第17話 家族を拒む家(前編)
定年退職を迎えた男が、家族を連れて都内のマンションから閑静な住宅街へ越してきた。全てにおいて理想の物件に一家はとても喜んだ。
ところが、幸せな新生活をスタートしたばかりの彼にじわじわと不幸が訪れる。
何故なら男は、その物件の”噂” について何も調べていなかった。
今回は、曰く付きの借家へ越してきた男の奇怪な体験。
***
「奥さん! 正直に教えてください! あなた達は、何か知っているんでしょう!」
私は自宅の前で噂話に花を咲かせている主婦たちの腕や上着を強く掴んで問いただした。
「きゃぁぁあっ!」
「嫌ぁ! 放して! た、助けて!」
絶対放さない。 この主婦たちから全てを聞き出すまでは!
「あたし達は関係ないわよ! 放して! 誰か助けて!」
「白を切るな! 全て吐き出せ!」
私は我慢の限界を超えていた。
「いつも噂話をしてたじゃないか、私の親の! 妻の! 子供の! 私が借りたこの家で、いったい何があったんだ!」
主婦たちは、確実に知っている。
なぜなら、私の家から葬儀屋の車が出入りする度に、彼女達はこの場所で噂話に花を咲かせていたのだから。
*
あれは5年前の事だった。
定年退職した私は家族を連れ、都内のマンションから車で2時間ほどの所にある閑静な住宅街へ越してきた。第二の人生までを、忙しい都会で送るのは嫌だったからだ。
田舎と言えど、幼稚園や小・中・高と学校が揃っており、介護施設も数多い。
近隣まで高速道路が開通したので、大きなショッピングモールが誘致されるなど更に発展する勢いがあった。皆、狙う所は一緒で、この辺りの新築・中古物件は全て完売。借家については順番待ち状態で、宅地については好条件のものは全て売約済みだった。私が順番待ちでやっと借りたこの家は、駅まで徒歩で15分の所に位置し、道中には総合病院や介護施設がある。 駅周辺には大型スーパーもある。なんて最高だ! 全てにおいて理想の物件が手に入り、家族皆で盛大に祝った。
引っ越しの片づけが終わってすぐに、年老いた母が通う介護施設が決まった。高齢になってから生活環境が変わると認知症になりやすくなると聞いていただけに安心だ。
高校生の一人息子・瑛士は電車通学から自転車通学になり、寝坊が出来ると喜んだ。妻は新しいパート先が簡単に見つかり、意気揚々と出勤している。
そして私は、妻の代わりに家事を受け持ち、空いた時間は自己啓発に勤しむ。小さな事業を始めようと以前から考えていたので、その勉強だ。
この借家は、2階建ての築30年。 小まめな補修を行っているので築15年程度の物件と大差ないほど、しっかりしていた。 派手さは無いが、素朴で平穏無事な生活に私達一家は幸せだった。
ところが引っ越して二週間が経過したある日、不幸が突然始まった。 じわりじわりと何かが私の家族を奪っていった。
何故もっと早く、この奇怪な事態に気づき家族を連れて逃げ出さなかったのかと悔やみきれない。
「さて……お茶にするか」
私が一人台所に立つと、茶箪笥にしまった茶碗がカチャッと鳴った。
皿の重ね方が悪かったのだろうと、その時は思った。
外で数人の話し声がする。レースのカーテン越しに窓の外を見ると、近所の主婦らがこちらを見ながら話しをしていた。引っ越して三日目あたりから、妻は彼女達の行動に嫌悪感を持ち始めていたが、私は特に気に留めなかった。
いつものように急須に茶を入れ、お湯を注ぎ、湯呑みへ手を伸ばす。
すると突然、私の湯呑みの横に置いてあった母の湯呑みが真っ二つに割れた。
「え!?」
同時に、茶箪笥の中の皿が数枚落ち、母が大切にしている皿だけが割れた。
唖然と見ていたら電話が鳴った。
「救急車で運ばれたので病院へ行って下さい」と介護施設からの連絡だった。
数日後、我が家で最初の葬儀屋が出入りした。
その年の秋。
急に妻の様子が変わってきた。
パートを止め家事に専念するかと思いきや、ふさぎ込む日が続いたのだ。
そして年明け早々、妻は呆気なく他界した。葬儀屋の車が2回目の出入りをした。
息子と二人で母と妻の遺影を前に沈黙していたら外で数人の話し声がした。近所の主婦らが、こちらを見ながら話している姿があった。私は噂話好きな彼女らに、初めて嫌悪感を覚えた。家族4人で明るくに賑やかに暮らす筈だった新居は、暗く重い空気に押しつぶされた。
引越し2年目の春。
大学生になった息子が一人暮らしをすると言って家を出た。
生活費は大学に通いながらバイトで稼ぐと言い張るのでOKを出した。別に家から通えない距離でも無かったが、どうしてもと頑固な覚悟をしていた。
ただ一つ、息子の行動について気になった事がある。それは、ひどく2階を気にしていて、妻の死後は滅多に足を踏み入れ無かった事。2階には妻の部屋があった。私は、母の死が息子の心に大きな傷を残し、それが原因で2階に上がらないと思っていた。
家を出て行く日、息子は言った。
「父さん……父さんは大丈夫だよね?」
「ああ、大丈夫さ。これからはお互い一人暮らしだ。 瑛士、もし話しがしたかったら電話でもしてくれ」
「いや、そーいう意味じゃないんだけど……とりあえず、父さんは大丈夫そうだから、俺が先に出るよ。
落ち着いたら連絡する。その時には父さんを呼ぶから必ず来てくれよ」
息子がそう言うと、カタンと物音がした。
私は近所の猫がまた庭に遊びに来たのだと思った。
ところが息子は、私を凝視したまま青白い顔で硬直した。
「瑛士、大丈夫か? 気分悪いなら、出発は明日にしたらどうだ?」
「いい! 俺は今すぐ行く!」
私は今でも忘れない……振り向かずに走って出て行った息子の後ろ姿を。
その一か月後、ゴミ出しに外へ出たら噂話好きの主婦らが私に話しかけてきた。
「息子さん、見かけなくなったけど……」
「あぁ、1人暮らしを始めたんですよ」
「……それじゃあ息子さんの方が ”出された” のね」
主婦の言葉に、他の主婦が何度も大きく頷く。
私はとても不快な気分になった。 まるで私が息子を追い出したような物言いだったからだ。
「何か勘違いされているようですね。うちの息子は大学に近い住居を自分で探しただけですが、それが何か?」
「いえ、あたし達は別に……失礼しますわね」
噂話好きの主婦らは、互いに顔を見合わせるとコソコソ立ち去った。
私は借家へ戻り、一人静かに時を過ごした。しかしそのうち、シンと静まり返る ”生活の音が無い家” に寂しさを感じ始めた。
「癒される音楽でも聞こうか……」
私がそう呟くと、どこからかクラッシックが流れてきた。
「あ……」
リビングに置いてあるCDラジカセからだった。
「……自動で鳴るようにしていたっけ?」
これをきっかけに、次々と不可解な事が起きた。
だが、どの出来事も優しく温かで私を癒してくれた。
私は、一人暮らしになった私を慰めようと、妻がこの世へ戻ってきてくれたのだと信じて疑わなかった。近所の噂話好きの主婦らが、我が家を見ながら噂話に花を咲かせていても気に留めないほど幸せな時を過ごした。見えない妻だけど、私に寄り添ってくれてると思うと幸せだった。
まさか、恐ろしい事になっているとも気づかずに……。
引越し4年目の秋。
家を出てからずっと音沙汰無しだった息子が、ひょっこり現れた。
「父さん……」
「瑛士、今まで何故一度も連絡をしてこなかったんだ」
「父さん……」
「息子が独り立ちしようと頑張ってるのは理解出来る。
だがな、正月と母さんの命日には顔を見せるなり、何か連絡するなりしろ! 家族だろう!」
家の奥でカチャリと鳴った。
「ほら見ろ、”母さん” だって私と同じ気持ちだ。お前の事を心配しているぞ」
「父さん何を言って……いや、ちょっと来てくれないかな。会わせたい人を外で待たせてるんだ」
「……お前。付き合ってる彼女でも連れて来たのか? 外に待たせていたら失礼だろう、家に上がってもらいなさい。これでも私は理解ある父親だと思ってるんだよ」
「とにかく来てくれよ、早く!」
家の奥でガチャガチャ鳴ったが、息子が私の手を引く方が強く、家から無理矢理剥がすような感じに外へ出された。息子は坊さんを私に紹介した。
「父さん、この家をお祓いしてもらおう! よく聞いて……ご住職は、とても有名な霊媒師でもあって……」
「霊媒師? 悪いが、私には関係ない。お坊さん、息子が何を言ったのか知りませんがお引き取り願います」
するとお坊さんが私の目をジッとのぞき見た。
嫌悪と緊張が入り混じった複雑な表情を浮かばせると、初対面なのに随分と失礼な言葉を言い放った。
「……ご主人、ご自分のお顔を鏡で見てますか?」
「は……? 初対面で失礼な人だね、アンタ。 おい瑛士! 何なんだこの坊主は!?」
私は坊さんに文句を言った後、息子に不快な気持ちをあらわにした。
「父さん、見ろよ」
息子が手鏡を私に向ける。
「……!?」
そこには、伸びた無精髭を生やした青白い年寄りが映っていた。
実年齢より20歳は老けていて、頬はこけ、目に生気が無い。
「これが……俺か?」
「父さん、落ち着いて聞いて! 実はこの借家は……」
ドガン!
「瑛士ぃ!!」
一瞬だった。
息子とお坊さんが、私の目の前で暴走車に跳ね飛ばされた。
私はたまたま敷地内にいたので、かすっただけで済んだ。
お坊さんは即死。息子は意識不明の重体。誰かが呼んだ救急車が到着し、私達を運んだ。
息子が言いかけたのは何だったのだろうか。
引越し5年目の昨日、息子は意識が戻る事なく息を引き取った。
息子は霊安室へ安置され、私は病院側から指示された手続きを済ませる。
入院中に使っていた息子の荷物を手早くまとめ、一人で自宅へ運んだ。
「ただいま」
まだ昼間の12時なのに家の中が夜の様に暗い。
「……」
無言で茶を入れる。両手で熱い湯呑みを握りながら、テーブルの面を見つめる。じわじわと心の奥底から言葉に現せない感情が込み上げてきた。
「うぉぉぉおっ!」
これは悪夢だろうか?
私は初めて声を出して泣いた。
※後編へ続く




