②小夜の君
昔、東の五条のわたりに中ほどなる女ありけり。
通ひたる男の、いとやんごとなき際にあらずを、久しく支ひはべりぬ。
されど、皇太后の末の御妹君、その男をけさうじたまひて、男、いざよひつつなれそみ申しけり。
その皇太后なるは、のちに「我が春はなき」女はらから召させたまふ帝の、御母后なり。
御妹君が父君の、太政大臣なれば、婿なりし男の際のぼりて、起き臥しの欠けたるはなく、なべてかなひぬ。いと才ありてめざましき妻にて、男、五条へ通ふこと、はたととどみけり。
五条の女、夜ごと衣を返して寝にけり。ある時、歌を書きて遣る。
小夜明けて水脈に浸ちぬる敷き妙やいつしか干なむ夜這はる前に
男、さすがにあはれに思ひて、いまはとて女を訪ひにけり。
縁の浅からぬ証しにや。女、その一夜にして身ごもりぬ。
その子なるが、出家し草庵におはす法師なり。
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《現代語訳》
昔、左京の五条のあたりに中流貴族の女がいたのだ。
女に通ってくる男は、さほど高い身分でもないのだが、女は彼を長いこと支えてきた。
けれど、皇太后の末の妹が、その男に惚れてしまって、男は躊躇いながらも仲を深めていってしまったのだ。
その皇太后というのは、前の話で語った姉妹を、後に後宮にお召しになる帝のお母上のことなのだ。
それで、その妹君の父上が太政大臣だったから、その婿になった男は出世して、暮らしで不足なこともなく、なんでも思い通りになった。
たいそう賢くて美しい妻だから、男は五条の恋人の元へ行くことは、ぱったりなくなってしまった。
五条の女は、夜な夜な、恋しい人が来てくれるおまじないとして、自分の寝間着を裏返しにして寝ていた。女はある時、男に歌を書いて送ってやったのだ。
「あの人のいない独り寝の夜が明けて、わたしの涙で深い水に浸したようになってしまった敷布よ、どうか早く乾いておくれ。夜になり、あの人が来る前に」
男は、さすがに不憫なことをしてしまったと感じて、もうこれっきりだということで女を訪ねた。
二人の縁が浅くはなかった証だろうか。女は、その一夜で子供ができた。
その子供というのが、出家して草庵にいる法師なのだよ。