1-6 退避
陰山の近付いてくる音が聞こえる。
逃げようにも動悸は激しいままで、走るどころか立ち上がるのも困難だ。
直前に「死んでくれ」と言われたのだ、それなりに酷い目に遭うのだろうし、実際そのまま殺される可能性も高い。
自身の死亡。そのときは悪魔と交わした契約も切れる。思ったよりも早い終わりだがこれも寿命だろう、と吉野は妙に達観していた。
(あ。お昼、カナちゃんのこと待たせたままだ)
──心残りも、まあ、人並みには有るけれど。
「閃け!」
声とともに閃光が走る。陰山のうめき声と同時に重圧から解放された吉野は、誰かに手を引かれる感覚を覚えた。
導かれるままに連れられた先は狭い空間──体育館倉庫だ。
「怪我は?」
囁くような問いかけに、吉野は声の主がダブルアイズであると気付く。
「いいえ。助けるつもりが助けられちゃったわね、ありがとう」
小声でそう伝えると、ほぅっ、と安堵したようなため息が返ってきた。
「それじゃあ、ぼくが彼の気を引いているうちに逃げて」
「私は助けに来たつもりだったのだけど?」
吉野は声を潜めて抗議するが、ダブルアイズの答えは「必要ない」だ。
「これはぼくたちの戦いだ。きみには関係ない」
「関係ないって──」
思わず声を荒げる吉野。
だが彼女の言葉は機械音によって遮られる。
カシャンカシャンカシャンカシャン。
音が鳴る毎に、二人のいる舞台袖が明るくなる。思わず光のほうへ目を向ければ、照明がステージを照らしていた。
「──ここに居ること、気付かれているのかしら」
「だろうね」
吉野の脳裏に体育館の構造が浮かぶ。
暗幕が閉じていて暗くなっているといっても、これだけの光源があれば体育館内を見通すくらいは可能だろう。現に、舞台袖の吉野とダブルアイズは互いの顔を視認できる状態にあるのだから。
そして、隠れられる場所といえばアリーナに上がるか、器具庫の物陰くらいなもので。
「待った。なんでそっちから出ていこうとするの」
ステージのほうへ歩いて行こうとする吉野を見て、慌てて引き留めるダブルアイズ。
「あんな見つけてくださいと言わんばかりの場所から出るとか正気を疑うよ。死にたいの?」
「……見て」
正気を疑う、という一言で不機嫌になりながらも、ステージの天井を指さす。
「点いている照明は3つ。でも、さっき4回音が鳴っていたわ。さあ、残る一回はどこの音かしらね」
吉野の指摘で、ダブルアイズは器具庫の出入口──扉は入った時に閉めてある──へと視線を移す。
「なるほど。この先に待ち構えているのだろうと」
扉を開ければ、陰山の照射する光によって動きを封じられ、反撃する間もなく倒される。大方そんなところだろうと、ダブルアイズにも伝わったようだ。
「分かった。考えなしに出ていこうとしたわけじゃないんだね。けど」
再びダブルアイズはステージへと目を向ける。きらり、と左の目が光る。
「ステージの照明もだよ。彼が持っていたライトと同じ光だ」
「じゃあ、どちらから出てもだめってこと?」
「動きを止められたくなければね」
そこまで話すと、どちらからともなくため息をつく。
まさに袋小路だ。吉野の復調に賭けて外に出るべきだったとも思うが、もう遅い。こうなった以上は現状打破について話し合った方が得策だろう。
「ダブルアイズ、あの光も魔法なの?」
人間の動きを止められるくらいだ、さぞ超常の力を使っているのだろうと考えての問いだったが、返ってきた答えは否定だった。
「あれは科学だよ。魔力は一切通っていない」
そんな馬鹿なと思ったが、ダブルアイズの『眼』の精度は吉野も知っている。
科学。つまり、誰にでも再現ができるモノであると彼は言う。
「理屈が分かれば、打ち消す方法もあるんだけど」
「どういう原理か分からない?」
「情報がたりないんだ。効果を第三者の目線で見られたら少しは糸口も見えはず」
「……あ」
ふと吉野が声を上げる。つられてダブルアイズも同じ方向に目線を向けるが、ただアリーナが見えるだけで何もない。
「一体どうしたの? 何か見つけた?」
そう尋ねると、吉野はおずおずと「私を信じてくれる?」と切り出す。
「嫌な予感がするんだけどー」
ダブルアイズは顔をしかめてそう答える。信用どころか疑心の塊のごとき様相だった。