第8話 国境の町
国境視察の命令が下されたのは、小競り合いの噂が流れてから一週間後のことだった。
アーウィン院長が、僕たち四人を執務室に呼んだ。
エリオ、エリシア、レイン、そしてセレナ。
「諸君を、特別任務に派遣する」
院長は、机の上の地図を広げた。
「国境の町、フォートリッジへの視察だ」
フォートリッジ——
王国の東端、ゼフィロスとの国境に位置する軍事要塞都市だ。
記憶の中では——あの戦争で、最初に陥落した町。
「視察、ですか?」
レインが、不安そうに聞いた。
「ええ。表向きは、学生たちの実地研修だ。国境警備の様子を見学し、報告書を書く」
院長は、一人一人を見回した。
「だが——実際には、偵察任務だ」
「偵察……」
「そうだ。最近、国境付近で不穏な動きがある。ゼフィロス軍が、何か準備をしているようだ」
院長は、地図の一点を指した。
「諸君には、フォートリッジの守備隊長に会い、状況を確認してもらいたい。そして——可能なら、ゼフィロス側の動きを探ってほしい」
「危険ではないですか?」
エリシアが、冷静に問うた。
「危険だ」
院長は、隠さなかった。
「だが、諸君は学院で最も優秀な生徒たちだ。エリシア、お前の魔力は群を抜いている。エリオ、お前の判断力と制御力は見事だ。レイン、お前の水魔法の応用力は素晴らしい。そしてセレナ——」
院長は、セレナを見た。
「お前の知識と経験は、他の追随を許さない」
セレナは、静かに頷いた。
院長は、彼女の正体を知っているのか?
三百年生きていることを?
「断ることもできる」
院長が、付け加えた。
「これは、強制ではない。だが——諸君なら、やり遂げられると信じている」
僕は、他の三人を見た。
エリシアは、迷いのない目をしていた。
レインは、不安そうだったが、覚悟を決めた表情だった。
セレナは——いつものように、静かに微笑んでいた。
「僕は、行きます」
僕が、最初に答えた。
「私も」
エリシアが続いた。
「僕も!」
レインが、拳を握った。
「私も、もちろん」
セレナが、最後に答えた。
院長は、満足そうに頷いた。
「よろしい。明日の朝、出発だ。準備をしておきなさい」
その夜、僕は荷物をまとめながら考えていた。
フォートリッジ——
あの町は、記憶の中で何度も通った場所だ。
戦争が始まった時、あそこは激戦地になった。
多くの兵士が死に、町は焼かれた。
そして——
リーシャも、あの町で——
いや、まだその時じゃない。
今はまだ、戦争は始まっていない。
でも——始まろうとしている。
今回、僕は止められるのか?
コンコン。
ノックの音。
「エリオ、入ってもいい?」
レインの声だった。
「うん、どうぞ」
レインが入ってきた。手には、小さな袋を持っている。
「これ、持っていって」
「何?」
「回復薬。僕が作ったんだ。選択科目の錬金術で」
レインは、袋を僕に渡した。
「まだ初級だから、そんなに効果ないけど……でも、怪我したら使って」
「ありがとう、レイン」
「それと——」
レインは、真剣な顔をした。
「エリオ、怖いよ。正直」
「うん」
「でも、行くよ。君が行くなら、僕も行く」
レインは、拳を握った。
「一人で危険なことさせたくないから」
「レイン……」
「僕たち、友達だろ? 友達なら、一緒に戦うものだよ」
その言葉が、温かかった。
リーシャも、同じことを言っていた。
村を離れる前の夜に。
「ありがとう。一緒に行こう」
「うん!」
レインは、笑顔を見せた。
でも、その目には——不安が隠しきれていなかった。
翌朝、学院の正門に四人が集合した。
護衛として、フェリックス教師も同行することになっていた。
「よし、全員揃ったな」
フェリックス教師が、馬車を指した。
「これから三日間の旅だ。途中、いくつかの町を経由してフォートリッジに到着する」
僕たちは、馬車に乗り込んだ。
エリシアは窓側に座り、外を眺めている。
レインは、緊張した面持ちで手を組んでいた。
セレナは——いつものように、静かに本を読んでいた。
馬車が動き出す。
王都が、だんだん小さくなっていく。
そして——僕たちは、未知の危険へと向かっていった。
初日は、順調だった。
王都から東へ、街道を進む。
途中、小さな村を通過した。
人々は、普通に生活していた。
戦争の気配など、まだ感じられない。
でも——村人たちの顔には、不安の色があった。
「国境で、何か起きてるんですかね」
ある村人が、僕たちに聞いてきた。
「兵隊が通るのを、よく見るんです。何か、良くないことが起きてるんじゃないかって」
「大丈夫ですよ」
フェリックス教師が、安心させるように答えた。
「王国軍が、しっかり守っていますから」
でも、その声には——確信がなかった。
夕方、最初の宿場町に到着した。
宿に荷物を置いて、僕たちは町を歩いた。
「賑わってるわね」
エリシアが、珍しく感想を口にした。
「でも、どこか緊張してる」
「気づいたか」
セレナが、小声で言った。
「この町の人たちは、戦争を恐れている」
確かに——町の人々の表情は、硬かった。
酒場からは、兵士たちの声が聞こえる。
「また国境で衝突があったらしい」
「ゼフィロスの奴ら、本気なんじゃないか」
「戦争になったら、俺たちも召集されるのかな」
不安と、恐怖の声。
僕は、拳を握った。
この人たちを、戦争から守らなければ。
二日目。
街道は、だんだん険しくなっていった。
平原から、丘陵地帯へ。
そして——遠くに、山脈が見えてきた。
国境の山脈だ。
「あれを越えると、ゼフィロス王国だ」
フェリックス教師が、指を差した。
「フォートリッジは、あの山脈の麓にある」
山脈は、雄大だった。
でも——どこか、威圧的にも見えた。
まるで、何かを隔てているような。
昼過ぎ、道端で休憩していると——
遠くから、馬の蹄の音が聞こえてきた。
大勢の、足音。
「何だ?」
フェリックス教師が、立ち上がった。
やがて、見えてきたのは——
王国軍の一団だった。
百人以上の兵士たちが、重装備で行進している。
表情は、険しい。
戦場に向かう顔だ。
「おい、お前たち!」
隊長らしき男が、僕たちに声をかけてきた。
「こんなところで何をしている!」
「王立魔法学院の研修です」
フェリックス教師が、証明書を見せた。
「フォートリッジへの視察任務です」
隊長は、証明書を確認して頷いた。
「そうか。なら、気をつけろ。国境は、物騒だ」
「何か、あったんですか?」
「昨夜、また小競り合いがあった。ゼフィロス軍の偵察隊が、国境を越えてきた」
隊長は、険しい顔をした。
「撃退したが——あいつら、本気だ。近いうちに、大きな動きがあるかもしれん」
「大きな動き……」
「戦争だ」
隊長は、吐き捨てるように言った。
「また、始まるかもしれん。あの忌まわしい戦争が」
彼は、部隊に戻っていった。
僕たちは、黙ってその行進を見送った。
「始まろうとしてるのね」
エリシアが、呟いた。
「ええ」
セレナが、答えた。
「歴史は、繰り返す」
三日目の午後、ようやくフォートリッジが見えてきた。
高い城壁に囲まれた、要塞都市。
城壁の上には、無数の兵士が配置されている。
緊張感が、町全体を包んでいた。
門をくぐると、町の中も軍事色が強かった。
兵舎、武器庫、訓練場——町の半分以上が、軍事施設だった。
「ここが、前線か……」
レインが、緊張した声で言った。
僕たちは、守備隊長のもとへ案内された。
隊長の執務室は、城壁の上にあった。
「よく来てくれた、学院の諸君」
出迎えたのは、傷だらけの顔をした中年の男だった。
ダリウス・ブラックウッド隊長。
この町の守備を任されている、歴戦の軍人だ。
「状況を説明しよう」
ダリウス隊長は、地図を広げた。
「この一ヶ月で、国境での衝突は十回以上。ゼフィロス軍は、明らかに何かを探っている」
「探っている?」
「我が軍の配置、要塞の弱点——侵攻の準備だ」
隊長は、地図の一点を指した。
「特に、この渓谷が危ない。ここを突破されると、平野部への道が開かれる」
渓谷——
記憶の中で、確かにあそこから侵攻が始まった。
「隊長、ゼフィロスは——本気で戦争をするつもりなんですか?」
僕が、聞いた。
「ああ」
隊長は、頷いた。
「理由は分からん。だが、向こうは準備を進めている。時間の問題だ」
彼は、窓から国境の山脈を見た。
「戦争は、近い」
その夜、僕たちは隊長が用意してくれた宿舎に泊まった。
兵舎の一角で、質素だったが、十分だった。
夕食の後、四人で作戦会議をした。
「明日、国境の視察をする」
セレナが、地図を広げながら言った。
「隊長の許可は取った。私たち四人だけで、国境付近を見て回る」
「危なくないですか?」
レインが、不安そうに聞いた。
「危ないわ」
セレナは、正直に答えた。
「でも、必要なこと。敵の動きを知らなければ、対策は立てられない」
「僕も、行く」
僕が、言った。
「この目で、確かめたい。ゼフィロスが、何を準備しているのか」
「私も行くわ」
エリシアが、即答した。
「戦うなら、敵を知らなければ」
「じゃあ、僕も……」
レインは、震える声で言った。
怖いのが、顔に出ていた。
でも——それでも、行くと言ってくれた。
「ありがとう、みんな」
僕は、三人を見た。
「一緒に、戦おう」
四人で、拳を合わせた。
明日——僕たちは、初めて本物の危険に足を踏み入れる。
でも、一人じゃない。
仲間がいる。
それが、どれだけ心強いか。
翌朝、夜明け前に出発した。
隊長が、地図と注意事項を渡してくれた。
「日が暮れる前に戻ること。もし敵と遭遇したら、戦わずに逃げること。いいな?」
「はい」
僕たちは、頷いた。
町を出て、国境の山道を登る。
道は険しく、足場が悪い。
でも、四人とも魔法使いだ。体力には自信がある。
二時間ほど登ると、視界が開けた。
そこから見えたのは——
国境の渓谷。
そして、その向こうに——
「あれは……」
レインが、息を呑んだ。
渓谷の向こう側、ゼフィロス領内に——
巨大な軍営があった。
無数のテント。
整列する兵士たち。
そして——
「あれは、何……?」
エリシアが、指を差した。
軍営の中心に、巨大な構造物があった。
金属製の、塔のような——いや、違う。
あれは——
「攻城兵器だ」
セレナが、静かに言った。
「しかも、魔法で動く。魔導兵器だ」
「魔導兵器……?」
「ええ。魔力で動く、巨大な戦争機械。城壁を破壊するための」
セレナの顔が、曇った。
「前の戦争でも、使われた。あれは——恐ろしい兵器よ」
僕は、じっとその構造物を見つめた。
記憶の中には、ない。
あの戦争で、そんなものは見なかった。
ということは——
未来が、変わっている。
違う展開になろうとしている。
「数を数えるわ」
エリシアが、目を細めた。
彼女の魔力感知能力は、群を抜いている。
「兵士は……約五千。魔導兵器は、三基」
「五千……」
レインが、青ざめた。
「フォートリッジの守備隊は、千人程度です。五倍の敵……」
「しかも、魔導兵器がある」
セレナが、厳しい顔をした。
「まともに戦えば、負ける」
「いつ、攻めてくるんでしょう?」
僕が、聞いた。
「分からないわ。でも——」
セレナは、軍営を見た。
「準備は、ほぼ整っている。いつでも動ける状態ね」
「今夜? 明日?」
「一週間以内でしょう」
セレナの言葉に、全員が固まった。
一週間——
それは、あまりにも早い。
「戻りましょう」
セレナが、立ち上がった。
「隊長に、報告しなければ」
僕たちは、急いで下山を始めた。
でも——途中で、足を止めた。
下の方から、声が聞こえる。
隠れて、様子を見る。
すると——
ゼフィロス軍の偵察隊が、こちらに向かってきていた。
十人ほどの兵士。
武装している。
「まずい……」
レインが、小声で言った。
「見つかったら——」
「静かに」
セレナが、手で制した。
「息を殺して。やり過ごしましょう」
僕たちは、岩陰に隠れた。
偵察隊が、すぐ近くを通り過ぎる。
心臓の音が、聞こえそうだった。
やがて——
偵察隊は、通り過ぎた。
「……行ったわ」
セレナが、ほっとした顔をした。
「急ぎましょう。次は、もっと大きな部隊が来るかもしれない」
僕たちは、全力で下山した。
日が傾き始める頃、ようやくフォートリッジに戻った。
すぐに、隊長のもとへ報告に向かった。
「五千の兵と、魔導兵器三基……」
ダリウス隊長は、険しい顔をした。
「予想以上だな」
「防げますか?」
僕が、聞いた。
隊長は、しばらく黙っていた。
そして——
「正直に言おう。難しい」
彼は、地図を見つめた。
「援軍を要請しても、到着するまで三日はかかる。その前に攻められたら——」
言葉を濁した。
でも、意味は分かった。
持ちこたえられない、と。
「隊長」
僕は、前に出た。
「僕たちも、戦います」
「何?」
「僕たちは、魔法学院の生徒です。まだ学生ですが——でも、戦えます」
エリシアも、前に出た。
「私も、戦います」
「僕も!」
レインが、震える声で言った。
「私も、もちろん」
セレナが、静かに答えた。
隊長は、僕たちを見た。
その目には——複雑な感情があった。
「……お前たちは、まだ子供だぞ」
「でも、魔法使いです」
僕は、言い返した。
「力を持っている者には、責任があります。それを、学院で学びました」
隊長は、深くため息をついた。
「……分かった。お前たちの覚悟は、受け取った」
彼は、立ち上がった。
「だが、最前線には出さん。後方支援だ。いいな?」
「はい」
僕たちは、頷いた。
でも——心の中では、違うことを考えていた。
戦争が始まったら、後方も前線も関係ない。
全てが、戦場になる。
それを、僕は知っている。
その夜、宿舎で四人で話し合った。
「本当に、始まるのね」
エリシアが、窓の外を見ながら言った。
「戦争が」
「ええ」
セレナが、頷いた。
「でも、まだ時間はある。準備をしましょう」
「何を準備するんですか?」
レインが、聞いた。
「戦術よ」
セレナは、地図を広げた。
「私たち四人の強みを活かした、戦い方を考える」
「強み……」
「エリシア、あなたは圧倒的な魔力を持っている。攻撃の要になる」
エリシアは、頷いた。
「レイン、あなたは水魔法が得意。防御と支援に回りなさい」
「は、はい」
「エリオ——」
セレナは、僕を見た。
「あなたは、指揮を取りなさい。あなたには、戦場を見る目がある」
「僕が?」
「ええ。あなたの判断力を、私は信頼している」
セレナは、微笑んだ。
「そして私は——あなたたちを守る」
「守る?」
「私には、三百年の経験がある。戦場も、何度も見てきた。だから——」
セレナは、真剣な目をした。
「あなたたちを、死なせない」
その言葉には、強い決意があった。
「ありがとう、セレナ」
僕は、彼女の手を取った。
「でも、君も無理しないで。君が死んだら——僕たちも、悲しい」
セレナは、少し驚いた顔をした。
そして——小さく笑った。
「そうね。気をつけるわ」
四人で、深夜まで作戦を練った。
陣形。
魔法の組み合わせ。
退避経路。
全てを、確認した。
そして——
「もし、戦いが始まったら」
僕は、三人を見た。
「絶対に、生き残ろう。誰一人、欠けることなく」
「ああ」
レインが、頷いた。
「当然だ」
エリシアが、答えた。
「約束よ」
セレナが、微笑んだ。
四人で、拳を合わせた。
そして——その夜、僕は一人で考えていた。
戦争が、始まろうとしている。
予定より、ずっと早く。
でも——僕には、仲間がいる。
セレナ、エリシア、レイン。
そして、遠くにいるリーシャも。
家族も。
村のみんなも。
全員を、守りたい。
そのために——
僕は、戦う。
たとえ、何度人生を繰り返すことになっても。
たとえ、この戦いで死ぬことになっても。
それでも——今、この瞬間を、精一杯生きる。
それが、循環者としての僕の選択だ。
窓の外には、満月が浮かんでいた。
静かな、美しい夜。
でも——この静けさは、嵐の前の静けさだった。
明日——いや、今夜にも。
戦争は、始まるかもしれない。




