聖剣獣遭遇戦
全滅か。
周囲の惨状を目の当たりにして、ワイナの口から音を伴わずこぼれた。
個人的には、三年ぶり三回目の全滅。前回は部隊メンバーの半分が不慮の事故で死亡。クライアントが指定した調査フロアにすら到達できず撤退。契約不履行による違約金で、なけなしの貯蓄のほとんどが消し飛んだ。二十歳までには堅気の仕事を探そうと決意した矢先の出来事だったから、よく覚えていた。
今や二十回目の誕生日まで半年もない。にもかかわらず、変わらず彼は地底深くの死地へと赴いていた。
そうして、この予期せぬ脅威に遭遇した。
未知の巨獣がこちらを見下ろす状況で、ワイナは老木のように薙ぎ倒された同僚たちの血濡れの残骸を目の当たりにしていた。
大陸が誇る大迷宮、『エドラズワース大深墓』。
堅気の人間が決して足を踏み入れぬ、先史文明の巨大遺構。地底にありながら、奇妙にも自然光の射し込む教会の礼拝堂めいたフロアは、悲痛な絶叫に満ち満ちていた。
この殺戮をもたらした『魔物』を前に、生き延びた者たちは子羊のように狼狽するばかりだった。
「砲手もっと下がらせろ。 主席『治癒術師』からの指示はまだか」
「やだ、やだやだやだ、こんなのヤダッ」
「待て、退くな!! 逃げるなあッ」
「起きろよボケッ、テメーが先に死んでどうすんだ。せめて指示出してから死ねよクソタレッ、誰がお偉方に話つけんだよ畜生がッ」
阿鼻叫喚。意味をなさない悲鳴があがる。そのみじめなありさまは、さながら巣穴を焼け出された野兎のよう。
彼らはいずれも大陸各国の省庁やブリタニア学術委員会によって選抜された、確かなキャリアを有する名うての『探求師』である。迷宮潜行回数二桁は当たり前、前人未到に挑むための最低限の資格ともいえる非合法魔術、『想術』の行使にも秀でた、百戦錬磨のつわものに他ならない。
ほんの数世紀前には遵法魔術師のなりそこないと蔑まれ、しかしやがては戦場の花形として脚光を浴びるようになった『想術』使いの傭兵たちは、その活躍の場を迷宮へと移していた。
彼らの放つ『想』の一閃は城門を容易く打ち砕き、その身に纏う『形なき鎧』――――還流性遷移防壁は、次代の最新兵器と謳われる『戦車』の主砲から放たれた榴弾砲の一撃すらも凌ぎうる。
ワイナもまた、迷宮に潜行して生計を立てる『探求師』にして、想術を修めた一人である。十一の頃に掏摸や追剥から足を洗ってから、もっぱら迷宮からもたらされるものに生かされて、早くも八年が過ぎていた。
個をもって軍を凌駕する、まさしく一騎当千の超常能力者。それが想術使いに抱かれる一般的な認識であった。しかしこの場において彼らの多くは、今や生気のない瞳で冷たい伽藍を仰ぐみじめな骸となり果てている。
「なんなのあれ、あたしら一体何に襲われてるわけッ」
「『聖剣獣』、聖剣獣だッ、視ると死ぬぞッ、祟られる」
「聞いてないんだけど! あんなのがいるなんて誰も言ってなかったじゃんかよォ」
「回復まだかよ、何してんだよ愚図どもォ」
怒号が飛び交う。罵声が吹き荒れる。腰を抜かして失禁する。真っ黒に焼け焦げた同胞の遺体をゆさぶってわめく。くずおれて嘔吐する。少なからぬ鉄火場を潜り抜けてきたはずの探求師たちが、我を忘れておののいていた。
ワイナの瞳が、誘われるかのように眼前の『魔物』へと吸い寄せられていく。
この大恐慌を招いた原因とも呼べる脅威は、遠征隊の行く手を阻むように、陽炎にも似た淀んだひずみを伴って佇んでいた。
それは、かつて人類の文明の存続を脅かした忌むべき激甚級魔性。
その咆哮は山すら崩す風雨を招き、その歩みは城砦もろとも大地を踏み砕き、その呪詛は生きとし生けるものすべてを等しく腐らせ焼き殺す。ひとたび現れれば、いち国家の存続が危ぶまれるとも謳われる、生ける災厄。
かつての英雄『勇者』にまつわる聖遺物を簒奪したとも語られる背教の象徴。
『聖剣獣』の一柱に違いなかった。
ひずみの奥に立つのは、大槌を担ぐ屈強な鎧騎士。相貌を伺い知ることはできず、鎧の細部の特徴もまた同じである。漂う『瘴気』の影響か、まるでワイナの脳があれについての分析や記憶を拒んでいるかのようだった。
身の丈はゆうに二十メートルを越え、手にした柄の先に据え付けられているのは、小ぶりの住宅ほどに巨大な金属塊。それが彼、あるいは彼女が誇る『聖剣』なのであろう、ばちばちと音を立てて金属塊の表面を駆け巡るいかずちの残滓は、心中に滾らせる無尽蔵の殺意と悪意の表れのようだった。
この魔物は別格だ。日常的に街外れで出逢うような粘性細胞核や有害霊的存在といった有象無象とは一線を画す脅威だ。
矮小な地虫が巨象に踏みつぶされようとするとき、きっと虫は象を同じ世界に生きる生物だとは認識すまい。ただ自分たちを鏖殺する理不尽な天災としか捉えられないはずである。頭上より迫りくる圧倒的な質量をもつそれが、他の生物のいち部位だと、どうして理解できようか。
この伽藍において、探求師たちは一寸にも満たぬ地虫にすぎなかった。
『聖剣獣』は圧倒的な密度と濃度を有した、瘴気を発する暴威のかたまり。自分たちは、想像を絶する強大な力を秘めた何かに遭遇してしまった。だが、理解できるのはそこまでだった。『想術』の異能をもってしても、各々の五感が、そして脳が、それが何かを分析するのを拒否していた。
「どきやがれマヌケッ、あんなの相手じゃ話になんねーよ」
「う、うちの治癒術師だめです、たぶん死にます、だれか指示ください」
「TANKはどこで油売ってんだ、まさか全員くたばったんじゃねえだろうな」
生命の健康を瞬く間に損なう性質をもった有害な力場である瘴気、それをみずから発する存在を、ワイナたちは『魔物』と呼称する。探求師たちは瘴気の強度、あるいは濃淡を視覚的、感覚的に察知することで、遭遇した魔物の脅威の程度を判断する能力を有している。いかに強力な魔物との遭遇を避け、部隊の損耗を最小限に抑えるかが、ダンジョン踏破のカギとなる。
しかし魔物との交戦が避けられない場合、探求師たちは個々の能力を活かして身を守らねばならない。攻め手を得意とする者は『白兵』、あるいは『砲手』として魔物を打ち据え、癒し手は『治癒術師』として負傷したメンバーの応急措置を担う。
そして魔物と刃を交えるにあたって不可欠なのが、"Tactical Advanced Noble Keeper"――――戦術高等重装要員と呼ばれる役職に服する者たちの存在である。遠征隊の盾となって魔物の前に立ちふさがり、仲間を守護する挺身の勇士。瘴気を無毒化する先天的かつ希少な素養を有した想術師のみがTANKたりえ、総じて引く手数多の優秀な人材であることは自明だった。
後方の輜重部隊を含めれば、今回の遠征は百名弱にまで膨れあがっていた。しかし前線を担当する探求師の中で、正式な『TANK』はたったの六人。
そのうちの四人は、すでに原形を留めぬ肉塊と骨片になり果てていた。いかずちを孕んで灼けたぎった槌による一撃で、いともたやすく彼らは物言わぬ骸となってそこらに飛び散っていた。電熱でところどころ生焼けになった肉も骨もはらわたも、衝撃のまきぞえを食った前衛の『白兵』や『治癒術師』たちと混ざりあってしまっているようで、全員を蘇生させるには骨が折れそうだとワイナは思った。
どんな役職であろうと、こうなってしまえば見分けはつかない。いずれにせよTANKを担う者たちの堅固な遷移防壁が役に立たないとなれば、ワイナたちの薄っぺらな防御手段が何の足しになるものか。
咄嗟にワイナは骸たちの中に義姉の姿を捜した。あの不必要に長大で、尊大さすら感じさせる騎槍を担いだ死骸は見当たらないことに、ワイナはひとまず安堵した。
唐突に空気がゆらぐ。『聖剣獣』が、槌を構えた。聖堂の大鐘の数倍もの質量を有するであろう巨大な戦槌を、彼は軽々と担ぎあげてみせた。先の軽いひと振りで伽藍の床板や壁面が容易く抉れ、多くの探求師が襤褸のように絶命した。そしてその痛恨の一撃が、ふたたび振り下ろされようとしていた。
それを目にした探求師たちは、傷んだ四肢を庇いながら、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
しかし彼らとは逆に、たったひとりで灼熱の鎚を振り上げる魔物のもとへと歩を進める者があった。
「クラリネ」
反射的に、義姉の名前が口をついて出る。
まばゆいプラチナブロンドを靡かせ、長大な騎槍と典雅な装飾が施された大盾で武装した絶世の麗人。仕立ての良い乗馬服にも似た装束の上から、支給品の外套を優雅に羽織るその姿は、世辞を抜きにしても英雄的と呼んで差支えはなかった。周囲を一瞥し、再び強大な魔物を見据える。その表情は懸念や悲壮さとは無縁で、部隊潰滅にあって毛ほどの恐怖も抱いていないようだった。
鬱陶しい邪魔者がいるな、その程度の苛立ちでしか覚えてないのだろう。わずかに柳眉を立てているのが、ワイナにはわかった。
大陸最高峰の実績を有する探求師。有り余る魔力と変幻自在の想をもって、攻守はおろか治癒と瘴気の中和までもを可能とする驚異の鬼才。現代最強の複合術師。
教皇領に籍を置く武装教戒師筆頭TANKにして、今回の国際合同遠征隊の支柱。彼女を讃え、形容する言葉はいくらでもあった。
聖職にありながら強欲。無計画で野放図な性格である一方、数多の困難な調査行を成功に導いた明晰さをも併せ持つ。
やりたくないことは絶対にやらず、やりたいことは何を置いてでも絶対にやり遂げる。欲と衝動が服を着て歩いているような人間であった。束縛されることを何より嫌う、天衣無縫の体現者。
類まれな美貌にも、欲望を叶えるに足る天賦の才にも恵まれた、大陸世界の生ける英雄。
今や想術師クラリネなくして今日の迷宮開拓はあり得ないとまで評される、不世出の若き女傑。
勇者という称号は、真に彼女にこそ相応しいのだろうと、常々ワイナは思っていた。
疎遠になった今でも、彼女の能力に対して疑いの余地などありはしない。一介の探求師にすぎない自分が、最強の称号をほしいままにする彼女の身を案じるなど、おこがましくすらある。
クラリネは、只人ならざる狂人である。
誰より強く、誰より奔放で、誰より敬虔で、誰より孤高で勇敢な女性。
現代最強の勇者。
しかしそれでも、ワイナは彼女の名を口にせずにはいられなかった。
「クラリネッ!!」
おののきながらも、なけなしの勇気がワイナに地面を蹴らせた。腰に佩いた得物に手をかけ、クラリネのもとへと駆け出した。
だが、それももう遅い。ほんの数秒、臆病風に吹かれたのが仇となった。
――――魔物は、鎚を振り下ろした。
莫大な重量と殺人的な電熱とを有した鉄塊が、クラリネ目がけて叩きつけられる。接触の瞬間、彼女の瞳の色と同じ鮮やかな蒼の燐光を伴う遷移防壁が熱と衝撃を変換、大盾を中心に形成された放射状の障壁が一際激しく光を放つ。高濃度の瘴気がクラリネの『想』によって一斉に中和されたことで劇的な反応を誘発し、周囲の薄靄に星空を思わせる無数の閃光がきらめいた。
多くの生命をすり潰した鎚の一撃をたった一人で受け止めながらも、依然として彼女は健在。
『煌めきの勇者』なる異名の、面目躍如たる姿。
みしりと、クラリネの両脚が床にめり込む。
それと同時に、ワイナたちの立つフロアの床一面に深い亀裂の網目が走る。
軋みと轟音とともにスレート床は引き裂かれていき、やがてはすべてが奈落の底へと崩れ落ちていった。




