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第七話「兄妹」

 紘子は闇の中を歩いていた。


 周りには何もなく、薄暗い空間がどこまでも続いている中を、どこへ向かっているのかも分からずに彷徨っていた。

 自分の足音以外は何も聞こえず張り詰めたような静寂が辺りを包む。

 普段通りに制服を着てはいるものの、学校らしき建物の影もない。


(ここはどこだろう……どこに行こうとしてるんだろう)

 漠然とした不安感を抱きながらも、まるで自分の意思から独立しているかのように脚は止まらず、ただまっすぐに暗がりの中を進んでいく。


 やがて目は暗さに慣れ始め、聴覚は研ぎ澄まされてくる。

 それに連れて不安は得体のしれない焦燥へと徐々に変わってくる。

 喉は乾き息は乱れ、このまま進むと何か絶対に見たくないものを見てしまいそうな、そんな予感がして仕方が無い。それなのに脚は止まってくれない。自分の心臓の音が耳障りに感じるほど大きく激しく脈打っている。


 そしてその予感は目に見える形となって現れ、紘子はその場に立ち尽くす。



「……由香里……さん……?」


 闇の中で見つけたのは、魔法衣をおびただしい血で穢し、腹部からも大量の血を流して物言わぬ屍となり果てているクラスメイトの少女だった。

 両目は虚ろに開かれたまま、どこを見ているのかもわからない。


「……う……嘘……だ、こんなの……なんで……」


 目の前に横たわっている現実が理解できなくて、理解したくなくて。

 全身の血液が体内で逆流して暴れているような感覚に紘子は眩暈のような感覚を覚えた。

 がくがくと体中に悪寒が走り、見開かれた目から涙が溢れ出した。

 

 こらえきれず後ずさると、震える脚の踵に触れるものがあった。

 ひっ――と息を飲み振り返る。


 さっきまで何もなかったはずの背後にあったのは、同じように全身を血で濡らし事切れている少女二人――久下田亜矢と樋口尚美の体だった。

 尚美の目元には未だ乾いていない涙の跡が残り、恐らく最期の瞬間まで必死に友へ向かって伸ばしていたのだろう亜矢の手には尚美の指先がわずかに触れていた。



「あ……あぁぁぁっ……!! 嫌っ……いやぁぁあっ……!! なんで……!? どうして、こんな……あ、あぁぁぁああああっ……!!!」

 

 その場にいるだけでどうにかなってしまいそうだった。

 涙と眩暈と嘔吐感で視界が歪み、乾ききった喉から掠れた声が勝手に漏れていく。



 絶望に打ちひしがれる紘子の腰辺りに、後ろから何かがしがみつく。

 その感触には覚えがあった。

 ドクン、と心臓が今一度大きな音を鳴らして跳ね上がる。

「……あ……う……」

 ――もう嫌だ。見たくない。もう何も見たくない。もうやめて。

 心の底から拒絶しているのに、何かに操られているかのように。紘子は振り向いてしまった。



「紘子、ちゃん……みんな、みんな死んじゃった、よぉ……」



 額から血を流して自分を見上げていたのは、いつも愛くるしい笑顔を振りまいていた小さな相棒。やはり血まみれの魔法衣を身に纏った彼女の表情は悲しみ、痛み、無念……あらゆる負の感情で満たされているようだった。

 瞳は既に何も映していないのか、ただボロボロと涙を零すだけだった。



「ごめん、なさっ……わたし、だれも、助けられっ……ごめ……なさっ……!!」



 紘子の腰にしがみついたまま誰にともなく懺悔を繰り返す。

 そんな少女の髪に紘子は放心状態でそっと触れる。その震える手にべっとりと血糊が貼り付いた。

 

「紘……ちゃ……っ」



 ごぽっ――という不快な音を立てて、小さな唇から真っ赤な血が噴きだした。

 びくん、と一度だけ体が大きく痙攣したかと思うと、糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちる。

 自らの体から流れた血だまりにどしゃっとうつ伏せで倒れこむ。



 辺りに静寂が戻り、四人の亡骸の中で立ち尽くす紘子だけが残った。


「……ああっ……なん、で……? なんで、こんなことっ……こんなの嫌ぁぁっ」


 膝をつき頭を掻き毟る。頭皮に食い込んだ爪の痛みだけでは気をやるには足らず、その痛みがむしろ自分の意識を確かなものと証明していた。



 ――なんでこんなことになったのかって? 教えてやろうか――


 誰のものともつかぬ、亡者の怨嗟のような低い声が頭の中で響いた。

 次の瞬間、紘子は耳元で確かにその声を聞いた。


「それはお前が弱いからだよ」







 弾かれたように目を見開いて辺りを見回す。

 白い壁と天井に囲まれた清潔感のある部屋で、自分はベッドから上体を起こしていることに気がついた。


「――さん……鬼頭さんっ!」


 呆然とした耳に声が届く。ベッドの傍らに、制服姿の小山由香里が座って心配そうにこちらを見ていた。


「良かった、気がついて……あれから三日も意識がなかったんだよ?」

「……三日……?」

 由香里にそう言われて改めて自分の状態を見る。病院の個室に寝かされ、患者衣を纏った体のあちこちは包帯が巻かれ頬にもガーゼが宛がわれているようだ。

 同じく包帯が巻かれた頭に、ずきん……と嫌な余韻が残っていた。

「ポチが言うには魔力を奪われすぎたせいで回復が遅くなってるんだろうって……体は大丈夫?」

「ん……大丈夫。まだちょっと痛むけど……う……」

 頭の奥に重たいものが入っているような鈍痛が治まらず俯く。

「ひどくうなされていたけど……嫌な夢でも見た?」

「……夢……そっか……夢、だったんだ」

 鉛のように重い頭を抑えて自分に言い聞かすように繰り返す。あれは夢だったんだと。

 怪我と極限の疲労が見せた悪夢――あまりにも鮮明で生々しいあの映像は、そう片付けるには不自然なほどだったが。

「顔色悪いよ。本当に大丈夫?」

「うん……大丈夫。ちょっとまだ本調子じゃないだけ」

 心配そうな友人にそう返す。夢の中とはいえ死体となった姿を見てしまったなんて本人に言えるわけがない。

 何よりあの悪夢をもう一度映像として思い出したくない。寝起きのぼんやりとした頭のまま一刻も早く忘れてしまいたかった。


「……そうだ、カナちゃん……カナちゃんは……!?」

 ふと、この場にいないもう一人の仲間のことを思い出す。怪我の重さなら自分と同等以上のはずだ。

「あの子なら大丈夫。回復に使うだけの魔力は残ってたみたいだし、ポチもついてたから。次の日には元気になってたみたい」

 それを聞いて紘子は安堵のため息をついた。

「本当に心配してたよ、鬼頭さんのこと。もしこのまま目を覚ましてくれなかったら、って」

「……うん」

 あの元気な笑顔を曇らせてしまった罪悪感で、紘子は小さく頷くしか出来なかった。

「……カナちゃんだけじゃないよ。久下田さんや樋口さん、カナちゃんのご両親や鬼頭さんのお兄さんも」

 次第に由香里の声が震えていくのを紘子は黙って聞いていた。

「私だって……本当に心配、したんだから」

「……うん。ごめん……」

「雄哉が言ってた。背の高い真っ赤な髪した女の人が助けてくれたんだって……その鬼頭さんに何かあったら、あの子も悲しむじゃない」

「……うん」

「お願いだからもう……こんなになるまで無茶しないで。私耐えられないよっ……」

 堪えていたものが決壊したように涙を零す。

 自分のために泣いてくれる友人の手に紘子はそっと触れた。

「ありがとう、助けに来てくれて。嬉しかった」

「……うう……ぐすっ……」

 紘子が感謝の言葉を口にするとますます涙は止まらなくなる。

 病室にはしばらく由香里の嗚咽が静かに響いた。


 由香里の涙が落ち着いてきた頃、病室の扉が開く音がして二人はそちらを見る。

 スーツにコートを着た長身の男がそこに立っていた。


「……気が付いたのか」

「兄さん……」

 紘子の兄・修司が静かに口を開く。その顔はいつもの無表情よりも険しさを湛えているような気がして、由香里は彼がベッドに近づいてくるのを心配そうに見ていた。

「……ごめんなさい、心配かけて」

「全くだ。心配したなんてもんじゃない」

 そう言うと、修司はぐっと紘子の患者衣の胸元を掴み紘子の顔を真っ直ぐ見据えた。

「――何があるかわからないから帰れと俺は言ったはずだ。なのにどうして屋上で傷だらけのお前が倒れていたんだ。一体何をしていた、言え」


 明確な怒りを含んだ口調で追求する兄に何も言えず、紘子は黙って俯いた。


「……お兄さん、紘子さんは……」

「すまないが黙っててくれないか」

 堪えかねた由香里の仲裁も修司は冷たくはねのける。その眼はたった一人の家族に向けられている。

「――ごめん、なさい……」

 やっと搾り出した力ない声でもう一度謝罪する。紘子はそれ以外何も言えず、ただただ俯いていた。

「……こんなことになったお前を見て、俺が何も聞かずに納得するとでも思ってるのか。俺に言えないようなことをしているのか。それを俺が許すと思うか」

「…………」


 張りつめた空気が病室を包んでいた。どこかでカラカラカラ……とキャスターの転がる音がしているのが聞こえた。患者の点滴だろうか、それとも医療器具の運搬か。由香里は不安げな顔で鬼頭兄妹の顔を見比べていることしか出来なかった。


 そのまま何分経ったのか、それともほんの数十秒程度だったか定かではないが廊下から二人分の足音が聞こえる。やがてこちらに近づいてきたそれは病室の前で止まると、ガチャリと扉が開いた。


「おい~っす生きてっか大女」

 そこにいたのは上下レザーの金髪男、そして小さな女の子。どこからどう見ても怪し気な組み合わせの二人組である。

「あっ、紘子ちゃん! 起きてたんだね、よかった……けど」

 男の後ろから病室を覗いたカナは、ベッドから上体を起こして目を開けている様子を見て意識が戻ったことを一旦は喜んだ。しかし強面の刑事がその胸倉を掴み険しい顔をしているのに気が付き声を落とした。

「……何者だ。紘子とどういう関係だ」

 公園で顔を合わせた小学生はともかく、突如妹の病室に入って来た見たこともない危険な見た目の男を見て修司は警戒心たっぷりに問いかけた。まずい、と静観していた由香里は咄嗟に思った。


「あ、えっと……あの、あのね紘子ちゃんのお兄さん」

 ただならぬ空気を察してカナはどうにか話をしようとするが、うまく言葉が出て来ない。この人はポチという名前で元は小動物で――などと紹介できるはずがない。


「あれまぁオニーサマいたんすか。相変わらず顔怖っ」

「なんだあんたは。なぜ俺を知っている」

「あー、いやまぁ……んーどうすっかなぁコレ」

 ガシガシとめんどくさそうに頭を掻くポチ。由香里が無言の圧力で「何やってるのよ!」と訴えているのに気付き、まぁまぁとなだめるように手でジェスチャーする。


「んー……とりあえずオニーサマ、よーやく目ぇ覚ました妹さんをいきなり叱りつけるのはちょっとアレじゃないっすかね」

「アレだのコレだの何言われようがうちの問題だ、他人には口出ししないでもらいたい。そういうあんたは誰だと聞いている」

「わかったわかった、そーいうのも含めてどっかでサシで話しやしょーや。オニーサマタバコ吸います?」

「タバコは嫌いだ。なんであんたの言う事を聞く必要がある」

「いーじゃないっすかたまには。屋上でいいっしょ? もうお巡りさんとかいねーだろうし」

「俺も警察だ。待て、誰が行くと言った」


 事も無げに扉を開けて出て行こうとするポチだったが、心配そうに自分を見上げているカナの視線に気が付いた。

 ポン、と彼女の髪の上に掌を載せるとタバコを取り出してくわえる。

「先いきますよニーサン。……あ、火ぃ貸してくんない?」

「タバコは嫌いだと言っただろう。待て、だからなぜ俺が!」


 フラフラと病室を後にどんどん歩いていくポチを慌てて追いかける修司。結果的にポチの思惑に寄って場の空気は緩み、修司の追求が中断された形である。


「……だいじょーぶかなポチちゃん……」

「まぁあれで頭は良いしどうにかするでしょ。それより……鬼頭さん大丈夫?」


 兄から厳しい追求を受け何も言えなかった紘子の心情を由香里は慮る。掴まれていた患者服の乱れを直そうともせず、悲痛な面持ちで紘子はベッドの一点を見下ろしていた。

「……私、誰かを守りたい、助けたいって、ただその一心で戦うことを選んだ。だけどそうすることで兄さんを心配させて……あんなに怒らせてしまって」

「……覚悟の上だったとはいっても、やっぱり辛いよね」

 自分を慰めるようにそう言ってくれる由香里に紘子はコクリと頷く。


「でも……だからってあんなに怖い顔で怒らなくてもいいのに! だって、だって紘子ちゃんっ……こんなになるまでがんばって、みんなを助けたのに……それなのにあんなのってないよ……」

 カナが悔しそうに叫ぶ。ぎゅっと握った拳に力が入る。

「……カナちゃん、こっちに来てくれるかな」

 そんな相棒に紘子は呼びかける。それを聞いて由香里は今まで座っていたベッドの傍らを、カナのために空けた。病室の入口前からベッドの横に移動すると、紘子の手がそっとその髪を撫でる。

「とりあえず……三日間も心配かけてごめんね。かっこ悪いところいっぱい見せちゃったけど」

「紘子ちゃ……っ」

「ちょっと休んだらまた頑張れるから。また一緒に戦ってくれる?」

「……っ、うんっ……うん……!」

 撫でられていたカナがポロポロと涙を流す。嗚咽交じりで震える肩を、横から由香里がそっと抱いた。

「私もいるからね。二人が雄哉を守ってくれたお礼、させてほしいんだ。よろしくねカナちゃん」


 小さな魔導士が泣きやむまで、剣士とガンナーは優しく見守っていた。






「ふぅ―――っ……あーやっぱ高いとこで吸うタバコはうまいわ。バカとなんとかは高いとこが好きって奴?」

「濁す方が逆じゃないのかそれは」


 屋上から街を見下ろしながら黒づくめの金髪男は煙を吐いた。

 その様子を後ろからコートを羽織った刑事が訝し気に睨んでいる。

「オニーサマもちっとぐれぇ吸えばいいのに。刑事なんてお堅い仕事してっといろいろ溜まるっしょ?」

「余計なお世話だ。そんなもん体に害があるだけだろうが」

「はぁ、さすがお巡りさんはマジメっすね」

「そういう問題じゃない」

「じゃあどんな問題なんすか」

 振り返りもせずタバコを満喫する金髪男に修司は無愛想に返す。


「万が一肺癌にでもなって俺が早死にしてみろ。妹はどうなる」


 ポトリと灰を落として振り返る金髪男ことポチ。

 修司は続けた。


「うちには両親はいない。俺があいつのたった一人の家族なんだ」


 くわえていたタバコを落としブーツを履いた足でもみ消す。


「……あんたら兄妹やっぱそっくりだわ。顔怖いとこまで」

「灰皿を使え」

「持ってねーの、不良だから」

「自分で言うな。あんたの素性を俺は知らん」

「あーそうでしたそうでした。そんな素性も知らない男によくついてきたわねぇ」

「あのまま病室にいてはあの子たちに悪いだろう。……つい我を忘れてしまったと反省しているところだ」

「……大人じゃん」


 ポチは再び片手でわしわしと髪を掻く。ポケットに突っ込んでいた手を胸にあてるとおどけたように頭を下げた。

「とりあえず、あの良い子ちゃんトリオから『ポチ』と呼ばれ慕われておる者です。以後お見知りおきを」

「……ふざけているのか」

「いやふざけてないよ!? ポチちゃんいつでも真剣に生きてるから」

「そのポチとやらがなぜうちの妹と知り合いなんだ。あの子たちとは一体どういう関係だ」

「うーん……別に話してもいいんだけどさぁ、またふざけてるとか言われるのヤダ」

「安心しろ、病室から今までずっとふざけた男だとしか思っとらん」

「ひどくない? ……ま、いいや。手品だとかトリックだとか言って信じないのナシよ? ビーストモード!」


 そういうと金髪男の周りでボン、と小さな煙が巻き起こった。

 煙に紛れて男のシルエットは消え、煙が晴れるとそこにいたのは一匹の小動物だった。


「ビーストモード!」

 ビシッとポーズをとって叫ぶが二回目だった。

「えーというわけで改めましてポチちゃんですよ。かわいいでしょ」

 修司からすれば今まで話していた男が消え、代わりにみたこともない小動物が現れた。しかもその動物が男と同じ声で人語を喋り始めたのだった。


「……俺は夢でも見ているのか」

「あーもーだから信じないのナシっつったっしょ。あんたが見るもの聞くもの全部リアル! 誰だって夢見る少女じゃいられないんだよ?」

「その姿で妹やあの子らをたぶらかしたわけか」

「たぶッ……人聞きの悪い事言うな! 魅了したと言え!」

 喋れば喋るほどこの動物がさっきの男だと確信せずにはいられない。修司は頭を抑えた。


「――わかった、その姿のことは一旦置こう。話してくれ」

「はいよ。つってもどこからイクかなぁ……」






 どこにあるかも定かではない、薄暗い神殿のような造りの建物の中。その奥にある広々とした空間に、貴族のような姿をした銀髪の人物と煽情的なドレス姿のブロンドの女性が横並びに跪いている。

 その前には台座のようなものの上に水晶玉が載っており、怪しげな影がその中を揺れている。


「神聖帝國アスティカ軍・人間界制圧部隊幹部、ブラッド――」

「同じくレイヴン。参上いたしました――我らが総統、ルイン様」

 恭しく胸に手を当てた二人が水晶玉を前に頭を下げる。

 それに応えるように影が動くと、重々しい声が部屋の中に響いた。

『久しいな――人間界への侵攻に思いのほか手こずっているとのことだが、何か申し開きはあるか?』

 その声は低く歪んでおり、声の主がどのような姿なのか全く想像が出来なかった。

 ブラッドが緊張したような表情で口を開いた。

「……申し上げます。魔法界が人間界の者と結託し抵抗を始めております」

「魔法界から送り込まれた使者によって力を授けられた人間が、先だって送り込んだ機兵隊や大型機兵をことごとく打ち破っております」

 レイヴンも報告を続ける。

『くだらん。そのようなもの即刻排除すればよい。まさかそうと知りながら今まで静観していたわけでもあるまい?』

「……このような報告をするのは心苦しいのですが、我々自ら出向き刃を交えましたところ予想以上に手強く、思いもよらぬ反撃を受けております」

「侮るのは得策ではございません。速やかな作戦遂行のためにも、あの者達への対抗策を迅速に実行することが急務であると考えます」

 ブラッド、レイヴンと続けて陳述する。

 静かに報告を聞いていた影が、突然激しく蠢き始めた。


『――この役立たず共が!! 人間界などという低次元で脆弱な世界ひとつ満足に制圧出来ぬとは……貴様等仮にも我が帝國の幹部を名乗っていながら何と言う体たらくだ……!?』

「も、申し訳ございません……」

「全くもって仰る通りでございます……!」

 激しい怒りを見せる影に二人は必死に頭を下げる。


『……何故貴様等のような帝國の中でも地位の低い者を制圧部隊の幹部になど抜擢したか、その意味が分かっているのか? 人間界制圧などという、赤子にも務まる取るに足らない仕事程度なら貴様等如きでも完遂し得るであろう――そう考えて任せてやったのだ。それを邪魔が入ったので出来ませんなどと……恥を知らぬかこの帝国の汚点が……!!』

「……申し訳ございません」

「申し訳ございません、ルイン様……」

『ふん……もうよいわ、貴様等だけでは埒が開かぬ。早急に新たな人員を投入し作戦完遂を急ぐこととする。――よいか貴様等、これ以上醜態を晒すようであれば……分かっているであろうな?』

 含みを持たせた影の声に、ブラッドとレイヴンの身体がビクリと大きく震える。冷や汗を流しながら、二人は俯いたまま返事をするだけであった。

「――承知、致しました」

「全てはルイン様の御心のままに」


 もう一度深々と頭を垂れると、蠢いていた影が消え室内に張りつめていた空気が緩んでいった。



「……だいぶピリついてるわね大将」

「ああ……生きた心地がしないよ」

 ゆっくりと立ち上がるレイヴン。その顔には未だに緊張の後が色濃く残っている。ブラッドも同じく立ち上がると額にかいた汗を拭いつつ髪を掻き上げた。

「役立たずに恥知らず、ついには汚点ときた。どうやら僕らはいつまで経ってもルイン様の嫌われ者らしい」

「別に好かれたいとは思わないけどね……侵略なんて辞めちゃう?」

 冗談めいた口調で聞くレイヴンにブラッドも自嘲気味に返す。

「そんなことしたらそれこそ僕らに未来はないさ。――まぁ、今のままでもどうだかわからないけれどね。まったく難儀な職場に拾われてしまったものだ……君も僕も」

 答えながら疲れたような、それでいて微かに悲しそうな顔をするブラッド。その表情をレイヴンは見逃さなかった。

「……よしなさい、今更どうなることでもないわ。どの道アタシ達にはこの生き方しか無かったのよ。そうでしょう?」

「ああ……すまない。疲れているのかな――最近妙な考えに囚われることが多くてね」

「それってあのコ達のせい?」

 人間界を身を呈して守ろうとする少女達――自分たちの仕事を滞らせる張本人たちを指してレイヴンは問いかけた。

「……そうだね。そうかも知れない。……おや?」

 そこまで言ってブラッドは部屋にもう一人誰かがいることに気が付いた。天井を支える太い柱の陰に人影を見つけたからである。

「――リコリス。いつまで隠れているんだい? 出ておいで」


 その声に応えて柱の陰からもじもじと姿を現したのは、ゴシックパンクな服装に身を包んだ小柄な少女――の姿をした、れっきとした弟である。


「姉様ぁ……」

「どうしたんだい、そんなに泣きそうな顔をして。ひょっとして僕らを心配してくれていたのかい?」

 ブラッドが優しく声をかけると、リコリスは厚底ブーツを鳴らしてブラッドの胸に飛び込む。

「うう~、リコ、やっぱりあのガンコ総統嫌い! いっつも姉様に嫌な事ばかり言って……リコ、リコ悔しいっ……!」

「おっと……滅多な事を言うものではないよリコリス。僕なら平気さ、もう慣れたものだからね」

「はぁ~お嬢ちゃんはいいわよねぇ、立場も何もないからお気楽で。だーい好きなオネーサマのことだけ考えてればそれでいいんだものねぇ」

 深いため息を吐くレイヴンにリコリスはムッと頬を膨らませた。

「うるさいわねオバサン! 一応アンタのことも心配してやってたのに何よぅその言い草は!」

「はいはいそりゃどーも。……それにしても、人員を増やすとかなんとか大将言ってたわよねぇ。どんなのが来るのかしら?」

「さぁね……総統直々のご推薦だ、せいぜい期待して待つとしよう」

 物言わぬ水晶玉をもう一度見ながら応えたブラッドの表情は、言葉に反してあまり喜ばしいものには見えなかった。






 ガチャリ、とドアの開く音がして病室の少女三人は入口を見た。コートを着た仏頂面の刑事・鬼頭修司が帰ってきていた。


「お帰りなさい……あ、あの、一緒にいた彼は?」

 由香里は恐る恐る刑事に聞く。見たところ修司一人のようだったからだ。

「……全て彼から聞かせてもらった」

「……え……?」

 兄の言葉の意味が分からず一瞬困惑する紘子。その目の前で、兄の肩口から小動物がひょこっと顔を出したのだった。

「まぁそういうことよ」

「うわわっ!? ぽ、ポチちゃんどうして……!?」

 何故修司の前でその姿になっているのか。慌てるカナに気付くと、修司はその傍らに立ってその幼い顔をまじまじと見る。

「えっ……えっと、何、かな?」

「――妹を救ってくれてありがとう。頂いたケーキもとても美味しかったと、ご両親に伝えて欲しい」

 そう言いながら彼女の小さな手を握る。

「ふぇ……あ、うん……」

 真正面から大の大人に大真面目に感謝され、カナは呆気に取られたような返事をする。

 続いて由香里の方を見ると、彼女にも頭を下げる。

「妹を守ってくれてありがとう。危なっかしい奴だが、これからも仲良くしてやって欲しい」

「い、いえそんな……」

「おいおいニーサンよぉ、あんたら兄妹の真顔はゼロ距離のガキにゃおっかなすぎるんだっての」

 いつの間にか修司の肩から降りてベッドの上にいるポチが口を挟む。余計なお世話だこの野郎と思いながら紘子は自分の兄をただ見ていた。どうやら本当にポチから大体の話を聞いてしまったらしい。

 改めて少女三人を見ながら彼はゆっくりと口を開いた。


「――この世界に今起きていること。君達が陰で戦っていること。全てポチから聞いた。まったく信じられない話だ。信じられない話だが……現にこうして怪我をして入院までしている妹を見て――いや、三日前にここを襲った連中を見ていると、信じざるを得ない。そう思った」

 あくまでも平静を保とうと努めるような口調で修司は続けた。

「そんな危険な戦いなど無謀すぎる。今すぐやめろ――そう言うのが警察であり大人であり、兄である俺の務めだ。その考えは変わらない」

 三人の表情が険しくなる。それに気付いたかは定かではないが、修司の言葉は終わらない。

「ただ……君達がいてくれなければ今頃この病院はどうなっていたか分からない。あれだけの事件がありながら、患者や関係者に重傷を負った者はいなかった。君達が奴らと率先して戦ってくれていたからだ。――我々警察が駆けつけておきながら、何も出来なかったというのに、だ」

 ぐっ、と修司の手に力が籠る。

「情けない話だが――警察の力では及ばない相手がいることを俺は思い知った。そんな奴らに打ち勝つ力を君達が持っていることも」


 修司はベッドの傍らに移動すると、椅子に座り紘子をじっと見つめた。

「――紘子。俺はお前のただ一人の兄で、お前は俺のただ一人の妹だ。父さんと母さんがいなくなってからずっと、二人で暮して来た」

「……うん」

「俺がどれほどお前を大事に思っているか分かっているな」

「うん」

「もうこんな心配を掛けるようなことはしないと――必ず無事に毎日帰ってきてくれると、そう約束してくれるか」

「……うん、もう大丈夫」

「……そうか。大丈夫か」


 そう頷くと修司の顔が心なしか優しく微笑んだような気がした。

「いつの間にかこんなに大きくなってたんだな、お前」

「……兄、さん……」

 紘子の頭をそっと撫でると、修司は立ち上がり病室の出口へと向かう。扉を開けると振り返ることなく言った。

「何か警察の力が必要な時はいつでも言ってくれ。可能な限り力になる。だがくれぐれも取り返しのつかないような無茶はするな。……失礼する」


 それだけ言って病室を後にした。


「……物分かりのいいあんちゃんで助かったわ」

 ポチが安心したような声を漏らす。

「とりあえず良かったね、鬼頭さん」

 にこっと微笑みかける由香里に、紘子は撫でられた頭を触りながら恥ずかしそうに「……うん」と頷いた。

「紘子ちゃんが退院するまで毎日来るからね! 早く元気になろっ」

 無邪気に励ますカナに、紘子もつられて笑った。


(それにしてもまさか顔や雰囲気だけでなくツッコミの腕もあそこまで似ているとは……この兄妹侮りがたし)

「なんか今変な事考えてなかった?」

「いえ別に」

 ポチは改めて兄妹だな、と再確認した。






 病院を後にし、ブラックコーヒーを自販機で買って一口飲む。

 ふぅ、とコーヒー臭い息を吐いて、修司は一人呟いた。


「これで良かっただろうか……父さん、母さん」


 その問いかけに答える者は、誰もいなかった。

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