道は拓けた
周囲は台風一過の様相を呈していた。
ペシェの剣が荒れ狂った隠し部屋内は、当初の姿を一変させていた。はじめに梟熊ロウランちゃんが変じた奇獣の熱線によって蹂躙され、続いてペシェの奇妙な能力によって花々しい草原へと転じさせられた。そして今その草原は、多くの亀裂や地割れに満ちていた。
天井部と壁面にも、先のペシェによる一閃の痕跡が大きく刻み込まれていた。ここまで迷宮の構造自体を傷めつけておきながら、建材の崩落に巻き込まれずに済んでいるのはまさしく奇跡のように思えた。
濃密すぎるペシェの遷移防壁――――彼女が本当に自分たちと同じ想術使いかどうかは今でも信じがたいが――――の影響にあてられたか、ほんの少しだけ意識を取り落していたらしい。まだ頭がくらくらするが、ワイナは体を起こして立ち上がった。土埃がわずかに舞う。ほんのりと花の香りが残っている。光源不明の照明が、ちらつきながら頼りなさげに辺りを照らす。
ガラス張りの植物園が位置していたほうへ振り向くと、骨組みの残骸だけがかろうじてそこには鎮座していた。やはりそこにも瓦礫の山が点在していたが、あの程度ならば、通路側につながる入り口に辿り着くことも不可能ではなさそうだった。
そこへ、足を引きずるような音がワイナの耳についた。
「ふざけ、やがって……糞、糞、糞糞糞……!」
音のほうへと目を向けると、恨み節とともに銃を手にするベルペラの姿があった。
右半身は無残に焼けただれ、あちこち炭化してさえいた。右腕は前腕から先が失われていて、銃は左手で構えられていた。着衣にしてもひどく焼け焦げており、へし折れた得物の杖はその背後に放られていた。
「無茶苦茶だ、テメエのせいで……全部、全部ッ! どうしてくれんだ、ビチ糞野郎ぉ……!」
「落ち着け、とにかく銃を下ろそう」
「どのクチがほざきやがる糞ったれが......! アタシは、アタシはなあ。こんなくだらねーとこで、くたばるわけはいかねーんだ」
彼女の怒りももっともである。送還陣を頼っての帰還が水の泡と化し、そのうえ魔物の不意打ちによって重症まで負わされている。この期に及んで落ち着けなどと言える筋合いなどワイナには無い。
「テメエみたいな脳みそ腐った四本足《イヌ野郎》と違って……やることあんだよ、アタシには……」
口先での説得は無理。こちらの天狼刀による迎撃が間に合うかは微妙なところ。刀を抜くなら、遷移防壁は使えない。ならば最低限の防壁を展開、致命傷にならない箇所で銃撃を受けた上で、ナイフを投擲するのが最善だろうか。
だが、この状況でベルペラの命を奪うことにどれだけの意味がある?
対立は無益だ、などと言うにはあまりにもワイナの立場ではおこがましかったが、武器だけを払いのけられればそれに越したことはない。できるだけ深い傷は負わせたくなかった。おそらく想術はおろか遷移防壁すらまともに扱えないほど消耗しているはずだ。あれほどの熱傷を負った彼女にこれ以上血を流させれば、ものの数時間で絶命は免れない。
よしんば遺体をミハイたちのところへ担ぎこめたとて、彼らは蘇生術が使えない。ベルペラという貴重な戦力を、泣く泣く置き去りにするしかなくなってしまう。
トリガーにかけられたベルペラの指に、力が込められる。残されたナイフの感触を意識しながら、ワイナは唇をかんだ。
その時。向かい合う二人のちょうど真ん中あたり、直上から何かが音を立てて地面へ落下してきた。地盤なり建材なりの崩落が再び起こるかと背筋が凍るが、落ちてきたのは多少の細かな砂礫と、生まれたままの姿のペシェであった。
「痛ったあ~」
ぱっぱと体の汚れを払いながら、ペシェはすっくと立ち上がる。もこもこに伸びきった頭髪は元のベージュに戻っているものの、先ほどまで袖を通していた豪奢な礼服は、すっかり失われているようだった。想術で修復されたらしい素肌には、火傷どころか傷痕ひとつ見当たらない。
「天井の裂け目から脱出するのは無理みたいです。ざんねん」
どうやら、素手であの縦穴を登攀しようと試みていたらしい。常軌を逸した体力と行動力だが、こうして見ると、あのきめこまやかな皮膚の内側に、多種多様な機械部品が満載されているとは思えない。
「あっ、ベルペラ! ご健在でしたか、よかったです!!」
晴れやかな笑顔を向けたペシェに対し、放埓さで名を馳せた臙脂の魔女の表情は、完全に引きつっていた。灰色の瞳に浮かんでいるのは、もはや錯乱や恐慌といった感情そのものであった。
「おつらくありませんか? はやく手当しませんと。小生も治癒術が使えればよかったのですけれど」
「い、意味わかんねえッ、なんだ、一体なんなんだよテメエはッ!!」
「ペシェです! 勇者です! かけだし勇者のペシェです!」
そして、ペシェ目掛けて銃弾が放たれた。一手遅れたワイナは咄嗟にナイフを抜きかけるも、撃たれたはずのペシェが倒れるようなことはなかった。
「痛った!」
額で銃弾を受け、衝撃のままに首が傾くも、それだけだった。ほんの少し表皮に焦げ目がついただけで、血の一滴も流れない。人造の頭骨は、拳銃弾程度ではびくともしないようだった。
ペシェは、弾痕をこりこりと指先で撫でた。拳銃がどういう道具なのか、いまいちわかってないようだった。そして周囲の地面に目をやって、跳弾した弾丸を見つけだした。怪訝な顔で、ペシェはそれを拾いあげた。
「落とされましたよ」
「く、来るなッ、来るんじゃねえッ、来んなあ」
後ずさりしつつ発砲するベルペラ。二発、三発と、ペシェの頭部に銃弾が直撃する。あれで利き手でないなら抜群の腕前だといえたが、しかし結果は初弾と同じだった。さらにトリガーが引かれるが、もう弾丸は発射されない。豆でもぶつけられた程度にしか感じていないらしい。
ペシェは同じように跳弾した弾丸をつまみあげると、ぱたぱたとベルペラのもとへ駆け寄った。そして、未だ高熱を発している弾丸を彼女の目の前へと差し出した。
「はい、どうぞ! さあ、ミハイたちのもとへ戻りましょう」
スライドが後退した拳銃を構えたまま、ついにベルペラは膝から崩れ落ちた。




