第4話 修行の日々
疫病が去ってから、一ヶ月が経った。
村は、完全に日常を取り戻していた。畑仕事が再開され、子供たちは元気に遊び、夜には家族の笑い声が響く。平和な、いつもの村だ。
ただ一つ変わったことがあるとすれば——僕への村人たちの視線だ。
「おはよう、エリオ。今日も魔法の修行かい?」
畑仕事をしていた農夫が、手を止めて声をかけてくる。
「はい、おはようございます」
「頼もしいねえ。将来は王都の宮廷魔法使いになるんじゃないか?」
「そんな、大げさですよ」
僕は苦笑して、村長の家へと向かった。
予知の少年。村の救い主。天才魔法使い。
いつの間にか、そんな呼ばれ方をするようになっていた。
正直、居心地が悪い。
僕はただ、未来の記憶を使っただけだ。ズルをしているようなものだ。
でも、それを説明することはできない。
だから、僕はただ——期待に応えようと、努力するしかなかった。
「今日は、火魔法の基礎を教える」
村長の家の中庭で、ギデオン村長が言った。
「火魔法は、最も攻撃的で、最も制御が難しい魔法の一つだ。だからこそ、基礎をしっかりと身につける必要がある」
「はい」
僕は、村長の前に立った。
この一ヶ月、毎日ここに通って魔法を学んでいる。治癒魔法の次は、基礎的な魔力制御。そして今日から、本格的に属性魔法を学び始める。
「まず、火とは何か。お前は知っているか?」
「燃焼現象……です」
「そうだ。物質が酸素と結びつき、光と熱を発する。それが火だ。では、魔法で火を生み出すとは、どういうことか?」
村長は、手のひらに小さな炎を灯した。
赤い、揺らめく炎。でも、村長の手は火傷していない。
「魔法の火は、物理的な火ではない。魔力を熱と光のエネルギーに変換したものだ。しかし——」
村長は、炎を消した。
「ただエネルギーを放出するだけでは、制御できない。暴走する。だから、火の『循環』を理解する必要がある」
「火の、循環?」
「そうだ。火は燃料を消費し、熱を放出し、煙となって空に昇る。その煙は冷えて水となり、地に降り、新しい植物を育て、再び燃料となる。全ては巡っている」
村長は、地面に図を描いた。
木→火→灰→土→木——円環の図。
「火魔法を使うには、この循環を感じなければならない。ただ破壊するのではなく、エネルギーの流れを理解し、制御する」
僕は、頷いた。
この理論は、あの未来でも学んだ。でも、当時はもっと時間がかかった。村長の説明を理解するのに、数週間はかかったはずだ。
でも今の僕には、経験がある。
「やってみます」
僕は、手を前に伸ばした。
深く呼吸をして、体の中の魔力を感じる。
その魔力を、手のひらに集中させる。
そして——エネルギーの形を変える。
魔力から、熱へ。熱から、光へ。
イメージする。燃え上がる炎を。でも、暴走しない、制御された炎を。
手のひらが、熱くなる。
そして——
パチッ。
小さな火花が散った。
炎にはならなかった。でも、確かに火のエネルギーが発生した。
「ほう……」
村長が、感心したような声を出した。
「初日で火花を出せるとは。やはり、お前には才能がある」
才能じゃない。経験だ。
僕は、あの未来で火魔法を使えるようになっていた。中級レベルまで。戦場で、敵兵に向けて火球を放った記憶がある。
その記憶が、今の僕を助けている。
「もう一度、やってみなさい。今度は、もっと魔力を込めて」
僕は、再び集中した。
魔力を集め、熱に変え——
今度は、小さな炎が灯った。
手のひらの上で、揺らめく炎。
熱いけれど、火傷はしない。魔力でコーティングされているからだ。
「素晴らしい!」
村長が、拍手をした。
「一日で炎を灯すとは……エリオ、お前は本物の天才だ」
天才——
その言葉が、胸に刺さる。
僕は天才なんかじゃない。
ただのズルい、二度目の人生を生きている人間だ。
「村長、僕は……」
言いかけて、止めた。
何を言おうとしたのか、自分でも分からない。
真実を告白しようとしたのか? それとも、ただ謙遜しようとしただけなのか。
「ん? どうした?」
「いえ、なんでもありません」
僕は、手の中の炎を消した。
「ありがとうございます。もっと練習します」
「うむ。ただし、無理はするな。魔力を使いすぎると、体に負担がかかる。お前はまだ若いのだから」
「はい」
僕は、深く頭を下げた。
昼過ぎ、家に帰る途中、リーシャに呼び止められた。
「エリオ! ちょっと待って!」
彼女は、息を切らせて走ってきた。
「どうしたの?」
「あのね、お願いがあるんだけど」
リーシャは、真剣な顔をした。
「私にも、魔法を教えて」
「え?」
「私も魔法を使えるようになりたいの。エリオみたいに」
彼女の目は、真っ直ぐだった。
迷いがない。
「どうして、急に?」
「だって、エリオばっかりがんばってるの、見てられないもん。私も、何かできるようになりたい」
リーシャは、拳を握った。
「あの疫病の時、私は何もできなかった。ただ看病するだけで。でもエリオは、魔法で人を治して、みんなを救った」
「リーシャだって、十分——」
「違うの!」
彼女が、声を荒げた。
「私、悔しかったんだよ。エリオが一人で戦ってるのに、私は何もできなくて」
リーシャの目に、涙が浮かんでいた。
「だから、お願い。私にも魔法を教えて。一緒に戦えるようになりたいの」
僕は、しばらく黙っていた。
リーシャに魔法を教える?
記憶の中では——彼女は魔法を学ばなかった。
いや、正確には、学ぼうとしたけれど、才能がなかった。魔力を感じることさえできず、すぐに諦めてしまった。
それが、あの未来のリーシャだった。
でも——今は?
未来は変えられる。それは、疫病で証明された。
ならば、リーシャだって変われるかもしれない。
「分かった」
僕は、頷いた。
「教えるよ。でも、魔法は簡単じゃない。すぐにできるようになるわけじゃないから」
「大丈夫! 私、がんばるから!」
リーシャが、満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう、エリオ!」
彼女は、僕の手を握った。
温かい手。
この手が、魔法を使えるようになる日が来るのだろうか。
分からない。
でも——試してみる価値はある。
その日の夕方、僕とリーシャは村外れの丘に来ていた。
ここなら、人目を気にせず練習できる。
「じゃあ、まず魔力を感じることから始めよう」
「うん!」
リーシャは、やる気満々だった。
「座って、目を閉じて。深く息を吸って、吐いて」
彼女は、言われた通りにした。
「体の中を流れるものを感じてみて。血液でもなく、空気でもない、もう一つの流れ」
リーシャは、じっと集中している。
五分が経った。
十分が経った。
「……感じられない」
リーシャが、目を開けた。
「何も感じられないよ」
「最初はそんなものだよ。僕だって——」
嘘をつきかけて、止めた。
僕は、一日で感じられた。それは、前世の経験があったからだ。
でも、普通は数週間かかる。村長も、そう言っていた。
「とにかく、続けよう。毎日練習すれば、いつか感じられるようになるから」
「うん」
リーシャは、再び目を閉じた。
その横顔を見ながら、僕は思った。
彼女は、本当に魔法を使えるようになるのだろうか。
記憶の中では、才能がなかった。
でも、それは「努力しなかったから」かもしれない。
あの未来では、僕がすぐに魔法を使えるようになったから、リーシャは劣等感を感じて諦めてしまった。
でも今回は——僕が教える。
毎日、一緒に練習する。
ならば、結果は変わるかもしれない。
そう信じたい。
それから、日々は規則的に流れた。
朝は村長のもとで魔法を学ぶ。
昼は家の手伝いをする。
夕方はリーシャと一緒に、魔法の練習。
そして夜は、一人で未来のことを考える。
一週間が経ち、二週間が経ち——
リーシャは、まだ魔力を感じられなかった。
「なんで……なんでできないんだろう……」
彼女は、悔しそうに呟いた。
「リーシャ、焦らないで。魔力を感じるには、人によって時間が——」
「エリオは一日でできたんでしょ?」
リーシャの声が、少し荒かった。
「私、もう二週間も練習してるのに、何も感じられない。やっぱり、才能がないのかな……」
「そんなことない」
僕は、彼女の肩に手を置いた。
「才能なんて、関係ない。大事なのは、続けることだ」
「でも……」
「僕が一日でできたのは——多分、運が良かっただけだ。リーシャだって、絶対にできるようになる」
嘘だ。
僕は運が良かったわけじゃない。ズルをしただけだ。
でも、それでもリーシャを励ましたい。
「もう少し、一緒に練習しよう。ね?」
リーシャは、涙を拭って頷いた。
「……うん」
三週間目。
その日の夕方、いつものように練習していると——
「あ……!」
リーシャが、目を見開いた。
「今、何か感じた! 温かいものが、体の中を……!」
「本当!?」
「うん! 確かに感じた! ほんの一瞬だけど!」
リーシャが、興奮して立ち上がった。
「エリオ、これが魔力!?」
「そうだよ! やった、リーシャ!」
僕も、思わず彼女の手を取った。
「すごいよ! ついに感じられたんだ!」
「本当!? 本当にできたの!?」
リーシャは、涙を浮かべていた。
でも、今度は嬉しい涙だ。
「やった……やったよ、エリオ……!」
彼女は、僕に抱きついてきた。
突然のことで、僕は固まった。
「あ、ご、ごめん!」
リーシャは、慌てて離れた。
顔が、真っ赤だ。
「つい、嬉しくて……」
「い、いや、いいんだ」
僕の顔も、熱くなっていた。
気まずい沈黙。
でも——嬉しかった。
リーシャが、魔力を感じられた。
あの未来とは、違う。
彼女は、変わり始めている。
「じゃあ、これからも練習続けよう。魔力を感じることができたら、次は魔力を動かす練習だ」
「うん!」
リーシャは、やる気に満ちた顔をしていた。
その笑顔を見て、僕は思った。
未来は、確かに変えられる。
疫病も、そしてリーシャの才能も。
ならば——六年後の戦争だって。
季節は、夏に移り変わった。
僕が十二歳になってから、三ヶ月が経った。
この間に、僕の魔法の腕は飛躍的に上達した。
火魔法は、火球を放てるレベルまで到達した。水魔法も基礎を習得し、風魔法も少し使えるようになった。
村長は、僕の進歩を見て驚いていた。
「普通なら、一つの属性魔法を習得するのに一年はかかる。それを、お前は三ヶ月で三つも習得しつつある……」
「まだまだ、基礎レベルですが」
「謙遜するな。お前の年齢でこのレベルなら、王都の魔法学院でも上位に入るだろう」
村長は、本を閉じて僕を見た。
「エリオ、お前には選択肢がある」
「選択肢?」
「ああ。このまま村で学び続けるか、それとも——王都の魔法学院に入学するか」
王都の魔法学院。
アルメイダ王国最高峰の魔法教育機関だ。
記憶の中では、僕は学院には行かなかった。村で魔法を学び続け、そのまま戦争に巻き込まれた。
でも——学院に行けば、もっと高度な魔法を学べる。もっと強くなれる。
戦争を止めるための、力を。
「学院に行くには、どうすればいいんですか?」
「入学試験に合格する必要がある。だが、お前の実力なら問題ないだろう。推薦状も書ける」
村長は、真剣な顔をした。
「ただし——学院は王都にある。ここから、馬車で三日の距離だ。入学すれば、寮生活になる。村には、帰ってこれなくなる」
村を、離れる。
家族を、リーシャを、離れる。
それは——
「今すぐ決める必要はない。入学試験は来年の春だ。それまでに、よく考えなさい」
「……はい」
僕は、頷いた。
でも、心の中では——もう、答えは出ていた。
学院に行く。
強くなるために。
戦争を止めるために。
たとえ、村を離れることになっても。
その夜、僕は両親に学院のことを話した。
「魔法学院……か」
父さんが、難しい顔をした。
「お前が学院に行けるほどの才能があるとは、父さんも鼻が高いよ」
「でも、王都は遠いのよね……」
母さんが、心配そうに言った。
「寂しくなるわ」
「ごめん……」
「謝ることじゃないわ、エリオ」
母さんは、僕の手を握った。
「あなたには、才能がある。それを伸ばすのは、良いことよ」
「でも——」
「私たちは大丈夫。あなたのことを応援するわ」
母さんは、優しく微笑んだ。
父さんも、頷いた。
「エリオ、お前の好きにしなさい。父さんと母さんは、いつだってお前の味方だ」
その言葉が、胸に染みた。
記憶の中では——両親は、僕が戦場に行くことを止められなかった。
徴兵は義務だったから。
でも、あの時の両親の悲しそうな顔を、僕は覚えている。
今回は——違う。
僕は、自分の意志で道を選ぶ。
そして、両親を悲しませない未来を作る。
「ありがとう、父さん、母さん」
翌日、リーシャにも学院のことを話した。
「……そっか」
彼女は、少し寂しそうな顔をした。
「エリオ、王都に行っちゃうんだ」
「うん。でも、まだ来年の春だから。それまでは、ずっとここにいるよ」
「一年後……」
リーシャは、空を見上げた。
「一年なんて、あっという間だよね」
「リーシャも、一緒に来る?」
「え?」
「学院の試験を受けてみたら? リーシャだって、魔力を感じられるようになったんだから」
リーシャは、首を横に振った。
「私は、まだ全然ダメだよ。魔力を感じられるようになっただけで、魔法なんて使えないし」
「でも、これから——」
「いいの」
リーシャが、僕の言葉を遮った。
「私は、村に残る。ここで、お父さんの仕事を手伝う」
「リーシャ……」
「でもね、エリオ」
彼女は、僕の方を向いた。
「絶対、帰ってきてね。たまには」
「当然だよ」
「約束?」
「約束する」
僕は、小指を立てた。
リーシャも、小指を絡めてくる。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ます」
子供っぽい約束。
でも、この約束は——絶対に守る。
リーシャとの約束は、何があっても守る。
それから、一年が過ぎた。
速かった。
毎日、魔法の修行に明け暮れた。
村長からは、ほぼ全ての基礎魔法を学んだ。火、水、風、土、そして光と闇の基礎。治癒魔法も、中級レベルまで到達した。
リーシャも、少しずつ進歩した。
まだ魔法は使えないけれど、魔力を動かすことはできるようになった。あと数ヶ月練習すれば、きっと初歩的な魔法を使えるようになるだろう。
そして——春が来た。
十三歳になった僕は、王都への旅立ちの日を迎えた。
「エリオ、体に気をつけるんだよ」
母さんが、涙を拭いながら言った。
「うん、分かってる」
「手紙を書くんだぞ。母さんも父さんも、待ってるから」
父さんが、僕の頭を撫でた。
「がんばってこい」
「うん」
僕は、家族と抱き合った。
そして——リーシャの方を向いた。
「エリオ……」
彼女は、泣きそうな顔をしていた。
「行っちゃうんだね」
「うん。でも、絶対帰ってくるから」
「……バカ」
リーシャが、小さく呟いた。
「すぐ帰ってきて、って言ってるんじゃないよ。学院でちゃんと勉強して、強くなって、それから帰ってきて」
「分かってる」
「それと——」
リーシャは、小さな包みを差し出した。
「これ、お守り。私が作ったの」
包みを開けると、小さな布製のお守りが入っていた。
下手くそな刺繍で、僕の名前が縫ってある。
「ありがとう、リーシャ」
「大切にしてね」
「もちろん」
僕は、お守りを懐にしまった。
それから——村長の馬車に乗り込んだ。
村長が、王都まで付き添ってくれることになっていた。
「では、行くぞ、エリオ」
「はい」
馬車が動き出す。
窓から、手を振る。
両親が、リーシャが、村人たちが、手を振り返してくれた。
だんだん、小さくなっていく。
そして——見えなくなった。
僕は、前を向いた。
王都へ。
魔法学院へ。
そして——未来を変えるための、戦いへ。
二度目の人生は、新しい段階に入る。
今度こそ、全てを守ってみせる。
戦争を止めて、みんなを守って——
そして、あの死の運命から、逃れてみせる。




