幼い頃の記憶 アレン視点 Ⅳ
花が咲き乱れる孤児院の裏庭。
夕日の光が花びらを透かして、金色の縁を作っていた。
僕はノクトに会いに行く道すがら、何本も何本も花を積んだ。
手のひらが赤くなるほど茎を握りしめて、小さな花束にして胸にぎゅっと抱えた。
ノクトの小屋の前へ着くと、僕はコンコンと元気よくノックした。
ドアが開けば見慣れた黒髪が、夕焼けの色に照らされる。
「ノクト!!!!」
勢いよく駆け寄り、花束を差し出す。
「僕、ノクトが好き!!結婚してください!!!!」
一気に息が詰まって、胸がどきどき跳ねる。
ノクトは少しだけ目を見開いたが、すぐふっと視線を柔らかく落とした。
驚いてるのに、いつもの静かな顔に戻ろうとしているのがわかった。
「ありがとう。アレン」
花束を受け取ろうと伸びかけた手は、触れる直前ですっと引っ込められた。
代わりにノクトはそっと僕の肩に触れ、くるりと身体の向きを変えようとする。
「さ、もう日が暮れてしまうよ。帰ろう」
告白なんてなかったみたいに、僕がいつも通り遊びに来た時と同じ反応だ。
確かに花を積んでいたら遅くなってしまったけれど、返事を返されないまますぐに帰るように言われるとは思っていなかった。
「か、返事は?僕のお嫁さんになってくれる?」
縋るように袖を掴む。
ノクトは一瞬だけ困ったように瞬きをした。
「えーと、アレンがもっと大きくならないと、結婚できないよ」
子どもを相手になだめるみたいな声だった。
そして、僕の頭にそっと手を置き、するりと撫でてくる。
その手つきはあの小さな魔物を撫でたときと同じくらい柔らかくて胸の奥がきゅうっと痛んだ。
その瞬間、僕は悟ってしまった。
(あ……僕、ダメなんだ)
子供扱いされて、告白も本気にしてもらえない。
悔しさから目頭がじわりと熱くなる。
だけど涙は出なかった。
好きな人と好きな人は結婚するらしい。
だからお父さんとお母さんは結婚した。
それならノクトと結婚できたら、僕は特別になれるはずだった。
その夢を諦めるという選択肢はなかった。
僕は帰ってからベッドの上でゴロゴロとのたうち回っていた。
幸いこっそり外に出ていることはまだおとなたちにバレておらず、
また明日も会いにいこうと模索していた。
どうやったらノクトにもっと本気を伝えられるのか。
隣にはすやすやと寝息を立てる僕と同じくらいの子たちがいる。
丸いほっぺにあどけない寝顔を見て、
ああ、ノクトから見た僕ってやっぱり子供なんだよなぁっと自覚させられる。
僕が成長して、ノクトの身長を抜いたら、
きっとノクトは告白を受け入れてくれるかもしれない。
ーーー早く大きくなりたいな
そう思いながら眠りについた。
僕はまたこっそり出て森に行った。
孤児院の近くで咲いているきれいなお花も積んできた。
ノクトに会えば気持ちが溢れて、想いを伝えずにはいられない。
「ノクト、おはよう!今日も大好きだよ」
そう言って抱きつけば、ノクトは驚いて、でも僕を振り払おうとはしなかった。
あの日から毎日想いを伝えるのが恒例になっていた。
「おはようって、もう来ちゃダメだよって何度も言ってるでしょ」
相変わらず、ノクトに告白は流されてしまうけれど。
「大丈夫!僕ね、すぐ大きくなるよ!そしたらノクトを迎えに行くね。だから、その、他の人と結婚しちゃダメだよ。浮気もダメ!ぜったいだよ!」
「浮気って……」
「ほんとにダメなんだよ!ノクトは、僕のお嫁さんなんだから!」
「わかった、わかったから落ち着いて」
僕の気持ちが伝わったのかと一瞬でも喜んだ。けど違ったようだ。
「悪魔はね、結婚しません。だから、アレンはもっと良い人間のお嫁さんと」
「いやだっ!僕が好きなのはノクトだ!あったこともない人じゃない!」
そう言った途端、胸の奥が熱くなって、涙がこぼれそうになる。
ーーーなんでそんなこと言うの。
必死でノクトを見上げれば、彼は困り果てたように眉を寄せて、少しだけ視線をそらした。
「……アレン」
ノクトがそっと僕の肩に触れる。
その手は冷たいはずなのに、不思議とあたたかく感じてしまう。
「僕は悪魔だよ。アレンとは生きる時間も違う。……その気持ちは、きっと、いつか変わる」
「変わらない!絶対に変わらないよ!」
声が裏返って、思わずノクトの服をぎゅっと掴んだ。
ノクトは何も言わずに、しばらく僕の頭をなでた。
優しい動きで、諦めるように、でもどこか大事に触れてくれる。
「アレンはまだ小さい。好きって気持ちが何なのか、全部は知らないでしょ?」
「知ってるもん!ノクトを見ると嬉しくなるし、苦しくなるし、離れたくないって思うんだよ!」
言葉を必死に重ねる僕を、ノクトはそっと抱きしめて止めた。
胸の奥がどくどくと早くなるのが、自分でもわかる。
「ありがとう。そう言ってもらえるのは、とても嬉しいよ」
耳元で囁かれた声は優しかった。
だけど同時に、どこか遠くて、触れようとするとすり抜けてしまいそうだった。
「でもね、アレン。僕はお嫁さんにはなれない。悪魔にはそういう生き方はないんだ。誰かと添い遂げる未来だって」
ノクトの腕がゆっくりとほどける。
「だからアレンは、人間の世界でちゃんと幸せになってほしいんだよ」
どうしてそんな風に言うのか、僕には理解できなかった。
「やだ、ノクトがいいのに……」
小さく漏れた声は、自分でも情けないほど震えていた。
ノクトは困ったように微笑んで、僕の頬についた涙をそっと指で拭った。
「アレンが大きくなって、まだ同じことを言ってくれたら……そのときは、考えるよ」
「ほんとに……?」
「ほんと」
嘘か本当かなんて、わからなかった。
ただその瞬間、ノクトの微笑みを信じたかった。
胸がぎゅっと苦しいまま、僕は彼の手を握りしめた。
ノクトは振り払わず、そのまま握り返してくれた。
しかし、そんな穏やかな日々も、唐突に終わりを告げた。
ある日、森の奥でノクトと過ごしていたとき、
俺の腕に、眩い光が走った。
痛みと熱が同時に襲い、思わず悲鳴を上げる。
ノクトが驚いて駆け寄り、俺の腕を掴んだ。
その瞬間、彼の表情が変わった。
――恐怖と絶望が、同時に混ざったような顔だった。
俺の腕に刻まれていたのは、聖印。
勇者にだけ与えられる“神の烙印”だった。
僕はすぐに孤児院へ戻された。
それはノクトの魔法でだった。
気づいたら、王都から使いが来ていて、奴らは俺を馬車に押し込んだ。
このままどこかへ連れてかれるんだ。
まだ、別れも言えないまま。
そう思って振り返れば、見覚えのある山がメラメラと燃えていた。
そこはノクトのいた森だ。
なんで、燃えているんだ。
そう驚けば使いがあそこは魔物の棲家だから燃やしたと平然と宣った。
僕は怒りに任せて暴れた。
「ノクト! ノクト!」
叫び声は馬車の木枠に跳ね返り、すぐに兵士たちの冷たい手に塞がれた。俺は腕と肩をつかまれ、体をひねってでも窓の外を見ようとしたが、動けない。痛みと恐怖が混ざって、視界が揺れる。
窓越しに見えたのは、あの森が吐き出す黒煙だった。炎は木の梢をひと噛みで溶かし、枝がはじけると空に火の花が咲いた。風に乗って運ばれてくる匂いは、焦げた葉と湿った土の断末魔のようで、胸の中に重く沈んだ。
「なにをしているんだ! あそこはノクトがいる森だ!」
俺は喉を震わせて叫んだ。けれど兵士の顔には同情も動揺もなく、ただ機械的に命令を遂行しているだけだった。ひとりの使いがこちらをちらりと見て、冷たく言った。
「魔物の棲家だ。焼き払わなければ都の安全が脅かされる」
そんな言葉を聞いて、俺の中の何かが切れた。怒りと恐怖と焦燥が入り混じり、胸の奥から力が湧いた。体をねじり、手を振りほどこうとする。けれど兵士の腕は鋼のように硬く、ひとつ、ふたつと抵抗は押さえつけられていった。
窓の向こう、炎の中から黒い影が走ったように見えた。いや、気のせいかもしれない。煙でかき消され、すぐにわからなくなった。でも、もしあれがノクトだったなら、どうして助けに来てくれないんだ。どうして俺を置いていくんだ。
涙が止まらなくなった。叫び続けた。ノクト、ノクト、と。声が枯れていくのに気づかないほどに。馬車が音を立てて動き出し、都への石畳が一列、二列と過ぎていく。灰が窓に張り付き、白い粉のように俺の顔に落ちた。
最後に窓いっぱいに押し付けた手の平で、燃え盛る森が小さな灰の塵となって舞い散るのを見た。ノクトの姿は、もう見えなかった。
ただ、腕に刻まれた印は冷たく脈打ち、これから先、何かが変わってしまったことだけは確かだった。
馬車の中で身体を押さえつけられながら、俺はひとつだけ決めた。
いつか、ノクトの元に会いに戻る。どんなことをしてでも。




