アタル風
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
出入りの管理。
大事なことではあるけれど、徹底されるかというと怪しくなってくるものだ。
お小遣い帳ひとつを取ったって、几帳面につける人ばかりとは限らない。得るものは欠かさずつけるだろうけど、出費に関しては表に出したくないようなものがあったりすると、ついちょろまかしたりしてしまう。
得は際限なくしたいが、損は際限なくゼロにしたい。たとえ現実に嘘をついたとしても。ほかにもろもろの事情が加わるとなったら、そうそう計算のできるものじゃなくなる。リアルの厄介なところであり、面白いところでもあるな。
けれども、世の中お金の動きは大事だが、そればかりでは回らない。動かす人間がいなくてはねえ。
その人間も「出入り」に関して、普段は非常に敏感。免疫機構が物騒な輩を追い払い、駆逐しようと頑張ってくれるからな。とっても優秀な連中だよ。
でも、そいつらをすり抜けようとする奴が現れたときに備え、我々自身の「脳みそ」が働かねばいけないときもあるようだ。
少し前に友達から聞いた話なんだが、耳に入れてみないかい?
友達によると、かつて住んでいた近辺では「アタル風」なるものが吹きがちだったらしい。
アタル風は、往々にして季節外れの温度を運ぶ。夏場の冷風、冬場の温風、そのときどきの身体の欲しているものを持ってきてくれるのだとか。
地獄で仏にあったよう、とはよくいったもので、そのときどきのありがたみを感じながら、我々は離れがたく思ってしまうものだ。
だが、この正体がアタル風であったならのんびりとはしていられない。ケアにまわる必要性が出てくるからだ。
痛み、苦しみは身体がもたらす大事なサインだ。
これはヤバい、危ないということを脳へ伝えて、判断をあおいでくれている。我々もそれらに長い間さらされるなどゴメンなので、どうにか避けるように動ける。
でも、こいつをマヒさせられたなら一大事。自分にとっての害毒を害毒と分からないまま受け入れてしまい、自覚のないまま自滅していく……アタル風が呼ぶのも似たようなものだ。
アタル風によって起こる症状は千差万別。軽いものから重いものまで様々なので、見ただけではアタル風が原因かどうかは判断しづらい。
ただアタル風かな? と自分で思うときがあったのならば、確かめる法があるのだとも友達は話していた。
数ある方法の中でも、一番わかりやすい判別方法が洗顔なのだそうだ。
化粧などをすっかり落としたあと、「虎水」なる洗顔料の一種を塗り付けるらしい。成分、製法などは秘密とされているし、本来の名前はそれなり有名とのことで、ここではちょっと虎水と呼ばせてもらう。
この虎水、レモン果汁によく似たすっぱい香りをたぶんに含んでいる。顔に塗るとピリピリとした刺激を発するものの、それは正常なお肌の反応なのだそうだ。
アタル風にやられると、そうはならない。お肌が虎水の刺激を感じなくなる。それどころか虎水にまざって、皮脂のようなものがぼろぼろと垂れ落ちてくる。
それも純粋な皮脂とは言いづらく、温度の低い水の中へ入ると、脂のかたまりが身をよじりはじめる。見えない手によってこねくりまわされる、粘土であるかのようだ。
これらを観測した場合、アタル風への対処を続けることになる。
落ちたのはあくまで表層部分のものだけ。この時点で身体の深層部分に達している可能性は高く、虎水も引き続きお声がかかるんだ。
対象者はしばらく屋内で休みながら、虎水の梅干し浸しをちまちまと飲む。
この梅干しも各家庭で日ごろから用意されているもので、食用に使う場合も多いけれど、この浸し用は常に別で確保しているらしい。
アタル風にやられていたならば、たちまち尿意と便意にさらされる。そして厠にて、顔が吐き出したのと酷似した、脂のかたまりを出していくんだ。
だが、これには覚悟がいる。
用を足しているときの局部、肛門部に肉が裂けるかという苦痛を伴い、誰もが声をあげたり、顔をしかめたりと、相応につらい思いをしながら乗り切らねばならない。風を受けるときの心地よさとは正反対だ。
すべてを出し切った後も痛みは残り、即日で動けるようになるのは鍛えているか、痛みに格別慣れている人くらいのもの。子供や年寄りなどは、しばらく寝たきりになってしまうことも多かったとか。
中にはもたらされる痛みに耐えかねて逃げ出してしまったり、そもそも虎水を使った判定を行わずにほおっかむりをしたり……という人もままいたらしい。
先に話したように、アタル風によって引き起こされる症状は様々だ。風邪などのなじみある症状で自然におさまることもあり、期待する人も多くいた。
が、重篤なものに当たったならば……「人」ではなくなることも、少なくなかった。
木や獣になったとかなら、まだマシで、「はかりしれぬもの」になった場合もあったとか。
はかりしれぬものになると、その身はたちまち消え去るばかりか、近辺が数日の間、明けない夜に包まれて外との往来もできなくなる。
残っていた記録によると、外部からは一帯が弾力に富んだ肌色の山みたいなものができあがっており、こじ開ける試みなども無駄に終わって、遠回りをせざるを得なかったほどだとか。
現在では、ここまでアタル風がこじれることはない。アタル風自体も吹くことはめったにないのだそうだ。
それでも虎水と梅干しは有事にそなえて、作られ続けているのだと。




