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怖くない怪談話 短編集  作者: 祭月風鈴
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第17話 家族を拒む家(後編)

 私はいつの間にか、台所のテーブルに突っ伏して眠っていた。

窓の外を見ると夜になっていた。街灯の明かりが窓際に置いた時計をぼんやり浮かび上がらせる。私はのっそりと上体を起こした。あまりにも家の中が静かなので、ある日の会話を呟いてみた。妻や息子や母が嬉々と返事をしてくれた頃を思い出しながら。

 

「おーい。今夜の夕飯は何にするんだい? たまには皆で外食にするか?」


 私は皆の返事を待った。

だが返ってくる言葉は何もない。

シンと静まり返った台所は冷たく、無音と暗闇が私を押し潰す。

頬に水が伝わった……涙だ。

 5年前、我が家はとても活気があって賑やかだった。

あの頃は私が今のように一言言うと、先を争うようにリクエストが飛び交った。なかなか決まらないから私はジャンケンでケリを付けさせた。皆、道路まで聞こえそうな程の大きな声を響かせ、勝敗に一喜一憂する。勝った負けたのリアクションも派手で……。

 ふと我に返る。蛇口から垂れ落ちた一滴が私を現実に戻したのだ。再び、無音と暗闇が私を押し潰す。堪らず乱暴に椅子から立ち上がり、手探りで台所の明かりをつける。台所と部屋続きの和室に置いた仏壇が目に入った。母と妻と息子の写真が、並んで私を見つめていた。

 私は既に気が狂っているのかも知れない。1人で家族4人分の会話を呟いていた。


「今度の連休は家族揃って旅行にでも行くか。

あたし、温泉旅行に行ってみたいわ。

わしゃ留守番でええよ!

何をおっしゃるんですか、お義母さん。今回こそ一緒に行ってもらいますよ。

無理じゃ無理じゃ、わしゃ腰が痛ぇから遠くは無理じゃ。

ったく……俺が担いでやるからさぁ。ばあちゃん、そーやって家族の足並み乱すの止めてくんない?

瑛士は若いからまだ分からないんだよ、わしみたいな年寄りはなぁ……。

まあまあ落ち着け。ばあちゃんも瑛士も、そう いちいち喧嘩するな」


……私は再び大声で泣き、そして叫んだ。


「何故なんだ! 何故なんだ! うああああ!!」


 私はテーブルへ、壁へ、柱へ頭を打ち続け、額が割れて血が噴き出しても激しく打ち続けるのを止めなかった。

段々意識が遠くなる。遠くなっても構わない。このまま私は消えて無くなりたい。


「……どこにも……行かないで……」


 頭を打ち続けながら私は何かを聞いた。


「……どこにも……行かないで……」


 なんだ今の声は? 

私の遠くなりかけた意識はしっかりと戻り、ピンと耳をそばだてる。


「……どこにも……行かないで……」


 聞こえた……女のか細い声が……確かに聞こえた!


「まさか」


 私は声を振り絞り、力の限り妻の名を叫んだ。


「由紀江!  由紀江か!」


 妻だと思って疑わなかった。

私が悲しみのあまり馬鹿な真似をしたから妻が私を呼んだのだと思った。

しかも、2階から聞こえてくる。妻の部屋から!


「由紀江! 私はここだ、ここにいるよ!  戻ってきてくれたんだね……由紀江!」


 私は階段を駆け上がる。妻に会える嬉しさに涙が溢れ、身体が震える。

心がせいて手が思うようにドアノブを掴めない。カチャカチャ音を立てながら、やっとドアを開けた。


「由紀……!」


 私はそのままドアを閉めた。

後ずさりし、ゆっくりと階段を降りた。

本当は一目散に降りたかったが、足が震えて一歩を踏み出すだけで命一杯だった。


「何なんだ ”アレ” は……何なんだ”アレ” は……」


 私の口から経文の様に同じ言葉がこぼれる。

かろうじて台所まで辿り着き、ドアを閉める。テーブルで塞いで決して開かないよう出来る限りの事をした。


「何なんだ ”アレ” は!」


 私は見てはいけないモノを見てしまった、しっかりと目が合ってしまった。


「ひっ!」


2階で物音が……ドアノブの音だ。カチャカチャ音を立てて……ああ、ドアが開いた。


「……どこにも……行かないで……」

「来るな……来るな」


 耳をギュッと塞いで何度も来るなと唱えた。しかし、女の声は私の身体の中へ次々届く。


「どこにも行かないで! どこにも行かないで!」

「来るな、来るな! 由紀江じゃない!」


 私は湧き上がる恐怖から大声で喚き散らした。

私が見た ”アレ” は、妻でも人でもないものだった。人の形に見える黒い煙りの塊。

ゆらりと頭をもたげたソレは……あまりの恐ろしさに例える言葉が見つからない。


「どこにも行かないで……私といて……

どこにも行かないで……私といて……」


 やばい! まずい! 来る……”アレ” が近づいて来る!

私は”アレ” が這いずって階段を降りてくる音を耳にした。


「で、出口……玄関は!」


 階段に面した、この部屋(台所)のドアの向こう側だった。


「クソッ!」


 私は台所と部屋続きの和室へ逃げた。

曇りガラスの引き戸を音を立てないように慎重に閉めた。

台所からの明かりが和室をぼんやり照らす。今はそれで十分だ!

仏壇の前にすり寄り、母と妻と息子の位牌を握りしめた。


「由紀江、瑛士、母さん! 俺を助けてくれ……!」


 ふと、私は母の言葉を思い出した。慌て震える手で仏壇の引き出しを片っ端から開けた。


「あった!」


 ”おふだ”が10枚出てきた。家族の安全祈願として母がどこからか買ってきた物だ。

息子が生まれる前の物だから茶色に変色している。当時、私は鼻先で笑い飛ばしたが、今は藁にもすがる思いだ。すぐさまガラス戸の両端と窓の両端と壁4面と床に貼った。天井にも貼りたいが、台がなかったので手が届かない。仕方ないので背中に貼り、ガラス戸に背を向けて丸くなった。古すぎて粘着力が弱い事が心もとないが無いよりマシだ。


(助けてくれ、助けてくれ……)


 案の定、女の声は階段を降り、台所のドアの前まで来た。ドアノブがカチャカチャ鳴る。私は時計を見た。深夜の2時30分!? まだまだ朝にならないじゃないか! 耐えろ、恐怖に耐えろ自分!

 カタンと何かが落ちる音がした。そして続けてガタン!と何かが大きく動く音がした。ドア押さえていたテーブルが動いたのだ。


「ひ……ひ……」


 私は呼吸するのもままならない。恐ろしい “アレ” がまさに今、台所に入ろうとしている。


(助けてくれ、助けてくれ……)


 カラランと何かが床に落ちる音がした。手当たり次第テーブルに積んだ鍋のようだ。次にズズズと重い何かが床を擦る音がした。ドアを塞ぐテーブルを動かしているらしい。ゴツンゴツンとドアが当たる音がすると再びズズズと重い物が床を擦る音がした。


(そんな……冗談じゃない!)


 音が鳴り止み異様に静まり返った台所。きっとドアは ”アレ” が通れるくらいに開いたんだ。

今度はヒタヒタと歩く音がする。半透明なガラス戸を隔てた隣の部屋に、恐ろしい “アレ” がいる! 私は生きた心地がしなかった。偶然にも、妻の遺影の額縁が鏡のように反射して私の後ろをうろつく “アレ” の姿を映していた。


(もしかしたら、瑛士が言いかけたのは、”アレ” の存在だったのか!?)


 息子が振り返りもせず家を出た日の事を思い出した。そして私は今まで妻(由紀江)が起こしていたと思っていた現象は、恐らく得体の知れない”アレ”が起こしていたのではと今になって考え始めた。


「……なんて事だ!」


 私は主婦らの会話を思い出し、そして初めて意味を理解した。

 

『…それじゃあ息子さんの方が”出された”のね』


 要するに主婦らは、”アレ” が私と息子のどちらを選ぶのだろうか?と話していて、”アレ” は ”息子を選ばなかった” と言っていたワケだ。

主婦らは最初から知っていたんだ……この借家に”アレ” がいることを! 

家を出た息子は、この借家に何かあると既に感じていた。2階を気にしていたのも、確実にそのせいだ。

息子はこの借家に何があったのかを調べる為に出て行き、危険だと分かったから私を助ける為に霊媒師を連れて帰って来たんだ……。

 何故、私はすぐに気づかなかったんだ! 理由は分からないが ”アレ” は私を選んだ。

だから、 ”アレ” にとって邪魔な私の家族を追い出した……二度と戻る事がない方法で!


「う……」


 おふだを貼った背中がビリリと痺れた。

気持ち悪い汗が額からダラダラ垂れる。顎を伝い、畳へ垂れ落ちた。ポトリの音が異様に響いた気がする。私は感づかれないようにグッと息を殺した。


「どこにいるの……私といて……どこにも行かないで。 

どこにいるの……私といて……どこにも行かないで。

どこにいるの……私といて……どこにも行かないで」


 声と足音で、ウロウロしているのがよく分かる。おふだを貼っているから私を探し出せないんだ。

ところで今は何時だろう。もう朝になっても良い頃だ。時計を見る。


(何……2時45分だと!? まだ15分しか経ってないのか!)

位牌を握る手が汗ばみ、ツルッと落としそうになった。


「どこにいるの……私といて……どこにも行かないで

どこにいるの……私といて……どこにも行かないで

どこにいるの……私といて……どこにも行かないで」


 カタカタとガラス戸を揺さぶる音が鳴る。ここに私が居る事に気が付いたのか?


(助けてくれ、由紀江! 瑛士! 母さん!)


 私は息を殺して丸くなる。三人の位牌を抱きかかえたまま畳に頭を擦り付けジッと堪える。おふだを貼った背中の痺れが更に増し、如何に ”アレ” が私に近づこうとしているのかを生々しく分からせる。


(助けてくれ、助けてくれ!)


 はらりと何かが落ちる音がした。私のすぐ近くだ。同時に足音も声も聞こえなくなった。

諦めて消えたのか? いや、そんな訳ないだろう。

息子が夏休みになると見ていた、怖いモノ系の番組。こういう時に振り向いたりすると…マズイんだよな。だけど、振り向きたくなる理由が今ならわかる。

早く解放されたいんだ。この恐怖から…!

私は振り向こうとした。その瞬間、誰かが私の頭を押さえた。目だけを正面に向けると、見覚えある服が見えた。淡く小さな花柄の服……。


「由紀江……」

「シィーッ」


 今の声は……由紀江?


「シィーッ」


 また聞こえた。私の耳元で……母さんか? 温かな柔らかい空気に包まれる感触が続いた。

どのくらい時が経ったのだろう。やがて光りが差し込み朝になった。

外では、車やバイクや自転車が行き交う音がしだし近所の人達が挨拶する声もした。

”アレ”の足音や声はずっと止んだままだ。今ならこの家から逃げられるかも……。

だが、私を押さえ付ける力は緩まる事なく耳元では私を制止させる声……まだ危険なのか?

 やがて、主婦らのいつもの噂話が聞こえてきた。よく聞き取れないが、私について噂話に花を咲かせている。深刻な口調で話す合間に微かな笑い声も聞こえる。どうせ 『私達でなくてよかったわ』 なんて具合だろうが……無性に腹が立ってきた。

私達家族の本来あるべき幸せをなんだと思っているんだ!!

怒りの余り私の身体は細かく震えた。


「シィーッ!」


 耳元でまた私を制止する声……瑛士か?

同時に、ギュッと私を押さえる力。


「そうだね、由紀江、瑛士、母さん。あんな連中に気持ちを取り乱してはいけないね」


 私は落ちつきを取り戻そうと努力を続けた。

しかし、家の中まで聞こえてきた主婦達の一言が私の我慢を破壊した。


「……そうよねぇ!あんな物件、貸す方も貸す方だけど借りる方も借りる方よねぇ~。

よく調べめもしないで借りるから、ねぇ~? あははは♪」

「そうそう! でもいいのよ、だって世の中は平等なんだから。 あんな幸せそうな家族、このくらい不幸になって、初めて世間一般的になるってワケよ」 

「それにしても『家族で移り住むと全滅する家』って噂、ここまでくるとホントかもって思えちゃうわよね~、あははははは!」




ブチッ。




何かが切れる音と共に私は怒りで制止する手を振り払った。


 「あ……」


 私の目の前に、青白く巨大で不気味な女の顔だけが浮かんでいた。

それは、赤い口を大きく開いて叫んだ。


 「私といて! どこにも行かないで!私といて!

 どこにも行かないで!私といて! どこにも行かないで!私といて!

 どこにも行かないで!私といて! どこにも行かないで!私といて!」


 「うわああああ!!」


 ”アレ” の口が私の顔面に迫る。



 ……その後、どうやって外へ飛び出したのか分からない。

私は自宅の前で噂話に花を咲かせている主婦らを掴んで叫んでいた。


「奥さん! 正直に教えてください! あなた達は、何か知っているんでしょう!」

「きゃぁぁあっ!」

「嫌ぁ! 放して! た、助けて!」


 絶対放さない。 この主婦たちから全てを聞き出すまでは!


「あたし達は関係ないわよ! 放して! 誰か助けて!」

「白を切るな! 全て吐き出せ!いつも噂話をしてたじゃないか! 私の親の! 妻の! 子供の! 私が借りたこの家では、いったい何があったんだ!」



 青空広がる真昼の閑静な住宅街で女性達の悲鳴が響き渡った。

通報を受け駆け付けた警察官は、その光景を見て思わず息を飲んだ。

男が女性達の腕や上着を強く掴んで喚いているのだが

その男の頭は異様に深く陥没し、顔面は不自然に歪んで血に塗れていた。



<終>


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