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1ー1 クレヨンの偏愛魔法使い

 例えば、あなたの目の前にゴキブリが現れたとしよう。

 あなたはそのとき何をするだろうか。


 ある人は悲鳴を上げて逃げるだろうし、またある人はゴキブリを殺そうとするだろう。


 もちろん、ゴキブリを愛玩動物として可愛がる人間が居ないわけではない。

 しかし世間一般でいうゴキブリは。

 三億年前から生存してきたと言われるこの虫は。

 悲しいかな『害虫』という言葉で括られてしまうのだ。


 優れた者は時として忌避の目で見られる。

 そしてそれはゴキブリに限った話ではない。


 そう、それは『魔法使い』と呼ばれる人々に対しても同様だった――



 ◇◆◇



 現代日本の公立高校、時間は昼休み。校舎裏では、一人の少女が鞄を手に座っていた。

 脇には弁当箱が置かれている。これから昼食を摂るつもりのようだが、箸は出されていない。加えて、彼女が今だに鞄の中を探し回っていることから見ても、食事を開始しない理由は明白だった。

 端的に言うと、彼女――篠原(しのはら) 吉野(よしの)は箸を忘れたのだ。


「仕方ないわね」

 そう呟くと、吉野は鞄の中からスケッチブックとクレヨンを取り出す。クレヨンを箸代わりに使うわけでもあるまいし、食事を諦めて描画を始めた――というのが妥当だろうか。

 画用紙に、茶色のクレヨンで線を引く。長さはおおよそ20センチメートル程度、一端がやや太くもう一端がやや細い形状のものを2本。それはまさしく「絵に描いた箸」だった。クレヨンで描いたにしては、よく特徴を捉えている。

立体(ポップアップ)

 瞬間、スケッチブックから「箸」が飛び出す。彼女は手にしていた茶色のクレヨンを箱に戻し、代わりに出現した箸を右手で持つ。かちかちと箸先を鳴らした後、弁当箱を開けて何事も無かったかのように昼食を食べ始めた。


 『クレヨンクレヨン』。これは、描いたものを実体化させることのできる魔法だ。

 そしてそれを扱える吉野は、いわゆる魔法使いだった。



 ◇◆◇



 ガサッ。葉のこすれる音が吉野の耳に入る。

 咄嗟に顔を上げると、植木の向こう側にいる男子生徒と目が合った。思わず箸を取り落とす吉野。


「……」

「……」


 両者、ともに沈黙。状況の整理が追いつかない吉野に対して、男子生徒のほうは眼鏡の奥で気まずそうな表情を浮かべている。

「お邪魔しました」

 先に動き出したのは男子生徒のほうだった。ペコリという擬音が付きそうな調子で頭を下げた後、彼はそのまま引き返していく。残されたのは吉野一人だけだ。

「見ら、れた……?」

 震えた声で呟く吉野。男子生徒の反応からすると、魔法を使っているところも見られたと考えて間違いないだろう。

 まだ二口ぶんくらいしか減っていない弁当を脇にどけ、吉野はふらふらと立ち上がる。まだ近くにいるであろう男子生徒に向け、彼女は「待って」と声をかけた。

 ……だが、聞こえてきたのは駆け出す音。

 逃げられている。そう理解した瞬間、吉野の脳内ではぐるぐると思考が繰り返される。見られた、見られた、見られた。その末に彼女が出した結論は。

「待ちなさい!」

 口止めするしかないと決意を固め、吉野はくだんの男子生徒を追いかける。

 幸いにも男子生徒の姿はすぐに見つけることができた。とはいえそれは彼も同じだったようで、短い悲鳴を上げた後に昇降口へと向かっていった。

(一組か二組の昇降口……否!)

 男子生徒は脱いだ運動靴を片手にそのまま階段へと逃げていく。吉野も、ローファーを下駄箱に放り込んで後を追う。



 ◇◆◇



「あ、シノ」

 踊り場に差し掛かったところで、階上から見知った顔が降りてきた。

  九曜(くよう)彼方(かなた)。通称『カナちゃん』。

 吉野にとっては同い年の幼馴染であり、率先してクラス委員に立候補するタイプの女の子である。その性質は今でも変わっていないようで、今年入学したばかりであるにも関わらず自主的に生徒会に加わっていた。

「いつもお昼一緒に行けなくてごめんね。6月(らいげつ)の文化祭までにいろいろ準備があって……」

「カナちゃん、靴を持った眼鏡の子ってどっちに行った!?」

 話を遮り気味に問う吉野だったが、九曜は気を悪くした様子もなく上を指さす。

「今さっき3階に上がっていく男の子を見たけど、違う?」

「ありがとうっ!」

 すれ違いざま、九曜に礼を言う吉野。

「お昼のことはいいわよ。それより、体壊さないようにね。じゃ!」

 そのまま背後に九曜を置き去りつつ、吉野は考える。

 九曜は「上がってくる」とは言わず「上がっていく」と表現した。それはつまり、下からあの男子生徒を見かけたということになる。なおかつ、吉野自身は九曜が2階から階段に足をかけている様子を見ていた。ならば、距離は離れているとしても階段の半分程度だろう。


「はぁ、はぁっ!」

 3階まで上がった吉野は息を整える間もなく周囲を見渡す。

 考えられる逃走経路は大きく分けて三択。2年生の教室と図書館がある東方面か、山の上のグラウンドに続く大階段がある北方面か、あるいは特別教室へと続く南方面かだ。

 半ばを過ぎたとはいえ昼休み、教室前の廊下には雑談を交わす上級生たちの姿があった。もしもあの男子生徒が速度を落とすことなく走って来たならば衝突は必至、回避するためには速度を落とすことになり、いずれにせよ吉野が追いつくのは容易になる。

 大階段も除外していいだろう。確かに逃走経路としては悪くないが、その勾配と距離は「心臓破り」と名高い。自分なら、体力が追っ手よりも劣ればすぐさま追いつかれる可能性があったとしてわざわざ賭けに出ようとは思わない。

(彼も同じように考えていたなら――)

 吉野は南方面へ駆け出す。彼女の予想は的中したようで、前方に男子生徒の後姿を見つけた。

「居た!」

 その声に、男子生徒は後ろを振り向く。そして吉野の姿を視界に入れたのだろう、進路を中央の階段へと変えて姿を消した。

「下ね!」

 後を追う吉野は、階段に走り寄ると、ある行動に出る。



 ◇◆◇



(撒いた、か?)

 足音が自分のものだけになり、男子生徒は階段を駆け下りる速度を緩める。だが完全には立ち止まらず、息を整えながらつい先ほど見かけた光景を思い出す。

(まさかあれ(・・)を使っているところに出くわすなんてな。『悪魔(・・)』も居るし、この学校はどうなっているんだ)

 ある事情により目立つ行動を避けている彼にしてみれば、今の状況は好ましいとは言えなかった。今後のことも含め、どう出るべきか――そう考えたとき、彼の周囲に影が差した。


 咄嗟に上を見たのは、経験からくる危機管理だろうか。

 とにかく。見上げた視線の先にあったのは――自分めがけて降ってくる少女の姿だった。



 ◇◆◇



「つ、かまえたあぁ……」

 逃走劇は、男子生徒が吉野に押し潰される形で決着がついた。男子生徒の眼鏡が衝突したはずみで吹き飛び、そのまま階下へと落ちていく。

「……なあ」

 男子生徒は自分を押し倒している吉野に声をかける。

「どいてくれないか。こんな状態じゃあ、落ち着いて話もできやしない」

「ご、ごめん」

 思わず謝罪する吉野。男子生徒の上から降り、向き合う形で腰を下ろすと、強い力で男子生徒に両肩を掴まれた。

「バカだな? お前バカだろ絶対! いくらなんでもフツー飛び降りねえよコンニャロウ」

 ガクンガクンと力任せに肩を揺さぶられる吉野。それに伴って、彼女の首――ひいては脳も一緒に揺さぶられる。

「や、め……っ人、きひゃぅぅ」

 目を回しながらも的確な吉野の言葉に、男子生徒は手を止めた。

「おぅのー」

「お互い、大事にはしたくないか」

 こくりと頷く吉野――は、本当に理解しているのか、単に首が定まっていないだけなのか。だが男子生徒はそれを見て、少しばかりやりすぎたと反省したようだ。

「まあ、気持ちは分かるぜ」

 男子生徒は腕を組み、うんうんと頷く。それを見た吉野は、理解を得られたらしいと直感した。


「なんたって――」

「だって――」


 二人は、同時に理由を話す。


「魔法を使えるって知られるのはなあ」

「この年でクレヨンを使っているなんてね……」

 まったく、かみ合わない理由を。



 ◇◆◇



「は? お前、何言ってんの?」

 男子生徒の表情が、怪訝なものを見るときのそれに変わる。

 対する吉野も、どうして分からないのかと考えているようだ。

「だって私、もう高校生なのよ? クレヨン持ち歩いているなんて、変な子だと思われちゃうじゃない」

 熱弁し始める吉野に頭を抱えながら、男子生徒はある疑念を口にした。

「じゃあ、魔法を使ったことについては」

「ああ。そっちは気にしていないわよ。全然、まったく」

「……」

 大きくため息をつく男子生徒に対して「具合が悪いの?」と問う吉野。

「逃げて損した」

 男子生徒は立ち上がる。そのまま階段を数歩降りると、落ちていた自分の眼鏡を拾ってかけ直した。そのまま穏やかな表情を浮かべて、吉野に笑いかける。

「それじゃあ。君が『増幅器』を狙っているのでなくて良かったよ」


 瞬間。男子生徒の拳が自身の顔面に叩き込まれる。

 驚く吉野をよそに、男子生徒はたった今かけたばかりの眼鏡を自らはぎ取った。

「なんで言っちまうんだよそのまま誤魔化せそうだったのに!」

「落ち着いて。何が何だかさっぱりよ」

 コントのごとき有様を止めに入る吉野。確保というほどの強さは持たないが――むしろ先ほどの逃走劇のほうが何倍も必死だった――彼女の手で我に返ったのだろう。男子生徒は自分を殴るのをやめて胸ポケットに眼鏡をしまう。


「……『増幅器』という言葉に聞き覚えは?」

「特には無いわよ。だから、どうしてそんなに慌てるのか分からないし、聞いていいなら理由も知りたいわ」

 はぁ、と本日二度目のため息。

「秘密は守れるか?」

「クレヨンのこと、黙っていてくれるなら」

「だったら口は堅そうだ。少なくとも、あの野郎(バカ)よりは」

 そして彼は話し始める。『増幅器』、そして彼ら(・・)自身のことを。



 ◇◆◇



「オレの名はミスティ・イコン。で、さっき口を滑らしたあいつがダブルアイズ・レンドだ。故あってどっちも通称だが、まあ勘弁してくれ」

 と、明らかに日本人顔の男子生徒が言う。

「ミスティと、ダブルアイズね。……その、口を滑らせたっていうのは」

「二重人格だよ。基本、眼鏡をかけているときはアイズで、外している間はオレだ。表に出ていない方にできることといえば、眼鏡の付け外しくらいだな」

 そこまで言って、男子生徒――ミスティは歯ぎしりする。

「あの時に眼鏡を剥がしておけば良かった。そもそも、アイズが真っ先に逃げ出そうとしなければこんな……」

「話、逸れているわよ」

 内容が恨み言になっていると指摘する吉野。

「ああ、ワリィ。さて何から話せばいいか」

 僅かな沈黙の後、ミスティは右手の甲を見せながら口を開いた。

「『増幅器』。オレたちはこいつを守っている」

 そこに描かれていたのは奇妙な図柄だった。円の中に複数の図形と文様がさながら波紋のように配置されている。

「魔法陣? すごく複雑そうだけど、何なのそれ」

「そうだな、簡単に言うと魔法の効果を強める仕掛けだ。アンプって言い方もあるな」

「あ、楽器とかの」

 吉野が想像したのはエレキギターに繋いだアンプという光景だった。この場合は、ギターの音を増幅させて音量や音質を変える働きがあるという。

 するとミスティは少し驚いた様子で吉野に返答する。

「他にも色々種類は有るが、おおむねその認識で良い。……クレヨン狂いのあんたが知っているとは思わなかったが」

「ううん、この間たまたま説明されたばかりだったから」

 思い出すのは、文化祭の準備に奔走していた幼馴染の姿。あれは音響機器の準備に立ち会ったときだっただろうか。

「まあそんなわけで、余計なトラブルを避けるためにも、わざわざ関わり合いになりたくないってことだ」

「なるほどね」

 彼の言い分ももっともだ。だが、それだけに――

「それにしたって、いきなり逃げ出すのは怪しすぎると思うの」

「言わないでくれ。さっき言った通り、自覚している」

 深くため息をつくミスティ。三度も続いたのだ、よほど相棒(ダブルアイズ)に苦労しているらしい。

「そういえばあんたは」

「篠原吉野」

 ミスティの言葉を遮る吉野。「は?」と間の抜けた声を出す彼に対して、吉野は真意を伝える。

「私の名前。篠原でも吉野でも、なんならシノでもいいわよ」

「マイペースだな。……じゃあヨシノ」

「うん、何?」

「単純な興味で聞く。どうして『増幅器』の話を聞いても平静でいられるんだ?」

「どうして、と言われても……」

 吉野は心底困った様子だった。うーんと唸りはするものの、確固とした答えを出せずにいる。ひとしきり悩んだ後、「便利だとは思うけど」と前置きして彼女なりの理由を告げる。

「正直、私はクレヨンで絵が描けるならそれでいい。描いたものが出てくるのは便利だけど、それだけできれば十分よ」

 こんな答えじゃ駄目かしら、と首をかしげる吉野。

「いや、ある意味典型的な偏愛魔法使い(パーシャリスト)で逆に安心したぜ」

「パーシャリスト?」

 吉野の知らない言葉だった。

「知らな……いんだろうな。初対面の相手に自分から名乗るくらいだし」

 ミスティの反応から察するに、吉野の行動は彼の想定から外れたものであるらしい。

「いいぜ、教えてやるよ。オレが魔法の何たるかを」

 不敵に笑うミスティ。


 ーーその時、二人の耳に音楽が聞こえてくる。


 それは休み時間の終わりを告げる鐘の音。すなわち、予鈴だった。

「授業始まっちゃう!?」

 教室に向かおうとした吉野は、鞄を体育館裏に置いたままにしていたことを思い出す。

「わ、私、鞄取りに行かなきゃ。魔法のことはまた後で聞くから!」

 そう言って階段を駆け下りはじめる吉野。

「なんだ、さっきみたいに飛び降りないのか」

 意外そうにミスティは首をかしげる。彼の中で吉野は、窓から出て経路をショートカットしそうな女、という認識らしい。もっとも、先刻までの逃走劇を顧みれば、そう思うのも当然といえた。

吉野は階下から、キッとミスティを睨みつける。

「そんなことしたら、変な子に思われるでしょ!」



 ◇◆◇



 足音が去っていくのを聞きながら、妙なところで常識はあるのかと苦笑するミスティ。胸ポケットから眼鏡を取り出し、かける前に一言、ダブルアイズに尋ねた。

「あのクレヨン狂い、『真実の眼』から見てどうだ?」

 すると、ダブルアイズの声が「『悪魔憑き』」と告げた。意識の裏側に回ったミスティは、表層に出たダブルアイズにどういうことだと問い詰める。彼女は偏愛魔法使い(パーシャリスト)ではなかったのかと。

「あの子は偏愛魔法使い(パーシャリスト)だよ。そこは間違いない」

 ならば何故ーー追求しようとしてミスティは口をつぐむ。

 ダブルアイズにも分からないのだ。今はまだ(・・・・)

「そうだね。ミスティの裏側からだとこれが限界。直接『視た』のも逃げる直前の短時間だけだったし」

 端から見ればダブルアイズだけが独り言を言っているだけだが、両者の間では思考を介した会話が行われていた。本来表層に出ている側は発言も思考も裏側に筒抜けであるため、口に出す必要は無いのだが、周りに人影がいないこともあって気がゆるんでいるようだった。


「それにしても、偏愛魔法(パーシャル)の才能に加えて『悪魔憑き』かー」

 面倒なタイプの相手だとダブルアイズは思った。

 悪魔憑き。またの名を悪魔契約者。魂と引き換えに願いを叶えさせるという、魔法使いになる方法としては大昔からある手法だ。

「また会う約束をするなんて、ミスティにしては選択間違えたんじゃない?」

 他人事のような発言のダブルアイズに、ミスティは悪魔憑きなんて初耳だったぞとぼやく。それに、今はまだ確証がない、とも言った。

「へえ。それで、また会って確かめるんだ。……あの子はああ言っていたけど、気が変わらないとも限らないよ。『増幅器』を欲しがりだしたらどうするの」

 この時ばかりは不安そうなダブルアイズに、ミスティは「潰すさ」とはっきり返す。

 『増幅器』は渡さない。誰にも悪用させはしない。忘れたのか、と言うミスティに、ダブルアイズは「そうだね」と頷いた。

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