1ー7 反撃
「……ふむ」
器具庫の外で陰山は考える。
照明が消えた暗闇の中、少女──生徒手帳には「篠原吉野」とあった──を連れて行ったのは魔法使いの少年に違いない。
どうやら身を潜めているのだろう、しかし去っていく方向と距離から、この中に居るであろうことは容易に想像できる。
故に「光」を仕掛け、「罠」を張った。
見事かかってくれれば先ほどのように動きを止められたのだが──ステージどころか扉からも出てこないことから、自分の目論見は彼らに筒抜けであると考えるのが妥当だろう。
であれば完全に膠着状態だ。
リスクはあるが、此方から仕掛けるべきか。
ちらりと壇上に目を向ける陰山。
ステージ照明は変わらずに無人の舞台を照らし続けている。器具庫の扉を照射するライトと同様、「停止」の「条件」を理解している自分に効果は及ばない。
ただし壇上から器具庫に進入しても戦場になるのは暗がりの器具庫内だ、せっかくのメリットが無駄になる。此処まで舞台を整えておいて活用しないのは職業柄としても勿体ないことに思えた。
扉から入るのはほぼ確定。
「停止」させるまでに「光」の当たらない位置から攻撃されれば此方も無傷ではいられないのだ。細心の注意を払い、ペンライトを構え直す。
無論、己の体でライトの死角を作るなどというミスはしない。
扉を背にしながら取っ手に手をかけた、直後。
頭上から音がした。
思わず目を向けると、器具庫の中に居るはずの少女が二回の手すりから身を乗り出しているのが見えた。
「なっ──」
飛び降りて逃げるつもりなのだろうが今の彼女は裸足だ。加えて、クッションになるものも無い体育館ではあまりにも無策。
無駄に怪我することもない。「停止」のライトを向けようとリモコンを取り出すが、それよりも彼女が落ちるほうが早かった。
(……間に合わない!)
「停止」は魔法ではない。人間の心理を利用するだけのただの科学だ。
物理法則に基づく動きは「停止」の埒外であり、故に彼女の自由落下は止められない。止めるすべがない。
陰山の心に焦りが生じる。
しかしそれは「抜け穴が発覚した」というよりは「吉野が落ちて怪我をする」ことによるもの。
敵意を表明した後も吉野の身を案じている矛盾に内心舌打ちする。
(だがせめて、娘の二の舞には……!)
落下地点を見極め、駆け出す。うまく受け止められれば上々。それが無理でも、せめて衝撃を緩和させるくらいはできるだろう。死なせない限りは取り返しがつくと、甘く考えていたのかもしれない。
「立体」
吉野が唱える。
揺るがぬ声を合図に、手にしていたスケッチブックが文字通り飛び出してきた。
直径1メートル程度の、パラボラアンテナじみた半球形状の物体。
有体に言えば傘。
突如出現したソレがパラシュートの役割を果たし、落下の速度を削ぐ。
ついでに、真下に移動してしまった陰山を期せずして狙う形でもある。
「ッ、キエェェ!」
とっさにペンライトの電源を入れ、傘に切りつける。
光剣が切り裂いた向こう側には吉野の驚いた顔があった。
着地と同時に数歩の後退、陰山の間合いから離れる判断力は素人にしては筋がいいといえる。
「びっくりした! すごくびっくりした!」
困惑した表情で吉野がまくしたてる。素が出ているのか、しかしスケッチブックをめくる手の動きは淀みない。
「立体!」
スケッチブックから木槌が出現する。それを片手で掴むと、吉野は大きく振りかぶった。
「あっ……たれぇぇ!」
投擲。木槌は回転しながら陰山に向かって飛んでくる。
距離にして数メートル。
物を投げればまず当たる距離、ではあるが。
「動作が大振りすぎる」
ペンライトを下げ、左へ半歩。それだけで陰山は木槌の軌道から外れる。背後から衝突音が聞こえたのは、機材を何かしら壊してしまった為だろう、安くはないが学校の設備だった場合に比べればまだ気は楽か。
「私には当たらんよ。ふむ、魔法のスケッチブックから出たのでどんなものかと警戒したが」
音から察するに、出てきたのはただの木槌だ。強度を上げるとか、魔法を付与しているといった様子もない。それこそ、何処にでも売っているような。
ならば多少の反撃を受けてでも、魔法の媒体であるスケッチブックを奪うのが得策だろう。
発動までのタイムラグも、接近戦であれば使う隙を与えるつもりはない。
前方の吉野へ意識を向け、対処法を思案する陰山。
「──っ!」
故に、背後からの奇襲には反応が遅れた。
「くっ、外した!」
少年が舌打ちし、真っすぐに陰山へと向かってくる。中空にペンを走らせて魔法陣を描き始めたことから第二波を予見し、暗がりの中では的でしかないペンライトの電源を切る。一層深い暗闇、しかし少年は足を緩めることなく接近してくる。
「まさか、視えているのか!?」
「ああ、食らえ!」
魔法陣が光り、再び魔法攻撃。
自分と同じように暗所に慣れているのか、それとも暗所へ対処するために魔法を使ったか。いずれにせよ戦況は五分五分だ。
ああなるほど、先刻の木槌は器具庫の扉を照らすライトを破壊するためだったかと、今更ながらに合点がいった。
「食らうかァ!」
しゃがみ込む、という咄嗟の判断は正解だったらしい。頭上を電光がかすめていく。
そのまま、勢いをつけて、今度は陰山のほうから少年へと距離を詰めた。
ペンライトの先を少年の顔へと向ける。
──「停止」のためではない。今朝の廊下で使って見せた小型ライトによる「威圧」には光量が足りないし、そもそもこれからやろうとしている事にそこまでのスペックは必要ない。
だが、闇に慣れた目では眩しかろう。
(どうか失明してくれるなよ!)
皮肉でもなんでもなく、陰山はそう強く願う。
そのままスイッチを入れようとしたその時──
「ダブルアイズ」
吉野の言葉が耳に届いた。
続いて、押し寄せる光に目が眩む。
思わず目を覆った陰山の足元に何かが絡みつき、そのままバランスを崩した彼の体は床へと叩きつけられた。
呆然とする中、少年の勝利を確信しきった表情が視界に映る。
「照明……篠原吉野か!」
視界が明るい。彼らも明順応を利用したのだと、今になって気づく。
「ああ。これで、詰みだ」