第3話 流行り病
翌朝、村の中心にある集会所に、村人たちが集まっていた。
ギデオン村長が招集をかけたのだ。急な呼びかけだったが、村長の言葉には重みがある。みんな、真剣な顔で集まってきた。
僕も、両親と一緒に集会所に来ていた。
「みんな、集まってくれてありがとう」
村長が、前に立って話し始めた。
「今日集まってもらったのは、大切な話があるからだ。近々、この村に疫病が流行る可能性がある」
ざわめきが広がった。
「疫病だと?」
「本当か、ギデオン殿?」
「どこから、そんな情報が?」
村長は、手を上げて静めた。
「確かな情報ではない。だが、用心に越したことはない。今から言う対策を、全員に守ってもらいたい」
彼は、昨夜読んでいた古い本を開いた。
「まず、井戸水は必ず煮沸してから使うこと。食事の前には手を洗うこと。病人が出た場合は、すぐに隔離し、看病する者も最小限にすること」
村人たちは、真剣に聞いていた。
「それから、家の中を清潔に保つこと。特に、寝具は日光に当てて干すこと。これらは基本的な衛生管理だが、疫病を防ぐには効果的だ」
「ギデオン殿、しかし——」
村の年配の男性が、手を上げた。
「井戸水を全部煮沸するとなると、薪がいくらあっても足りませんぞ」
「その通りだ。だから、村の若い者たちで森に薪を取りに行く。今日から三日間、総出で薪を集める。女たちは、家の掃除と寝具の手入れを頼む」
村長は、一つ一つ指示を出していく。
組織的で、効率的だ。さすがは元冒険者。こういう時の指揮には慣れているのだろう。
「それと——」
村長は、僕の方を見た。
「これらの対策を教えてくれたのは、エリオだ」
え?
突然名前を呼ばれて、僕は驚いた。周囲の視線が、一斉に僕に集まる。
「エリオが、予知夢を見たと言ってきた。村に疫病が来る、と。私はそれを完全に信じたわけではないが、備えあれば憂いなし。少年の警告を無駄にはしたくない」
村人たちが、ざわめいた。
中には、懐疑的な目で僕を見る者もいる。当然だ。子供の夢の話など、普通は信じられない。
でも——
「エリオは、昨日魔法を使えるようになった。一日で、だ。それだけの才能があるなら、予知夢を見ることもあるかもしれん」
村長の言葉に、ざわめきが変わった。
「一日で魔法を?」
「本当か、それは?」
「ああ、私も見た。リーシャの家で、鹿の傷を治していた」
リーシャの父、ガルスさんが証言してくれた。
「本物だ。あれは確かに、治癒魔法だった」
村人たちの目が、少しずつ変わっていく。
懐疑から、興味へ。そして、期待へ。
「まあ、エリオちゃんが魔法使いに?」
「すごいじゃないか!」
「うちの息子も、魔法使いになれるかしら?」
話が逸れていく。村長が、もう一度手を上げた。
「とにかく、今は疫病対策だ。エリオの予知夢が当たるかどうかは分からんが、準備をしておこう。いいな?」
「はい!」
村人たちが、一斉に答えた。
集会が終わると、何人もの村人が僕のところに来た。
「エリオ、本当に予知夢を見たのかい?」
「どんな夢だったんだ?」
「私たちは、大丈夫かね?」
質問攻めに遭って、僕は困惑した。
「あの、その……夢の内容は、はっきりとは覚えてなくて……」
「でも、疫病が来るって分かったんだろう?」
「は、はい……」
どう答えていいか分からない。嘘をついているという罪悪感が、胸を締め付ける。
「みなさん、エリオを困らせないでください」
リーシャが、割って入ってくれた。
「予知夢って、曖昧なものなんでしょう? 細かいことを聞いても、分からないと思いますよ」
「そうだな、すまないエリオ」
「いや、こっちこそ……」
村人たちは、それぞれの持ち場に散っていった。
薪を集める組、家を掃除する組、井戸の管理をする組。みんな、真剣に動いている。
僕の一言が、村全体を動かした。
その重さに、改めて気づいた。
「エリオ、大丈夫?」
リーシャが、心配そうに僕を見ている。
「うん……ちょっと、驚いただけ」
「そうだよね。急に注目されちゃって」
彼女は、僕の手を取った。
「でも、エリオは正しいことをしてるよ。もし本当に病気が来たら、みんなを救えるんだから」
「もし、来なかったら?」
「それでも、村がきれいになるし、衛生的になるんだから、いいことだよ」
リーシャは、いつも前向きだ。
その明るさに、何度救われただろう。
六年前も——いや、六年後の記憶でも。
「ありがとう、リーシャ」
「ん? 何が?」
「いつも、支えてくれて」
「……なにそれ、急に」
リーシャが、顔を赤くした。
「変なこと言わないでよ。私たち、ずっと一緒じゃん」
「そうだね」
ずっと一緒。
その言葉が、胸に染みた。
僕は、この子を守りたい。
何度でも、そう思う。
それから三日間、村は慌ただしかった。
男たちは森で薪を集め、女たちは家の掃除と洗濯に追われた。子供たちも、自分の寝具を干したり、家の手伝いをした。
僕も、薪集めを手伝った。
父さんと一緒に森に入り、倒木や枯れ枝を集める。十二歳の体では、重い丸太は運べないが、小さな枝を集めることはできる。
「エリオ、無理するなよ」
「大丈夫だよ、父さん」
父さんは、汗を拭いながら笑った。
「お前が予知夢を見たって聞いて、驚いたよ。うちの息子は、やっぱり特別なんだな」
「そんなことないよ……」
「謙遜するな。ギデオン殿も、お前の才能を認めてる。きっと、立派な魔法使いになれるさ」
父さんは、僕の頭を撫でた。
大きな、温かい手。
この手が、六年後——戦争で失われる。
そうさせないために、僕は今、ここにいる。
「父さん」
「ん?」
「僕、父さんとお母さんを守りたい」
父さんは、少し驚いた顔をした。
「急にどうした?」
「ただ……そう思っただけ」
「はは、守られるのは俺たちの方だろう。まだまだ、お前は子供なんだから」
父さんは、また笑った。
でも、僕は子供じゃない。
少なくとも、心は。
十二歳と十八歳。両方の自分が、この体の中にいる。
それが、どれだけ奇妙なことか。
でも、それを誰にも言えない。
「さあ、もう少し集めたら帰ろう。お母さんが、夕飯を作って待ってるぞ」
「うん」
僕は、また枝を拾い始めた。
四日目。
村の準備は、ほぼ完了していた。
薪は各家に十分な量が配られ、井戸水の煮沸も習慣化され始めた。家々は掃除され、寝具は清潔になった。
村長の指示のもと、村全体が一つになって動いた結果だ。
そして——五日目の朝。
それは、起きた。
「ギデオン殿! 大変です!」
早朝、村の若者が村長の家に駆け込んできた。
僕も、たまたまその場にいた。朝の魔法の練習のために、村長の家を訪れていたのだ。
「どうした、トム?」
「東の農家で、三人が高熱を出しています! 昨夜から急に!」
村長の顔が、引き締まった。
「……来たか」
彼は、すぐに立ち上がった。
「トム、他の家も回って確認しろ。発熱している者がいないか。エリオ、お前もついてこい」
「はい!」
僕たちは、村を駆け回った。
そして——分かった。
村の東側で、十人以上が発熱していた。症状は、記憶の通りだ。高熱、倦怠感、咳。
流行り病が、来た。
僕の予知夢が、現実になった。
村長は、すぐに対策本部を立ち上げた。
集会所が、病人の隔離所になった。発熱した村人たちは、そこに集められ、看病する者も交代制で決められた。
「みんな、落ち着いて聞いてくれ」
村長が、集まった村人たちに向かって言った。
「エリオの予知夢は、本当だった。しかし、我々は準備をしてきた。だから、この疫病を乗り越えられる」
彼の声には、力があった。
「煮沸した水を飲ませること。患者には近づきすぎないこと。看病した後は、必ず手を洗うこと。これを守れば、感染は最小限に抑えられる」
村人たちは、頷いた。
不安そうな顔をしている者もいたが、パニックにはなっていない。準備をしていたことが、心の余裕を生んでいた。
「エリオ、お前は治癒魔法が使えるな?」
「はい、少しだけですが」
「患者を診てやってくれ。完全に治せなくても、症状を和らげることができれば、それだけで助かる命がある」
「分かりました」
僕は、隔離所に入った。
そこには、十数人の患者が横たわっていた。
知っている顔ばかりだ。
向こうにいるのは、農夫のミラーさん。いつも冗談を言って、僕を笑わせてくれる人だ。
あそこにいるのは、クレアさん。優しい、村のお母さん的存在。
記憶の中では、クレアさんは——この病気で、亡くなった。
「クレアさん」
僕は、彼女のベッドに近づいた。
「あら……エリオちゃん……」
彼女は、か細い声で答えた。顔色が悪く、額には汗が浮いている。
「大丈夫ですか?」
「ええ……大丈夫よ……ちょっと熱があるだけ……」
強がっている。でも、体は正直だ。
僕は、彼女の手を取った。
「治癒魔法を使ってみます。少しでも、楽になれば……」
「まあ、エリオちゃんが魔法を? すごいわね……」
彼女は、弱々しく微笑んだ。
僕は、目を閉じた。
深く呼吸をして、魔力を集中させる。
体の中を流れる暖かい川を感じ、それを手のひらに集める。
そして、クレアさんの体に流し込む。
生命の循環。
病に侵された体が、回復しようとしている。その力を、ほんの少しだけ後押しする。
手のひらが、温かくなる。
魔力が、流れていく。
でも——
すぐに、限界が来た。
魔力が、底をついた。
「っ……」
僕は、手を離した。
クレアさんの顔色が、少しだけ良くなった気がする。でも、完全に治ったわけじゃない。
「ありがとう、エリオちゃん……少し、楽になったわ……」
「すみません……もっと、ちゃんと治せたら……」
「いいのよ。十二歳の子が、ここまでできるだけで十分すごいわ」
クレアさんは、僕の頭を撫でた。
「ありがとうね」
僕は、次の患者のところへ行った。
一人ずつ、治癒魔法をかけていく。
でも、魔力はすぐに尽きる。十二歳の体では、魔力の総量が少なすぎる。
三人目で、もう限界だった。
くらくらする頭を抱えて、僕は集会所の外に出た。
「エリオ! 大丈夫?」
リーシャが、駆け寄ってきた。
「魔力を使いすぎたんだ……ちょっと休めば、大丈夫……」
「無理しないでよ! 倒れたら、意味ないんだから!」
リーシャは、僕を木陰のベンチに座らせた。
「はい、水」
彼女が差し出した水筒から、水を飲む。
冷たい水が、喉を潤す。
少しずつ、頭がはっきりしてきた。
「エリオは、すごいよ。みんなのために、がんばってる」
「でも……全然足りない。僕の魔力じゃ、三人しか治せない」
「三人でも、すごいことだよ。誰も責めてないよ」
リーシャは、僕の隣に座った。
「私も、何かできることないかな」
「リーシャは、看病を手伝ってるじゃないか」
「でも、もっと……」
彼女は、悔しそうに拳を握った。
「魔法が使えたら、エリオみたいに人を助けられるのに」
「リーシャにも、才能はあると思うよ。訓練すれば——」
「でも、今じゃないでしょ? 今、病気で苦しんでる人がいるのに」
彼女の言葉が、胸に刺さった。
そうだ。
今なんだ。
今、助けなければいけない。
でも、僕には力が足りない。
十二歳の体では、限界がある。
くそ——
「エリオ」
村長の声がした。
振り向くと、彼が立っていた。
「無理をするな。お前は、よくやっている」
「でも、もっと——」
「お前一人で、村を救えるわけじゃない。みんなで協力するんだ」
村長は、僕の肩に手を置いた。
「お前の予知夢のおかげで、我々は準備ができた。それだけで、十分に村を救っている」
「……本当に、そうでしょうか」
「ああ。もし準備がなければ、もっと多くの人が感染していただろう。もっと多くの人が、重症化していただろう」
村長は、隔離所の方を見た。
「お前は、すでに多くの命を救っているんだ、エリオ」
その言葉が、少しだけ、僕の心を軽くした。
それから一週間。
村は、病気との戦いを続けた。
患者は、最終的に三十人を超えた。村の十分の一だ。
しかし、準備をしていたおかげで、感染の拡大は抑えられた。隔離、煮沸、衛生管理——全てが効果を発揮した。
僕も、毎日隔離所に通った。
魔力が回復したら、また治癒魔法をかける。一日に三人、多くて五人。それが限界だった。
でも、それでも——やらないよりはマシだった。
そして、十日目。
最初の患者が、回復した。
ミラーさんだ。
「おお、エリオ! すっかり元気になったぞ!」
彼は、ベッドから起き上がって、僕に手を振った。
「良かった……本当に、良かった……」
「お前の魔法のおかげだ。ありがとうな」
「いえ、僕なんて大したことは……」
「謙遜するな。お前は、英雄だ」
英雄——
そんな大げさな。
でも、ミラーさんだけじゃない。他の患者たちも、次々と回復していった。
二週間後には、ほとんどの患者が退院できた。
そして——
死者は、一人も出なかった。
クレアさんも、無事に回復した。
記憶の中では、彼女は死んだはずだった。
でも、今回は——生きている。
「エリオちゃん、本当にありがとう」
退院する日、クレアさんが僕を抱きしめた。
「あなたのおかげで、私は生きていられる」
「いえ、僕は……」
「いいえ、あなたよ。あなたの予知夢が、村を救ったのよ」
彼女の目には、涙が浮かんでいた。
僕も——泣きそうになった。
変えられた。
未来を、変えられたんだ。
その夜、僕は一人で村の外れの丘に座っていた。
ここからは、村全体が見渡せる。
家々の明かりが、夜空に浮かんでいる。
平和な光景。
二週間前まで、僕は不安だった。
本当に未来を変えられるのか。
自分の行動に意味があるのか。
でも——今、答えが出た。
変えられる。
未来は、変えられるんだ。
クレアさんは生きている。他の村人も、みんな無事だ。
記憶の中の未来とは、違う結果になった。
「やった……やったぞ……」
小さく、呟いた。
涙が、頬を伝った。
嬉しさと、安堵と、そして——少しの恐怖。
もし未来を変えられるなら、責任も大きい。
これから何をするか、どう選択するかで、多くの人の運命が変わる。
それは、重い。
でも——
「エリオ」
声がして、振り返った。
リーシャが立っていた。
「やっぱり、ここにいたんだ」
「リーシャ……どうして?」
「なんとなく。エリオ、最近よくここに来るから」
彼女は、僕の隣に座った。
「村、無事だったね」
「うん」
「エリオのおかげだよ」
「みんなのおかげだよ。村長も、みんなも、協力してくれたから」
「でも、始まりはエリオだった」
リーシャは、夜空を見上げた。
「ねえ、エリオ。予知夢って、また見るの?」
「……分からない」
本当は、見ていない。僕は、未来の記憶を持っているだけだ。
でも、それは言えない。
「もし、また見たら教えてね」
「どうして?」
「だって、私も手伝いたいから。エリオ一人に、全部背負わせたくない」
リーシャは、僕の方を向いた。
「私たち、友達でしょ? 友達なら、一緒に戦うものだよ」
一緒に戦う——
その言葉が、温かかった。
そうだ。
僕は、一人じゃない。
リーシャがいる。村長がいる。父さんも、母さんも、村のみんなもいる。
一人で全部背負う必要はない。
「ありがとう、リーシャ」
「ん。どういたしまして」
彼女は、笑った。
その笑顔を見て、僕は改めて思った。
この笑顔を、絶対に守る。
六年後の戦争まで、まだ時間がある。
その間に、できるだけのことをしよう。
力をつけて、準備をして、そして——戦争そのものを、止めてみせる。
それが、二度目の人生を生きる、僕の使命だ。
翌朝。
村は、祝祭ムードだった。
疫病を乗り越えたことを祝う、小さな宴が開かれた。
集会所に、村人たちが集まる。
簡素だが、心のこもった料理が並ぶ。
「さあ、みんな! 乾杯だ!」
村長が、杯を掲げた。
「この疫病を乗り越えられたのは、村全体の協力のおかげだ。そして——エリオの予知夢のおかげだ!」
みんなの視線が、僕に集まった。
「エリオ、前に出なさい」
村長に促されて、僕は前に出た。
緊張で、足が震える。
「この少年が、村を救った。十二歳にして、予知夢を見、治癒魔法を使い、我々に警告をくれた。村の英雄だ!」
拍手が起こった。
大きな、温かい拍手。
恥ずかしくて、顔が熱くなった。
「エリオ、何か一言」
「え、えっと……」
何を言えばいいのか、分からない。
でも——
「僕は、ただ……みんなに、生きていてほしかっただけです」
正直な気持ちを、口にした。
「この村が好きで、みんなが好きで。だから、守りたかった。それだけです」
拍手が、また起こった。
村長が、僕の肩を叩いた。
「良い心がけだ。その気持ちを、忘れるな」
「はい」
宴は、夜遅くまで続いた。
久しぶりに、村全体が笑顔に包まれた。
僕も、リーシャや他の子供たちと一緒に、楽しんだ。
でも、心の片隅には——まだ、不安があった。
これから、どうなるんだろう。
流行り病は防げた。
でも、六年後の戦争は?
そして、僕がまた死んだら——また、12歳に戻るのか?
それとも、今度は違う結果になるのか?
分からないことだらけだ。
でも——今は、考えないようにしよう。
今は、この幸せを噛みしめよう。
未来のことは、未来の自分が考えればいい。
今の僕は——ただ、この瞬間を生きる。
リーシャの笑顔を見て、村人たちの笑い声を聞いて、温かい料理を食べて。
それだけで、十分だ。
少なくとも、今は。




