高校生3
僕はモヤモヤした気分を抱えたまま、体育が終わって教室に戻る。
更衣室から教室までの帰り道、廊下で話していた女子たちの声が、偶然耳に刺さった。
「ねえ、有馬くんってめっちゃイケメンなんでしょ?」
「そうそう!それにめっちゃ優しいの。同じクラスの月島真白を覗いて」
「へえー、そうなんだあ」
「でもやばくない?その月島って人、嫌われるようなことしたのかな」
「うわー……絶対関わらないほうがいいじゃん」
女子の噂話が好きな連中がヒソヒソ話にしてはデカすぎる声量で喋っている。
チラチラとこちらを気にしている様子からわざと僕に聴かせているようだとわかる。
言いたい奴らには言わせておけ。
どうせ僕のことをそこまで知らないのだから。
僕は鈴やんや佐藤みたいな僕の大切な人だけを見ていれば良い。
横を通り過ぎると、女子たちが揃ってクスクス笑う声が聞こえた。
僕はイライラしながらも立ち止まらずに教室へ入った。
席に座ってみても、体育の疲れよりあの声の残響が重くのしかかっていた。
次の時間の準備のためにノートや教科書を広げてみるが、残りの時間はただぼんやりと時計の針を目で追って過ごした。
「真白、もう授業終わったけど、どうした?悩み事なら聞くぞ」
ぼーっと授業を聞いていたからか、終わったことに気づかなかった。
佐藤がいつまでも席から動かない僕の顔を心配そうに覗く。
ハッとして憂鬱な気分を取り払うように首を横に振った。
「ううん、大したことじゃないから大丈夫だ。それより今日ゲーセン行くだろ?早く行こうぜ」
「有馬のことだったらちゃんと言えよ。俺、有馬は憧れだけど、月島は大事な友達だからさ」
「ありがとう佐藤」
その言葉だけで、胸の奥の重苦しさが少し和らいだ。
「すごいなぁ、ユーフォーキャッチャー1発でとっちゃう人なんて俺初めて見た!」
鈴やんのために大きなぬいぐるみを取って見せると、大袈裟なくらい喜んでくれる。
「コツを掴めば簡単だよ」
僕は褒められたのが嬉しくて、得意になってふふんと鼻を鳴らした。
「そのキャラクターってSNSで流行ってるやつだろ。可愛いな」
佐藤が言う。
「うん、僕このキャラ好きなんだよね」
「なあなあ、次あれやろうぜ」
鈴やんが車の乗り物のようなのを指さして言う。
座ってハンドルを握りブレーキやアクセルを踏んで操作しながらレーンの順位を競う操作型のゲームだ。
「誰が1番速いじゃ勝負な」
「よっしゃ、負けたらジュース奢りな!」
鈴やんたちと楽しく遊んでいたら、いつのまにかさっきの憂鬱な気分なんて忘れてはしゃいでいた。
笑い声に包まれて、嫌なことなんて全部遠くに押しやった気がした。
──その夜、布団に入った時もまだ笑い声の余韻が耳に残っていた。
けれど、それが長く続かないことも、どこかで分かっていた。
そして次の日。
朝、目覚めて伸びをする。
完全に疲れが取れきれていないのか、身体が鉛のように重い。
いつものように支度をしに一階に降りて行った。
「おはよう」
「・・・おはよう」
母さんの挨拶にあくびをしながら答える。
「今日母さん大事な打ち合わせだからもう出るわね。朝ごはんしっかり食べて、お昼代も持って行って」
「・・・うん、ありがとう」
「じゃあ、行ってくるね」
「いってらっしゃい」
食パンを口に咥えたまま母さんの背中を見送った。
母さんとの会話は基本最低限。
有馬が転校してきた時は気にかけてあげなさいとか、仲良くなれたかとか色々聞いてきた母さんだけど、僕たちが反りが合わないようだと察したのか、今ではほとんど聞いてくることがなくなった。
僕はスクールバックを手に取り、重い足取りで家を出る。
家を出るといつも前か後ろに有馬の姿がある。
乗る電車が同じで家も隣となれば仕方ない。
電車のホームでも、電車を降りてもお互い無言のまま。
一緒に登校しているわけではないのだからそう言うものだろう。
この気まずさも中学の時から同じだからかもう慣れた。
電車の中で眠気が増して舟を漕いでいるとどこからかぷっと笑う声が聞こえたが、どうせあいつだろうともう振り返ったりしなかった。
のろのろ歩き、学校に着いて下駄箱を開ける。
そこには上履きは見つからなくて大量に悪口が書かれた紙がくしゃくしゃに詰め込まれていた。
昨日、家に帰って体操着が家にもないことを確認していた。
だから、なんとなく予感はしていたが、随分と誰でも思いつくような幼稚な悪戯をする。
物を盗んだり、悪口で攻撃するのは意地悪界隈でいつまでも流行っているな。
廃れない物がこれとか世の中どうなってるんだ。
無駄になった紙たちを両手でがっしりと掴み、近くにあるゴミ箱へ全て放り込む。
そのまま職員室に行き、代わりのスリッパを貸してもらった。
新しい上靴を買うまでは当分スリッパでせいかつすることになるだろう。
「へえ、お前。スリッパ似合うじゃん。小学校からそのまま来たみたいだな」
わざとらしく笑いながら声をかけてきたのは有馬だった。
ドクンと心臓が嫌な音を鳴らす。
先に教室に行ったと思っていたのに、随分とゆっくり歩いていたようだ。
「ありがと。褒め言葉として受け取っとくよ」
俺は表情を崩さずに返す。
「いや、褒めてねーし」
「こっちも本気で受け取ってないから」
そう軽口を叩いて、俺は有馬を置いてさっさと教室へ入った。
その日からしばらく、下駄箱を開けるたびに心臓が縮むようになった。
中には何も入っていない日もあれば、くしゃくしゃに丸められた紙切れや食べ物のゴミが詰められていたりする。誰がやったのか、どうしてそこまで僕に対する悪意があるのか、考えてみても頭が痛くなる。
だから僕は考えるのをやめて、黙ってスリッパを履いた。
偶然その場に居合わせた鈴やんが心配そうにしていたが、僕が慣れたように下駄箱の物を片付けているのをみて複雑そうな顔をしていた。
「お前って案外図太いよな」
「実害はないから良いかなって。それに、次は何が入っているのか、ちょっと楽しみになってきてるんだよね」
僕は必死に笑顔を取り繕ってみせた。
「なんだよそれ、変わってる」
そう言いながらも2人で教室に向かう。
新しい上履きを買ったが、それもダメにされてしまったので、今しばらくスリッパのままで過ごすことにしていた。
この嫌がらせもずっと続くわけではないだろう。
やっている人も僕が動じなければすぐに飽きるはずだ。
いつかは終わる、そう思ってやり過ごしてきた。
けれど、息をするたび胸の奥に積もる砂のように、悪意は僕の中にたまっていく。
何でもないふりをして笑っていたけれど、その笑顔がだんだん顔に張りついて剥がれなくなっていくのが、自分でも分かった。
「ねえ、月島ちょっと来てくれない?」
声の主は、前に有馬にお昼に誘われた時にぴったりくっついてた女の子だ。後ろには、取り巻きめいた連中が数人、にやにやとついてきている。
「嫌だけど」
冷たく一言返すと、女子はイラついたように顎を上げた。
「いいから来いって言ってんだよ!」
人気のない校舎裏へと無理やり連れて行かれる。背後の鉄柵や植え込みが、昼間なのに異様に陰鬱に見える。
「お前さ、朔くんに嫌われてるくせに、朔くんの周りうろちょろして調子乗ってんじゃねよ。目障りなんだよ!お前なんかいなくなればいいのに。いなくなれよ!そうすれば朔くんだって、私に──」
女の言葉は途中で震え、意味の繋がらないところで途切れた。真白はただ首を傾げる。
「意味わかんないんだけど」
その返しが余計に相手の牙を剥かせた。
「うるさい!!!!」
女が叫ぶと、連れてきた男たちが躊躇なくぶつかってきた。
「あんた達、こいつをボコボコにして!」
「俺たちはあんまりお前のこと知らねぇけどよ、悪いな。いいサンドバッグになってもらうよ」
一発、鈍い音と痛みが胸の奥に響いた。二発、三発と、掌の感触が腕や肩をとらえて走る。息がつまる。ズキンとした痛みで目を閉じ、身体を小さく丸める。鼓膜の奥で自分の心臓が異様に大きく打っているのが分かった。
「やめろ!何してるんだ」
その声に、誰もが一瞬動きを止める。振り向くと、そこにいたのは朔だった。荒い息をしながら、けれどまっすぐに真白を見ている。
「っ!」
朔がためらいなく僕の元へ駆け寄り、唇の端についた土埃も気にする素振りもなく、真白の頬に手を添えた。掌が触れた瞬間、薄い温度が伝わってくる。殴られて腫れた頬を、朔は軽く撫でるように押さえた。
「真白、大丈夫か?今、保健室に連れてってやるから」
その言葉はぶっきらぼうで、でもどこか切羽詰まっていた。取り巻きの女がしゅんとし、男たちも気まずそうに目を逸らす。有馬の手は離れず、僕の身体を支えるように腕を回した。
「あとは自分で手当しろよ」
「ああ、ありがとう」
有馬は僕を保健室まで届けると、それ以上は何も言わず、足早にどこかへ行ってしまった。
振り返ることもなく、背中だけを残して。
昔からこうだ。
助けてくれる時は助けてくれる。でも、それ以上踏み込んでくることはない。
味方にはなりきれない。けれど敵にもなりきらない。
――だから、余計にわからない。
突き放されているようで、ほんの少しだけ支えられているようで。
その曖昧さが一番、僕を混乱させる。
有馬は僕をどうしたいんだろう。
ーーーー僕は本当はできるのならば有馬と・・・




