大家さん事始め
夏真っ盛りの炎天下。
早朝から始めた作業をようやく終えて、裏野均は塀に寄りかかりながら目の前の建物をぼうっと眺めていた。
裏野ハイツ。木造二階建て築三十年。
閑静な住宅街の中に建つ、何の変哲もないアパートだ。
「あーあ、せっかくの休暇だったのにな」
溜息混じりに一人ごちる。
均は社会人一年生。連日仕事に忙殺される中、今日は久々の休暇だったのだ。
そんな希少な一日を費やしてまで、こんなところで何をしているのかといえばアパートのメンテナンス作業である。
というのも、彼はこのアパートの大家なのだ。
均の祖父、裏野与平はちょっとした資産家だった。決して羽振りが良かったわけではないが、複数の不動産を所有しており、まともに相続すれば結構な税金がかかってしまうものと予想された。そこで、祖父が採用したのが孫を養子縁組して節税するという策だ。ざっくり説明すれば、相続人の頭数を増やしておけばその分だけ控除額が増えてお得になるのである。もちろん、そこに至るまでの経緯には色々と込み入った事情があるのだが、ここでは割愛するとしよう。
ともあれ、この辺りに住んでいるのが均しかいなかったというだけの理由で、若干二十三歳にして彼はアパート所有者となったわけだ。
(やったぜ、家賃収入が手に入る。不労所得だラッキーだ! なんて一瞬でも思った俺が馬鹿だった)
不動産の所有というのは、ただそれだけで金を食う。
登記手続きの諸費用に始まり、固定資産税、都市計画税、修繕費、家賃が入れば所得税だってかかる。ちなみに、相続税は親から借金している形なので分割で返済しなければならず、当分は手元に一銭も残らない。
「それに――何だよ自主管理って!」
祖父の家が近所にある都合上、この裏野ハイツは大家自ら管理を行っていた。
入居者を募集する際には不動産会社の世話になるものの、管理業務の委託までは頼んでいなかったからだ。手数料をケチりたかったのか、丁度良い暇潰しになったからかは知らないが、ともかくそれに気付くまで要した期間が三か月。当然、その間アパートは完全放置状態だ。おかげでコンクリの隙間は草だらけ、廊下の電灯も複数切れて、そこら中に蜘蛛が巣を張り、空き室のポストはチラシで溢れていた。それで、こうして休日を丸々費やして手入れをする羽目になったというわけだ。
「ホント参るわ。もっと早く連絡してくれればよかったのに」
どうやら、ここの住人達は共用部分が少し荒れた程度では不満を言ってきたりしないようだ。祖父名義の口座が未だ凍結されていないから、家賃の振り込みができなくなるといった不都合がなかったこともあるだろう。きっと大家が代替わりしたことだって気付いていないに違いない。
今後の管理は不動産屋に任せるとして、新たな連絡先と家賃の振込先はすぐにでも伝えておく必要がある。そんなわけで作業の合間に各戸訪問を繰り返し、残すは102号室、201号室、202号室となった。