとトレーニングしとけば良かったな、と私は自分に呆れ返る。どうせこんな場面に出くわすのだから、余計にそう思ってしまう。


 そして二つめの襖を通過し、ようやく庭へ出ることが出来た。恐らく奴らにもう勘付かれているだろう。

 もうちょっと静かに抜け出した方が良かったか?と、反省する。


 すると、突然左の石庭から、予期せぬ第3者の声が。


「ん?もう起きましたか。おはようございます!ーーって、どこいくんですかああああ!?」

「っっっ!?」


 まずい、この場合を考えてなかった。

 こいつら、二人組か!

 それはそうと、遂に敵と出くわしてしまった。


 最悪だ。

 私の心臓は、胸骨をブチ抜くぐらい、張り裂けそうなぐらいにドンと跳ねた。

 視界がグシャリと歪む。


 ーーーーもう、だめかも……、


 ここまできたんだ。もう止まれない。私は後ろを振り返らず軽快に男のすぐ横を疾走して通り過ぎた。



 この男、爽やかな雰囲気を身に纏っている。

 私の本能が告げる。アレは絶対にヤバいやつだ。

 恐らく、あのルックスであらゆる女性を○姦しまくったに違いない。とてもチャラチャラしている。

 外見から察するに恐らく外国人。綺麗なブロンドの金髪が何よりの証拠だ。そして私と同じ碧眼である。

 服装は光を反射する黒スーツ。それに白の手袋。

 これには、どこか懐かしい印象を抱いた。


 後ろから地面が鳴る音が聞こえる。

 どうやら、私を追いかけているようだ。

 この音。私の走りが、猛り狂った馬ならば、あの男の走りは訓練された競走馬のように無駄がない。

 ひどいスペックの差を見せつけられた。


 庭の塀に向かう。高さは1メートル程度。これならよじ登るのに他愛ない。塀の先端に手を掛け、思い切り足に力を入れて飛び越えよう。


 そう考え、即座に実行に移そうとした直後だった。

 足に力を入れた瞬間、両肩を大きな手にガッシリ掴まれた感覚がひしひしと脳へ伝達された。


 ゾワッ。

 背筋に言い難い悪寒が走る。そんな私の心情を知らずに、あの男は、いかにも私のことを知っているかのような口調かつ友達と相対するようであった。


「やっと捕まえま……っい、いたっ、痛いですって!」


 私は「離せ!」と家内中に聞こえるほどの声量で叫び、まずは男のスネを全筋力で蹴った。

 男は「うっ」と痛みに耐えきれなくなったのか、その場に蹲ってしまう。


 今が好機と考えた私は「死ね」「消えろ」「くたばれ」等々の罵詈雑言を吐き散らしながら、男を何回も踏みまくった。顔を蹴った。強く、強く、強く。


「い、痛い、痛い、痛いです……」


 男は涙目になりながら、頭を必至に抑えている。

 中々に滑稽な風景だ。

 私を○姦しようとしたものの末路がこれ。

 全く同情など湧いてこない。


「ざまあ、み・ろ!この変質者っっ!」


 私の意識は徐々に狂気に飲み込まれつつあるのを何となく実感した。負の感情の渦。

 余程ストレスを溜め込んでいたのだろう。

 自分が言い放った言葉にドキリとした。

 自分がこんなに醜いとは知らなかった。

 五年で人は、ここまで変われるのだと実感した。

 むしろここまでくると感心してしまう。

 そんなことを思いながら、私は踏んで叫んで蹴って叫んで踏んで叫んでを堂々巡りのように繰り返す。

 この行為に、今まで感じたことのない快感を覚えた。


 こいつが悪者だからこうなった。

 これは当たり前だ。

 正義は私にある。間違いない。正義は私だ。

 だからこいつが死んでも問題ない。

 なんせこの世界は法がない。罪がない。

 だから何をしたって許される!


 そう心に刻みつつ、肉を叩くような感覚を味わう。

 果てしない優越感。正義感。

 そんな表の思いとは裏腹に、私の心根はミキサーに掛けられたみたいにグチャグチャだった。


 ーーーーあーあ、

 私ってこういうやつだったのかな?

 いや、反転したからこうなったのか?

 ストレスが溜まったからこうなったのかな?




 ま、どっちだっていいや。




 私が自暴自棄に成り果てた時。

 突然家内の方から男性の声がボソリと聞こえた。


「おい」


 うっ、しまった!そういえば、こいつら二人組か。

 …………っ? てか、この声どこかで。

 ずっと前、幼稚園。小学校か?

 どこかで聞いたような懐かさがある。

 しかし、あの一度見たら忘れられないであろう顔に、まるで覚えがない。


「『白菊しらぎ』……お前何してるんだ?」

「っっっ!? ……お前、何で私の名前を!」


 やはりこいつは、私の知り合いのようだ。

 てことは、私がさっき嬲っていた男性も私の知り合いである可能性が極めて高い。

 男は廊下から、ゆっくりとこちらへ向かってきた。

 その感情は希薄で読み取り辛い。

 赤黒い髪の色で、狼のような目つきをした男性。

 そして、先程の男と同じ光沢を帯びた黒スーツ。

 その風情、百戦錬磨の殺人鬼のようだった。


 私は、さきほどの男から足をゆっくりと離して、ジリジリと後方の塀へと後退する。

 流石に二人の男相手だと勝ち目は薄い。

 これは何の喜劇だ?もう私の人生もここまでか。

 流石にここからの起死回生は無理っぽい。

 これはもう諦めた方が良さげか?

 もはや万事休す。


 なんて負の感情の連鎖が私の考えの大半を占めていた。もう逃げることなど頭にない。

 それとは対照的に、この男には余裕が感じられる。

 歩き方は荒々しいし、何やら頭を抑えてブツブツと、言っている。耳の神経を研ぎ澄ませば、何とか聞こえそうだ。


「あ、あー、そうか。外見を中身通りに変えたのがダメだったか」


 外見?てことは整形でもしたのだろうか。

 そもそも、コイツらが現正義の味方で、私を助けにきてくれた可能性もないわけじゃない。

 ならばコイツらが一概にも悪者だと言えないのでは?

 それにこの男達のスーツ。よく見ると、胸元の紋章。アレはまさか…………、



「よく分からないが、一つ質問……大丈夫ですか?」

「ん、なんだよ?」


 男は石庭の上で歩みを止めた。よし、これなら、突然襲ってきても多少の心構えは出来そうだ。

 それを見て、唾液をグッと飲み込んだ。

 今からする質問には、自分勝手な希望的観測が入っているのは否定しない。

 なんなら、虚言を吐くことも簡単だ。

 だけど私は、すぐさま聞かずにはいられなかった。

 スッと小汚い空気を鼻から少し吸って、高ぶった気持ちを少し落ち着かせる。


 そして私は、落ち着いた口調で、目の前の男にこう問い正した。




「あなたは私の味方か?それとも敵か?」



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