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第三話「友達」


「では今日はこのへんで。今やったところはしっかりと復習しておくようにな」



 眼鏡をかけた中年の男性教師がそう言って教科書を閉じるのとほぼ同時に、午前中の授業が終了したことを告げるチャイムが鳴り響く。起立、礼の後に教室内の空気が緩むと、学生達は思い思いに昼休みを始めた。

 窓際の最後列の席に座る鬼頭紘子も昼食にしようと机の上の教科書とノート、筆記用具を片付け始めた。机の横に掛けてあった鞄を開け、勉強道具と入れ替わりに弁当箱を取り出す。


「ねぇ、ちょっといいかな?」


 右方向から急に声を掛けられ、紘子は体を強張らせる。声のしたほうを見ると三人の女子生徒が立っていた。前日にケーキ屋『向日葵』前で遭遇した三人組だった。やはり先頭真ん中に立っているのは生徒会役員の彼女だ。


「な、何か、用……?」


 普段から教室の中で孤立している自分にわざわざ話しかけてくるなんて、一体どういう用件なんだろう。それも昨日の今日で。まさか何か変なところでも見られたのか、それとも知らないうちに自分が何か彼女たちに迷惑なことでもしてしまったのだろうか……。

 数秒もしない間にそんな考えを頭の中で巡らし凄まじく動揺しながらやっと搾り出した一言にも、今の応じ方で不快な思いをさせてはいないだろうかとすぐさま不安になる。

 目の前の大女の内心を知ってか知らずか、彼女はさも普通の事のように微笑みながら続ける。


「うん。お昼ご飯、一緒にどうかなと思って。鬼頭さんさえよければ」


 ああ良かった。別に何か嫌な思いをさせたとかそういうことでは無いらしい。一瞬安堵してから紘子は思い直す。

 いや待て。なんで突然私なんかにそんな誘いを。こんなデカい根暗女とご飯なんか、せっかくの昼休みを台無しにしてしまうかも知れないのに。ほら、後ろにいる子たちだってやっぱり怯えてる。


「……その、私なんかと食べたら、きっとおいしく無くなっちゃうから……」


 そう言って弁当を持って席を立つ。この会話を切り上げるためには、行く場所も無いのにそうせざるを得なかった。きっとこれで完全に感じの悪い人だと思われる。けど仕方ない。

 立ち去ろうとする紘子を前に生徒会の彼女の笑顔に陰りが差す。何か言おうとするが、それよりも先に声を上げたのは後ろにいたうちの一人だった。


「そ、そんなことないです! 鬼頭さんとご飯、食べたいです!」






 結果的に言えば鬼頭紘子と昼食をとりたいと言い出したのは後ろにいた二人の方で、声を掛けてきた生徒会書記の小山由香里(こやまゆかり)がその手助けをした形だったらしい。念願叶って昼のひとときを一緒に過ごすことになった四人は、校舎の屋上にて晴天の下ランチタイムを始めるのだった。


「鬼頭さんのそのお弁当、もしかして手作り?」

「あ……うん。毎朝、自分で……」

「へぇ、すごい! 料理上手なんだね!」

「いや、その……別にそんなたいしたものは作れないし」

「それでもすごい! お弁当、おいしそうだもの」


 まるでいつものことのように軽快に投げ掛けられる小山由香里の言葉を打ち返すことに四苦八苦しつつも、横目で他二人を気にしてみる。

 紘子の弁当を興味深そうに見ていたかと思うと、視線に気がつき顔を上げた拍子に紘子と目が合う。顔を赤くして俯く。二人して全く同じ反応だった。向こうから誘って来たわけだし嫌われてるとか怖がられてるわけじゃないよな……と思いつつ、彼女たちの挙動の理由が分からない。


「……もう、二人とも。鬼頭さんが不思議そうな顔してるよ? せっかく誘ったんだから何か話したら?」


 呆れたように笑いながら由香里が促す。そう言われて紘子を見ると、二人で顔を見合わせて小声で何か言い合っている。どっちが先に話すか決めあぐねているらしい。見かねた紘子が「あの……」と何か言おうとする。


「……わ、わたしたちっ、鬼頭さんと友達になりたくて! だから、なってください!」


 先手を打ったのはさっき立ち去ろうとした紘子を止めた彼女だった。頭を下げて右手を差し出す彼女の傍らで、もう一人の眼鏡を掛けた子がコクコクと頷く。


 紘子は何かを言おうとしたまま完全にフリーズしていた。

 友達になりたい。だからなってください。その言葉の衝撃を脳が処理し切れず機能停止したのだった。


 膠着状態のまま止まった時間を小山由香里の声が軟化させた。


「三人とも、いつまでそうしてるつもり? お昼休み終わっちゃうよ?」


 その声をきっかけに再起動を完了した紘子がおずおずと口を開く。


「……そ、そんな……私なんかこんな見た目で、喋りだって下手くそだし」

 差し出された手が信じられず、またそんな卑下を始めてしまう。


「周りの皆だって怖がってるの、知ってるでしょ……だから私なんかと、その……友達になっちゃダメ、だと思う」

 自分で言いながらだんだん情けなくなって来る。せっかく彼女達が歩み寄って来てくれたのに。なんでこうも自分は悪い方向に頑ななのだろう。

「きっと……迷惑かけちゃうから」

 言い終わる頃には無意識に俯いていた。差し出された手は視界から消えて、見下ろすと握りしめた自分の拳があった。友達になりたいと言ってくれた彼女たちは今、どんな顔をしているのだろう。やっぱり私って最低だ。



 不意にその手を横から掴まれた。抵抗する間もなく腕を引っ張られると、握手するように手をつなげさせられる。


「はい、友情成立! クラスメイトなんだから仲良くしなきゃね」

 小山由香里が間に入りお互いの手を強引に握手させていた。想像していなかった事に紘子は目を点にしていた。


「……ねぇ鬼頭さん。どうしてそんなに自分を悪く言うの?」

 由香里が真剣な顔で問いかける。

「同じケーキ屋さん行ってて、お昼ご飯付き合ってくれて、料理が上手で……そんな鬼頭さんを私たち、この目でちゃんと見てるんだよ。ううん……もっと言えば私たち、同じ教室で毎日過ごしてるんだよ。そのうえでこの子たちは友達になりたいって、ずっとそう思ってたの。それじゃダメなのかな?」


 改めて紘子は握手した反対側の二人の顔を見た。『向日葵』の前やさっき教室で見たのと同じ、あの怯えたような顔だった。



 ああ、そうか。きっとこの子たちは私に怯えてるんじゃなかったんだ。私と話がしたくて、近づきたくて……でも嫌われたらどうしよう、嫌な思いをさせたらどうしようって、そのことに怯えていたんだろう。

 そんな不安を抱えながら、今日やっと私に手を差し伸べてくれたのに。私はいつもと同じように、あれこれ言い訳を作りながら実際は何も考えずに――その手を振り払おうとしていた。人を傷つける『最低な私』に、勝手に自分からなろうとしていたんだ。



「……その……ごめん。ありがとう。これからよろしくね。ええと……」


 由香里に支えられて、触れているだけだった手を自分の意思でしっかりと握る。そういえば、この子たちの名前すらも知らなかった。知ろうともしていなかった。

 その言葉を聞いて心底嬉しそうに目を輝かせて二人が名乗る。


「久下田、久下田亜矢(くげたあや)ですっ!」

樋口尚美(ひぐちなおみ)ですぅ……うう、嬉しいです……」


 握手した手をぶんぶんと元気よく振る久下田というポニーテールの少女と、安堵と感激が混ざったように胸を抑える樋口と名乗った眼鏡の少女。

 自分が連れて来た彼女たちの目的が果たされたことに微笑む小山由香里が続く。


「じゃあわたしも……生徒会書記の小山由香里です。って、ここ来る間にも言ったけど。同級生なのに今さら自己紹介っていうのもおかしな話だね」


 セミロングで揃えた綺麗な髪を触りながら少女が差し出す手に、今度は素直に握り返すことが出来た。

「鬼頭紘子……です。よろしく……えっと、小山さん……」


 妙にかしこまったような挨拶をする紘子に亜矢が口を挟む。

「そんな他人行儀にしなくてもいいのに。あたし達はゆかりんって呼んでるし」

「由香里ちゃんのことそんな風に呼んでるの亜矢ちゃんだけだよぅ」

「え~? ナオもゆかりんって呼べばいいじゃん」

「恥ずかしいからやだよぉ……」


 呼び方ひとつで漫才を始める亜矢と尚美。そのやり取りに笑いながら由香里が応える。

「はいはい、好きなように呼んでくれればいいから! それより久下田さんも樋口さんも、のんびりしてていいの? お昼休み、そろそろ本当に終わっちゃうんじゃない?」

 そう言って屋内に通じるドアの上に掛かった時計を見れば、午後の授業開始時刻までもう十分も無くなっていた。


「……やっば! ひろっち、急いで食べよっ!」

 ほとんど手をつけていなかった購買の焼きそばパンにかぶりつく亜矢。

「ひ、ひろっち……?」

「うう~、わたし早食いは苦手なのに……紘子ちゃん助けて……」

 妙な呼ばれ方をされ困惑する紘子に助けを求める尚美だったが、弁当を口いっぱいに頬張っているつもりがほとんど減っていない。

「樋口さん、あんまり無理しちゃダメだよ? ……鬼頭さん、私たちも急ごっか」

「うん……由香里さん」


 その後、四人がそれぞれの昼食を片付けて教室に戻り席についたのは現代文の教師が到着するわずか二分前のことだった。






 アスファルトに散らばる機械的な部品の欠片。それをゴミのように踏みつけて、数体の人影が飛びかかる。小柄な男性程度の背丈に金属的なアーマーで全身を覆った無機質な外見は、数日前に現れた巨大ロボットを連想させる。標的は赤い衣装を纏った一人の女性。

 動物の鳴き声にも聞こえる耳障りな機械音を鳴り響かせ、標的を取り囲むように殺到したが、一瞬のうちに彼女の振るう大剣によって横一文字に薙ぎ払われる。

 斬り裂かれた箇所からは配線や部品が覗き、彼らがやはり生物ではないことを物語っていた。


 少し離れた場所では同じ人型機械の集団が黄色い衣装に包まれた少女に襲い掛かる。少女が手に持った自身の身の丈以上の長さもある杖をくるりと振り回すと、彼女の手から杖に伝うように光が包み込む。構わず少女を手にかけようと機械たちが迫る。


「シャイニング……ストォォォオムッ!!」


 少女が杖を足元へ突き立てると、彼女を守るように光の奔流が嵐のように立ち昇る。圧倒的なエネルギーの爆発に巻き込まれた機械人形たちは成す術なく吹き飛ばされ、破壊されていった。




「……ふぅ、どうやら今回もどうにかなったみてーだな。二人ともお疲れさん」


 どこからともなく現れた喋る小動物・ポチが労いの言葉を掛ける。それは周囲一帯に人型機械の存在が無くなったことを意味していた。

「はぁ、よかったぁ……紘子ちゃんだいじょーぶ?」

 たった今光の魔法で敵を一掃した少女――カナは安心したようにその場にへたり込む。

「うん、大丈夫。カナちゃんこそケガはない?」

「えへへ……ちょっと疲れちゃったけど平気だよ!」

 にっこりと笑うカナを見て大剣を携えた女剣士――紘子も静かに微笑んだ。

「……しっかし紘子よ、やっぱおめーが戦ってると特攻服(トップク)着込んだレディースの総長が喧嘩してるようにしか見えねーなぁ。この際だから武器も鉄パイプとかメリケンサックに変えるか?」

「悪かったな悪人顔で」

 そんないつものやりとりを見て、カナはクスクスと笑う。



 このところ連日にわたってアスティカからの襲撃が続いている。紘子に大型ロボットを破壊されて以来、構成員を等身大サイズの機械兵士に切り替えて来ていた。

 一体ずつの戦闘力は脅威的なほどでは無いが倒されることを厭わず、とにかく数で攻めてくるのが特徴的だった。周囲の破壊や一般人への手出しもそこそこに、むしろ紘子とカナをおびき出して戦いを挑んで来ているような印象さえ受ける。


「……こいつら、いつも大勢で襲って来るのに、こうやってある程度やられたところで毎回ピタッといなくなる……変だと思わない?」

 足元に転がる敵の残骸を見て、紘子は戦いの中で感じた違和感を口にする。

「そうだなぁ……たぶんその気になりゃあおめーらがヘトヘトになって動けなくなるまで数でごり押して、一気にツブそうとしてくることだって出来そうなんだがなぁ。まぁ、そうして来ないのはこっちとしてはありがたいことなんだが」

 紘子の問いかけにポチも見解を述べる。

「そんなことされたって負けないもん!」

「その割におまえさん、さっき疲れたとか言ってなかったか?」

「ちょっとだけだもん!」

 強がるカナに苦笑しながらも紘子は考える。ポチの見解が的外れでなければ相手側にそうしてこないだけの意図があるのではないか。紘子は続けてつぶやく。

「……何か企んでるのかな」

「そうだろうな。ただし企んでるのはこいつらじゃねえ。ただの機械にモノを考えるオツムなんざねえからな。ま、とにかく今日のところは…………っ!」



 言い終わる前に、ポチは何かを探るように辺りを見回し始めた。

 戦闘後の緩んだ空気が再び張りつめたように感じられる。



「……悪いな二人とも。もうちっとだけ残業してもらうハメになっちまった」

「残業程度で済めばいいけどね……」


 ただならぬ気配を感じ、紘子は大剣を構える。カナも杖をぎゅっと握り締めた。


 数メートル前方に黒い光が集束していく。アスファルトに円型の魔法陣が描かれていく。

 その中心からズズズ・・・と禍々しい音と共に一人の人間の姿が現れた。


 銀色の長髪と貴族のような煌びやかな衣服、その上から全身を守るような長いマントを羽織っている。目を閉じたその容姿はかなりの美形で、透き通るような白い肌と相まって現実離れした風貌はその周囲だけ異様な空気を漂わせている。


 やがてゆっくりと開かれた目は髪と同じく銀色に輝き、紘子たちを見据えていた。


「君たちかい? ここ最近僕らに――偉大なる神聖帝國アスティカに刃を向けている愚か者というのは……」


 中性的なトーンで静かに響く声が紘子とカナに届いた。目の前にいるのはただの人間ではない。二人は直感的にそう悟っていた。


「これは驚いたな……見ればまだかわいらしい少女二人。とは言えなかなかの魔力をその身に宿しているようだが……君たちはこの世界の原住民だろう? そんな危ない力、どうやって手に入れたのかな?

 警戒している二人とは対照的に、キザったらしい口調で語る銀髪貴族。


「ああん? 俺がやったんだけど。何か文句あっか?」

 紘子とカナの前に立ちふさがるような位置で、ポチが鼻をほじりながら悪びれもなく言い放つ。きたねーな、と紘子は思った。

「君は……くくっ、あはははははっ! そうかそうか、そういうことか!」

 ふてぶてしい小動物の存在を確認した途端、突然天を仰いで高笑いを上げる銀髪。何がそんなにおかしいのか、ひとしきり笑うと目尻の涙を拭って続けた。


「ああ滑稽だ。誰かと思えば……そんな姿に身をやつしてまでなお、君は他人の為に足掻いている訳か! それも今度はこんな辺境の世界で、そんな脆弱な協力者を引き連れて。いやあ恐れ入ったよ!」

 相手の言っている意味が全く理解出来ないが、銀髪に何も言い返さず笑われ続けるポチの様子がいつもと違うのは紘子にもわかった。ただ一言、よけーなお世話だ。とかすかな声で吐き捨てたのが聞こえた気がした。


「……ポチちゃんをバカにしないで」

 すぐ隣にいるカナの震えるような声が聞こえ、紘子は彼女を見た。

「それ以上ポチちゃんを笑ったら、絶対許さないんだから!!」

 杖の先を銀髪へと突きつけ、カナが叫ぶ。相手がなぜ笑っているのか、ポチがどんな過去を抱えているのか、カナには何も分からない。それでもカナには笑われるのがどうしても我慢ならなかった。


「……ふぅん、いい子を見つけたじゃないか。この僕に対してここまで吠えるなんてね。隣の彼女も先ほどからなかなか鋭い剣気を放っている……いいだろう」


 銀髪が体を包むマントを翻すと、全身からどす黒いエネルギーが湧き上がる。銀色の瞳が血のように赤く染まっていく。


「申し遅れたね。僕はアスティカ軍幹部の一人、『鮮血』のブラッド。ここまで抵抗し続けた君たちに敬意を表して直々にお相手しよう。かかっておいで」

 

 禍々しい空気が周囲を支配していた。こいつをこのまま野放しにしてしまったら、どれほどの犠牲が出るか分かったものではない。紘子の中で得体のしれない敵への恐怖より、その思いが上回っていた。


「……はぁぁああああああっ!!」

 嫌な予感を振り払うように叫び、紘子は剣を構えて走り出した。

「紘子ちゃんっ!?」

「馬鹿野郎! 今までの連中と格がちげぇことぐらい分かんだろ! 考え無しに行くんじゃねえ!!」

 カナとポチの声を背後に、長身の銀髪貴族に向かっていく。剣を手に突進して来る相手を前に、嘲るような笑みを浮かべながら無防備に立っているのが不気味だった。


 袈裟懸けに振り下ろされた大剣はブラッドの肩口に叩きつけられる。

 しかし幾多の敵を一振りで斬り伏せて来た剣が役目を果たしたのはそれまでで、このときばかりは皮膚を裂くことも無ければ骨を砕くことも無かった。

 ブラッドの起こした行動と言えば、マントを僅かに引いて剣が振り下ろされる箇所を覆うことだけであった。


「……おもしろい子だな。基本は魔力を剣やその身に纏わせて強化させているようだが、驚くほど高いレベルでその術を無意識に体得している……わざわざ機兵たちをたくさん使って収集した情報は正しかったようだね」

 大振りの剣を叩きつけられたはずなのに、まるで品定めでもするかのように紘子をまじまじと観察している。

「……くっ……せやぁぁあああああっ!!」

 怯むことなく至近距離から大剣を振りかぶり、斬りつける。腹部や腕部、肩口。何度も何度も剣を振り下ろすが、ある時はマントで防がれ、ある時は片腕で軽くいなされ、一度もダメージを与えたようには見えない。


「やれやれ……君みたいに魅力的な子が、そんなに下品な踊り方をするものではないよ。何をそんなに必死になっているんだい?」

 絶えず振り下ろされる剣撃に涼しい顔をしながら、右手に黒いエネルギーを集束させていく。数秒の後にそれは大きな鎌の形をとり実体化する。


 ガギィィィィィィィイインッ・・・!!


「ちょっと落ち着きなよお嬢さん。それとも僕と踊るのは不服かい?」


 紘子が振り下ろした何度目かの剣を、大きな鎌の刃が受け止めていた。

 空想の死神が持つような見た目をしたそれは、今のブラッドの瞳と同じく血で塗り固めたように赤い色をしている。


「……誰が、お前なんかと……!」

 防がれた剣に力を込めながら紘子は吐き捨てるように言う。

「そうかい、残念だなぁ」

 まったく残念そうに見えない笑みを浮かべてパチン、と左手の指を鳴らした瞬間。

 紘子の体を何かが拘束する。腕、脚、腹部や胸に巻き付いたそれは地面から――正確にはそこに描かれた魔法陣から湧き出ていた。


「あ、ぐぅぅぅっ……くぅっ……!?」


 体に走る痛みに紘子は呻いた。彼女に絡みついていたのはおびただしい棘を持った植物の蔦だった。その棘が体を防護する魔法衣をも貫き、彼女の皮膚に突き刺さる。


「ふふっ……この不用心さは確かに戦いに慣れた者とはとても言い難い。歴戦の士ならこの魔法陣に警戒したろうに。これも機兵たちの情報通りだよ」

「こ…んな、もの………っ、くぁぁああっ……!」

 振り払おうと体を動かすが、蔦がさらに体を締め上げる。棘が体に食い込む。

「無理はしない方がいい、どんなに力自慢の男だろうとその蔦から生身で脱出することは出来ないからね。もがけばもがくほど棘が刺さることになる」

「う、く……っ、うぁあああっ!!」

 なんとか抜け出そうと力を入れる度に肌を深く抉られ、紘子は断続的に苦痛の声をあげる。嗜虐的な笑みを浮かべながら、銀髪の悪魔はその様子を見ていた。


「さて……このまま君が力尽き果てるまで見ているのも一興だが、あいにく僕には他にもやるべきことがあるからね。名残り惜しいがここでさよならだ」

 手にした真紅の大鎌をゆっくりと振り上げる。

「君も他人を守ろうだなんて考えず、その身を戦いに投じたりしなければこんな目には遭わずに済んだのに。さぁ、もう苦しまずに済むからね……」


 身動きのとれない紘子の命を刈り取るため、死神の刃が振り下ろされる。

 しかしその凶刃が彼女へと届くことは無かった。


 紘子を守るように光の壁が現れ、大鎌の刃を遮っていた。


「へぇ……これまた驚きだ。こんなところで光魔法の使い手のお目にかかれるとは」


 銀髪をかきあげ別方向へ視線を向ける。そこには杖を片手にこちらを睨み付ける少女が立っている。


「……カナ、ちゃん……っ……」

「紘子ちゃんを放して……今すぐ!」


 カナが叫ぶ。するとブラッドを包囲するように光で描かれた魔法陣がいくつも空中に現れた。

 魔法陣の中心に光の球が形成され、加速度的に熱量をあげていく。


「……凄いな。ここまで大量の放出魔法とは……なるほど、剣士の彼女が前衛を務めている間、その時間を全速で魔力充填と術式展開にあてたんだね。君の入れ知恵かい?」

「俺はむやみに突っ込むなって言っただけだ。てめーみてーなクソ野郎にこいつらをやらせるわけにはいかねーからな」

 カナの足元の小動物が吐き捨てるように言う。表情からは読み取れないが、その言葉には明らかに強い怒りが含まれていた。

「ふふっ……単なる少女に過ぎないこの子たちがなぜここまで僕らに抗えるのか、少しだけ分かった気がするよ」

 ブラッドが笑ったのと光球の熱量が臨界点に達したのは、ほぼ同時のことだった。


「……いっけぇぇぇっ! コメット・スウォームッ!!」


 カナが杖を振り下ろす。それを合図に無数の魔法陣の中心から大量の光の弾丸が降り注いだ。全弾がブラッドを目標に、まさに光速を伴って殺到していく。

 轟音を響かせながらアスファルトに突き刺さり、周囲を崩壊させながらその威力をまき散らしていった。


 やがて砲撃が止み、辺りに立ち込める煙がそのすさまじさを物語る。空中の魔法陣群、そして紘子を守っていた光の防護壁が掻き消える。同時に紘子を拘束していた棘の蔦も、まるで力を失ったようにその戒めを解くとそのまま朽ち果てていった。


「ぐ、ぅ……」

 棘に突き刺された傷を庇いながら紘子は片膝をつく。剣を支えにしながら前を見ると、煙の中に佇む人影が見えた。

「……嘘でしょ……?」

 敵はまだ健在だった。その事実に絶望したように口走る。煙が晴れていく。マントは破れ衣服にも焼け跡や汚れがあるものの、ブラッド自身はまだ笑みを浮かべながら立っていた。


「……参ったね。君たちを完全に見くびっていた、その非礼をまずお詫びしておこう」

 持っていた大鎌を手放す。柄はひび割れ、鋭利だった刃は真ん中から折れている。地面に落ちると耳障りな音が鳴った。

「ああ、安心するといい。今日のところはこれ以上手出しをするつもりはないよ。機兵たちから得た情報は役に立ったが、それ以上の収穫がたくさんあったからね。やっぱり何でも実際に見てみるものだ」

「ならさっさとケツまくって帰れや。てめえのその口調は気にくわねえんだよ、新キャラのくせにべらべら喋りまくりやがって」

 新キャラって何だ、と紘子は思った。

「ただ、君たちのことは帝國にも改めて報告させてもらうよ。これからは君たちを明確な敵とみなすことになるだろう」

 破れたマントを翻すと体を覆い隠す。足元に魔法陣が現れる。ブラッドの体がつま先、下半身、腰とその中心に沈み込むように消えていく。

「君たちは美しい。僕は美しいものが好きだが、その美しいものが歪み、壊れていくのを見るのも無上の悦びなんだ。その時を心から楽しみにしているよ……」

 

 ねじれた笑顔を浮かべながら完全に姿を消す。ブラッドを飲み込んだ魔法陣も掻き消え、辺りを静寂が流れ始めた。



「紘子ちゃんっ!」


 傷を抑え片膝をつく剣士の元へ、杖を持った少女が駆け寄る。近づくとその傷の深さがよりはっきりと分かる。カナはもう泣きべそをかいていた。


「ひどい……こんなのひどすぎるよ……」

「カナちゃん……大丈夫、これくらい全然平気だから」

「そんなはずないよっ! あんなひどいことされて、こんなに痛そうなのにっ……ぐすっ……わたし、紘子ちゃんがアイツにやられてるのに何も出来なかった……友達が目の前で苦しんでるのに、何も出来なかったよぉっ……」


 カナはぽろぽろと涙をこぼして嗚咽する。悔しくて、悲しくて、自分が許せなくて、光の魔法使いは泣いていた。


「……そんなことない。カナちゃんは私を守ってくれた。ロボット達との戦いでがんばった後なのに、あんなにすごい魔法まで使って……そのおかげで私、このくらいの傷で済んだんだよ。だから泣かないで……?」

 涙を流し続ける小さな友達の髪をそっと撫でる。傷の痛みより、この泣き顔を見ているほうがずっと辛い。紘子はそう思った。


「あんなレベルの奴がこの段階で出て来る事態を予測し切れなかった、俺の甘さが原因だ。なのに簡単にツブれなかったおめーらの踏ん張りが、あちらさんの予想以上だったのよ。自信に思うことはあっても気に病むこたぁねーよ」

 いつの間にかそばにいたポチが、心なしかいつもより柔らかいトーンで話す。

「それにしたっておまえさんはもうちょい相手を見ることを覚えたほうがいい。無謀と勇敢ってな似てるようで全然違うもんだ。どっかで聞いたような文句だが、なかなかどうして馬鹿にはできねえ」

「……うん……ごめん」

 小動物に珍しく真剣に諭され、紘子は素直に謝罪した。

「理解して反省したなら次から生かしゃそれでいい。おら、今日はもうアガリだ。ちびっこはもう泣くな。おっぱいは傷の治癒に魔力を回しておけ。あと念のため言っとくけどさっきのアイツ、女だからな」

「「ウソぉぉぉぉ!!?」」


 今日イチの衝撃に完璧なハモリを披露した二人。

 その背後からまったく予想外の声が飛び込んできたのはその直後だった。




「……鬼頭、さん……?」

「えっ」


 振り向くと、制服を着た少女が一人。驚いたような顔をしてこちらを呆然と見ている。鬼頭紘子のクラスメイトであり友人の、小山由香里だった。


「鬼頭さん……だよね? どうしたのその恰好……」

「あ……ええと、その……」


 剣士の姿となって危険な敵と戦っている。それを何も知らない知り合いがもし目撃したとしたらどうなるのか。そんな根本的なことに今まで全く目が向かなかったことを紘子は今更ながら後悔しつつ、後ろ手で小動物の頭を鷲掴みにする。そのまま顔面を突き合わせて小声で言い合い始める。


(ちょっと! どうすればいいのこの状況……!?)

(何だよ身内かよ? ……いや、でもおかしいだろ)

(おかしいって何がだ!?)

(言ってなかったがおめーらの今の姿は事情を知らない人間が見ても、日常の姿と同一人物と認識できないよう感覚操作の魔法が常時かかってるんだよ。つまり何も知らねえおまえの身内が今のおまえを鬼頭紘子だと普通分かるはずないんだが……)

(んなこと言われても現に今完全に分かられてるんだけど! 完全に鬼頭紘子にしか見えてないみたいなんですけど!?)


 謎の小動物の頭を鷲掴みにして頭突きをするような勢いで小声で捲し立てているクラスメートを、戸惑った表情で見ている由香里。カナは彼女の顔を見て、このおねーさんよくうちのお店に来てくれる人だ、と思った。


「あの、やっぱり鬼頭さんなんだよね? なんかこの辺りですごい音がしてたみたいなんだけど……それにその喋るタヌキみたいな動物は何……?」

「あ、あの、ごめん……! いろいろ驚かせちゃって、でもこれは……あの……」

 何とかごまかそうと必死になればなるほど言葉が出て来ない。まずこれだけ動揺を見せている時点で自分が鬼頭紘子だと認めているも同然なのだが。頭が混乱状態となっている紘子の手を、小山由香里が両手で握っていた。

「……鬼頭さんのバカ! どうしてすぐに謝るの? よく見たらあちこち傷だらけじゃない!」

「あ、いや……これはちょっといろいろあって……」

「友達がこんなケガしてるのにそんなので納得出来ると思う? 何があったのかちゃんと教えて!」

 詰め寄る由香里だったが、不意に制服を引っ張られる。見ると杖を持った小さな女の子が悲しそうな顔で服を握っていた。


「あのね……そんなに紘子ちゃんを怒らないであげて。紘子ちゃん、何も悪いことしてないよ?」

「……別に怒ってるわけじゃないの。ただこんなになってまで隠し事されて、わけもわからずただ心配しか出来ないこっちの気持ちにもなってよ……そんなの辛いでしょ……」

「由香里さん……」

 紘子はクラスメートに手を握られながら、この子は誰かの手に触れてあげるのが好きなんだな、と友達になった日を思い出していた。



「んー……もうこの際だし良いかぁ。よぅ、利発そうな嬢ちゃんよ。こいつらのこと、今日あったこと、そして今何がこの世界に起きてるか。全部話してやってもいいぞ」

 頭部に鷲掴みされた跡を残したまま、ポチが由香里に声を掛ける。

「本当? ……ていうか、この動物普通に喋るんだやっぱり……」

「ああ喋るよ。すっごい喋るよおじさんは」

「……いいの?」

 紘子が問う。この子まで巻き込んでしまっていいのか。その不安を孕んだ問いかけだった。

「ここまで言ってくれるダチに後ろめたさ残すのはおめえも本意じゃねえだろ。それに間近で見てはっきり分かったが……この嬢ちゃんにもかなりの適性があるんだなこれが」

 『適性』。それはつまり、この由香里にも強大な魔力を操って戦えるだけの素質があるということ。ポチがこの世界にやって来た大元の理由。

「じゃあこのおねーさんも……?」

「まぁ、最終的にはこの嬢ちゃんの意志ひとつ次第だが……な」


 紘子もカナも、本来ならば仲間が増える可能性に喜んだかもしれない。しかし今日の戦いを経験したからか、危険に晒される者を増やすことへのためらいがあった。ポチも二人の胸中を察してか、煮え切らない言葉で応えるしか無かった。


「……よく分からないけど、鬼頭さんがこんなに傷付いている理由を知ることが出来るなら。教えてください」

「分かった。……ま、そんなおっかねえ顔はナシにしようや。なぁお嬢」

「お、お嬢……?」

「由香里さん気をつけて。油断してるとこいつすごい勢いで距離感縮めてくるから」




 彼女たちの長い一日が、ようやく終わりへと向かっていた。

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