嫉妬
僕が異世界から戻ってから、なんで優しくなったのか疑問だったけど、
有馬の言ったことを信じて、もともと友好的だったのだと考えれば、
一応は納得できそうな気がした。
だけど、「仲良くなりたかったから」という理由だけで、
中学、高校と、その行動が続くものだろうか。
ただ一人の人間に、少し執着しすぎている気がする。
環境がガラリと変われば、新しい人との交流も自然に増えていく。
そうなれば、僕のことなんて、きっと興味が失せるはずだ。
それなのに、僕が目覚めた時、有馬は泣いていた。
普通、友達でもなかった相手に、
そこまで感情的になれるものだろうか。
今までの行動が、単に「仲良くなりたかったから」だけでは、
どうしても説明がつかないように思う。
僕が冷たい人間だから、こんなふうに考えてしまうだけなのかな。
このもやもやがなくなるように、
次に会った時は、ちゃんと聞いてみよう。
――なんで、僕に優しくしてくれるのか。
開店前、お店のドアを開け、いつものように挨拶をする。
「おはようございまーす。お願いします!」
「なんかご機嫌だね。良いことでもあった?」
「え、そう見えますか」
「最近、表情が柔らかくなったね。前より楽しそうに見える」
オーナーにそう言われて、僕は少し驚いた。
最近、良いことがあったかと言われても、正直、思い当たらない。
強いて言えば、母にバイトを始めたと報告したら、
「あら、じゃあもう仕送りしなくて大丈夫ね」
と、あっさり言われて生活費が送られてこなくなったことくらいだ。
別に頼り切っていたわけじゃない。
ただ、食費が少しひもじくなるな、とは思った。
でもきっと、母なりに親としての役割を終えたのだと区切りをつけたのだろう。
仕事ばかりで家にいることの少なかった人だ。
僕が働き始めたと聞いて、「もう大丈夫」と判断しただけ。
母の中では、僕は一人前になったらしい。
そう思うことにしておく。
ちくしょう。
いつまで世界を飛び回って働くつもりなんだか。
そういうわけで、最初は週一で始めたバイトを週五に増やすことになった。
前回、二人でご飯を食べた時、今の有馬と話すのは案外楽しかった。
ああやって他愛もない話をする時間が、またあってもいいな、と思う。
けれど、有馬の仕事も忙しそうで、僕のバイトも増えてしまったから、次はいつになるのか分からない。
あれから時々、店にも来てくれるし、全く会わないわけではない。
ただ、ゆっくり話す時間は取れず、聞きたいことも聞けないままでいる。
「すみませーん、注文いいですか」
「はーい、少々お待ちください」
店員を呼ぶ声が聞こえ、メモ帳とボールペンを持って行く。
この常連さんは確か、
「今日もカフェモカですか?」
「うん。それとーーー」
「ミルクは多めですよね」
「真白くん、もう覚えちゃった?」
「毎回同じなので。間違えないようにと思って」
常連の若い女性はそれを聞いておかしそうに笑った。
「間違えても怒らないよ。むしろ覚えてくれて嬉しい」
朗らかな笑みにつられて、僕も小さく笑った。
注文を受けてカウンターに戻り、ミルクを温める。
カップを差し出すと、常連は満足そうに目を細めた。
「最近忙しそうですね」
「あー、まあ。仕事でバタバタしてて。でも、ここに来るとちょっと落ち着くから」
「……そうなんですか」
「真白くんがいると静かだし。変に話しかけてこないし」
「それ、褒めてます?」
「褒めてる褒めてる。ちょうどいい距離感」
「無理しないでね。顔、前より元気そうだけど」
「え……わかります?」
「わかるよ。最初来た頃、今よりずっと青白かったし」
僕は一瞬言葉に詰まってから、小さく頷く。
「……ありがとうございます。気にかけてくださって」
この店に来てからもう一年が経過しようとしている。
その中でも僕のことを見てくれている人がいるんだなって心が温かくなった。
常連さんがカフェモカを飲み終え、会計を済ませる。
「じゃ、また明日か明後日来るね」
「はい。お待ちしてます」
その背中を見送ってから、ふっと息を吐いた。
常連さんが去って、顔を上げると入り口で立っている有馬と目が合った。
「あ、……いらっしゃい?」
いつもより空気が張り詰めたように重たく感じる。
普段はニコニコしていて、爽やかな有馬が、今日は少し違って見えた。
悪いことでもあったのかと心配になるレベルだ。
「こんにちは」
そう言いながら、有馬は僕のいるレジ前に歩み寄る。
声色はいつも通りなのにその視線が、いつになく真剣なものになったのを見逃さなかった。
「……楽しそうだったな」
「え?」
何のことだろうと思考を巡らせる。
楽しそうって、ただ仕事をしていただけなんだけど。
そういえば、朝もオーナーに同じようなこと言われたっけ。
だから有馬も僕の雰囲気が変わったとかそういうのを指摘したいのかなと思ったら
「さっきの人と」
と、予想外の言葉が続けられた。
有馬の意図が理解できず、考えるより先に「常連さんだから」とだけ返した。
さっきの人って、常連さんのことで合ってるよな。
でも、なんでそんなことを聞いてくるんだろう。タイプだったとか。
それだったらお客さんの個人情報を聞かれてもベラベラ喋るわけにはいかない。
というか、わざわざ僕のところに聞きに来ないで直接本人のところに行けばいいのに。
無意識に次の有馬の言葉に身構える。
「ふーん」
それ以上、何も言わずに視線を落とし、思案顔で黙り込んでしまう。
僕はなんだか落ち着かなくてレジの下で手を握ったり開いたりしてごまかした。
俯いて自分の手ばかり見つめていたから、有馬が距離を詰めて来ていたことにも気づかなかった。
顔を上げたら綺麗な顔が間近にあって思わずゴクリと喉が鳴った。
「俺ばっかり月島の家にお邪魔してるからさ。今度は……仕事休みの日に、うちに来てほしいんだけど」
さっきまで感じていた刺々しさが、ほんの少し薄れている気がした。
手を優しく握られているのは意味があるのだろうか。
不機嫌ではなくなった様子の有馬に少しだけ安堵したのに、今はまた別の緊張を感じた。
「じゃあ……、次の休みの日でいい?」
絞り出すように答えると、有馬がすぐに破顔した。
「うん。待ってる」
紅く色づく有馬の頬に目が奪われる。
店内が暖かいからだろうか。
そう考えたのに、心臓の音はなかなか静まらなかった。




