第二話「家族」
どうにも場違いな気がして、制服姿の鬼頭紘子は固くなっていた。
今彼女がいる場所。それはあのロボット騒動があった駅前通りからもほど近い小さなケーキ屋『向日葵』だった。
普通の女子高生なら友人と甘味を買いに訪れたとしても何の違和感もない場所なのだが、自分はタテガミ頭と鋭い目つきの大女である。
そんな人間がモダンな内装に彩られた店内の片隅に置かれた小さなテーブルを前に座っているのは、下手したら営業妨害にすらなり兼ねないのではないだろうか。
どうにも居たたまれない心地でいると、店の奥から一人の女の子がひょいと顔を出した。紘子をここへ連れて来たのは彼女――結城カナである。
「ねぇねぇ紘子ちゃんっ、甘いモノはだいじょーぶ?」
栗色の髪を子供らしくツインテールでまとめた少女の元気な声が飛んでくる。つまりケーキは嫌いじゃないかどうかを聞きたいらしい。
「……あ、うん……大丈夫」
この子ほどケーキ屋さんに相応しい人物もいないだろうな、とか考えていたら返事が遅れてしまった。そんなことを気にも留めず、カナは嬉しそうに微笑んだ。
「待っててね、おとーさんの作るケーキってホントにおいしいんだから! ね、おかーさんっ」
カナが振り返りながら声を掛けると、若くて綺麗な女性がこちらに歩いてくる。優しそうな笑顔が印象的な人だった。
「ふふっ、そうね。それにしても、カナにこんな年上のお友達がいたなんて知らなかったわ」
確かに小学三年生と高校二年生はなかなか接点がないかもしれない。
「あ、あのっ……鬼頭紘子です。カナちゃんにはとてもお世話になっています……!」
ガチガチに緊張したまま立ち上がってペコペコとお辞儀をする。とんでもなく不格好な自己紹介だなと自分で自分に呆れてしまう。
「あらあら、ご丁寧に。カナの母の結城千春です。狭い店だけど、どうぞゆっくりしていってね」
「結城カナですっ! おかーさんの娘で紘子ちゃんのお友達ですっ」
絶えず優しく微笑む女性と、おどけたようにビシッと敬礼して見せる少女。二人が織り成す居心地の良さに、この子にしてこの親ありだなと紘子は思った。
「……お待たせ。紘子ちゃん、でいいかな? 『向日葵』へようこそ」
ケーキが乗った小皿を持って眼鏡を掛けた男性が現れる。こちらも若く優しそうな風貌の青年だった。
「僕はカナの父で一応ここの店主をやってる、結城俊彦です。カナの面倒を見てくれてありがとう」
「いえ、そんな……私もカナちゃんが仲良くしてくれて、その……うれしいです」
「うん。さぁ座って、うちのケーキを食べて欲しいな」
紘子の目の前のテーブルに小皿が置かれる。クリームと苺で飾られた三角形に切られたケーキが乗っていた。
ケーキなんて最後に食べたのはいつだろう。こんな自分が甘くて可愛いケーキだなんて、なんだか気が引けて遠ざかっていた気がする。
遠慮がちにフォークで掬って口に運んだ。クリームの甘みとスポンジの柔らかさが舌の上で溶けていく。紘子が一口を味わっている間、カナは興味深そうに凝視していた。
「……美味しい、です……とっても」
それが心からの感想であることは、ケーキを口にするまで固かった表情が初めて綻んだことからも明らかだった。
「口に合ったのなら良かった。ね、カナ?」
父のケーキが友達に気に入ってもらえて嬉しいのか、カナは誇らしげな表情でコクコクと頷いた。その傍で微笑んでいた千春がカナにたずねる。
「そういえば二人はこの後カナの部屋に行くんでしょう? ちゃんと片付けは済ませてあるの?」
「あっ……そうだった! 紘子ちゃんはケーキ食べてて!」
慌てて二階の部屋へと駆け上がっていく娘を見送って、千春が少し申し訳なさそうに言う。
「……騒がしくてごめんなさいね。あの子、ちょっとそそっかしいところがあるの」
「い、いえ……元気で明るくて、やさしくて……とても良い子だと思います」
紘子は紛れもない本心で応えた。
「ありがとう。僕たち親としても本当にまっすぐに育ってくれて、自慢の一人娘だと思っているよ。ただ……」
「ええ、時々不安になるんです。あの子……やさしすぎて人のことばかり考えてしまうところがあって」
「後先考えないというか、自分のことは後回しにしてしまうのかな。自然に、人の為に自分を犠牲にしてしまうような子なんだよ」
「そのこと自体は素晴らしい事でもあるのだけれど、親としてはやっぱり……心配なの」
「いつかあの子は自分自身を投げ打ってまで、人の為に何かを成そうとするんじゃないかってね。考え過ぎかもしれないけれどね」
穏やかな二人の笑顔に少しだけ影が差したように見えた。そんなことありませんよ、と言って安心させたかったが、紘子は三日前のあの日を思い出していた。
見ず知らずの自分を守るために盾となって危険と対峙していた小さな背中。
その次に目にしたのは、一人きりで苦しむ彼女の姿だった。
「……もし良かったら、これからもあの子のそばにいてあげてくれないかな」
「あの子のそばにいて……あの子が危ない時にほんの少しでいいから力になってあげて欲しいの」
「そうして娘の支えになってやってほしい。今日初めて会った君に、押し付けるような頼みになってしまうけど……」
「お願い、紘子ちゃん」
申し訳なさそうにそう語る夫婦を前に紘子は戸惑った。あんなに優しそうに笑いかけてくれていた二人が初めて見せる、悲痛にも見える表情だった。
「……私は、見た目もこんなだし……周りの人を怖がらせて、疎まれ続けて……そうやってずっと誰かに迷惑を掛けて生きていく、そんな人間だと思ってました。だけど、そんな私をカナちゃんは……当たり前のように助けてくれました。大丈夫だよって笑ってくれて……友達だって言ってくれました。
それが凄く嬉しくて……今日だって、こんなに素敵なお店に連れて来てくれて」
促すように静かに聞いてくれる店主とその妻に、紘子は続けた。
「だから……その、私もカナちゃんを助けてあげたいです。私も、カナちゃんが危険な目にあって苦しむなんて嫌だから。カナちゃんが誰かのためにしたい事があるなら、私もそのお手伝いをしてあげたいです」
「……カナは幸せ者だね。こんなに想ってくれる友達がいてくれて」
「ええ……ありがとう紘子ちゃん。カナをこれからもよろしくね」
安心したように応える夫婦の微笑みを見ながら、やっぱりあの子によく似ているなと紘子は思った。
「……おまたせっ! って三人で何の話~?」
部屋を片付け終わったのか、当の本人がひょこっと顔を出す。
「カナはそそっかしい子だねって話をしていたんだよ」
「えー?」
不思議そうに首を傾げるカナがおかしくて、クスクスと笑う千春につられて紘子も笑った。
「ねぇ、おとーさんもおかーさんもヘンなこと言ってなかった?」
「うん、カナちゃんのことよろしくって」
ケーキを食べ終えた後、店の二階に設けられたカナの部屋に紘子は招き入れられた。小学生の女の子らしく、ベッドにぬいぐるみが置いてあるなど可愛らしい内装だった。
「ふーん……どーいう意味だろうね?」
クッションを抱えてぺたんとカーペットに座るその仕草も相まって、彼女がいつも危険な敵と戦っているようにはとても見えなかった。
「……そりゃあアレじゃね? お宅の娘さんをください的な、歳の差も性別も越えた超越愛って奴じゃね? おいおい激しいなお前」
可愛らしい部屋に不似合いな下世話な声。ぬいぐるみに混じって当然の如く鎮座している見覚えのある小動物の姿に紘子は驚愕した。
「なんでアンタがいるの……」
「俺はいつでも俺を求める女たちの心の中に居る。それを忘れないで欲しい」
「まともに会話しろ」
「ポチちゃんにはわたしが学校に行ってる間ぬいぐるみのフリしてもらってるんだよ~。もちろんおとーさんおかーさんには全部ナイショ!」
カナは普通の事のように応えるが、こんな怪しい小動物が白昼堂々いたいけな女子小学生の部屋に侵入しているのはいろんな意味で危なくないだろうか。
「なんか変なことしてたら承知しないからね」
「怖っ!? やめてよ何もしてないってだからそのメンチやめて怖っ!」
「?」
恐怖に慄く小動物と不思議そうな顔で首を傾げるカナであった。
「さてそんなことより諸々話さなきゃならんことがあるんだが!」
ベッドから飛び降り部屋の真ん中に立つ。何か誤魔化された気もする。
「とりあえず今後の事についてはっきりさせとかなきゃならんな。あー……まずカナ」
「うん。なぁに?」
「前回はこの大女のおかげでなんとかなったワケだが、それでも相当ヤバかったのは事実だ。これからもっとアブねー目に遭う危険性は否定できねー。それでもお前はこのまま戦い続ける気があるか?」
そう言ってカナを見上げるポチ。その表情からは余計な感情は一切読み取れなかった。
「俺がお前と会ってチカラを授けて、それからすぐに奴らがこの街に現れ始めて一ヶ月あまりになるか。決して短い間ではなかったはずだが、お前はよく今まで頑張ってくれた。お前がもう戦いたくないと言ったとしても、俺は絶対にお前を責めない」
カナはポチを真っ直ぐに見つめ返している。
自分が知らない間、幾度となく危険な戦いを繰り返して来たのだろう。この街で大きな被害が無かったのもきっと、この子が一人きりでそれを防いでいたのだ。そう思うと紘子は胸が締め付けられるようだった。
「……カナちゃん、私知らなかったんだ。カナちゃんが私達をずっと守ってくれてたこと。いつもひとりで戦ってくれてたこと」
「紘子ちゃん……」
「だから次からは私がカナちゃんを守る。カナちゃんがしてくれたように、私も自分の手で誰かを守りたい。そう思ったんだ」
うまくやれるかは分からないけどね、と紘子は苦笑する。
「……わたしね、ほんとは一人で戦うの、ちょびっとだけ心細かったんだ。ほんのちょびっとだけ。でも」
今度はカナがゆっくりと話し始める。
「もう一人じゃないんだよね。紘子ちゃんがいっしょに戦ってくれる。それが今……すっごくうれしいの!」
笑顔で応えるカナを見て、ポチはため息交じりに口をはさんだ。
「おいおい、おじさんの話聞いてたかよ。アブねーからやめるかどうかって質問をしてたとこでしょ今」
「何言ってるの? わたしが戦わなきゃみんなが危ないんでしょ? そっちのほうがイヤだもん」
「ああもうハナから愚問だったわけね! おじさん真面目な台詞喋っちゃって損したよ。おっぱい」
「帳尻合わせみたいに言うな」
「これから二人でがんばろーね、紘子ちゃん!」
太陽のように笑いかけてくるカナに、紘子は自分が自然と笑顔になっているのがわかった。この子の笑顔はそれだけで人を救えるだろうな、と思った。
「それじゃあ協力者が増えたってことで『魔法界』に報告せにゃならんな」
「イマイチよくわからないんだけど、どういうところなの? その魔法界って」
三日前にこの小動物から聞いた話が未だに理解できていない紘子はふと疑問を投げかける。
「どうと言われても話せば長くなるなぁ。お前さんらが生きるこの『人間界』と決定的に違うのは、この世界には無い魔力というものをエネルギー源とした技術……つまり魔法が文明の根幹を成しているってことかね」
「魔法……」
改めて説明されてもあまりピンと来ない。ポチは続ける。
「お前らに授けたのも、お前らに渡した宝石――マギクリスタルの生み出す魔力を武器と防護服に変換して武装するっつー魔法界の技術なんだよ。
あの宝石は体質・精神ともに適合する者だけが最大限に魔力を引き出して運用出来るよう、ガチガチにチューンナップされたシロモノなんだが」
紘子が小動物の尻から引き抜いた紅い宝石。戦闘時のカナの胸にも黄色い宝石があった。どちらも戦いを終え普段の姿に戻ると同時に衣装と共に消えていった。
「まぁ要するにこの世界とは違う仕組みや成り立ちで出来た別の世界。そんぐらいの認識持ってりゃ今はそれでよかっぺ」
「うー……紘子ちゃん、ポチちゃんが言ってること分かった……?」
「あんまり……」
「おいチビッ子! 前にも同じような話なんべんもしたろうが!」
ひょっとしてこいつら揃って頭はそんなに良くないのでは……とポチは危機感を持たずにいられない。小動物に知性の心配をされるのもいかがなものか。
「まぁいーや。今から向こうのモンと映写魔法でつなぐから適当に挨拶でもしとけや」
「え……だ、大丈夫かな……?」
「だいじょーぶだよ、アインさんいい人だから!」
急に初対面の人と話せと言われてにわかに緊張する紘子。カナは既に相手と話したことがあるのか紘子を安心させようとする。アインさん、というのが今から会う人らしい。
「ほんじゃ通話開始すっぞ!」
「そう言ってなんでМ字開脚してるんだ」
「この体勢がいちばん出しやすいんだよ!」
「何を出す気だ」
壁に向けて開いた小動物の尻からぼんやりとした光が照らし出されると、それが映像を形作り始めた。
「映った映った…………あ」
絶句したポチの尻によって映し出されたのは、コミカルな目玉の書かれたアイマスクを着けて椅子に座ったまま寝ている白衣を着た女性だった。
『……ちょ、長官っ! 起きてください映写来てます!』
『んー、あー……? 何分寝てた……?』
『およそ二十分程かと……』
『あ、そう。昨日よりかは眠れたわね……くぁぁ……』
白衣の女性は映像の外から入って来た制服のような服装の女性に起こされ、アイマスクを外してあくびをする。茶色の髪を後ろでポニーテールにしたその風貌は、寝起きの気だるげな顔でもかなりの美人に見えた。
「こんにちは、アインさん!」
『んー……? あらカナちゃんじゃない! こんにちは。今日はどうしたの?』
アイマスクから眼鏡へと掛け直した白衣の女性は、親しげにカナの挨拶に応える。
「えっとね、今度からわたしと一緒に戦ってくれる友達が出来たの!」
『まあ、それは良い報告ね。ええと……もしかしてその隣にいる子?』
アインという名前らしい女性が紘子に気付く。
「あ……初めまして。鬼頭紘子です」
『紘子ちゃんね。私はアイン・クリスフィールド。魔導局特務執行部隊で長官の職に就いています』
「すっごく偉い人なんだよね!」
『うーん……トクム自体がそんなに威光のある組織じゃないから、その認識はどうなのかしら。ねぇ?』
『長官……こんな小さな子に大人の事情を愚痴らなくてもいいじゃないですか……』
アインと名乗った女性が傍らの制服姿の女性に判断を仰ぐと、彼女は困ったような苦笑で応える。
『あ、ちなみにこの子は私の補佐のフィリア副官ね』
『フィリア・リーゼルと申します。長官共々宜しくお願いします』
制服姿の女性が自己紹介する。銀髪のショートヘアが良く似合う凛とした女性だった。
二人とも二十代半ばほどの若さのように見える。
フィリアは改めて説明を始める。
『私達は魔法界における重大な事件や災害等の特例的な事態に対抗するために組織された独立機関です』
『そう言うと聞こえはいいかもしれないけれど、要するに任されたら戦闘でも調査でも救助活動でも何でもやる都合のいい便利屋集団って感じね。まぁ上からの命令だのしがらみだのとは無縁で自由に動けるからいいけど』
「大人っていろいろあるんですね……」
紘子の感想にまたも苦笑しながら、フィリアは続ける。
『魔法界は異世界間侵略組織アスティカに対抗するため他世界の協力を仰ぎ連携して戦う方針を決め、その役目が私達に任されました』
『アスティカに関してはこちらもまだ実態の全てを把握し切れていない状態で、奴らがこれからどこでどう動くかも予測出来ていないの』
自分たちが戦う相手――世界を侵略する謎の組織。その存在に紘子はまだ実感を持てずにいた。
『分かっていることは、彼らは神聖帝國と名乗り、様々な世界を並行して攻撃していること。かなりの技術力・戦闘力を有した一大組織であること。極めて好戦的でありその行動は無差別な破壊・殺傷に終始していること――残念ながらそれのみです』
『こないだこっちに現れた連中は、自分たちは偉大なる神が遣わしたなんちゃらかんちゃらだとか言いながら街の人たちに襲い掛かってたわ。完っ全にイカれてるわよあいつら……ああ思い出したらまた腹立ってきた』
『長官、すぐ直行して戦闘してましたもんね……たまたま現場に一番近い所にいたとはいえ、あんな無茶はなるべく控えてくださいね?』
『え~? 割とすぐ追い払えたし別にいいじゃない』
「アインさんって強いんだね~!」
カナが感心したように言う。白衣姿の女性がどのような戦いを繰り広げたのか、紘子には想像もつかなかった。
『そういえばそちらに送ったこっちの遣いはどう? 迷惑を掛けていないかしら』
「遣いっていうと今現在進行中で尻から何か出してるこの動物のことですか?」
『……ごめんなさいね。彼、能力自体はズバ抜けて高いんだけど、ちょっと自制心が無さ過ぎるところがあって』
アインさんもきっといろいろこいつに苦労してるんだな、と紘子は直感的に理解した。
「そんなに褒めるなよぉ長官殿ぉ」
褒めてねーよ。
『あなた、こっちに帰ってきたら今のポストに籍を置いておくことは少し検討させてもらうからね』
「マジっすか出世確約っすか? 楽しみだな~」
この小動物には上司(?)の口撃すらも効かないのか……紘子は愕然とした。
『はぁ……まぁそんなことは今は良いとして。改めて二人とも、こんな危険な仕事を引き受けてくれてありがとう。魔法界を代表して、心から感謝します』
表情を引き締めて頭を下げるアイン。フィリアもそれに倣い礼をする。
『あなた達のような年端もいかない子たちに戦いを強いるなんて、本来あってはならないこと。こちらとしても本当に心苦しく、情けない限りだわ』
『不安定な状態の世界間の隔たりを壊さないためには最小限の人員を送るので精一杯なんです。でもそれがそちらでの戦いを貴方達に一任していい理由にはなりません』
戦いというものをよく知っているからこそ、その辛さや危険も十二分に理解している――そんな彼女達だから、それを他者に強いている自分が本当に許せないのだろう。
紘子はどう応えたらいいのか分からない。
「んー……ポチちゃんもアインさんたちも、そんなに気にしないでいいと思うな。誰かが困ってる時に力になってあげるのってフツーなことじゃない?」
この場で最年少のカナが、当然のことのように答えた。
「それにアインさんたちは今、そっちの世界の人たちのためにも戦ってるんだよね? そんなに寝ないでガンバってるのに、わたしたちの世界まで守ってくれようとしてるんだよね?」
『……私達のことはいいの。元々そういう仕事なんだから』
「よくないよ!」
カナの声に映像の向こうの女性二人が驚いたような顔をする。
「わたし、アインさんやフィリアさんがこっちの世界の分までガンバって、それで倒れちゃったらきっとすごく悲しい。こっちの世界が悪い人たちにめちゃくちゃにされてみんなが傷つくのも絶対にイヤ。だからわたしがガンバることでその分少しでもそれが無くなるなら、そのために戦うのなんて全然辛くないよ」
『……』
大人二人が小学生を前に黙り込んでいるのは、傍から見ると少し滑稽にも見える。紘子が続いた。
「……あの、私もカナちゃんと同じ気持ち、です。最初は驚いたし……正直、戸惑いました。でも今はポチに会えて、力を与えてもらって良かったと思ってます。
だからその……自分を責めないでください。こっちのことはとりあえず私たちに任せてください」
「長官殿ぉ、こいつらお子様だがなかなか芯がありますぜ。このおっぱいなんか飛び込みの初陣で向こうの大型機兵一体完全にスクラップにしちまいやがった」
М字開脚しっ放しの小動物に褒められるのも妙なものだが、とりあえずその呼び方は一刻も早くやめろと紘子は思った。
『……分かりました。今後も我々はあなた達に全幅の信頼を寄せて協力を仰ぎます』
アインは表情を引き締めると決意したように言った。
『こちらからも随時全力でそちらを支援するつもりだけど、くれぐれも無理はしないでちょうだい。それと、そっちでの名前はポチだったかしら。あなたは引き続きそちらに残って彼女達をしっかりサポートすること! お互い頑張りましょう』
「うんっ!」
「頑張ります」
「命令なら逆らえねーよなぁ」
二人と一匹が返事をした直後、画面外から数人の女性たちが現れた。
『……あれ? 長官も副官もまた休暇返上して仕事ですか?』
『あ、通話中なんですね! 誰とです?』
『わぁっ! 見て見てカナちゃんだよカナちゃん! やっほー元気~?』
『ねぇねぇ隣にいる子はだぁれ? カナちゃんの友達?』
『長官ずるいです~私達にも紹介してくださいよぉ』
フィリアと同系統の制服をそれぞれ着用した彼女達は皆若く、口々に騒ぎ立てるその様はかなりエネルギッシュだった。
『ああもう全員うるさいっ! 異世界の子たちの前でみっともないわよ!』
アインが雷を落としても大して堪えていないような顔でワイワイ言い続ける。
『ご、ごめんなさい。私達の部下です、ほんの一部ですが……』
フィリアに言われるまでもなくなんとなくそうなんだろうなと思いながら、紘子は一気に賑やかになった映像にあっけにとられていた。隣ではカナが「やっほー!」と楽しそうに手を振り返している。
「たまたま来たみたいに現れたけどよぅ、こいつらただカナに会いてえから通話してるタイミング見計らいやがっただけなんじゃねーの?」
「カナちゃんの人気すごいな……」
ポチの推理が当たっているかどうかは知る由もないが、あり得ない話でもないなと紘子は思った。
「……おや、もうお話は済んだのかな?」
「うんっ。紘子ちゃんもう帰るって!」
階下に降りてきた二人に気づくと俊彦が声を掛ける。
「あの……お邪魔しました。楽しかったです」
「紘子ちゃん、うちのお姉ちゃんになっちゃえばいいのにー」
無邪気なカナと微笑む千春につられ、紘子は自然と笑みをこぼした。
「紘子ちゃんにもご家族がいるんだから、困らせちゃいけないよ。……はい、紘子ちゃん」
俊彦が紘子に小さな紙箱を手渡す。
「え……? あ、あの……これは?」
「お家の人にお土産をと思ってね。ご両親も甘いものお嫌いでなければいいけど」
箱を受け取った紘子は言葉に詰まった。自分の家の事情など、知りあって間もないこの家族に聞かせるべきではないのではないか。そうでなくても優しいこの人たちに不要な気配りなどさせたくはなかった。
それなのに、この家族の温かさがそうさせたのか。紘子は答えていた。
「いえ……うち、二人ともいないので。……父も、母も」
出来る限り感情を乗せずに発した静かに響く低い声に、息を飲むような雰囲気がその場を流れた。
「……そうだったんだね。ごめん、無神経なことを言ってしまって」
「あ……いえ、その、大丈夫です……! 亡くなったのももうずっと前の事なので……」
申し訳なさそうに謝罪する俊彦を見て、紘子はまたやってしまった、と思った。
いつもそうだ。そんなつもりじゃないのに、自分のせいで周りの人がいつも嫌な思いをする。
「それに家にはもう働いてる兄もいますし、その……本当に全然気にしてないので!」
やっぱり言わなければよかった。不幸語りのような真似で余計な気を遣わせてしまった。紘子は後悔に急き立てられ言葉を吐き続けた。
「紘子ちゃん」
名前を呼ぶ声に続いて、腰の辺りに体温が感じられた。カナが腕を広げて抱き着いていた。
「カナ、ちゃん……?」
何も言わずに自分を抱き締めてくれる少女がどんな表情をしているのか紘子には分からない。
「……こんなことを言うのはおこがましいかも知れないけれど」
彼女の母が静かに口を開いた。
「この店はいつでも、どんなことがあっても紘子ちゃんを歓迎します。だから遠慮せずにまた遊びに来てちょうだい」
先程までと変わらない柔らかな笑顔のまま笑いかけてくれる千春に、紘子はなんだか安心したような気がした。
「……あの、これ……ありがとうございます。兄もきっと喜びます」
改めてお礼を言うと、店主は笑顔で頷いた。抱き着いたままこちらを見上げるカナの瞳がわずかに潤んでいるように見えて、紘子はその髪をそっと撫でてあげた。
「鬼頭さん……?」
ケーキ屋『向日葵』から出た紘子に驚いたような声が届いた。見ると自分と同じ制服を着た女子の三人組がこちらを見ている。同じ教室に通うクラスメイトだった。
女子高生が放課後に友人とケーキ屋に寄り道する。それ自体はさして特別なことでも無いし彼女達がそうしていることに何の不思議もないが、この鬼頭紘子に限っては例外だった。
それを重々自覚してのことか、紘子は自分の顔が勝手に赤くなっていくような気がした。
「あ……うん」
別に悪いことをしているわけでもないのに、ケーキ屋から出て来た所を見つかっただけでなぜこんな気持ちになるのか。動揺を悟られまいと素っ気ない返事で紘子は応じる。
「えっと……鬼頭さんも、よく来るの? 『向日葵』」
真ん中のセミロングの髪をした女子が問いかける。残りの二人は一歩下がり気味に様子を伺うような、見ようによっては怯えているような顔でこちらを見ている。
「い、いや……今日初めて……来て」
嘘をついても仕方がないので素直に答える。
「わたしたち、よく来るんだよ。ここのケーキ、おいしいから」
「そ、そうなんだ……」
確かこの子、生徒会で何かやってるんだっけ。頭の隅にあるぼんやりとした記憶を思い出しながら、紘子は曖昧な相槌を打つ。彼女にとってはクラスメイトとの普通の会話なんて事件と言っても過言ではない。頭の中は軽いパニック状態である。
「……わ、私……もう帰る、から」
よく考えたらこれ以上ここにいると彼女達の邪魔にならないだろうか。ケーキ屋の前に立つ大女という自分の状況を顧みた紘子が次にしたことは唐突な撤退宣言だった。顔を伏せて三人の横を通り過ぎる。
「あ……また明日学校でね」
背中に聞こえて来たのはセミロングの子の別れの挨拶と、後の二人のヒソヒソと内緒話をする声。こんな別れ方しか出来ない自分にいつものように呆れながら、紘子は自宅へと歩き出した。
鬼頭紘子の日常は、ゆっくりと、しかし確実に変わり始めていた。