Ⅲ
4月30日
週末、研究所を出て知人宅を訪れた。
久しぶりの首都である。
ーー
ー
「アイスランドの文字だねぇ」
大学時代の友であるミデヤンは眼鏡をかけながら言った。
ローテーブルの上には先程図書館で借りてきた本が一冊。
あの部屋でニアが読んでいたものと同じものだ。
「遙か北の小国で使われてる文字だよ」
「内容は?」
「主に宗教。メソジスト教の教えと思想が書いてある。元々は一つだった宗教がメソジスト教、バプテスト教、アナバプテスト教に分かれたんだ。アイスランド周辺ではメソジスト教が主流なんだ。これはその信者が読むんだろうねぇ」
「聖書みたいなもんか」
「というか聖書だな。僕も現物は初めて見た。しかし何でこんなの持ってきたんだ?」
「実は‥‥‥」
『中で見たことは他言無用でお願いします』
「ちょっと、な。」
「?‥‥まぁいいか。コーヒーは?」
ミデヤンが差し出したポットにカップを出す。
歯切れが悪くて不審極まりないのに、コイツは普通に接してくれる。
大学時代から変わらない、ティースプーンを親指と中指で持つ癖を見て少し笑んだ。
「何だよ」
「や、別に」
「気持ち悪ぃなぁ」
コーヒーが熱い。俺は少し顔を歪めた。
ー‥‥
「そういやミデヤン結婚は?」
「全ての書物が僕の嫁さ」
うむ、相変わらずだな。コイツに色恋は似合わない。
外は既に茜色に染まっている。随分長く話していたようだ。
「なぁレビ、今晩暇か?」
「ん、あぁ。それが?」
「いい店知ってんだが、どうだ?」
酒を呑む仕草をして笑った。お互いまだまだ語り足りないようだ。
「いいな。帰らなきゃならない場所もないし」
「お互いどうにかしないとな」
苦笑いを浮かべながらアパートを出た。
ーー‥‥
「しっかし此処もやりにくくなったよなぁ」
「首都の監視厳しくなったのか?」
ミデヤン行きつけだと言う下町の片隅にある飲み屋。
この辺りでは珍しいデザインで、「東の果ての小国」の庶民向け飲み屋風だそうだ。
「’’オデン‘‘と言う煮込み料理をつまみながら一杯」
というのがミデヤンのお気に入りらしい。
お互いすっかり出来上がった状態で、語る。
「そ。しょっちゅうサバーカの連中が目を光らせてる」
サバーカとはヘロデ直属の秘密警察のことだ。
「ちょっと喧嘩があっただけで監獄行き。やってられないさ」
「まったくだ」
「しかもまた戦争だとさ」
ヘロデが総統になってからこの国は大きく変わった。
戦争とは無縁の小国だったはずが、今は周辺国から一目置かれている強大な軍事国家。
その急成長の秘訣は数多くの暴力なのだから何とも情けない。
「あーあ、何でもいいから救世主様とやらが来てくれないかなぁ‥‥!」
ミデヤンは吐き捨てるように言い、グラスを仰いだ。
「救世主‥」
「さっきの、メソジスト教だがね、分かれた三つの宗派には一つの共通点があるんだ」
「共通点?」
「別々の物語のようだけどね、必ず‘‘蒼紅の救世主’’が世界を救うとされて、る‥‥」
そこまで言うとミデヤンは眠ってしまった。
救世主か‥‥。
「そうか‥」
それで世界が変わるなら
神にでも何でもすがりたいよな。
グラスの氷はすっかり溶けていた。