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裏野ハイツの管理人

 部屋を再訪した均を新田さんはご機嫌で迎え入れると、ダイニングのテーブルにかけるように促した。意外にもコップに注がれたのは帰宅途中で買ったばかりというパック入りのウーロン茶。氷が入っていないので微妙にぬるいのが残念だ。


「ごめんなさいね。しばらく入院していて家を空けていたから使える氷が無いのよ」

「いえいえ、とんでもない。むしろ丁度いいくらいです。暑いからといって冷やし過ぎるのはお腹によくないですしね」

「それは良い心掛けね。私も夏だからって飲み物に氷を入れたりはしないのよ。よかったわ、私達気が合うのかしら」

「あはははは」

「おほほほほ」


 適当に話を合わせつつ、均は自分が大家になった経緯などをかいつまんで説明する。


「そうですか……与平さんがお亡くなりに。心からお悔やみを申し上げます」


 しんみりとした口調で呟く新田さん。均は静かに黙礼を返すと、祖父を名前で呼んだことについての疑問を口にする。


「祖父とは親しかったのですか?」

「ええ、お友達だったわ。単なる大家と店子の関係じゃなくてね」

「そうだったんですか」

「ええ……それにしても、ああ悔しい。入院なんてしていたばかりに、お見送りもできずじまいだったなんて」


 そう言うと、新田さんはハンカチで目頭を押さえうつむいてしまう。


「よろしければ、墓に参ってやって下さい」 

「ええ、そうさせていただくわ」


 しばし続いた沈黙を、均はゆっくりとお茶を飲んで待つ。窓から穏やかな風が吹き込み、ちりんと風鈴を鳴らす。

 ややあって、新田さんはおもむろにこんな話をした。


「ところで、あなた……いえ大家さん、今後の管理はどうなさるおつもりかしら?」

「ゆくゆくは管理会社に任せようかと思ってます。今日、自分で管理業務をしてみましたが結構な手間でしたからね」

「あのね……よかったら私にお手伝いさせてくれないかしら?」

「と、いいますと?」

「管理会社ってね、てんで大したことはしてくれないらしいわよ。せいぜい住民の苦情や要望の一次窓口になるだけでね。電灯交換みたいな簡単な事ならやってくれるけど、後は専門業者に丸投げして費用を大家に請求するだけ。それで与平さん――あなたのおじい様も、あまり意味が無いってぼやいたわ。それで私言ったのよ。なんなら日々の管理は私に任せておきなさいって」

「じゃあ、ひょっとしてアパートの管理はずっと新田さんが?」

「ええそうなの。私はもともと細かい性質だし暇を持て余していたもんだから、アパートの掃除やゴミ捨て場の管理なんかも勝手にやっていてね。共用部に不具合があればしょっちゅう連絡とかしていたから、ある日、与平さんが菓子折りを持って挨拶に来てね。あなたのおかげで本当に助かってる、感謝してますって。それが嬉しくって一層励むようになって。以来、お友達として交流を続けていたのよ」

「そうだったんですか」


 祖父が信頼していた相手なら、このまま管理を続けてもらうのがベストであるように思われた。


「そういうことであれば、このまま管理を続けていただければと思います。ちなみに、月々の御手当はいかほどでしょうか?」

「そんなのいらないわよ」

「いや、さすがにそういうわけには」


 すると、新田さんはにっこりと微笑んだ。


「それなら、時々こうしてお話してくれると嬉しいわ」

「そんなことでよろしいんですか?」


 どのみち管理を任せる以上は定期的に連絡を取り合うことになるし、お中元やお歳暮を渡しに来ることもあるだろう。その程度のことでアパート管理に協力的な住民が得られるなら、引き続き自主管理でいけるだろうか。


「では今後ともよろしくお願いします」

「はい、任せておきなさい」


 新田さんは自信たっぷりといった様子だが、高齢の上に病み上がりの身であまり無茶をされては困るので、念のために均はこう言い添えておく。


「くれぐれもご無理はなさらないでくださいね?」

「あらあら、ありがとう。あなたとっても優しいのね。さすがは与平さんのお孫さん」 

「あはは、それほどでもないですよ」

「そんなことないわよ。それにほら、あなたとても素敵な顔をしているわ。やはり人格って顔に出るものよねぇ。目元も涼しげだし穏やかで澄んだ瞳をしているわ」

「お褒めにあずかり光栄です」


 お世辞にしてもさすがに言い過ぎのような気がしたが、否定するのもなんなので適当に調子を合わせておくのがよさそうに思われた。

 その後も、新田さんは赤面しそうになるくらいに均を持ち上げていたのだが、やがて唐突に声を詰まらせると再びハンカチで目頭を押さえてしまう。


「あの、大丈夫ですか?」

「ごめんなさいね。あなたとお話していると、色々と考えてしまって」


 擦れた声で言うと、新田さんは懐から一枚の写真を取り出すと均の前へと置いた。そこに写っていたのは七、八歳位の男の子だった。


「私の孫なの。もう十年以上会っていないけれど、きっと今頃はあなたみたいになっているんじゃないかって……それで」

「そうでしたか。それはそれは……」


 また、なんとも面倒な事情のようだ。何か慰めになりそうなことを言うべきだろうか?


(自分を孫と思ってくれ、とか? さすがにないな)


 しょうがないのでだんまりを決め込み、お茶を飲んで時間を稼ぐ。

 コップが空っぽになったところで、すかさず新田さんがお代わりを勧めてくるが、丁重に遠慮させてもらい暇乞いをする。


「あら残念。もっとゆっくりしていってくれればいいのに」

「すみません。まだ仕事が残っているもので」


 と、ここで均は隣室の住民への挨拶ができていなかったことを思い出す。


「あの、お隣の方ってどういった方かご存知ですか?」

「お隣の方?」

「ええ。実は階下にお住いの方からうるさいと苦情がありまして。注意したいんですがインターホンにも出てくれないものでして」


 新田さんはハッとしたように目を見開いた。そしてわずかに目を逸らし、


「ええと……そうね。隣は……ああ、なんと言ったらいいのかしら」

「ひょっとして、問題がある人なんですか?」

「そういう人だったわ。でも今は……」


 問題がある人物というだけで厄介なのに、加えて何かがあるとなれば覚悟が必要だ。

 均はごくりと唾を飲み込み続きを促す。


「今は……何でしょう?」

「お隣、今は誰も住んでいないはずよ」

 

 裏野ハイツから徒歩十分ほどの距離に祖父の家はある。

 庭付きの和洋折衷住宅は昭和初期に建てられたもので傍目にも老朽化が著しく、今のところ均が管理を任されているものの、いずれは取り壊される予定である。もっとも、祖父は家や町への愛着が強かったのか、子供達の同居の勧めも断って一人暮らしを続けていたのだが。


「その結果がこの有様か」


 カビ臭い書斎の中で、均は大きく溜息をついた。

 ここ、祖父の書斎のどこかに裏野ハイツ関係の書類があるはずなのだが、祖父は片付けられない性格だったようで、あらゆる書類が未整理のまま机の上に山積みとなっており、また引き出しの全てから溢れ出している有様だった。もちろん、目当ての書類がどこにあるのかなんてさっぱり分からない状態だ。

 億劫そうに書類の束を掴むと、均は一つづつ確認し分類を進めていく。

 大半は修繕見積書や支払い済みの請求書であり、あまり取って置く意味はなさそうに思われた。


「お、新田さんの契約書発見!」


 日付は四年前のもの。契約書は二年ごとに作り直すはずなので、どこかにこれより新しいものも存在するはずだ。


(頼むよ爺ちゃん、せめて契約書くらい整理しておいてくれ!)

 

 そもそも契約書を見れば、どの部屋に誰が住んでいるかなんて容易に把握できていたのだ。書類の山から発掘するのがあまりに面倒だったから、ひとまず後回しにしていたのだが、今となってはそういうわけにもいかない。


(あれが一体なんなのか早く調べないと……)


 均は新田さんの話を聞いてすぐ202号室を調べてみたのだ。

 マスターキーで部屋に入ると、たちまち下水の臭気が漂ってくる。やはり新田さんの言う通り、部屋は長らく空き室のまま放置されているようだった。

 急ぎ空気の入れ替えをすべく、奥の洋室へと続くドアを開け放つと――

 そこには異様な光景があった。


「わっ、何だよこれっ!」


 床にはこけし位の大きさの像が十数体も置かれていた。

 ほとんどは木像や塑像。いずれも仏像や神像の類いらしく、喜怒哀楽を称えた表情がえも言われぬ怪しさを醸し出している。更に、壁には幾枚もの怪しげな札が貼ってあり、異様な雰囲気を一際高めていた。

 誰も住んでいない部屋に、こんなオカルト的な道具が揃っているのは何故なのか?


(ひょっとして、この部屋の騒音と関係が――)


 その時、背後でゴトンと大きな音がした。

 心臓が跳ね上がるの感じると同時、均は全速力で部屋を飛び出していたのだった。  

 冷静に考えれば足元の像を蹴倒しただけなのだろうが、もう一度部屋に入る気にもならなれず、仕方なく手がかりを求めて祖父の家に来たというわけだ。

 それから書類の山と格闘すること三時間。

 とうとう均は入居者全員分の契約書を見つけだした。そして、肝心の202号室について分かったことといえば、五年ほど前から入居者の入れ替わりがやたらと早くなっていることだ。ひどい年など同じ年の間に四回も入れ替わっていたようだ。

 そうなる理由といったら何だろう?


(マンスリーの契約だったとか?)


 いや、ないなと首を振る。

 そうであれば、最初から契約期間を短めに設定するはずだ。


(となると、やっぱりあれなのかな……)


 現在は入居者を募集していない事実から導き出されるのは、部屋自体に何らかの問題があるということだ。それも、あの室内の惨状から推測されるのは、問題はオカルト的な何かだろうか。


(勘弁してくれよな。そんなのどうしたらいいんだよ) 


 とにかく、もっと詳しく事情を知る必要がある。

 均は携帯を取り出すと新田さんへ電話をかけた。

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