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第一話「最初の一撃」

 鬼頭紘子(きとうひろこ)は目付きが悪い。

 これは生まれついてのもので、特に彼女が周囲に睨みを利かせているだとかでは断じて無かった。さらに悪いことには彼女の目の下には常にクマが出来ており、よりいっそうその眼光を鋭く見せることに一役買っている。


 鬼頭紘子は背が高い。

 幼少期を振り返ってみれば、小学校の低学年辺りまでは同級生たちと体格的に別段の差があったわけではなかったが、中学に入学する頃には既に男子の半数以上を見下ろす形になっていた。

 そして高校二年となった今では校内でもほとんどの学生が見上げるほどの長身となり、百戦錬磨の男子柔道部部長をして「ありゃあ女人の醸し出す風格じゃねえっす。まともじゃ勝てねえっす。ちゃんこ食って頑張るっす」と半ば自分の競技さえ忘れさせるほどにまで成長してしまった。


 鬼頭紘子は声が低い。

 ひとたび口を開けばそこから発せられるのは地を這うような低音である。電話越しでその恐怖を煽るデスボイスに戦慄しない者はいない。元々人と喋ることが多くない上に口下手だからか、その無愛想で女らしさに乏しい口調も相まって会話のキャッチボールを終わらせるには充分な威力を持っている。


 鬼頭紘子は髪がボサボサである。

 元来髪質が人並み以上に硬く量も多いので手入れも一苦労である。もはや大袈裟に言えばその長髪はオスライオンのたてがみの如く見えるが、彼女にはハイエナの群れを威嚇するつもりなどさらさら無い。



 以上の身体的特徴に加え、(本人が意図しているか定かではないが)彼女から発せられる人を寄せ付けぬ雰囲気と不機嫌そうな表情により、鬼頭紘子が日々の生活において周囲と馴染めず完全に孤立するのにそう時間は掛からなかった。

 初めはその恵まれた身長に比例して成長したなかなかのプロポーションに魅了され、健全な男子学生たちがあわよくばお近づきになりたいという潔い下心に因る懸命なアプローチを試み続けていたこともある。無論一人残らず一切の成果も得られず撃沈したのは言うまでもない。

 今では教室内の誰もが「鬼頭さんって怖いし何を考えているかわからないしすぐキレそう」と怯え、積極的に話しかけようとはしなかった。校内の一部ではやれ暴走族とつるんでいるだとか、やれ近隣の不良集団を一人でまとめて病院送りにしただとか、やれ実はアブない世界の女だとか、ゴシップ染みた真偽の疑わしい噂がまことしやかに囁かれている。

 彼女自身も既にそのような現状を改善しようとすることすら煩わしくなってしまい、誰とも関わりを持とうとしなかった。



 どうせ自分なんかこの先どこに行っても、こんなふうに周りを怖がらせて嫌われて迷惑ばかり掛けて生きていくのだ。そんな自分が何かしたところで、余計に誰かを怖がらせてしまうだけじゃないか。なら出来るだけ静かに、大人しく。それだけ考えて生きていこう。

 ありがちな自嘲的思考だが、コンプレックスというものは人の思考パターンをこうも固く決定付けてしまうものなのだ。




「ただいま」

 部活など入っていないし、放課後残っていてもすることはない。学校では誰とも会話をしないので、帰宅を告げるこの四文字は紘子の一日における数少ない発声のひとつである。

 高校から少し離れた場所にある賃貸マンションの3階。

 鍵を開けて玄関に入る。たった一人の家族は日中仕事に出ているので靴は一足も無い。というか最近はいつ帰って来ているのか、そういえば顔を見ていないな、と紘子は思いながら靴を脱ぐ。

「……ただいま。父さん、母さん」

 誰もいない部屋に帰り、リビングの隅に飾られた写真にこうして声を掛けるのが日課となっている。写真立ての中の笑顔は動かない。

「あ」

 ふと視線を下に移すと、コンセントに繋がった充電器が接続されたままのスマートフォンに目が行った。どうも充電したまま置いて学校に行ってしまったらしい。

 とはいえ、他人から着信などあるはずもなくもっぱら家族間の連絡手段用としてしか使っていないので、一日放置したところで何も問題はないのだが。元々機械類を扱うのが苦手なのであまり必要性も感じていない。

 通知を見ると持たせた張本人からのメールが届いていた。


『すまん 今日も遅くなる。あまり不用心に出歩かないように。』

 送り主の性格通り顔文字も絵文字も無いシンプルな文面と合わせて差出人欄に『兄』と表示されたそのメールの受信時間はちょうど昼休みの時間だった。

『ごめん置き忘れてて今メールみた。仕事がんばって。』

 すぐさま返信を打ち終え送信ボタンを押す。送信完了を確認してから、ふぅ……と溜息をついてソファーに座った。

 制服姿のままテレビをつけてみる。夕方のニュース番組が放送されていた。女性アナウンサーが原稿を読んでいる。ここ三ヵ月ほど世間を騒がせている事件についての報道のようだ。


 各地で謎の爆破事件や破壊活動が行われ被害が広まっている。

 その手口や規模から組織的犯行であることだけは分かっているものの、なぜかそれ以上の有力な犯人情報が一切掴めていないというのが現状だった。加えて目撃情報には怪物だの化け物だのが暴れ回っていたという非現実的な証言も少なくない。

 また現場は全国にわたり都市だったり住宅地だったりとあまりにも一貫性が無く予測も難しいため、警察は常に後手に回らざるを得ないという。

 今日もとある市街地に大型の怪物が現れ、周囲を一頻り闊歩し破壊した後まるで煙のように消えていったという要領の掴めない報告がなされていた。

『犯行グループの実体を一刻も早く把握するべく、警察当局は引き続き捜査を進める方針を示しています』

 女性アナウンサーは深刻な面持ちでそう締め括った。


(……いつ帰って来るのかな)

 警察、という単語を聞いてふと紘子は先ほどのメール相手のことが気にかかった。たった一人の家族は、親戚一同の反対を押し切った末に現在では刑事という職に身を置いている。全国の警察官と同じく、彼もとりわけこの事件による被害を未然に防ぐために走り回っているようだ。幸いなことにこの近辺ではそのような物騒な事件が起きたという話は、少なくとも紘子は聞いたことが無い。

(また無理してなきゃいいけど)

 もう一度受信メールを見る。自分そっくりのぶっきらぼうな顔が目に浮かんだ。





(こんなんでいいかな……?)

 制服から着替えたラフな私服姿で買い物袋を手に下げ、駅前通り沿いにあるスーパーマーケットを出る。帰りが遅くなるとは言われたものの、疲れて帰ってくる兄をせめて手作りの夕飯で労いたいと思い立った紘子は材料の買い出しに出て来ていた。

 夕暮れ時の街はいつもの賑わいを見せている。自分と同じく家族の食事のために買い物をしに来ている主婦や、学校帰りに寄り道している学生の集団。何年も変わらないその風景に安心感のようなものを感じながら、買い物を終えた長身の女子高生は帰路につこうとしていた。

 今日は久しぶりに腕によりをかけたおいしい夕飯にしよう。きっとおかわりするだろうから多めに作った方がいいかな――そんなことを考えていた、いつもの一日。

 その、はずだった。



 轟音と共に地面全体が大きく揺さぶられた。

 街の人々は騒然となりその場にしゃがみ込んだり悲鳴を上げる。

 その直後、辺りを大きな影が覆った。


 影の主――それは平和だった街に突如現れた、駅前の大通りをふさいでしまうような巨大な球体。その球体からは四本の細い棒が生え、その先にあるものは明らかに手足である。球体の真ん中に二つの並んだ穴が開き、辺りを照らすように光る。それはまるで獲物を探す目玉のようだった。

 金属質で出来た球形の巨大ロボット。

 張り詰めた空気を壊すように、ロボットが右腕を振り上げると周囲の建物めがけて振り下ろす。その腕は細い見た目に反して、耳をつんざくような破壊音と共に建造物を一撃で粉砕した。

 ロボットは完全に恐怖の対象と化す。再び巻き起こる悲鳴。泣き声。助けを求める声。それを聞いてスイッチが入ったようにロボットは両腕を振り回し周囲の物を片っ端から破壊し始めた。逃げ惑う人々を追うように足を動かし、ゆっくりと移動しながら街を蹂躙していく。



「……な……何、アレ……一体、何なの……?」

 自分の目で見ているものが信じられず、紘子はその場に立ち尽くしていた。巨大な無機物が自我を持ったように暴れ回っている。親しんだ街を地獄へと変えていく。こんなところにいては自分も危ない。それなのになぜか足が動かない。買い物袋を下げた手から力が抜け、夕飯の食材がアスファルトに落ちる。

 逃げないと。逃げなきゃいけないのに。逃げる? 一体どこへ? ああ、壊れていく。こっちに来る。動けない。助けて。誰か……


「ぐすっ……ママぁ……どこ行っちゃったの……」

 呆然とする紘子の耳に届いたそれは消えてしまいそうなか細い声。見ると数十メートル離れた場所でしゃがみ込んで泣いている一人の女の子がいた。幼稚園児だろうか、青い制服と黄色い帽子に小さなかばんを身につけたその子も突然襲った恐怖に震えていた。

 そんな姿を見つけた瞬間、紘子の足は地面を蹴ってその子の元へと駆け出していた。

「大丈夫……?」

 そばに膝を折って低い声を掛ける。小さなその背中をそっと撫でると、驚いたような顔でこちらを向いた。

「一緒に逃げよう……お母さん、きっと見つかるから」

 差し出された手に少し安心したのか、小さな手がぎゅっと握り返した。その直後またも地響きがして、二人はそちらを振り向く。


(……こっちを、見てる!?)

 知性のかけらも見せることなく街を壊していたロボット。その目と思しき二つの光がこちらに向けられていた。標的を認識した破壊ロボットはゆっくりと二人の方向へと一歩を踏み出す。

(逃げ切れる……? 分からない……だけどこの子だけでも……!)

 紘子は女の子を抱き上げるとロボットに背を向け走りだした。そんな決死の逃走を嘲笑うかのように、暴走機械は再び腕を振り上げる。コンクリートの建物を軽々と叩き壊す一撃、その予備動作である。長い腕は人間一人の走力など問題にせずにその威力を届かせるだろう。

(振り返るな! 一センチでも遠くに逃げるんだ!)

 そう自分に言い聞かせて走る。怖くてたまらない。腕に抱えられた子はぎゅっと目をつぶって、小さな手で服を握って離さない。伸びきった金属の腕が勢いをつけて振り下ろされる。先端についた強固な拳が破壊をもたらさんと迫る。空気を切り裂く音が背後から聞こえる。少しでも衝撃の盾になろうと、女の子を強く抱き締めた。


 その『終わり』はしかし、訪れることは無かった。

 ガキィィィイイイン! という音が背後で鳴り響き、何かがロボットの拳を受け止めた。


「間に合ったぁ……もうだいじょーぶだよ!」


 続いて聞こえてくる、聞き慣れないどこか幼くて可愛らしい声。紘子が目を開け振り向くと、こちらに背を向けた一人の少女がそこにいた。

 その後ろ姿は小学生低学年程度の小さな背中で、長い杖のようなものを掲げて立つ。鮮やかな黄色を基調とした胸下ほどの丈のジャケットとスカートの上下に、やはり同じく黄色の髪を長いツインテールにまとめている。上衣の下には肌にフィットする黒いアンダーを纏っており、未発達の体を保護するように包んでいる。

 どこか機能的な性質を持ちながらも少女らしさを失わないその姿に紘子は一瞬見とれてしまっていた。

 逃げていた二人とロボットの間に割り込むような形で現れた彼女の視線の先には、光のようなエネルギー体が壁のように広がってロボットの一撃を完全に遮っている。


「あ、あの……あなたは、一体……?」

「話はあとっ! このヘンテコロボはわたしがなんとかするからおねーさんはその子といっしょに逃げて!」

「え……でもそんな……危ないよ、こんな……」

「だいじょーぶ! わたしはこーいう悪者をやっつけるためにいるの!」

 やや舌足らずな口調でまくし立てられてしまう。そんな会話をしている間に、ロボットはもう一度拳を振り下ろす。炸裂するような音が響き、少女の前にある光の壁がまたも打撃を受け止める。

「んんっ! ……ほらっだいじょーぶだから早く逃げて!」

「わ、わかった……」

 自分よりも明らかに年下の子を置いて逃げるなんて、と紘子は思った。しかしこの子はきっと何を言っても「だいじょーぶ!」と応えてここを動かないのだろう。

 弾かれるように女の子の手を引いて立ちあがる。


「おねえちゃん……」

 それまで泣いていた女の子が黄色い衣装の少女に声を掛ける。 

「……助けてくれてありがとう」


 女の子の感謝に、今まで背中越しに話していた少女が初めてこちらを向いた。

 胸に飾られた黄色い宝石が夕日を反射して輝いていた。


「……ぴーす♪」


 おどけるようにウインクをしながらVサインを作って見せる。

 子供らしい、屈託のない無邪気な笑顔。

 そして紛れも無い正義の味方の笑顔だった。





 どのくらい走っただろうか。正体不明の巨大ロボットの出現で人がいなくなった駅前の通りをまっすぐに駆け抜ける。ロボットが暴れている場所から離れるにつれて、少しずつ逃げ延びた人たちが増え始めていた。


「はぁ、はぁ、はぁ……っ」

 女の子を背負ったまま、紘子は膝を折ってその場にしゃがみ込むと荒く呼吸を繰り返す。

「だ、大丈夫ですか? お怪我は……」

 遅れて現れた彼女に一人の若い警官が話しかけてくる。見ると何人もの制服姿の警官が騒然とした人々を落ち着けさせようとしている。

「……だいじょうぶ、です…それより、この子がお母さんとはぐれて……」

 背中から降りて心配そうに自分を見ている女の子を安心させるように、そっと頭を撫でる。

「ああ、向こうの方で小さなお子さんを探している人がいましたよ! よくここまで無事に連れて来てくれました」

「そうですか……じゃあ」

 そう言いながらゆっくりと立ち上がる。女の子の肩に手を置いて続ける。

「このお巡りさんがお母さんのところに連れてってくれるって。もう大丈夫だから」

 これで自分の役目は終わった。あとはただあの恐怖が去ってくれることを待っていればいい。そのはずなのに。言い終わると足はなぜかあのロボットの方へと向いていた。

「ちょ、ちょっと。どこへ行く気ですか?」

 慌てた警官が呼び止める。怪物から逃げてきた者がまたその怪物がいる方へ向かおうとしているのだから当然だった。


「……あと一人、逃げ遅れた子がいるんです」

「何を言っているんですか! あなたはこの子を守り抜いた、もう充分ですよ! あとは我々の仕事です!」

「あの子一人を置いて、自分だけただ待ってるなんてできません」

「だからってまた危険な目に遭いに戻ることはないでしょう! 馬鹿なことはやめて下さい!」

「おねーちゃん、さっきのおねーちゃんのところにいくの……?」

 必死に引き止める警官の声に続いて、今にも消え入りそうな声が耳に届いた。

「……うん」

「じゃあ……あのおねーちゃんのこと助けてあげて!」

「……!」

 女の子が訴えたお願いに、警官は驚きの表情で固まる。


「あのおねーちゃん、こわいオバケやっつけてくれるって、だいじょうぶだよって」

「……うん」

「オバケ、すっごくこわいのに……もしかしたらっ……まけちゃうかもしれない、のにっ……」

「……うん」

 幼い女の子が口にしたのは、自分を笑って助けてくれた正義の味方への想い。言葉にしたら耐えられなくなったのか、次第にポロポロと涙をこぼし始める。静かに頷きながら、紘子は自然と泣き出した彼女のそばにいた。

「ううっ……ぐすっ……」

「……そうだね、心配だよね」

 泣きじゃくる幼女とそれを慰める長身の女性。傍らで困ったように立ち尽くした若い警官は、周囲からの怪訝な視線に(俺が泣かしたんじゃないってば!)と心の中で弁解していた。




 巨大なロボットが、足元に向けて拳を振り下ろした。重い金属のぶつかる音が周囲に響く。衝撃は標的となった少女に届かず、光の壁に阻まれていた。

「何度やっても無駄だよっ、そんなへなちょこパンチ効かないもん!」

 凶悪な打撃を全て受け止めたエネルギーが、少女の掲げた杖の先端に吸い込まれていく。遮るものがなくなった少女を狙って、ロボットがまたも腕を振り上げた。

「もう遠慮しないんだから! えぇーーーーーいっ!!」

 その拳が少女に向けて落ち始める前に、光の壁を吸収した杖の先端から極太の光線が放射された。高速射出された莫大なエネルギーが金属の体を穿つ。

「ギ・・・ギィィイイイイイイイイイッ」

 ロボットのあげる悲鳴なのか、無表情な球体から耳障りな声があがる。光線は強固な体に穴を開け、ついに背中側へと貫通した。

 光の奔流が止むと支えを失ったようにロボットがガクンと脚を折る。そのボディの中心には大きな穴が開き、反対側が見えていた。それまで本能の赴くままに暴れていたのが嘘のように、巨大な機械人形は操り糸を断たれたかの如く活動をストップさせた。

 二つ並んで獲物を捕捉していた眼からは光が失われている。


「……やった、かな?」

 少女は杖を構えたまま、動きを止めたロボットの様子を伺う。独り言のようにつぶやいた言葉とは対照的に、幼い顔はまだ緊張感を失わずにいた。

「っ!?」

 静寂が訪れたかに見えた通りに響くヴゥゥゥウウウン・・・という機動音。ロボットの眼に再び灯り駆動が再開したことを少女が理解した、そのわずかな時間の隙間だった。

「……あぁっ!!」

 行動を起こすよりも早く、ロボットの広げた両手が彼女の左右両方から迫る。小さな体のほとんどが、金属製の両手に収まってしまった。

「やっ…やだ、離してっ! ロボットのクセにだましっこなんてヒキョーだよっ!」

 自由にならない体を揺すって抵抗するが、金属の枷が少女一人にどうにかなるようなものではなかった。

 ロボットの目が一際禍々しい光を発する。次の瞬間、


「う、うぁあああああああああっ!!」


 ギギギ・・・と軋むような音と同時に少女の口から悲痛な声が上がった。彼女を包みこむように拘束した両手がゆっくりと締め上げられ、小柄な体を痛めつけ始めたのだった。

 アスファルトに立っていた少女は捕まったまま持ち上げられ、見せしめのように空中で苦しむ。


「う、ううぅ……っあ! うあああっ!! く、ああああっ……」


 ギギギギギギ・・・

 金属と金属が擦れる耳障りな音が続く。無感情なロボットの責め苦に耐えるには少女は幼すぎた。いつ終わるとも知れない苦痛に、少女はただ声を上げ続けるしか出来ない。

 小さな手から離れた杖が地面に落ち、カラン・・・と乾いた音を立てた。





(お願い……無事でいて……!)

 紘子は走っていた。望むのは自分を守ってくれたあの子との再会。少しばかり体が大きいだけの単なる女子高生、それが自分。今あのロボットの前まで戻ったところで何も出来ないのはわかっている。どうして戻ってきたの、とあの女の子に怒られるかもしれない。それでもただ、走らずにはいられなかった。

「……!!」

 向かう先からかすかに声が聞こえた気がして立ち止まる。少女の苦しむ声だ。先ほど笑いかけてくれたあの子が発しているなど信じたくないほどに、ただ苦痛に満ちた呻き声。

 少女に今、生命の危険が迫っていることを知らせる声だった。

「……やめて……やめてよ……!」

 声のする方へ駆け出そうとした直後。


「ちょい待てや、そこのデカ女」

 また別の声がした。それもすぐそばの街路灯の根元から。

「……は?」

 声のしたほうを見ると、そこにはタヌキがいた。

 正確に言うと、タヌキなのかパンダなのか判別が出来ない小動物のようなもの。それが街路灯に寄りかかってこっちを見ている。


「いや、『は?』ってお前。そんないきなりメンチ切らなくても良くない? 初対面だぞ初対面」

 元々そういう顔なんだ余計なお世話だといった反論も忘れ、目の前に現れた存在に紘子の頭の中はパニック状態と化していた。

 街を襲う巨大ロボットに衣装を纏った戦う少女に喋る謎の小動物。一体なんなんだ今日は。


「お前さ、チカラも無いくせに今からあのデカブツんとこ行ってどうしたいワケ? せっかく逃げ延びたのにそんなに痛い目みたいのかねぇ、ニンゲンってなよくわからんわマジで」

「やめてそれ以上こっちに語りかけてこないで今もうなんかいろいろありすぎて頭おかしくなりそうだから……」

「なんだよぉ勝手に一人で楽しくなってんじゃねぇよう。いいかぁ今からおじさんが大事な話聞かせちゃる」

「こっちに歩み寄って来ないで……その見た目でおじさんかどうかも知らないし!」

 ぶんぶんと手を振ってシッシと追い払うような動作をする。それでも「おじさんには優しくしろよ」と言いながらついに足元にまで距離を縮められた。もうわけがわからない。


「……おめぇが今何もできないくせに助けに行きたがってるあの子はよぅ、俺の大事なダチなんだよぉ」

「……?」

「いろいろツッコみたくなるかも知れねーけど、全部ホントのことだぁ。時間もねーしチャッチャと話すぞ、いいかぁ?」

「話すって何を……」

「まず俺のことからだが、俺の名前はこっちの言語じゃうまく表現出来ないから気軽に『ポチ』とでも呼んでくれや」

「犬じゃん……」

「いいんだよぉ、こういうのは呼びやすさと親しみやすさで。それに女に犬扱いされるってのも思いのほか気持ちが良くて」

 ああ、出会って間もない喋る動物の性癖を知ってしまったと紘子は思った。『ポチ』は続ける。


「この世界――『人間界』は今狙われまくってんだぁ。奴ら『アスティカ』軍の奴らによぅ」

 考える余地も無く聞き慣れない固有名詞を出されても、紘子の理解は追いつくはずもない。

「奴らはてめぇらを神の遣いだか神聖帝國だかって大層に名乗っちゃいるが、やってることはただの侵略だ。あちこちで好き放題やらかしまくってとうとうこの人間界にまで手を伸ばしてきやがった。この宇宙にゃ本来交わることの無い次元の異なる世界ってもんがいくつもあってな、この人間界もそうなら俺の元いた世界『魔法界』もそうだ。ここまではいいか? おっぱい」

 誰がおっぱいだ。紘子はとりあえず頷く。

「端的に言うと、その『本来無かったこと』が奴らのせいで今ありえることになっちゃってるわけよ! このままじゃ『世界』同士の隔たりが崩壊してシッチャカメッチャカのぐちょぐちょになってどうなるかわかったもんじゃねえの! まぁぐちょぐちょって言ってもエロいことにはならないだろうけど」

「余計なこと言うな内容が入ってこないから」

「それを防ぐため、あと奴らの犠牲者をこれ以上増やさないために俺ら『魔法界』は最も次元の隔たりが少ない人間界で、奴らと戦う協力者を探すことにしたってお話。俺はそのために派遣されてきたエージェントみたいなもん」

「……ちょっと待って、それじゃあの子は……」

 このタヌキ、よりによってあんな小さな子にそんな役目を負わせたのか。途端に腹が立ってきて、紘子は言葉を続けられなかった。


「ぎっ……ああああああああっ……!!!」


 一際大きく聞こえてきたのは、今も戦っている少女の叫び。

 気づくとポチは四つんばいになって顔面をアスファルトに押し付けていた。


「……すまねえ、許してくれ! 俺もあんな良い子に一人っきりでこんなしんどいことやらせたくなかったんだ。俺がチカラを与えてやれるのは、それだけの適性がある人間だけなんだよ。だがこの世界にゃその適性に合う人間自体が少なすぎてよぅ、諦めかけた時にようやく見つけたのがあの子――カナだったんだ」

 喋る小動物の土下座を見せつけられ、紘子はどうしていいか分からずに、「……だからって」と短い言葉しか言えなかった。

「ああそうさ、それでもあの子を危険な目に遭わせていい理由になんてなりゃしねえ。だけど……だけどよう、あの子は笑顔で言ったんだよ。自分が戦うことで誰かを守れるならって……はるばる来てくれた俺の期待に応えてあげたいって! そんなあの子だったから、俺も思っちまったんだ。この子なら奴らに勝てるかもしれねえ。他人の為に自然に笑えるような強さを持ったこの子なら、どんな悪者にも負けねえんじゃねえかって……!」

 紘子は自分を守る盾になってくれた少女の笑顔を思い出していた。

「なぁ頼む。見たところお前さんにも適性がある……奴らとやり合えるだけのチカラが使えるんだ。そのチカラでもってあの子の助けになってくれねえか!」

「……!?」

 予想していなかった角度からのお願いに紘子は面食らった。

「ちょ、ちょっと待ってよ。私、今日まで喧嘩のひとつもろくにしたことないただの学生なんだよ? そりゃ見かけはこんなだけど」

「関係ねえよ。俺がチカラを与えてやればそれを自然に引き出して戦えるようになる! どうせ丸腰であのデカブツんとこ行こうとしてたんだろうが」

 それはそうなんだけど。この土壇場で踏ん切りの付かない自分に自分で苛立った。

「おねげえだ、この哀れで可愛いマスコットキャラクターを男にしてやると思って! ほんの一回きりでいいから! 先っぽだけでいいから!!」

 先っぽって何だ。


「……ああもう、分かったよっ! 私だってあのロボットを止めたい……私を助けてくれたあの子を助けたいっ!!」

 叩きつけるようにそう叫んでから、自分にもこんなに大きな声が出せるんだなぁと他人事のように紘子は思った。


「よく言ったぁ女は度胸だ! えーとあんたのお名前なんてーの!」

「紘子……鬼頭紘子」

「亀頭? ずいぶん男らしい名前じゃねえかぁますます気に言ったぜぇ!」

「よくわかんないけど壮絶に馬鹿にされてる気がする」

「じゃあ今からさっそくチカラ授けるからよく聞けぃ!」

 そう言うと再び四つん這いになるが、何故か尻をこちらに向けて突きだすような体勢となる小動物。

「俺のケツを見ろ!」

「ふざけるな」

「おじさんふざけてないよ全然!? ……いいか、俺の体ん中では魔力の結晶体が精製されている。それは適性を持つ者だけが摘出・運用出来る。つまり今からお前が俺の体からお前の手でチカラのきっかけを掴みとるんだ!」

「それがケツと何の関係があるの……」

「何って、だから俺のケツの穴から手突っ込んで引っこ抜いてくれって言ってんだよ?」

「なんでだよ!」

「仕方ねーだろそういう仕組みになってんだから! いーから早くやれもうガマンの限界なんだ」

「ああもう……ああもう!」

 目を固く閉じると意を決して右手を差し出す。その「穴」は意外と柔らかく面白いように手がスルスルと中へ沈んでいった。

「ああ、いいぞぉ……もっと奥だぁ……ウウッ!」

「お願いだからちょっと黙っててくれない?」

 やがて手首までが中に入り込むと、手の先に何か固いものが触れた。手のひらで触ってみると暖かく、力が湧いてくるような感じがする。

「アアッ、それだぁ……そのまま引っこ抜けぇ!」

「もう何だかわかんないってば!」

 ズボッ!という生々しい音がして、右手を勢いよく穴から抜き出す。その手には燃えるような紅い色をした宝石が握られていた。


「ああぁ、なかなか良かったぜぇ……」

「いやアンタの感想とかどうでもいいけど、コレって……?」

 掌に乗った真っ赤な結晶。それが自分のチカラのきっかけ。でもその先が分からなかった。

「あとはお前の気持ちひとつ。さっきその乳みたくデカイ声で叫んだことを同じように願ってみればいいさ」

「願う……」


 宝石を胸のあたりでぎゅっと握って念じるように目を閉じた。すると手の中の宝石が急激に光り始める。その光は次第に大きくなり彼女自身を包み込んだ。

 光が完全に体を覆うと、その光は弾かれたようにロボットがいる方向へと飛んで行った。


 誰もいなくなった空間で小動物が呟いた。

「……痔になってなきゃいいなあ」





 ギ・ギ・ギ・ギ・・・と軋む音が断続的に続いていた。

 永遠にも思える苦痛に、一人の少女――カナが嬲られ続けていた。


「う…………ぅぅ……」

 全身が圧迫される痛みにもう声も満足にあげられなくなり、か細く呻くことしか出来ない。普通の人間ならとっくに意識を失っていてもおかしくなかった。

「うぅ……ポチ、ちゃん……ごめん、ね……役に立て、なくて……ごめん……ね……」

 無意識に口に出した言葉は誰にも届かず宙に消えていった。


 その時、一陣の突風が吹いた。

 朱色の風が吹き荒れ、ロボットとカナの間――金属の腕を切り裂いた。支えである腕を切断された手パーツは力を失い、捕らえていた少女を放り出してアスファルトへと落ちた。

「あうっ……」

 悪夢のような時間から解放された小さな体を長身の女性が優しく抱きとめる。

 カナと同じアンダースーツに真っ赤なロングジャケットとロングパンツを纏っている。

「一人でよく頑張ったね。もう大丈夫だから」

「……おねーさん……だれ?」

 女性の長髪は衣装と同じく燃えるような朱色に染まり、胸元には紅く輝く宝石。片手には身長と同等以上の長さを持った大剣が握られている。

 地面へと着地すると少女をそっと腕から降ろしてロボットと対峙する。


「これ以上誰も傷つけさせない。お前は私が倒す」


 剣先を突きつける剣士の目はまっすぐと敵を見据えていた。

 その宣言が、視線が気に入らないのか。感情を持たないはずのロボットが吠えるような機械音を上げ始める。二つ並んだ眼が壊れたように点滅すると、その光が一点に収束される。

「おねーさんっ気をつけて!」

 言われるまでもなく何かを仕掛けてくるのは分かった。背後には疲弊し切った少女がいる。


「……うおおおおおおおおおおっ!!」

 それが放たれる前に剣を構え地を蹴った。勢いに乗った紅蓮の剣士が一直線に機械人形との距離を縮めていく。

 充填し切った光は破壊光線となって剣士を消し飛ばすために発射された。

 大剣を体の前で盾にしたまま止まらず突っ込んでいく。加速度的に近づいてくるロボットの顔が狼狽えているようにも見えた。


「く・ら・えぇぇぇぇぇぇえええっ!!!」


 咆哮と共に振るわれた大剣が金属の体へとめり込む。スピードに乗った剣はそれだけでは留まらずロボットの内部構造を根こそぎ薙ぎ払いながら進んでいく。やがてカナの攻撃によってぽっかりと空いた穴も通過し、横一直線に極太の通り道が出来た。

 ギイイイイィィィィィィ・・・という断末魔にも似た声を発しながらもまだ目の光が失われていないのを剣士は見逃さなかった。その場で跳躍するとロボットが見上げる程の上空まで達し、剣先を標的目がけて構える。


「はああああああああああっ!!」


 真っ赤な軌跡がロボットの脳天へと到達し、そのままかち割る。アスファルトの下まで突き刺さるようなその斬撃は恐怖の機械人形を完全に粉砕したのだった。




「……すっごい」

 さっきまで自分を苦しめていたロボットの最期に、カナは思わずつぶやいた。その残骸の中心には紅い剣士。背を向けていて表情はわからない。

 少女の視線に気づいたのか振りむくと、


「…………ぴ、ぴーす……?」


 固い表情のままぎこちなくVサインを作って見せる。なんだかおかしくて、カナはつい吹き出してしまう。

 苦笑いをする剣士と屈託なく笑う少女。その様子を少し離れて見ている一匹の小動物がいた。


「動物病院ってケツも診てくれんのかなぁ」

 肛門の痛みを気にしていた。


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